日本婦道記 春三たび 山本周五郎  ⑥

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伊緒は和地家に嫁いで間もないが、夫・伝四郎が戦に行くことになる。

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(「・・・あねうえ」へやのむこうにのべてあるびょうしょうから、)

「・・・あね上」 部屋のむこうにのべてある病床から、

(いくのすけがすがりつくようなこえでよびかけた、)

郁之助がすがりつくような声で呼びかけた、

(かたほおがびっしょりとなみだでぬれている、かれははんみをおこし、)

片頬がびっしょりと泪で濡れている、かれは半身をおこし、

(かんどうをおさえつけるようにうちふるえながらいった、)

感動を抑えつけるようにうちふるえながら云った、

(「よくおっしゃってくださいましたあねうえ、ありがとうございました」)

「よく仰しゃって下さいましたあね上、ありがとうございました」

(「ほんとうをいうとわたしは、あねうえをにくんでいたのです」)

「本当をいうとわたしは、あね上を憎んでいたのです」

(いくのすけはそのよるそういった、)

郁之助はその夜そう云った、

(「あのはなしはわたしもあにうえからきいていました、)

「あの話はわたしも兄上から聞いていました、

(それでいつかは、あねうえはこのいえからさっておいでなさる、)

それでいつかは、あね上はこの家から去っておいでなさる、

(そうおもっていたんです、だってあねうえはそうおやくそくをなすったのでしょう」)

そう思っていたんです、だってあね上はそうお約束をなすったのでしょう」

(「ええおやくそくをしました」いおはかなしげにびしょうしながらこたえた、)

「ええお約束をしました」伊緒はかなしげに微笑しながら答えた、

(「それははじめからじっかへもどるつもりなどなかったからです、)

「それは初めから実家へもどるつもりなど無かったからです、

(おことばをかえすのもわざとらしくおもえました、)

お言葉をかえすのもわざとらしく思えました、

(それでただはいとだけもうしあげていたのです」)

それでただはいとだけ申上げていたのです」

(「わたくしはそうおもわなかったものだから」)

「わたくしはそう思わなかったものだから」

(といくのすけはめをつむりながら、とおくのひとにでもいうようにそっとつぶやいた、)

と郁之助は眼をつむりながら、遠くの人にでも云うようにそっと呟いた、

(「おゆるしくださいあねうえ、きょうまでずいぶんいじのわるいこと)

「おゆるし下さいあね上、今日までずいぶん意地の悪いこと

(ばかりしていました、これからはあらためます、そして・・・」)

ばかりしていました、これからは改めます、そして・・・」

(「つよくなりましょういくのすけさま」いおはうなずきながらいった、)

「強くなりましょう郁之助さま」伊緒はうなずきながら云った、

(「わたくしにおわびをなさるようなことはございません、)

「わたくしにお詫びをなさるようなことはございません、

など

(それよりもつよくなることをかんがえましょう、あなたも、わたくしも、)

それよりも強くなることを考えましょう、あなたも、わたくしも、

(そしてわちのいえをりっぱにまもりとおしてゆきましょう」)

そして和地の家をりっぱにまもりとおしてゆきましょう」

(「でもあねうえ」いくのすけは、ふっとあによめをふりあおいだ、)

「でもあね上」郁之助は、ふっとあによめをふり仰いだ、

(「あんなことになってわちのかめいがつづくでしょうか、)

「あんなことになって和地の家名が続くでしょうか、

(このままおいとまになるのではないでしょうか」)

このままおいとまになるのではないでしょうか」

(「だんなさまはうちじにをなすったのですよ」いおはうちけすようにいった、)

「旦那さまは討死をなすったのですよ」伊緒はうち消すように云った、

(「わたくしはそうしんじています、めざましくおたたかいになって、)

「わたくしはそう信じています、めざましくお戦いになって、

(だれにもおとらぬりっぱなうちじにをなすったにちがいございません、)

誰にも劣らぬりっぱな討死をなすったに違いございません、

(それだけのおかくごがあったのをわたくしだけはしっているのですもの」)

それだけのお覚悟があったのをわたくしだけは知っているのですもの」

(しゅつじんのまえになやではなしあったときのおっとのきもちを、)

出陣のまえに納屋で話し合った時の良人の気持を、

(いえるものならいってきかせたい、けれどおっととつまだけの)

云えるものなら云って聞かせたい、けれど良人と妻だけの

(きびなこころのかよいはわかってもらえないであろう、)

