日本婦道記 春三たび 山本周五郎  ③

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伊緒は和地家に嫁いで間もないが、夫・伝四郎が戦に行くことになる。

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(おっとがしゅつじんしていったよくじつからゆきがふりだした。)

良人が出陣していった翌日から雪が降りだした。

(こまかな、かわいたゆきが、さらさらといちにちじゅうふり、)

こまかな、かわいた雪が、さらさらと一日じゅう降り、

(よるになってやんだとおもうと、あくるあさはもっとひどくなり、)

夜になってやんだとおもうと、あくる朝はもっとひどくなり、

(それからみっかのあいだこやみもなくふりつづけた。)

それから三日のあいだこやみもなく降りつづけた。

(そのゆきのなかで、とつぜんちちがしんだ、)

その雪のなかで、とつぜん父が死んだ、

(せんじょうにおくれたらくたんがこたえたのか、)

戦場におくれた落胆がこたえたのか、

(しらぬまにこしつがそこまですすんでいたものか、)

知らぬまに痼疾がそこまですすんでいたものか、

(ひどくあっけない、くちきのおれるようなしだった。)

ひどくあっけない、朽木の折れるような死だった。

(むかえをうけていおがじっかへはせつけたとき、)

迎えをうけて伊緒が実家へはせつけたとき、

(はちろうえもんはもうかのじょをみわけることさえできなかったのである。)

八郎右衛門はもうかの女をみわけることさえできなかったのである。

(「もっとはやくしらせたかったけれど」)

「もっとはやく知らせたかったけれど」

(とはははまだゆめでもみているような、とぼんとしたひょうじょうでそういった、)

と母はまだ夢でもみているような、とぼんとした表情でそう云った、

(「ふつうのときではない、おっとがせんじょうへいったるすなのだから、)

「普通のときではない、良人が戦場へいった留守なのだから、

(いきをひきとるまではしらせてはならぬ、)

息をひきとるまでは知らせてはならぬ、

(そうおっしゃってどうしてもおききにならなかったのでねえ」)

そう仰しゃってどうしてもおききにならなかったのでねえ」

(つやもさせてはならぬというゆいごんだった。そしてたんとうにそえて、)

通夜もさせてはならぬという遺言だった。そして短刀に添えて、

(おおぞらをてりゆくつきしきよければくもかくすともひかりけなくに、)

おおぞらをてりゆく月しきよければ雲かくすともひかりけなくに、

(というこきんしゅうのあまきょうしんのうたをぬきがきして、)

という古今集の尼敬信の歌をぬき書きして、

(「このこころわするるべからず」としるしたせきとくをのこしていってくれた。)

「このこころ忘るべからず」としるした尺牘をのこしていって呉れた。

(いおはちちのこころがよくわかるので、いっこくほどいがいのとぎをしただけで、)

伊緒は父のこころがよくわかるので、一刻ほど遺骸の伽をしただけで、

など

(かたみのしなをだいてゆきのなかをかえってきた。)

かたみの品を抱いて雪のなかを帰って来た。

(きせつはかんにはいった、ゆきのあとは、くうきまでがぱりぱりとしそうないてで、)

季節は寒に入った、雪のあとは、空気までがぱりぱりとしそうな凍てで、

(じょうかとそのくいせがわはひざかりにも)

城下とその杭瀬川は陽ざかりにも

(はりつめたこおりのとけきれぬようなことがおおかった。)

張りつめた氷の溶けきれぬようなことが多かった。

(いおはたすきをとるいとまもなかった、)

伊緒は襷をとるいとまもなかった、

(ごじょうのうのこめをたわらにしてだし、うるぶんのもみすりをし、)

御上納の米を俵にしてだし、売る分の籾摺りをし、

(こめつき、たきぎとり、むしろあみ、なわない、)

米つき、焚木とり、むしろ編み、繩ない、

(そしてそさいばたけせわなど、)

そして蔬菜畑のせわなど、

(のうかからちんぎめでてつだいにくるろうじんをあいてに、)

農家から賃ぎめで手つだいにくる老人を相手に、

(やすむひまもなくはたらきとおした。)

休むひまもなくはたらきとおした。

(いくのすけはゆきのあとでかぜをひき、)

