ちくしょう谷 ⑥
そこには兄の仇の西沢半四郎がいた。
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問題文
(きどはふといすぎまるたのさくでかこまれ、くろきのかぶきもんがある。)
木戸は太い杉丸太の柵で囲まれ、黒木の冠木門がある。
(いわをけずったかいだんをのぼり、もんをはいってゆくと、ばんしょのげんかんまえに、)
岩を削った踏段を登り、門をはいってゆくと、番所の玄関前に、
(ばんしたちがならんでいた。げんかんばしらのさゆうにはんけのじょうもんをしるした、)
番士たちが並んでいた。玄関柱の左右に藩家の定紋を印した、
(たかはりぢょうちんがあかるいひかりをなげてい、ならんでいるばんしのりょうはしに、)
高張提灯が明るい光りを投げてい、並んでいる番士の両端に、
(あしがるたちがよにんずつ、おのおのちょうちんをもってつくばっていた。)
足軽たちが四人ずつ、おのおの提灯を持ってつくばっていた。
(はやとはかれらのまえでたちどまり、ひとりひとりをゆっくりとながめてから、)
隼人はかれらの前で立停り、一人一人をゆっくりと眺めてから、
(しっかりしたこえでしずかにいった。「わたしはこんどきどばんがしらにおおせつけられてきた」)
しっかりした声で静かに云った。「私はこんど木戸番頭に仰せつけられて来た」
(そこでかれはひとこきゅうしてからなのった、「あさだはやとというものです、)
そこで彼は一と呼吸してからなのった、「朝田隼人という者です、
(これからごいちどうのごじょりょくをたのんでおきます」)
これから御一同の御助力を頼んでおきます」
(ばんしたちのあいだに、ほんのいっしゅんではあるが、かすかなどうようの)
番士たちのあいだに、ほんの一瞬ではあるが、かすかな動揺の
(おこるのがみとめられた。しかしすぐに、ひとりのおとこがいっぽまえへすすみでた。)
起こるのが認められた。しかしすぐに、一人の男が一歩前へ進み出た。
(「おかむらしちろうべえです」といってかれははをみせた、「おわすれですか」)
「岡村七郎兵衛です」と云って彼は歯をみせた、「お忘れですか」
(はやとはほうといったが、かれのといにはこたえずに、つぎのばんしへめをやった。)
隼人はほうといったが、彼の問いには答えずに、次の番士へ眼をやった。
(つぎのものはおのだいくろう、またいぬいとうきちろう、まつききゅうのすけ、)
次の者は小野大九郎、また乾藤吉郎、松木久之助、
(そしてさいごのひとりがにしざわはんしろうとなのった。)
そして最後の一人が西沢半四郎となのった。
(はやとはそこではじめのひとりにふりかえり、「ひさしぶりだなおかむら」といった、)
隼人はそこで初めの一人に振返り、「久しぶりだな岡村」と云った、
(「おまえのことはふしぎにわすれていた、はあ、こんなところへきていたのか」)
「おまえのことはふしぎに忘れていた、はあ、こんなところへ来ていたのか」
(ぎあまんのようにつめたく、すみとおったやまのくうきが、)
ぎあまんのように冷たく、澄み透った山の空気が、
(きびしくごたいにしみとおり、あらゆるきんにくをこころよくきんちょうさせた。)
きびしく五躰にしみとおり、あらゆる筋肉をこころよく緊張させた。
(ひがしのそらのひくいたなぐものふちが、だいだいいろをおびたこんじきにひかり、)
東の空の低い棚雲のふちが、橙色を帯びた金色に光り、
(そのはんえいで、だいぶつだけのちょうじょうのいわはだがほのあかるくうきぼりになった。)
その反映で、大仏岳の頂上の岩肌がほの明るく浮き彫りになった。
(ちょうじょうのきたがわに、にょらいのみねというのがそびえている。)
頂上の北側に、如来ノ峰というのがそびえている。
(ちょうじょうよりろくしちじゅっしゃくもたかく、こぶのようにつきでているがんかいであるが、)
頂上より六七十尺も高く、こぶのように突き出ている岩塊であるが、
(そちらはきたかぜがふきつけるのとひかげのぶぶんがおおいために、)
そちらは北風が吹きつけるのと日蔭の部分が多いために、
