ちくしょう谷 ③
そこには兄の仇の西沢半四郎がいた。
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問題文
(としがあけてにがつになったあるよる、これらのものがかえったあとに、)
年があけて二月になった或る夜、これらの者が帰ったあとに、
(ねぎしいへいじというわかざむらいがのこった。ねぎしはにじゅういっさい、どうじょうのもんじんであるが、)
根岸伊平次という若侍が残った。根岸は二十一歳、道場の門人であるが、
(いえははっぴゃくごくのろうしんかくで、すでにかとくをし、つまとにさいになるこがあった。)
家は八百石の老臣格で、すでに家督をし、妻と二歳になる子があった。
(「じつはまえからいちどおみみにいれようとおもっていたのですが」)
「じつはまえからいちどお耳にいれようと思っていたのですが」
(といへいじはひくいこえでいった、「おりべどのとにしざわとのはたしあいには)
と伊平次は低い声で云った、「織部どのと西沢とのはたしあいには
(ふしんなてんがあるのです」はやとはふしめになり、)
不審な点があるのです」隼人は伏し眼になり、
(ぐっとあごをひきしめたが、なにもいわなかった。)
ぐっと顎をひき緊めたが、なにも云わなかった。
(「けんしのときにいしもたちあったのです」といへいじはつづけた、)
「検視のときに医師も立会ったのです」と伊平次は続けた、
(「つつみちょうのやすおかそうあんですが、そのはなしによるとおりべどののきずのうち、)
「堤町の安岡宗庵ですが、その話によると織部どのの傷のうち、
(しんぞうをつきぬいたいっとうはうしろからやったもので、)
心臓を突きぬいた一刀はうしろからやったもので、
(きずぐちはせなかからむねへつらぬいていたというのです」)
傷口は背中から胸へ貫いていたというのです」
(「それで」とはやとはめをあげた、「なにがふしんだというのですか」)
「それで」と隼人は眼をあげた、「なにが不審だというのですか」
(そのはんもんはいがいだったのだろう、いへいじはちょっとくちごもった、)
その反問は意外だったのだろう、伊平次はちょっと口ごもった、
(「なにがといって、しんけんしょうぶにうしろきずということがあるでしょうか」)
「なにがと云って、真剣勝負にうしろ傷ということがあるでしょうか」
(「ごくまれだろうけれども、ぜったいにないとはいえないでしょう」)
「ごく稀だろうけれども、絶対にないとは云えないでしょう」
(とはやとがいった、「それよりも、あのけんはごろうしんがたの)
と隼人が云った、「それよりも、あの件は御老臣がたの
(ぎんみによってしまつがついている、うごかないしょうこがあればともかく、)
吟味によって始末がついている、動かない証拠があればともかく、
(うたがわしいというていどのりゆうで、さわぎをむしかえすようなことはつつしんでください」)
疑わしいという程度の理由で、騒ぎをむし返すようなことは慎んで下さい」
(「わかりました」といへいじはうなずいた、「ほかにもふしんなことがあるのだが、)
「わかりました」と伊平次は頷いた、「ほかにも不審なことがあるのだが、
(そういうごいけんならなにもいわないことにします」)
そういう御意見ならなにも云わないことにします」
(わかいためにこらえしょうがないのだろう、いへいじのかおに)
若いためにこらえ性がないのだろう、伊平次の顔に
(ふまんのいろがあらわれるのを、はやとはみとめた。)
不満の色があらわれるのを、隼人は認めた。
(「たんごさまのさわぎをおぼえていますか」とはやとはしずかなくちぶりできいた、)
「丹後さまの騒ぎを覚えていますか」と隼人は静かな口ぶりで訊いた、
(「あのときかやのだいがくどのがつめばらをきらされ、あなたのおちちうえも)
「あのとき萱野大学どのが詰腹を切らされ、貴方のお父上も
(ひゃくにちのへいもんをおおせつけられたでしょう」「ええしっています」)
百日の閉門を仰せつけられたでしょう」「ええ知っています」
(はちねんまえ、はんしゅいずみのかみのぶかたのおじにあたる)
八年まえ、藩主和泉守信容の叔父に当る
(たんごのぶやすというひとが、えどかろうとくんではんのせいじをみだし、)
丹後信温という人が、江戸家老と組んで藩の政治を紊し、
(あやうくばくふのけんせきをかいそうになった。)
危うく幕府の譴責をかいそうになった。
(そのときのぶやすらにたいこうしようとしたひとたちのうち)
そのとき信温らに対抗しようとした人たちのうち
(くにかろうのかやのだいがくはつめばらをきらされ、ほかにごにんのじゅうしょくが)
国家老の萱野大学は詰腹を切らされ、ほかに五人の重職が
