日本婦道記 梅咲きぬ 山本周五郎 ⑤(終)

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姑「かな女」は加代の習い事を理由なく辞めるようにすすめるが・・・

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(かなじょはしずかによめのめをみやり、かんがえるじかんをあたえるように、)

かな女はしずかに嫁の眼を見やり、考える時間を与えるように、

(いっくずつくぎりながらつづけていった。)

一句ずつ区切りながら続けて云った。

(「ぶけのあるじはごしゅくんのためにしんめいのごほうこうをするのがほんぶんです、)

「武家のあるじは御主君のために身命のご奉公をするのが本分です、

(そのごほうこうにきずのないようにするためには、)

そのご奉公にきずのないようにするためには、

(いささかでもかせいにゆるみがあってはなりません、)

些かでも家政に緩みがあってはなりません、

(あるじのごほうこうがしんめいをとしているように、)

あるじのご奉公が身命を賭しているように、

(いえをあずかるつまのつとめもしんめいをうちこんだものでなければなりません。)

家をあずかる妻のつとめも身命をうちこんだものでなければなりません。

(かせいのきりもりにおこたりがなく、おっとにつかえてていせつなれば、)

家政のきりもりに怠りがなく、良人に仕えて貞節なれば、

(それでおんなのつとめははたされたとおもうかもしれませんが、)

それでおんなのつとめは果されたと思うかも知れませんが、

(それはかたちのうえのことにすぎません、)

それはかたちの上のことにすぎません、

(ほんとうにたいせつなものはもっとほかのところにあります。)

本当に大切なものはもっとほかのところにあります。

(ひとのめにもみえず、だれにもきづかれぬところに、それはこころです、)

人の眼にも見えず、誰にも気づかれぬところに、それは心です、

(おっとにつかえいえをまもることのほかには、ちりもとどめぬつまのこころです」)

良人に仕え家をまもることのほかには、塵もとどめぬ妻の心です」

(「・・・・・」)

「・・・・・」

(「がくもんしょげいにはそれぞれとくがあり、)

「学問諸芸にはそれぞれ徳があり、

(ならいおぼえてこころのかてとすればひとをたかめます、)

ならい覚えて心の糧とすれば人を高めます、

(けれどもそのみちのおくをきわめようとするようになると)

けれどもその道の奥をきわめようとするようになると

(「つまのこころ」にすきができます、いかにりょうのめいじんでも)

『妻の心』に隙ができます、いかに猟の名人でも

(いちどきににとをおうことはできません。)

一時に二兎を追うことはできません。

(つまがしんめいをうちこむのは、いえをまもりおっとにつかえることだけです、)

妻が身命をうちこむのは、家をまもり良人に仕えることだけです、

など

(そこからすこしでもこころをそらすことは、)

そこから少しでも心をそらすことは、

(めにみえずともふていをいだくことです」)

眼に見えずとも不貞をいだくことです」

(「ははうえさま」かよが、とつぜんそういいながらひれふした、)

「母上さま」加代が、とつぜんそう云いながらひれ伏した、

(つきあげるようなこえだった、そしてひれふしたそのせがかすかにふるえた。)

つきあげるような声だった、そしてひれ伏したその背がかすかにふるえた。

(「わたくし、あやまっておりました」)

「わたくし、あやまっておりました」

(「ーーかよさん」かなじょはうなずきながらいった。)

「ーー加代さん」かな女は頷きながら云った。

(「もうおっしゃるな、としよりのぐちがいくらかでもおやくにたてばなによりです、)

「もう仰しゃるな、年寄の愚痴がいくらかでもお役にたてばなによりです、

(そして、そこのかくごさえついておいでなら、)

そして、そこの覚悟さえついておいでなら、

(うたをおつづけなすってもけっこうなのですよ」)

歌をおつづけなすっても結構なのですよ」

(しずかにびしょうしながらいうかなじょの、ろうをたたんだかおには)

しずかに微笑しながら云うかな女の、老をたたんだ顔には

(いささかのかげもなかった。ぶけのつまとしての、いきかたのきびしさ、)

些かのかげもなかった。武家の妻としての、生き方のきびしさ、

(そのきびしいいきかたのなかで、さらにしゅんれつにみをじしてきた)

そのきびしい生き方のなかで、さらに峻烈に身を持してきた

(かなじょのこしかたこそ、ひとのめにもふれずみみにもつたわらぬだけ、)

かな女のこしかたこそ、人の眼にも触れず耳にも伝わらぬだけ、

(そうせつをしのいでさくしんざんのうめのかぐわしさがおもわれる。)

霜雪をしのいで咲く深山の梅のかぐわしさが思われる。

(「こんなものをつくりました」)

「こんなものを作りました」

(やがてかなじょは、はぎれをついでつくったかたぶとんをとって、)

やがてかな女は、端ぎれを継いで作った肩蒲団をとって、

(そっとよめのまえにおしやった。)

そっと嫁の前に押しやった。

(「あなたのおねまはひえますから、これをかたにあてておやすみなさい、)

「あなたのお寝間は冷えますから、これを肩に当てておやすみなさい、

(これでなかなかあたたかいものですよ」)

これでなかなか温かいものですよ」

(そのひおしろからかえったなおてるは、)

その日お城から帰った直輝は、

(つまのかおいろがみちがえるようにさえざえとしているのにおどろいた。)

妻の顔色が見ちがえるように冴え冴えとしているのにおどろいた。

(「どうしたのだ、なにかたいそうよいことでもあったようではないか」)

「どうしたのだ、なにかたいそうよいことでもあったようではないか」

(そういうと、かよはむねにつつみきれぬよろこびをうったえるようにいった、)

そう云うと、加代は胸に包みきれぬよろこびを訴えるように云った、

(「ははうえさまからちょうだいものをいたしましたの」)

「はは上さまから頂戴ものをいたしましたの」

(「なんだ」しってはいたが、わざとなおてるはそうきいた。)

「なんだ」 知ってはいたが、わざと直輝はそうきいた。

(「かたぶとんでございます、ごぞんじではございませんでしょう」)

「肩蒲団でございます、ご存じではございませんでしょう」

(かよはむしろうきうきしたともいえるちょうしでそういった、)

加代はむしろうきうきしたともいえる調子でそう云った、

(「やすみますときに、まくらとかたとのあいだにあてるものでございますの、)

「やすみますときに、枕と肩との間に当てるものでございますの、

(ろうじんのつかうものでしょうけれど、わたくしのからだをあんじて、)

老人の使うものでしょうけれど、わたくしのからだを案じて、

(ははうえさまがごじぶんでつくってくだすったのです」)

はは上さまがご自分で作って下すったのです」

(「それがそんなにうれしいのか」)

「それがそんなに嬉しいのか」

(「だんなさまにはおわかりあそばしませんでしょうけれど」)

「旦那さまにはおわかりあそばしませんでしょうけれど」

(かよはそういいかけ、ふとめをあげておのれをかえりみるようにいった、)

加代はそう云いかけ、ふと眼をあげておのれをかえりみるように云った、

(「わたくしもははうえさまのように、やがてはよめにかたぶとんを)

「わたくしもはは上さまのように、やがては嫁に肩蒲団を

(つくってやれるような、よいしゅうとめになりたいとぞんじます」)

作ってやれるような、よい姑になりたいと存じます」

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