ちゃん 山本周五郎 ②

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重吉は腕の良い火鉢職人。時世の流れで仕事が減ってきている。
今夜も酒を飲んで帰宅する重吉を妻と子が迎える。
すでに独立した仲間の職人が相談に乗ろうとするが・・・

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問題文

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(「ひものちょうにあったか」それまでのはなしがとぎれたとき、)

「檜物町に会ったか」それまでの話がとぎれたとき、

(ふとちょうしをかえてしんすけがきいた。「いや」としげきちはくびをふった。)

ふと調子を変えて新助がきいた。「いや」と重吉は首を振った。

(「はなしにゆくっていってたんだがな、うちのほうへもいかなかったか」)

「話にゆくって云ってたんだがな、うちのほうへもいかなかったか」

(しげきちはまたくびをふった、「こないようだな、なにかようでもあるのか」)

重吉はまた首を振った、「来ないようだな、なにか用でもあるのか」

(「うん」しんすけはいいよどみ、かんどくりをとってしげきちにさした、)

「うん」新助は云いよどみ、燗徳利を取って重吉にさした、

(「まあひとつ、おめえよわくなったのか」「ひものちょうはおれになんのようがあるんだ」)

「まあ一つ、おめえ弱くなったのか」「檜物町はおれになんの用があるんだ」

(「かさねろよ」としんすけはしゃくをしてやった、「このまえからおれとひものちょうとで)

「かさねろよ」と新助は酌をしてやった、「このまえからおれと檜物町とで

(はなしていたんだ、ながさわちょう、つまりおめえとひものちょうとおれは、ひとつのかまのめしを)

話していたんだ、長沢町、つまりおめえと檜物町とおれは、一つ釜の飯を

(くってそだったにんげんだ」しんすけはほんてんの「ごとう」のはなしをした。)

食って育った人間だ」新助は本店の「五桐」の話をした。

(にほんばしりょうがえちょうにあるそのみせは、ごとうひばちというものをつくっている。)

日本橋両替町にあるその店は、五桐火鉢という物を作っている。

(いまはさんだいめになるが、せんだいのころまではひょうばんのみせであった。)

いまは三代目になるが、先代のころまでは評判の店であった。

(さしわたししゃくにすんいじょうのきりのどうまわりに、うるしときんぎんできりのはと)

さしわたし尺二寸以上の桐の胴まわりに、漆と金銀で桐の葉と

(はなのまきえをしたひばちで、そのまきえのきりのはがごまいときまっているため、)

花の蒔絵をした火鉢で、その蒔絵の桐の葉が五枚ときまっているため、

(ごとうひばちとよばれるのであり、つくりかたにどくとくのくふうがもちいられていて、)

五桐火鉢と呼ばれるのであり、作りかたに独特のくふうがもちいられていて、

(ほかにまねてのないものとちんちょうされていた。)

ほかにまね手のないものと珍重されていた。

(かれらさんにんはそのみせのこがいのしょくにんであった。しげきちがひとつうえ、)

かれら三人はその店の子飼いの職人であった。重吉が一つ年上、

(しんすけとしんじろうはおないどしだったが、ごねんばかりまえ、しんすけとしんじろうは)

新助と真二郎はおない年だったが、五年ばかりまえ、新助と真二郎は

(「ごとう」からひまをとり、かたほうはきょうばしのきんろくちょう、かたほうはひものちょうに、)

「五桐」からひまをとり、片方は京橋の金六町、片方は檜物町に、

(じぶんたちのみせをもった。ふたりはごとうひばちにみきりをつけたのだ。)

自分たちの店を持った。二人は五桐火鉢にみきりをつけたのだ。

(せんだいまではちんちょうされたが、じせいがかわるにつれてひょうばんもおち、)

先代までは珍重されたが、時勢が変るにつれて評判も落ち、

など

(ちゅうもんがぐんぐんへりだした。ごとうのしなをもしたやすものがふえたし、)

注文がぐんぐん減りだした。五桐の品を模した安物がふえたし、

(せけんのこのみもちがってきたのであろう。てまちんをわってねをおとしても、)