(まだかなりゆきがのこっていた。いまはやとのたっているところは、)
まだかなり雪が残っていた。いま隼人の立っているところは、
(だいぶつだけのちょうじょうをいちだんばかりほくせいへおりたひさしいわのうえで、)
大仏岳の頂上を一段ばかり北西へおりた庇岩の上で、
(そこがこっきょうであり、またりんぱんとのさかいでもあった。)
そこが国境であり、また隣藩との境でもあった。
(むこうはまだくらく、いわちのきゅうしゃめんはしろくてこいくものなかへおりてゆくが、)
向うはまだ暗く、岩地の急斜面は白くて濃い雲の中へおりてゆくが、
(そのしろいくものほかにはなにもめにつくものはなかった。)
その白い雲のほかにはなにも眼につく物はなかった。
(このやまをこしてとなりのりょうちへぬけるには、「きど」のあるそのあんぶしかない。)
この山を越して隣りの領地へぬけるには、「木戸」のあるその鞍部しかない。
(せんごくまっきまではそこにとりでがあったというが、)
戦国末期まではそこに砦があったというが、
(きどがつくられてからでもひゃくごじゅうねんいじょうはたっている。)
木戸が造られてからでも百五十年以上は経っている。
(やまごえをするにはゆいいつのちけいなので、ひそかにぶっしをいしゅつにゅうするものや、)
山越えをするには唯一の地形なので、ひそかに物資を移出入する者や、
(とうぼうするざいにんや、またごようりんをとうばつにくるものなどがあり、)
逃亡する罪人や、また御用林を盗伐に来る者などがあり、
(げんざいでもなかなかゆだんはできなかった。)
現在でもなかなかゆだんはできなかった。
(たなぐもをぬいてひがのぼり、いわのしゃめんがまぶしくひかった。)
棚雲をぬいて陽が昇り、岩の斜面が眩しく光った。
(はやとはもどって、きどへさがるみちとははんたいのほうへまがると、)
隼人は戻って、木戸へさがる道とは反対のほうへ曲ると、
(とつぜん、そこのいわかげからひとがでてき、あやうくぶつかりそうになった。)
突然、そこの岩蔭から人が出て来、危うくぶつかりそうになった。
(しかしあいては、はやとのくることをきたいしていたらしく、)
しかし相手は、隼人の来ることを期待していたらしく、
(ひとあしさがりながられいをした。「にしざわです」とかれはいった、)
一と足さがりながら礼をした。「西沢です」と彼は云った、
(「にしざわはんしろうです、ちょっとはなしたいことがあるのですが」)
「西沢半四郎です、ちょっと話したいことがあるのですが」
(はやとはあいてをみた。かれきかいしころでもみるような、かんじょうのすこしもない)
隼人は相手を見た。枯木か石ころでも見るような、感情の少しもない
(へいせいなめつきであった。「ごようのことならききましょう」とはやとはいった、)
平静な眼つきであった。「御用のことなら聞きましょう」と隼人は云った、
(「だが、ごよういがいのことはことわります」)
「だが、御用以外のことは断わります」
(「そうでもありましょうが、おりべどのとのはたしあいについて、)
「そうでもありましょうが、織部どのとのはたしあいについて、
(いちごんだけきいていただきたいのです」)
一言だけ聞いて頂きたいのです」
(「それはすんだことです」「おねがいです、どうかひとことだけきいてください」)
「それは済んだことです」「お願いです、どうか一と言だけ聞いて下さい」
(「いや」とはやとはおだやかにさえぎった、「ごよういがいのはなしはことわります」)
「いや」と隼人は穏やかに遮ぎった、「御用以外の話は断わります」
(そしてゆっくりとあるきだした。)
そしてゆっくりと歩きだした。
(きどとはんたいのほうへゆくそのみちは、いわをめぐってだんさがりにひだりへくだり、)
木戸と反対のほうへゆくその道は、岩をめぐって段さがりに左へくだり、
(やがてるにんむらのじょうぶへとでる。まえのひに、はやとはいちどあんないされてきたから、)
やがて流人村の上部へと出る。まえの日に、隼人はいちど案内されて来たから、
