ちくしょう谷 27

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隼人は罪人が暮らした流人村へ役で赴くことになる。
現在、流人村に罪人はおらず子孫だけが独特な風習で暮らす。
そこには兄の仇の西沢半四郎がいた。

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問題文

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(はやとはたちあがって、からだについたゆきといわくずをはらった。)

隼人は立ちあがって、躯に付いた雪と岩屑を払った。

(「ここからはみえない」とかれはいった、「おりてみるからつなをといてくれ」)

「ここからは見えない」と彼は云った、「おりてみるから綱を解いてくれ」

(「あなたがおりるんですか」とおかむらがきいた。)

「貴方がおりるんですか」と岡村が訊いた。

(「つなをといて」とはやとはあしがるたちにいった、「それをいっぽんにつないでくれ」)

「綱を解いて」と隼人は足軽たちに云った、「それを一本につないでくれ」

(「こんなことはあなたのやくではない」とおかむらがいった、)

「こんなことは貴方の役ではない」と岡村が云った、

(「わたしがやりますからまかせてください」)

「私がやりますから任せて下さい」

(「こんなことはだれのやくでもないさ」とはやとがいった、)

「こんなことは誰の役でもないさ」と隼人が云った、

(「ただおりてみるだけではなく、しらべてくることがあるんだ、)

「ただおりて見るだけではなく、しらべて来ることがあるんだ、

(まあだまってみているがいい」おかむらしちろうべえはふんぜんとそっぽをむいた。)

まあ黙って見ているがいい」岡村七郎兵衛は憤然とそっぽを向いた。

(つなはふというえにかたく、つなぎあわせるのにひまがかかった。)

綱は太いうえに固く、つなぎ合せるのに暇がかかった。

(はやとはりょうとうをおのにあずけ、つなのいったんをどうのところでにじゅうにまいてむすぶと、)

隼人は両刀を小野に預け、綱の一端を胴のところで二重に巻いて結ぶと、

(ほかのはしをすぎのみきへまわさせた。すぎのみきをささえにつなをくりだすこと、)

他の端を杉の幹へまわさせた。杉の幹を支えに綱を繰り出すこと、

(それにかかるのがごにん、ひとりはがけのはしにいて、はやとのあいずをつたえること、)

それにかかるのが五人、一人は崖の端にいて、隼人の合図を伝えること、

(などをめいじた。おかむらしちろうべえががけのはしにたち、はやとはがけをくだっていった。)

などを命じた。岡村七郎兵衛が崖の端に立ち、隼人は崖を下っていった。

(つなにこすられて、いわくずやゆきがおちてき、はやとは「かさがひつようだな」とつぶやいた。)

綱にこすられて、岩屑や雪が落ちて来、隼人は「笠が必要だな」と呟いた。

(「なんですか」とうえからおかむらがといかけた。)

「なんですか」と上から岡村が問いかけた。

(はやとは「なんでもない」とこたえた。おかむらしちろうべえはてをあげて、)

隼人は「なんでもない」と答えた。岡村七郎兵衛は手をあげて、

(あしがるたちのほうへしずかに、てまねきのようなあいずをしてみせていた。)

足軽たちのほうへ静かに、手招きのような合図をしてみせていた。

(まもなくしたから、「とめろ」というこえがきこえ、)

まもなく下から、「止めろ」という声が聞え、

(おかむらがうごかしていたてをとめると、つなはぴんとはったままとめられた。)

岡村が動かしていた手を止めると、綱はぴんと張ったまま止められた。

など

(「やっぱりここだ」とはやとのいうこえがした、)

「やっぱり此処だ」と隼人の云う声がした、

(「かけはしははんぶんおちただけらしい、もうすこしおろせ」)

「かけはしは半分落ちただけらしい、もう少しおろせ」

(おかむらはそのあいずをし、つなはくりだされた。)

岡村はその合図をし、綱は繰り出された。

(ほどなくまた「とめろ」というこえがし、)

ほどなくまた「止めろ」という声がし、

(つなのゆとりはあるかときいてきた。あしがるたちにしらべさせて、)

綱のゆとりはあるかと訊いて来た。足軽たちにしらべさせて、

(まつきが「にたけとちょっとだ」とこたえ、それをおかむらがはやとにつたえた。)

松木が「二丈とちょっとだ」と答え、それを岡村が隼人に伝えた。

(「よし」とはやとがいった、「すこししらべるから、つなをきへむすんでおけ」)

「よし」と隼人が云った、「少ししらべるから、綱を木へ結んでおけ」

(はやとはなにをしているのか、かなりながいあいだこえもせず、)

隼人はなにをしているのか、かなり長いあいだ声もせず、

(ものおともきこえなかった。まつきとおのがこっちへよってき、だいじょうぶかな、)

物音も聞えなかった。松木と小野がこっちへ寄って来、大丈夫かな、

(としんぱいそうにつぶやいた。おかむらしちろうべえはむっとしたかおつきで、)

と心配そうに呟いた。岡村七郎兵衛はむっとした顔つきで、

(こなゆきのまいくるっているたにのむこうをながめていた。)

粉雪の舞い狂っている谷の向うを眺めていた。

(やがて「あげろ」というこえがきこえ、おかむらたちもつなについて、)

