ちくしょう谷 ㉔

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隼人は罪人が暮らした流人村へ役で赴くことになる。
現在、流人村に罪人はおらず子孫だけが独特な風習で暮らす。
そこには兄の仇の西沢半四郎がいた。

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問題文

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(にんげんはこんなにもかわることのできるものか。)

人間はこんなにも変ることのできるものか。

(たてわきのめはかんたんのいろをたたえた。えどからかえっていらい、はやとはかおつきから)

帯刀の眼は感嘆の色を湛えた。江戸から帰って以来、隼人は顔つきから

(ひとをみるめいろまでかわった。あばれものでいってつで、こらえしょうのなかったかれが、)

人を見る眼色まで変った。暴れ者で一徹で、こらえ性のなかった彼が、

(あにをころしたあいてをゆるし、ふとうなけんせきをしのび、そしてるにんむらのじゅうみんを)

兄を殺した相手をゆるし、不当な譴責を忍び、そして流人村の住民を

(すくおうとしている。いったいどういうきえんでこんなにかわったのか、)

救おうとしている。いったいどういう機縁でこんなに変ったのか、

(しんだおりべどののためか、それともおりべどのどうよう、もともとかれにも)

死んだ織部どののためか、それとも織部どの同様、もともと彼にも

(そういうせいしつがあったのか。たてわきはいっしゅもどかしさと、)

そういう性質があったのか。帯刀は一種のもどかしさと、

(ふかいかんどうのきもちのなかでそうおもった。)

深い感動の気持の中でそう思った。

(「しょういちろうにへんじをかいてくれ」とたてわきははなしをかえていった、)

「小一郎に返事を書いてくれ」と帯刀は話を変えて云った、

(「かならずへんじをもらってくるとやくそくをさせられたんだ、たのむぞ」)

「必ず返事を貰って来ると約束をさせられたんだ、頼むぞ」

(「こんやのうちにかこう」とはやとはうなずいた。)

「今夜のうちに書こう」と隼人は頷いた。

(「それから、これはよけいなことかもしれないが、)

「それから、これはよけいなことかもしれないが、

(にしざわにはちゅういするほうがいいな」「そのなをくちにしないでくれ」)

西沢には注意するほうがいいな」「その名を口にしないでくれ」

(「いや、あさださんにしたことをかんがえても、どんなひれつなまねを)

「いや、朝田さんにしたことを考えても、どんな卑劣なまねを

(するかしれないやつだから、それをわすれないようにたのむというんだ」)

するかしれないやつだから、それを忘れないように頼むというんだ」

(「わかった」とはやとがいった、「しかしいまのなはにどとくちにしないでくれ、)

「わかった」と隼人が云った、「しかしいまの名は二度と口にしないでくれ、

(ここではもちろん、じょうかへもどってからもだ」)

ここでは勿論、城下へ戻ってからもだ」

(「よし」とたてわきはうなずいた。)

「よし」と帯刀は頷いた。

(じょうかへかえったたてわきから、なのかほどたってしらせがあり、)

城下へ帰った帯刀から、七日ほど経って知らせがあり、

(りんぱんのりょうかいをえたから、つちをはこぶがよいといってきた。)

隣藩の了解を得たから、土を運ぶがよいと云って来た。

など

(こんどはみちもよいしきょりもちかいので、ずっとらくだししごともはかどり、)

こんどは道もよいし距離も近いので、ずっと楽だし仕事もはかどり、

(ゆきのくるまでにやくにたんぶほどつちをいれることができた。)

雪の来るまでに約二反歩ほど土を入れることができた。

(けれども、じゅうみんたちにはなんのへんかもみられなかった。)

けれども、住民たちにはなんの変化もみられなかった。

(じぶんたちのかたでつちをはこび、わずかではあるがじぶんたちのこうちができた。)

自分たちの肩で土を運び、僅かではあるが自分たちの耕地が出来た。

(らいねんもつちをはこべばこうちはもっとふえるだろう。それはかれらじしんのものであり、)

来年も土を運べば耕地はもっとふえるだろう。それはかれら自身のものであり、

(かれらじしんでさくもつがつくれるのである。はやとはそのことをかれらにいった。)

かれら自身で作物が作れるのである。隼人はそのことをかれらに云った。

(おまえたちはざいにんではないし、ここはもうるにんむらではないのだ。)

