めおと蝶 山本周五郎 ⑪

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プレイ回数1300難易度(4.0) 3052打 長文
妻に頑なな大目付の夫・良平、結婚は失敗だと思い夫を拒む信乃。
信乃は情の薄い夫・良平を好きになることができない。ある日かつて思いを寄せていた智也が投獄される。

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問題文

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(あのあやういしゅんかんにもおっとにかんづかれなかったというあんしんのためだろう、)

あの危うい瞬間にも良人に感づかれなかったという安心のためだろう、

(あさのねざめもすがすがとして、あたまがこころよくさえ、)

朝のねざめもすがすがとして、頭がこころよく冴え、

(からだにもちからがみなぎるようにおもえた。)

体にも力がみなぎるように思えた。

(とじょうするおっとをおくりだしてから、しのがなんどへしょくじをもってゆくと、)

登城する良人を送りだしてから、信乃が納戸へ食事を持ってゆくと、

(ともやがだっしゅつしたいといいだした。)

知也が脱出したいと云いだした。

(りょうへいのつとめぶりでさっすると、)

良平の勤めぶりで察すると、

(あるていどまでけいかいはゆるんでいるらしい。)

或る程度まで警戒はゆるんでいるらしい。

(そうでないにしても、ひがたちすぎるとてはずがくるうということだった。)

そうでないにしても、日が経ち過ぎると手筈が狂うということだった。

(「たつみもんでつかまったのはおとりです、)

「巽門で捉まったのは囮です、

(わざとさんにんでおってをひきつけ、)

わざと三人で追手をひきつけ、

(そのすきにわれわれがにげたのですが、)

その隙にわれわれが逃げたのですが、

(かじ、おおい、いわみつ、そのなかでふたりつかまったとすると、)

梶、大炊、岩光、そのなかで二人捉まったとすると、

(だれがだっしゅつできたかわからないし、)

誰が脱出できたかわからないし、

(ひとりではいつまでまってもいられないでしょう」)

一人ではいつまで待ってもいられないでしょう」

(「どこかでまちあわせるおやくそくですのね」)

「どこかで待合せるお約束ですのね」

(「あおいがわのかりゅうのまきやまというふなつきです、)

「青井川の下流の蒔山という船着です、

(もうとおかいじょうになりますから」)

もう十日以上になりますから」

(そこでしあんしたのだがと、ともやはじぶんのけいかくをかたった。)

そこで思案したのだがと、知也は自分の計画を語った。

(それはあめかゆきのひに、いもうとにともをつれてこさせる、)

それは雨か雪の日に、妹に供を伴れて来させる、

(げぼくのきものとあまぐをひとそろえもってきてもらい、)

下僕の着物と雨具をひと揃え持って来て貰い、

など

(ともやがそれをきて、とものものがじっかへなにかとりにゆくていでぬけだす。)

知也がそれを着て、供の者が実家へなにか取りにゆく態でぬけ出す。

(ふみよはひのくれるまでいて、)

文代は日の昏れるまでいて、

(ゆうがたのごたごたしたときにかえる、というのであった。)

夕方のごたごたしたときに帰る、というのであった。

(「いろいろあんをたててみたんですが、)

「いろいろ案を立ててみたんですが、

(これよりほかにしゅだんはなさそうです、ふみよさんとごそうだんのうえ、)

これよりほかに手段はなさそうです、文代さんと御相談のうえ、

(ごめいわくでしょうがぜひそうてはいをしてください」)

御迷惑でしょうがぜひそう手配をして下さい」

(「わかりました、ではいもうとをよびまして」)

「わかりました、では妹を呼びまして」

(しのはうなずいてたった。)

信乃は頷いて立った。

(きいているうちにそれがいちばんよいほうほうだとおもったのである、)

聞いているうちにそれがいちばん良い方法だと思ったのである、

(それですぐにいもうとへつかいをやった。)

それですぐに妹へ使いをやった。

(ふみよのおどろきはひじょうなものであった。)

文代の驚きは非常なものであった。

(それからてをうちあわせてこえをあげ、)

それから手をうち合せて声をあげ、

(れいのてんじょうをむいているはなをそらせ、)

例のてんじょうを向いている鼻を反らせ、

(こうふんのあまりほおをあかくして、)

昂奮のあまり頬を赤くして、

(いてもたってもいられないというふうにはしゃいだ。)

居ても立ってもいられないというふうにはしゃいだ。

(ともやがしののふところへにげこんだということが、)

