ちくしょう谷 ④
そこには兄の仇の西沢半四郎がいた。
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問題文
(たてわきはすこしようとたかごえになるくせがあり、そのこえをききつけたのだろう、)
帯刀は少し酔うと高ごえになる癖があり、その声を聞きつけたのだろう、
(しょういちろうがねまきのままおきてき、ふすまをあけてのぞいた。)
小一郎が寝衣のまま起きて来、襖をあけて覗いた。
(「やあい」としょういちろうはいった、「こいけのおじさんがよっぱらってらあ」)
「やあい」と小一郎は云った、「小池の伯父さんが酔っぱらってらあ」
(きいがおどろいてふりかえり、「しょういちろうさん」としかろうとしたが、)
きいが驚いて振返り、「小一郎さん」と叱ろうとしたが、
(たてわきはいいきげんで、あぐらをかきながらてまねきをした。)
帯刀はいい機嫌で、あぐらをかきながら手招きをした。
(「おきていたのかぼうず」たてわきはあぐらにすわったひざをたたいた、)
「起きていたのか坊主」帯刀はあぐらに坐った膝を叩いた、
(「こっちへこい、だいてやるぞ」きいがせいしするよりはやく、)
「こっちへ来い、抱いてやるぞ」きいが制止するより早く、
(しょういちろうはとんできて、たてわきのひざへこしをおろし、)
小一郎はとんで来て、帯刀の膝へ腰をおろし、
(すばやいめつきではやとのかおをみた。きいもおなじようにはやとをみ、)
すばやい眼つきで隼人の顔を見た。きいも同じように隼人を見、
(はやとは「いいよ」というふうにうなずいてみせた。)
隼人は「いいよ」というふうに頷いてみせた。
(すると、しょういちろうはきゅうにたてわきのひざからたちあがり、)
すると、小一郎は急に帯刀の膝から立ちあがり、
(おじさんはさけくさいからいやだといって、はやとのひざへまたがった。)
伯父さんは酒臭いからいやだと云って、隼人の膝へ跨った。
(「しょういちろうさん」ときいがにらんだ。)
「小一郎さん」ときいが睨んだ。
(「しかるな」とたてわきがいった、「たまにはおとこのひざがほしくなるだろう」)
「叱るな」と帯刀が云った、「たまには男の膝が欲しくなるだろう」
(そして、だかれたしょういちろうとだいているはやとをながめながら、)
そして、抱かれた小一郎と抱いている隼人を眺めながら、
(なみだぐんだようなめになり、まんぞくそうにうなずいた、)
涙ぐんだような眼になり、満足そうに頷いた、
(「うん、よし、これでさけがうまくなった」)
「うん、よし、これで酒がうまくなった」
(さんがつはじめにやまのきどからつかいがあって、きどばんがしらのいくたでんくろうがへんしした、)
三月はじめに山の木戸から使いがあって、木戸番頭の生田伝九郎が変死した、
(ということをつげた。ごようりんをみまわりにでたとちゅう、)
ということを告げた。御用林を見廻りに出た途中、
(ゆきどけのがけみちからおちてそくしした。したいはやまでだびにしておろすから、)
雪どけの崖道から落ちて即死した。死躰は山で荼毘にしておろすから、
(いぞくをやまへどうこうしたい、ということであった。)
遺族を山へ同行したい、ということであった。
(はやとはこれをきくとすぐに、はやのひきゃくをえどやしきへやった。)
隼人はこれを聞くとすぐに、早の飛脚を江戸屋敷へやった。
(きどのばんがしらがしんだので、そのこうにんをえらぶことになり、)
木戸の番頭が死んだので、その後任を選ぶことになり、
(じゅうしょくのあいだでじんせんがはじまった。それはちょっとしたなんだいであった。)
重職のあいだで人選が始まった。それはちょっとした難題であった。
(やまのきどづめにおおせつけられるのは、ふぎょうせきとかしょくむじょうのしっさくなどのあったもので、)
山の木戸詰に仰せつけられるのは、不行跡とか職務上の失策などのあった者で、
(あきらかに「させん」のいみがふくまれていた。そういうがいとうしゃのないばあいには、)
明らかに「左遷」の意味が含まれていた。そういう該当者のない場合には、
(じゅうしょくでひとをえらむのであるが、きどづめはしまながしもどうようのひどいせいかつであり、)
重職で人を選むのであるが、木戸詰は島流しも同様のひどい生活であり、
(ほかにもわるいじょうけんがおおいため、えらばれるものよりも、)
ほかにも悪い条件が多いため、選ばれる者よりも、
(かえってえらぶひとたちのほうがとうわくするくらいであった。)
却って選ぶ人たちのほうが当惑するくらいであった。
(さんがつじゅうしちにちに、えどからはやとへのへんしょがあった。かれはそれをよむとすぐに、)
三月十七日に、江戸から隼人への返書があった。彼はそれを読むとすぐに、
(きょうとうのよこぶちじゅうくろうをたずねてじぶんののぞみをうちあけた。)
教頭の横淵十九郎を訪ねて自分の望みをうちあけた。
(よこぶちはおどろいたようすで、はやとのかおをしばらくみまもっていたが、)
横淵はおどろいたようすで、隼人の顔を暫く見まもっていたが、
(やがて、にんきがおわったらどうじょうへもどるか、ときき、)