おまえたちは罪人ではないし、ここはもう流人村ではないのだ。

(だれにはばかることもないりっぱなりょうみんだ、もしのぞむならさとへおりてもいいが、)

誰に憚かることもない立派な領民だ、もし望むなら里へおりてもいいが、

(ここをうごきたくないのならのうこうをおぼえるがよい。ものをつくり、)

ここを動きたくないのなら農耕を覚えるがよい。ものを作り、

(しゅうかくをするということには、にんげだけがあじわえるおおきなよろこびがある。)

収穫をするということには、人間だけが味わえる大きなよろこびがある。

(これはきじんもとりけものもしることのできないよろこびだ。)

これは鬼神も鳥けものも知ることのできないよろこびだ。

(はやとはそういった。しかしかれらはなんのはんのうもしめさなかった。)

隼人はそう云った。しかしかれらはなんの反応も示さなかった。

(きじんやとりけものはさくもつをつくらない、というところで、わずかしごにんが)

鬼神や鳥けものは作物を作らない、というところで、僅か四五人が

(くすくすわらっただけであった。おんぎょくのほうもそれとおなじことで、)

くすくす笑っただけであった。音曲のほうもそれと同じことで、

(いつかにいちどずつきどからよにんでかけてゆき、しょうないろうじんのじゅうきょで)

五日に一度ずつ木戸から四人でかけてゆき、正内老人の住居で

(いっこくはんえんそうをする。はやともかかさずいっしょにゆくが、)

一刻半演奏をする。隼人も欠かさずいっしょにゆくが、

(ききにくるのはだんじょのとしよりがよにんかごにんで、それもはんこくほどすれば)

聞きに来るのは男女の年寄が四人か五人で、それも半刻ほどすれば

(かえってゆくか、のこったものもいねむりをはじめるというぐあいであった。)

帰ってゆくか、残った者も居眠りを始めるというぐあいであった。

(いいだろう、こんくらべだ。はやとはしつぼうしたが、なげるきもちはなかった。)

いいだろう、根くらべだ。隼人は失望したが、投げる気持はなかった。

(しょうないろうじんはここへほねをうずめるつもりで、ここのおんなとふうふになり、)

正内老人はここへ骨を埋めるつもりで、ここの女と夫婦になり、

(よんじゅうねんというねんげつをかれらのためにつぎこんできた。)

四十年という年月をかれらのために注ぎ込んで来た。

(それでも、かれらのからをやぶることができなかったのである。)

それでも、かれらの殻をやぶることができなかったのである。

(よほどのにんたいと、ねんげつをかけるつもりがなければ、けっしてうまくはゆくまい、)

よほどの忍耐と、年月をかけるつもりがなければ、決してうまくはゆくまい、

(とろうじんはいった。それにたいしてはやとは、やれるかぎりやってみる、)

と老人は云った。それに対して隼人は、やれる限りやってみる、

(しんぼうすることにかけてはじしんがある、とはっきりこたえた。)

辛抱することにかけては自信がある、とはっきり答えた。

(「おれもここへねをおろそうか」とあるときかれはつぶやいた、)

「おれもここへ根をおろそうか」と或るとき彼は呟やいた、

(「しょうないろうじんもねをおろした、ろうじんはめにこそみえないがたねをまいた、)

「正内老人も根をおろした、老人は眼にこそ見えないが種子を蒔いた、

(そのたねはむらのどこかにねをおろしているはずだ、おれがそのたねを)

その種子は村のどこかに根をおろしている筈だ、おれがその種子を

(そだててみようか」たてわきはわずかろくじゅうにんたらずのにんげんのためにといった。)

育ててみようか」帯刀は僅か六十人たらずの人間のためにと云った。

(だがにんげんは、たったひとりのためにしょうがいをかけることさえある。)

だが人間は、たった一人のために生涯を賭けることさえある。

(るにんむらのじゅうみんはふるいはんぽうのおきみやげだ。ここを「ちくしょうだに」と)

流人村の住民は古い藩法の置き土産だ。ここを「ちくしょう谷」と

(よばせるようにしたのは、はんのしおきのたいまんによるもので、)