知也が信乃のふところへ逃げこんだということが、

(まずたいへんきにいったらしい、)

まずたいへん気にいったらしい、

(それをさらにじぶんがひとやくかって、ここをだっしゅつさせようという。)

それをさらに自分がひと役買って、此処を脱出させようという。

(ふみよにはこれがしげきのつよいものがたりをよむような、)

文代にはこれが刺戟の強い物語を読むような、

(むねのどきどきするきょうみをそそられたようであった。)

胸のどきどきする興味をそそられたようであった。

(「やっぱりともやさまはあたまがいいのね、)

「やっぱり知也さまは頭が良いのね、

(いしぼとけさんのところへもぐるなんて、)

石仏さんのところへもぐるなんて、

(よほどちえがまわってゆうきがなければできることではないわ、)

よほど智恵がまわって勇気がなければできることではないわ、

(おねえさまもよくなすったわ、よくそのゆうきがおありになったわね、)

お姉さまもよくなすったわ、よくその勇気がおありになったわね、

(おりっぱよ、わたくしこれでむねがせいせいしました」)

おりっぱよ、わたくしこれで胸がせいせいしました」

(「もっとまじめになってちょうだい、)

「もっとまじめになって頂戴、

(ひとつまちがえばともやさまもわたくしもいきてはいられないのよ」)

ひとつまちがえば知也さまもわたくしも生きてはいられないのよ」

(「おねえさま、・・・ねえ」)

「お姉さま、・・・ねえ」

(ふみよはひざですりより、しののてをにぎって、)

文代は膝ですり寄り、信乃の手を握って、

(おもいつめたようなめで、じっとこちらをみつめた。)

思いつめたような眼で、じっとこちらをみつめた。

(「ともやさまとごそうだんなすって、)

「知也さまと御相談なすって、

(おねえさまもごいっしょにおにげなさいませんこと」)

お姉さまもごいっしょにお逃げなさいませんこと」

(「まあ、なにをいうのあなたは」)

「まあ、なにを云うのあなたは」

(「それがほんとうだとおもうんです、わたくししっていましたわ」)

「それが本当だと思うんです、わたくし知っていましたわ」

(ふみよのめにきらきらとなみだがあふれてきた、)

文代の眼にきらきらと涙があふれてきた、

(「おねえさまがともやさまをおすきだということ、)

「お姉さまが知也さまをお好きだということ、

(ともやさまもおねえさまをすいていらしったこと、)

知也さまもお姉さまを好いていらしったこと、

(いいえおかくしにならないで、わたくしちゃんとしっていましたの、)

いいえお隠しにならないで、わたくしちゃんと知っていましたの、

(おふたりはいっしょにならなければいけませんわ、)

お二人はいっしょにならなければいけませんわ、

(そうすればおふたりともしあわせになれるんです。)

そうすればお二人ともしあわせになれるんです。

(おねえさま、もういちどゆうきをおだしになって、)

お姉さま、もういちど勇気をおだしになって、

(にんげんはにどとはいきられませんのよ」)

人間は二度とは生きられませんのよ」

(しのはいもうとにてをとられたままめをつむった。)

信乃は妹に手を取られたまま眼をつむった。

(おっとのかおがみえた。れいこくなめが、かんじょうのないこわつきが、)

良人の顔がみえた。冷酷な眼が、感情のない声つきが、

(そしてぞっとするようなびしょうが。)

そしてぞっとするような微笑が。

(しのはそのげんぞうをおもいうかべながら、)

信乃はその幻像を思いうかべながら、

(やがてふとさむけでもするようにかたをちぢめ、)

やがてふと寒気でもするように肩を縮め、

(「ありがとう、ふみよさん、うれしいわ」)

「ありがとう、文代さん、うれしいわ」

(こうささやくようなこえでいった。)

こう囁くような声で云った。

(「にんげんはにどとはいきられない、ゆうきをだしてみるわ、)

「人間は二度とは生きられない、勇気をだしてみるわ、

(ほんとうにありがとう」ふみよはなみだをこぼしながら、)

本当にありがとう」 文代は涙をこぼしながら、

(そのぬれたほおをあねのてにすりつけ、まるでわらうようなこえで、)

その濡れた頬を姉の手にすりつけ、まるで笑うような声で、

(かたをふるわせてむせびあげた。)

肩を震わせてむせびあげた。

(しのはどうこうのひらいたようなめで、じっとそらをみあげていた。)

信乃は瞳孔のひらいたような眼で、じっと空を見あげていた。

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