やがて、任期が終ったら道場へ戻るか、と訊き、
(はやとがそのつもりだとこたえると、ではそうするがよいとしょうだくした。)
隼人がそのつもりだと答えると、ではそうするがよいと承諾した。
(ろうしんにたっしのあったのはじゅうくにちで、そのひのごご、)
老臣に達しのあったのは十九日で、その日の午後、
(あしたとじょうするように、とじゅうしょくからつかいがあり、)
明日登城するように、と重職から使いがあり、
(いえへかえるとこいけたてわきがまっていた。かれはおこったようなかおつきで、)
家へ帰ると小池帯刀が待っていた。彼は怒ったような顔つきで、
(むこうへゆこうといい、すぐにはやとのじゅうきょのほうへいった。)
向うへゆこうと云い、すぐに隼人の住居のほうへいった。
(「あしたじょうちゅうへよばれるが」とたてわきはすわるのももどかしげにいった、)
「あした城中へ呼ばれるが」と帯刀は坐るのももどかしげに云った、
(「どういうおさたがあるかわかっているか」)
「どういうお沙汰があるかわかっているか」
(はやとはうんといった。「じたいするだろうな」とたてわきがきいた。)
隼人はうんといった。「辞退するだろうな」と帯刀が訊いた。
(はやとはくびをふった。「じたいしない」とたてわきがいった、)
隼人は首を振った。「辞退しない」と帯刀が云った、
(「おさたはやまのきどのばんがしらだぞ」「おれがとのにねがいでたんだ」)
「お沙汰は山の木戸の番頭だぞ」「おれが殿に願い出たんだ」
(たてわきはくちぶえでもふくようにくちをすぼめ、それをぐっといちもんじにしながら、)
帯刀は口笛でも吹くように口をすぼめ、それをぐっと一文字にしながら、
(とがっためつきではやとをにらんだ。「めあてはにしざわだな」)
尖った眼つきで隼人を睨んだ。「めあては西沢だな」
(「いや」とはやとはくびをふった。)
「いや」と隼人は首を振った。
(「あらためていうが、ばんがしらはじたいしてくれ」とたてわきがいった、)
「改めて云うが、番頭は辞退してくれ」と帯刀が云った、
(「あさだけはおとがめをうけているが、おしてどうじょうのじょきょうにさいようしてもらった、)
「朝田家はお咎めを受けているが、押して道場の助教に採用してもらった、
(そのぎりをかんがえても、いまのせきをはなれることはできないはずだぞ」)
その義理を考えても、いまの席をはなれることはできない筈だぞ」
(「よこぶちせんせいからはもうゆるしがえてある」)
「横淵先生からはもう許しが得てある」
(たてわきはいきをつめ、それからいった、「おれをだしぬいたわけか」)
帯刀は息を詰め、それから云った、「おれをだしぬいたわけか」
(「いえばはんたいしただろう」はやとはゆっくりといった、)
「云えば反対しただろう」隼人はゆっくりと云った、
(「しかしおれがきどへゆくのはにしざわのためではない、)
「しかしおれが木戸へゆくのは西沢のためではない、
(どうかおなじことをなんどもやくそくさせないでくれ」)
どうか同じことを何度も約束させないでくれ」
(「りゆうもいわずにか」「まえにちょっとはなしたが、)
「理由も云わずにか」「まえにちょっと話したが、
(るにんむらをなんとかしたいのだ」「なんとかするとは」)
流人村をなんとかしたいのだ」「なんとかするとは」
(「いってみなければわからない」)
「いってみなければわからない」
(はやとはひだりのてでみぎのかたをもみながらいった、)
隼人は左の手で右の肩を揉みながら云った、
(「これまでしらべたところでは、あのむらのことは)
「これまで調べたところでは、あの村のことは
(まるでなげやりになっている、きろくはしちねんまえのものがさいごで、)
まるで投げやりになっている、記録は七年まえのものが最後で、
(そのときのじゅうみんはにじゅうななかぞくでななじゅうよにん、おとこさんじゅうはちにん、)
そのときの住民は二十七家族で七十四人、男三十八人、
(おんなさんじゅうろくにんとなっていた、ところが、それさえも)
女三十六人となっていた、ところが、それさえも
(じゅうねんまえのきろくとどういつで、じっさいのしらべとはおもえないんだ」)
十年まえの記録と同一で、実際の調べとは思えないんだ」
(「あのむらのはなしはききたくないね、むねがわるくなる」)
「あの村の話は聞きたくないね、胸が悪くなる」
(「そうらしいな」とすこしひにくなくちぶりではやとはいった、「みんなそうらしい」)
「そうらしいな」と少し皮肉な口ぶりで隼人は云った、「みんなそうらしい」
(「ほんとうにちくしょうだにのことなんかでやまへゆくのだとすると、)
「本当にちくしょう谷のことなんかで山へゆくのだとすると、
(いっておかなければならないとおもうが」たてわきはちょっといいよどんだ、)
云っておかなければならないと思うが」帯刀はちょっと云いよどんだ、
(「これはじつはほかにすすめるひとがあるんだが、はやとにきいといっしょに)
「これはじつはほかにすすめる人があるんだが、隼人にきいといっしょに
(なってもらってはどうか、というはなしがあるんだ」)
なってもらってはどうか、という話があるんだ」