(ひめんされたりばっせられたりした。さんねんのち、たんごがかるいそっちゅうで)
罷免されたり罰せられたりした。三年のち、丹後が軽い卒中で
(たおれたのをきかいに、ことがあらわれてたんごはいんきょ、)
倒れたのを機会に、事があらわれて丹後は隠居、
(しょばつされたひとびとはむじつのつみであることがめいはくになって、)
処罰された人々は無実の罪であることが明白になって、
(それぞれきゅうろくをかいふくされたうえ、いずみのかみからいろうのさたがあった。)
それぞれ旧禄を恢復されたうえ、和泉守から慰労の沙汰があった。
(どうじに、のぶやすにかたんしたろうしんふたりとじゅうしょくさんにんには、)
同時に、信温に荷担した老臣二人と重職三人には、
(せっぷく、ついほう、じゅうきんしんなどのつみがかされたが、なかにはそれをふふくとして、)
切腹、追放、重謹慎などの罪が科されたが、中にはそれを不服として、
(「ばくふろうじゅうへうったえる」などというものがあり、それははたされなかったけれども、)
「幕府老中へ訴える」などと云う者があり、それははたされなかったけれども、
(かちゅうにはかなりのちまで、ふおんなくうきがのこっていた。)
家中にはかなりのちまで、不穏な空気が残っていた。
(「ことがあらわれてたんごさまいちみはしょばつされ、いちみによってむじつのつみに)
「事があらわれて丹後さま一味は処罰され、一味によって無実の罪に
(とわれたひとびとはもとのみぶんをかいふくしました、しかし、つめばらをきらされた)
問われた人々は元の身分を恢復しました、しかし、詰腹を切らされた
(かやのだいがくどのをいきかえらせることはできないでしょう」とはやとはいった、)
萱野大学どのを生き返らせることはできないでしょう」と隼人は云った、
(「にんげんのしたことは、ぜんあくにかかわらずたいていいつかはあらわれるものです、)
「人間のしたことは、善悪にかかわらずたいていいつかはあらわれるものです、
(ながいめでみていると、よのなかのことはふしぎなくらい)
ながい眼で見ていると、世の中のことはふしぎなくらい
(こうへいにはいぶんがたもたれてゆくようです」)
公平に配分が保たれてゆくようです」
(はなしてくれたこういにはかんしゃするが、けっとうのことはわすれてもらいたい。)
話してくれた好意には感謝するが、決闘のことは忘れてもらいたい。
(はやとはそういって、なだめるようにいへいじをみた。)
隼人はそう云って、なだめるように伊平次を見た。
(いへいじはなっとくしてかえっていった。)
伊平次は納得して帰っていった。
(そのつきのげじゅんに、こいけたてわきがたずねてきた。ごにんばかりわかざむらいたちが)
その月の下旬に、小池帯刀が訪ねて来た。五人ばかり若侍たちが
(あつまっていたが、たてわきはかれらにむかって、ようだんがあるからかえってくれといい、)
集まっていたが、帯刀はかれらに向って、要談があるから帰ってくれと云い、
(わかざむらいたちはすぐにたちあがった。たてわきはきついひょうじょうになっていて、)
若侍たちはすぐに立ちあがった。帯刀はきつい表情になっていて、
(ふたりだけになってもすぐにははなしをきりださなかった。)
二人だけになってもすぐには話をきりださなかった。
(はやとはなにもかんじないように、だまったままたてわきのためにちゃをつぎ、)
隼人はなにも感じないように、黙ったまま帯刀のために茶を注ぎ、
(あいてがはなしだすのをだまってまっていた。)
相手が話しだすのを黙って待っていた。
(「いつかのやくそくをおぼえているか」とやがてたてわきがくちをきった、)
「いつかの約束を覚えているか」とやがて帯刀が口をきった、
(「おりべどのとにしざわとのことはしまつがついた、なにもせんさくはしないとやくそくしたはずだ」)
「織部どのと西沢との事は始末がついた、なにも詮索はしないと約束した筈だ」
(「せんさくなどということばはなかったようだが、やくそくしたことはおぼえている」)
「詮索などという言葉はなかったようだが、約束したことは覚えている」
(「それならやくそくはまもってもらいたいな」「これいじょうにか」)
「それなら約束は守ってもらいたいな」「これ以上にか」
(「やまのきどをしらべさせているのはどういうわけだ」とたてわきがいった、)
「山の木戸を調べさせているのはどういうわけだ」と帯刀が云った、
(「おれはやなぎだしげだゆうからきいた、じゅうにがついらい、てをまわしてきどのことを)
「おれは柳田重太夫から聞いた、十二月以来、手をまわして木戸のことを
(しらべているそうではないか」「しらべているのはるにんむらだ」)
調べているそうではないか」「調べているのは流人村だ」