機微な心のかよいはわかって貰えないであろう、

(かのじょはそうかんがえたのでしずかにざをたった。)

かの女はそう考えたのでしずかに座を立った。

(いおはすぐにもどってきた、そしてちちがかたみにのこして)

伊緒はすぐにもどって来た、そして父がかたみに遺して

(いってくれたせきとくをひろげて、これをよんでごらんなさいと)

いって呉れた尺牘をひろげて、これを読んでごらんなさいと

(いくのすけのてへわたした。)

郁之助の手へわたした。

(かれはしばらくそれをもくどくしていたが、やがてひくいこえで、)

かれはしばらくそれを黙読していたが、やがて低いこえで、

(「おおぞらをてりゆくつきしきよければくもかくすともひかりけなくに・・・」)

「おおぞらをてりゆく月しきよければ雲かくすともひかりけなくに・・・」

(とくりかえししょうした。)

とくりかえし唱した。

(「それはなくなったちちがのこしてくれたものです、)

「それは亡くなった父が遺して呉れたものです、

(わたくしのこころえのためにえらんでくれたものですけれど、)

わたくしの心得のために撰んで呉れたものですけれど、

(いまのわちけにもあてはまるとおもいます、)

いまの和地家にも当てはまると思います、

(そのこかのこころをわすれずに、つよくりっぱにいきてまいりましょう」)

その古歌のこころを忘れずに、強くりっぱに生きてまいりましょう」

(「あねうえ」いくのすけはそうぼうをひのようにかがやかせながらいった、)

「あね上」郁之助は双眸を火のように輝かせながら云った、

(「いくのすけはつよくなります、からだも、こころも、)

「郁之助は強くなります、からだも、心も、

(きっとつよくなります、いしにかじりついても」)

きっと強くなります、石にかじりついても」

(いおはぎていのはげしいめをみつめ、)

伊緒は義弟のはげしい眼をみつめ、

(むごんのちかいをかわすようにいくたびもうなずいた。)

無言の誓を交わすように幾たびもうなずいた。

(ぎりぎりまでおいつめられたところから、)

ぎりぎりまで追いつめられたところから、

(かえっていおはしっかりとたちなおった、)

かえって伊緒はしっかりとたちなおった、

(うつくしくすぐれたみめかたちににつかわしいたおやかなじゅうじゅんさのなかから、)

美しくすぐれたみめかたちに似つかわしいたおやかな従順さのなかから、

(いまや「どこまでもいきぬいてゆこう」とするはげしいちからがうまれたのである。)

今や「どこまでも生きぬいてゆこう」とする烈しいちからが生れたのである。

(ひっそりとおとをひそめていたわちのいえが、)

ひっそりと音をひそめていた和地の家が、

(ひさかたぶりで、からりととしょうじをあけはなつかのようにみえた、)

久方ぶりで、からりと戸障子を明け放つかのようにみえた、

(いおがふたたびまめまめとはたらきだしたのである、)

伊緒がふたたびまめまめとはたらきだしたのである、

(てつだいのろうのうふをあいてにむぎをとりいれ、なえしろをかいた。)

手つだいの老農夫を相手に麦をとりいれ、苗代をかいた。

(つゆにはいり、えんしょがめぐってくると、)

梅雨にいり、炎暑がめぐってくると、

(のらしごとはじゅうにこくをばいにしたいほどいそがしくなる、)

野良しごとは十二刻を倍にしたいほど忙しくなる、

(いくのすけはどうやらとこをはなれたが、)

郁之助はどうやら床を離れたが、

(じぶんのことをするのがせいいっぱいでまだちからしごとはできなかった。)

自分のことをするのが精いっぱいでまだ力しごとはできなかった。

(はちがつのなかごろにはんしゅとだうじかねがおおがきへかえった、)

八月の中ごろに藩主戸田氏銕が大垣へ帰った、

(じょうちゅうではあらためてがいせんのしゅくえんがもよおされ、)

城中ではあらためて凱旋の祝宴が催され、

(またあまくさじんのおんしょうがとりおこなわれた。)

また天草陣の恩賞がとりおこなわれた。

(けれどもそれはわちけにはかかわりのないことだ。)

けれどもそれは和地家にはかかわりのないことだ。

(いっかのはしらをひょうしょうするかのような、ひにこけたてあしをおしげもなくさらして、)

一家の柱を表象するかのような、日に焦けた手足を惜しげもなくさらして、

(いおはひるもよるもなくはたらきとおした。)

伊緒は昼も夜もなくはたらきとおした。

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