(まようことはないとおもったが、あるまがりかどのところで、)
迷うことはないと思ったが、或る曲り角のところで、
(うしろから「そのみちはちがいます」とよびかけられた。)
うしろから「その道は違います」と呼びかけられた。
(ふりかえってみるとおかむらしちろうべえで、かれはおおまたにちかよってきた。)
振返ってみると岡村七郎兵衛で、彼は大股に近よって来た。
(「やみよのつぶて、ゆだんたいてき」おかむらはとぼけたえがおでこういった、)
「闇夜のつぶて、ゆだん大敵」岡村はとぼけた笑顔でこう云った、
(「がいしゅつするときにはともをつれないといけませんね、やまはきけんです、)
「外出するときには供を伴れないといけませんね、山は危険です、
(いつどこからなにがでてくるかわかりませんよ」)
いつどこからなにが出て来るかわかりませんよ」
(「わるしちべえなどといわれたくせに」とはやとがいった、)
「悪七兵衛などといわれたくせに」と隼人が云った、
(「あんがいおまえもくろうしょうなんだな」はやとのめはまた、)
「案外おまえも苦労性なんだな」隼人の眼はまた、
(ふたおやのないにゅうじをみるような、あたたかくやさしいいろをたたえた。)
ふた親のない乳児を見るような、温かくやさしい色を湛えた。
(「あのあだなをごぞんじなんですか」「おまえはおれのおしえごだぞ」)
「あのあだなを御存じなんですか」「おまえはおれの教え子だぞ」
(「としはみっつしかちがいませんよ」「うでだってそうちがいはなかったさ」)
「年は三つしか違いませんよ」「腕だってそう違いはなかったさ」
(とはやとはいった、「るにんむらへゆくんだが」)
と隼人は云った、「流人村へゆくんだが」
(「こっちです」とおかむらがてをふった。)
「こっちです」と岡村が手を振った。
(はんこうのどうじょうで、はやとはおかむらにけいこをつけた。てすじはかなりよく、)
藩校の道場で、隼人は岡村に稽古をつけた。手筋はかなりよく、
(じょうたつもはやかったが、ちからがつよいうえにらんぼうもので、ひととけんかがたえなかった。)
上達も早かったが、力が強いうえに乱暴者で、人と喧嘩が絶えなかった。
(はやとがえどへゆくちょっとまえに、どうじょうでふたりをあいてにけんかをし、)
隼人が江戸へゆくちょっとまえに、道場で二人を相手に喧嘩をし、
(ひとりのうでをおったため、よこぶちきょうとうからはもんされた。)
一人の腕を折ったため、横淵教頭から破門された。
(「もうはもんもゆるされるころじゃないか」とあるきながらはやとがきいた、)
「もう破門も許されるころじゃないか」と歩きながら隼人が訊いた、
(「あれからまたなにかやったのか」「そんなところです」)
「あれからまたなにかやったのか」「そんなところです」
(おかむらはそういって、はやとにふりかえった、「あさださんがここへきたのは、)
岡村はそう云って、隼人に振返った、「朝田さんがここへ来たのは、
(とうちゃくされたばんにはなしたことがほんとうのもくてきなんですか」)
到着された晩に話したことが本当の目的なんですか」
(「おかむらはいつきたんだ」「はなしをそらしますね」)
「岡村はいつ来たんだ」「話をそらしますね」
(「ばんはいつあくんだ」「ばんはいちねんですから」とおかむらがこたえた、)
「番はいつあくんだ」「番は一年ですから」と岡村が答えた、
(「このはちがつにはじょうかへかえります、しかし、のぞめばえんきすることもできますよ」)
「この八月には城下へ帰ります、しかし、望めば延期することもできますよ」
(しばらくあるいてから、「ことわっておくが」とはやとがひくいこえでいった、)
暫く歩いてから、「断わっておくが」と隼人が低い声で云った、
(「これからはつまらないうたがいやおくそくで、ひとのどうさをみはる)
「これからはつまらない疑いや臆測で、人の動作を見張る
(ようなことはしないでくれ、わかるだろう」)
ようなことはしないでくれ、わかるだろう」
(「こっちへおりるんです」とおかむらがいった。)
「こっちへおりるんです」と岡村が云った。