呼ばせるようにしたのは、藩の仕置の怠慢によるもので、

(じゅうみんたちのせきにんではない。とすれば、たいまんだったしおきのせきにんをとり、)

住民たちの責任ではない。とすれば、怠慢だった仕置の責任をとり、

(かれらをにんげんらしいせいかつにたちなおらせるのは、はんにつかえるもののとうぜんなやくめだ。)

かれらを人間らしい生活に立ち直らせるのは、藩に仕える者の当然な役目だ。

(「おもいきってそうしようか」とそのときかれはじぶんにいった、)

「思いきってそうしようか」とそのとき彼は自分に云った、

(「あのあやをよめにもらって、むらへじゅうきょをつくって」)

「あのあやを嫁に貰って、村へ住居を造って」

(あやというながくちにでたとたん、はやとはつよくまゆをしかめた。)

あやという名が口に出たとたん、隼人はつよく眉をしかめた。

(ほとんどむいしきにくちからでたのであるが、いつかぞうきばやしの)

殆んど無意識に口から出たのであるが、いつか雑木林の

(なかでみせられたかのじょのしたいと、それにかさなるように、)

中で見せられた彼女の肢躰と、それに重なるように、

(あによめきいのすがたがおもいうかんだのである。はやとはいたみでも)

あによめきいの姿が思いうかんだのである。隼人は痛みでも

(かんじたかのように、かおをゆがめながらめをつむった。)

感じたかのように、顔を歪めながら眼をつむった。

(きいといっしょになってあさだけをたてないか。)

きいといっしょになって朝田家を立てないか。

(そういったたてわきのことばは、まだなまなましくみみにのこっているし、)

そう云った帯刀の言葉は、まだなまなましく耳に残っているし、

(きいがそれをしょうちだということも、ほぼまちがいのないことであった。)

きいがそれを承知だということも、ほぼ間違いのないことであった。

(はやとときいとはふたつちがいで、おさないころはしんだあによりもなかがよかった。)

隼人ときいとは二つ違いで、幼いころは死んだ兄よりも仲がよかった。

(としがちかいのでけっこんなどということはかんがえたこともないし、)

年が近いので結婚などということは考えたこともないし、

(あにのよめになったときもしっとかんなどはなく、ちょっとがっかりはしたが、)

兄の嫁になったときも嫉妬感などはなく、ちょっとがっかりはしたが、

(あにのためによろこんだものであった。しかし、たてわきからそういわれたときには、)

兄のためによろこんだものであった。しかし、帯刀からそう云われたときには、

(どきっとするほどそれがもっともしぜんであり、もともとふたりは)

どきっとするほどそれがもっとも自然であり、もともと二人は

(そうなるようなめぐりあわせのうえでいきてきた、)

そうなるようなめぐりあわせのうえで生きて来た、

(というふうにおもえたのであった。たてわきはどくだんでいったのではない、)

というふうに思えたのであった。帯刀は独断で云ったのではない、

(あのひとのいしをたしかめたか、すくなくともあのひとがしょうちすることを)

あの人の意志を慥かめたか、少なくともあの人が承知することを

(みぬいていたのだ。たてわきがそのはなしをもちだしたとき、)

みぬいていたのだ。帯刀がその話をもちだしたとき、

(はやとはかんがえてみようとこたえた。ことによったらそうしてもいい、)

隼人は考えてみようと答えた。ことによったらそうしてもいい、

(というきもちがうごいたし、あにもみとめてくれるだろうとおもえた。)

という気持が動いたし、兄も認めてくれるだろうと思えた。

(だが、これからここにすみついて、むらのじゅうみんといっしょうをともにするとすれば、)

だが、これからここに住みついて、村の住民と一生をともにするとすれば、

(きいとのことはだんねんしなければならない。きいやしょういちろうを)

きいとのことは断念しなければならない。きいや小一郎を

(こんなところでせいかつさせるのはむりだし、たてわきもゆるさないだろう。)

こんなところで生活させるのは無理だし、帯刀も許さないだろう。

(「きいはおれにきたいしているだろうか」とかれはめをつむったままでつぶやいた、)

「きいはおれに期待しているだろうか」と彼は眼をつむったままで呟いた、

(「ことわることはきいのこころをきずつけるだろうか」)

「断わることはきいの心を傷つけるだろうか」

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