郁之助は雪のあとで風邪をひき、

(けいこもやめてこもっていたが、しゅうとめのすぎじょはじょうぶなので、)

稽古もやめてこもっていたが、姑のすぎ女は丈夫なので、

(「そうひとりでなにもかもおやりでは、)

「そうひとりでなにもかもおやりでは、

(からだをこわしてしまいますよ」といい、)

からだをこわしてしまいますよ」と云い、

(せめてすいじやはりしごとだけでもじぶんがかわろうといったけれども、)

せめて炊事や針しごとだけでも自分が代ろうといったけれども、

(いおはいきいきとちのけのはったほおでわらいながら、)

伊緒はいきいきと血のけの張った頬で笑いながら、

(「だんなさまはいまいのちをとしてたたかっていらっしゃいますもの」とこたえ、)

「旦那さまはいま命を賭として戦っていらっしゃいますもの」と答え、

(なにひとつしゅうとめのてをわずらわそうとはしなかった。)

なにひとつ姑の手を煩わそうとはしなかった。

(としがあけてじゅうさんにちのひに、しまばらへちゃくじんしたというしらせのししゃがるすじろへきた、)

年があけて十三日の日に、島原へ着陣したという知らせの使者が留守城へ来た、

(ひともみとおもっていたぞくとがなかなかがんきょうで、)

ひと揉みと思っていた賊徒がなかなか頑強で、

(がんたんのしろぜめにはしゅしょうのいたくらしげまさがうちじにをしたということも、)

元旦の城攻めには主将の板倉重昌が討死をしたということも、

(そのししゃのしらせでわかった。)

その使者の知らせでわかった。

(ないぜんのかみどのがうちじにをなすった。)

内膳正どのが討死をなすった。

(それはるすじろのひとびとをひどくびっくりさせた、)

それは留守城の人々をひどくびっくりさせた、

(せいとうぐんのたいしょうがせんしをするとはどのようなはげしいいくさだったであろう。)

征討軍の大将が戦死をするとはどのようなはげしい戦だったであろう。

(これはなみたいていのことではない、)

これはなみたいていのことではない、

(おそらくかちゅうからもそうとうにそんがいがでるぞ。)

おそらく家中からも相当に損害がでるぞ。

(そういううわさがくちからくちへつたわり、)

そういう噂が口から口へ伝わり、

(にわかにじょうかのようすがきんちょうしてきた、いおもそのはなしをきいて、)

にわかに城下のようすが緊張してきた、伊緒もその話を聞いて、

(はじめてせんじょうというものがじかにかんじられ、)

はじめて戦場というものがじかに感じられ、

(「どうぞごぶうんめでたく」とこころをこめていのりながら)

「どうぞ御武運めでたく」と心をこめて祈りながら

(じゅくすいのできないいくよかをおくった。)

熟睡のできない幾夜かをおくった。

(もちろんいきてかえれとたのむのではない、)

もちろん生きてかえれとたのむのではない、

(せいしいずれともぶうんにめぐまれてほしいというきもちである。)

生死いずれとも武運にめぐまれてほしいという気持である。

(でんしろうはつねづねごおんでんもちというみのうえを)

伝四郎はつねづね御恩田持ちという身の上を

(つまにたいしてひけめにかんじているふうだった、)

妻に対してひけめに感じている風だった、

(せけんにむかってはむしろほこりさえしていたのに、)

世間にむかってはむしろ誇りさえしていたのに、

(つまにだけはなぜかしらんきのどくそうだった。)

妻にだけはなぜかしらん気のどくそうだった。

(いおにはそれがつらかった、)

伊緒にはそれが辛かった、

(たとえおっとがりっしんしてもごおんでんははなすまい、)

たとえ良人が立身しても御恩田は放すまい、

(かのじょはひそかにそうちかっていた、)

かの女はひそかにそう誓っていた、

(じぶんにひけめをかんじているおっとがうらめしくさえあった。)

自分にひけめを感じている良人がうらめしくさえあった。

(だから、おっとがぶうんにめぐまれてくれたら、)

だから、良人が武運にめぐまれて呉れたら、

(そんなむようなひけめはかんじなくともすむようになろう、)

そんな無用なひけめは感じなくとも済むようになろう、

(それがいおのねがいだった。)

それが伊緒のねがいだった。

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