やがて「あげろ」という声が聞え、岡村たちも綱に付いて、

(しずかにひきあげた。あがってきたはやとは、あたまやからだをはらいながら、)

静かに引き揚げた。あがって来た隼人は、頭や躯を払いながら、

(だいじょうぶやれる、あしたきてやろう、といった。)

大丈夫やれる、明日来てやろう、と云った。

(しちゅうのきはここのはやしのすぎをつかい、わたすいたはきどからもってくればいい。)

支柱の木はここの林の杉を使い、渡す板は木戸から持って来ればいい。

(らいねんのはるになったらほんしきにやりなおすとして、とにかくかりのものを)

来年の春になったら本式にやり直すとして、とにかく仮のものを

(つくっておこう、そういって、おのだいくろうから)

造っておこう、そう云って、小野大九郎から

(りょうとうをうけとりはやしのなかへはいっていった。)

両刀を受取り林の中へはいっていった。

(がけにうがってあるしちゅうのあなにあわせてきたのだろう、)

崖に穿ってある支柱の穴に合わせて来たのだろう、

(ふところからだしたひもにはむすびめがあり、もくそくでえらんだすぎのみきを、)

ふところから出した紐には結び目があり、目測で選んだ杉の幹を、

(そのひもでまいてはかっていった。)

その紐で巻いて計っていった。

(「しまったな」とはやとははかりながらひとりごとをいった、)

「しまったな」と隼人は計りながら独り言を云った、

(「のこぎりとおのをもってくるんだったな、そうすればここでしちゅうがつくれたんだ」)

「鋸と斧を持って来るんだったな、そうすればここで支柱が作れたんだ」

(おかむらがいった、「そうなにからなにまで、)

岡村が云った、「そうなにからなにまで、

(ひとりでおもいつくものじゃありませんよ」)

独りで思いつくものじゃありませんよ」

(「きにするな」とはやとがいった、「ただのひとりごとだ」)

「気にするな」と隼人が云った、「ただの独り言だ」

(おかむらしちろうべえはかたをゆりあげた。はやとはえらんだななほんのすぎに、)

岡村七郎兵衛は肩をゆりあげた。隼人は選んだ七本の杉に、

(わきざしのはでしるしをつけ、つなをにほんすぎのねもとにおかせると、)

脇差の刃で印を付け、綱を二本杉の根元に置かせると、

(あたりをながめまわしてから「かえろう」といった。)

あたりを眺めまわしてから「帰ろう」と云った。

(きどへもどったのはごごにじまえだったが、きどのずっとてまえで、)

木戸へ戻ったのは午後二時まえだったが、木戸のずっと手前で、

(そのほうこうにけむりのあがっているのがみえた。かぜはかなりよわくなっていて、)

その方向に煙のあがっているのが見えた。風はかなり弱くなっていて、

(あおみをおびたねずみいろのそのけむりは、きどのあたりからひだりへとなびいていた。)

青みを帯びた鼠色のその煙は、木戸のあたりから左へとなびいていた。

(「あのけむりはなんだ」とおのがまずいった、「まさかかじじゃないだろうね」)

「あの煙はなんだ」と小野がまず云った、「まさか火事じゃないだろうね」

(「まさかこのひるなかに」とまつきがいった、「まさかね」)

「まさかこの昼なかに」と松木が云った、「まさかね」

(ほかのものだだまってい、いしおかげんないがくみしたのものにいってみろとめいじた。)

ほかの者は黙ってい、石岡源内が組下の者にいってみろと命じた。

(わかいあしがるのひとりがかけのぼってゆき、みんなもあしをはやめた。)

若い足軽の一人が駆け登ってゆき、みんなも足を早めた。

(あれだけのけむりはかじでなければでないだろう。)

あれだけの煙は火事でなければ出ないだろう。

(かじだとすればみずとひとでがたりない。みずはきどからごちょうもしたの、)

火事だとすれば水と人手が足りない。水は木戸から五丁も下の、

(わずかなわきみずをはこびあげてつかう。おおだるにいつつはじょうびしてあるが、)

僅かな湧き水を運びあげて使う。大樽に五つは常備してあるが、

(かじがおおきくなればまにあわない。おまけにあしがるはちにんと)

火事が大きくなればまにあわない。おまけに足軽八人と

(ばんしさんにんをつれだしたから、あとはこものまでくわえてもくにんしかいない。)

番士三人を伴れ出したから、あとは小者まで加えても九人しかいない。

(これはかけはしどころではないぞ、はやとはおもった。)

これはかけはしどころではないぞ、隼人は思った。

(かけもどってきたわかいあしがるが、かじはくらですとつげたとき、)

駆け戻って来た若い足軽が、火事は倉ですと告げたとき、

(いわといわのあいだに、ひのこがうつくしくまいあがるのがみえた。)

岩と岩のあいだに、火の粉が美しく舞いあがるのが見えた。

(「つなをかけてひきたおしたのです」とわかいあしがるはそれをさしていった、)

「綱を掛けて引き倒したのです」と若い足軽はそれを指して云った、

(「ながやややくどころへひがうつりそうなので、つなをかけてひきたおすところでした」)

「長屋や役所へ火が移りそうなので、綱を掛けて引き倒すところでした」

(はやとはだまってさらにあしをはやめた。)

隼人は黙ってさらに足を早めた。

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