(「あのむらはきどのしはいだし、きどにはにしざわはんしろうがいる」)
「あの村は木戸の支配だし、木戸には西沢半四郎がいる」
(はやとはやわらかにせきをして、それからいった、)
隼人はやわらかに咳をして、それから云った、
(「おれはずっとむかしからるにんむらにきょうみをもっていた、あのむらが)
「おれはずっと昔から流人村に興味を持っていた、あの村が
(ちくしょうだにとよばれること、じゅうみんたちがのうこうをしらず、もんもうで)
ちくしょう谷と呼ばれること、住民たちが農耕を知らず、文盲で
(けもののようなせいかつをしていること、いまでもきどのばんしによって、)
けもののような生活をしていること、いまでも木戸の番士によって、
(ざいにんどうようにかんしされていることなど、どこまでがじじつかはしらないが、)
罪人同様に監視されていることなど、どこまでが事実かは知らないが、
(ふるいものがたりでもきくように、なかばあわれでなかばおそろしいようないんしょうがのこっている」)
古い物語でも聞くように、半ば哀れで半ば恐ろしいような印象が残っている」
(こんどえどへいっているあいだに、そのむらのことをおもいだした。)
こんど江戸へいっているあいだに、その村のことを思いだした。
(きこくしたらぜひいちどしらべてみようとかんがえ、たはんにそういうことが)
帰国したらぜひいちど調べてみようと考え、他藩にそういうことが
(あるかどうか、てづるをもとめてさがしてみたところ、)
あるかどうか、手蔓を求めて捜してみたところ、
(にさんのはんでにたようなれいのあること、またげんざいそれが)
二三の藩で似たような例のあること、また現在それが
(どうあつかわれているかということもわかった。)
どう扱われているかということもわかった。
(「このはんではやくさんじゅうねんまえから、るにんむらへはるにんをおくっていない」)
「この藩では約三十年まえから、流人村へは流人を送っていない」
(とはやとはつづけた、「とすれば、げんざいそこにすんでいるのはざいにんではなく、)
と隼人は続けた、「とすれば、現在そこに住んでいるのは罪人ではなく、
(そのこかしそんということになる、それらがいまだにるにんむらに)
その子か子孫ということになる、それらがいまだに流人村に
(とじこめられて、けもののようなせいかつをしているとすれば、)
とじこめられて、けもののような生活をしているとすれば、
(それがじじつだとすればすててはおけないだろう」)
それが事実だとすれば捨ててはおけないだろう」
(「そのことはおれもしらない」たてわきはうたがいをといたようにかたをゆすり、)
「そのことはおれも知らない」帯刀は疑いを解いたように肩をゆすり、
(「だがそれは」とねんをおすようにいった、「ほんとうににしざわとは)
「だがそれは」と念を押すように云った、「本当に西沢とは
(かんけいがないのだろうな」「みていればわかる」といってはやとはびしょうした、)
関係がないのだろうな」「みていればわかる」と云って隼人は微笑した、
(「かれとはまったくかんけいのないことだよ」たてわきはぎていのかおをみつめた。)
「彼とはまったく関係のないことだよ」帯刀は義弟の顔をみつめた。
(それからうなずいて、きいにさけのしたくをさせてあるから、)
それから頷いて、きいに酒の支度をさせてあるから、
(ひさしぶりにいっぱいつきあわないか、といった。はやとは「そうだな」とくちごもった。)
久しぶりに一杯つきあわないか、と云った。隼人は「そうだな」と口ごもった。
(きのすすまないようすだったが、それでもたてわきがたつと、)
気のすすまないようすだったが、それでも帯刀が立つと、
(いっしょにたちあがって、おもやのほうへいった。やいたひものになます、)
いっしょに立ちあがって、母屋のほうへいった。焼いた干物になます、
(なのひたしものにやさいのうまに、わんはおとしたまごのすいものに、)
菜の浸し物に野菜のうま煮、椀は落し卵の吸物に、
(しみどうふのみそしるというつつましいものであったが、きゅうじにすわったきいは)
凍豆腐の味噌汁というつつましいものであったが、給仕に坐ったきいは
(うすげしょうをしていた。はやとはさかずきにふたつかみっつしかのまなかった。)
薄化粧をしていた。隼人は盃に二つか三つしか飲まなかった。
(さけにはつよいほうなので、きいがいくたびかすすめたが、)
酒には強いほうなので、きいが幾たびかすすめたが、
(うすげしょうをしたあによめのすがたがまぶしいとでもいうように、)
薄化粧をしたあによめの姿が眩しいとでもいうように、
(はやとはめをそらしながらおだやかにじたいした。)
隼人は眼をそらしながら穏やかに辞退した。