世間の好みも違ってきたのであろう。手間賃を割って値をおとしても、

(うれるかずはすくなくなるばかりであった。これではみせがもちきれないので、)

売れる数は少なくなるばかりであった。これでは店がもちきれないので、

(ごとうでもやむなくあたらしいひばちにきりかえたが、めいもくだけはのこしたいので、)

五桐でもやむなく新しい火鉢に切替えたが、名目だけは残したいので、

(しげきちがひとりだけ、もとどおりのひばちをつくっていた。しんすけはそのことを)

重吉が一人だけ、元どおりの火鉢を作っていた。新助はそのことを

(いいだしたのだ。もうさんじゅうごにもなり、こどもがよにんもあり、)

云いだしたのだ。もう三十五にもなり、子供が四人もあり、

(しょくにんとしてだれにもまけないうでをもっているのに、ながやずまいで、)

職人として誰にも負けない腕をもっているのに、長屋住いで、

(わずかなてまちんをかせぎにかよっている。もうそろそろじぶんのみのことを)

僅かな手間賃を稼ぎにかよっている。もうそろそろ自分の身のことを

(かんがえてもいいころではないか、としんすけはいった。)

考えてもいいころではないか、と新助は云った。

(しげきちはのみながらきいていた。なにもいわないが、のみかたが)

重吉は飲みながら聞いていた。なにも云わないが、飲みかたが

(すこしずつはやくなり、おちょうかしんすけがしゃくをしないと、てじゃくでのんだ。)

少しずつ早くなり、お蝶か新助が酌をしないと、手酌で飲んだ。

(「しんぱいしてくれるのはありがてえが」としげきちはやがていった、)

「心配してくれるのはありがてえが」と重吉はやがて云った、

(「おれにはいまのしごとのほかに、これといってできることはなさそうだ」)

「おれにはいまの仕事のほかに、これといってできることはなさそうだ」

(「それでひものちょうとそうだんしたんだ」「まあまってくれ」)

「それで檜物町と相談したんだ」「まあ待ってくれ」

(「いいからこっちのはなしをきけよ」としんすけがさえぎっていった、)

「いいからこっちの話を聞けよ」と新助が遮ぎって云った、

(「それはおめえがごとうひばちをまもるきもちはりっぱだ、けれでもせけんでは)

「それはおめえが五桐火鉢を守る気持はりっぱだ、けれども世間では

(もうそれだけのねうちはみとめてくれない、あのまきえのやりかたひとつだって、)

もうそれだけの値打は認めてくれない、あの蒔絵のやりかた一つだって、

(うるしのしたじがけからもりあげるまで、まるきゅうじゅうにちもかけるというのは)

漆の下地掛けから盛りあげるまで、まる九十日もかけるというのは

(ばかげている、きじのもくめのえらび、からしぐあい、すべてがそうだ、)

ばかげている、木地の木目の選び、枯らしぐあい、すべてがそうだ、

(すべてがあんまりふるくさいし、いまのよにはえんのとおいしごとだ」)

すべてがあんまり古臭いし、いまの世には縁の遠い仕事だ」

(「しげさん」としんすけはつづけた、「おらあ、はっきりいうが、ここはひとつ)

「重さん」と新助は続けた、「おらあ、はっきり云うが、ここはひとつ

(かんがえなおしてくれ、じせいはかわったんだ、いまはりゅうこうがだいいち、めさきがかわっていて)

考え直してくれ、時勢は変ったんだ、いまは流行が第一、めさきが変っていて

(やすければきゃくはかう、いちねんつかってこわれるかあきるかすれば、またあたらしいのを)

安ければ客は買う、一年使ってこわれるか飽きるかすれば、また新しいのを

(かうだろう、ひばちはひばち、それでいいんだ、そういうよのなかになったんだよ」)

買うだろう、火鉢は火鉢、それでいいんだ、そういう世の中になったんだよ」

(しんすけはひとくちのんでまたいった。「おめえがわきめもふらず、)

新助は一と口飲んでまた云った。「おめえが脇眼もふらず、

(たんせいこめてつくっても、そういうしごとのうまみをあじわう)

丹精こめて作っても、そういう仕事のうまみを味わう

(よのなかじゃあないし、またそんなめのあるきゃくもいなくなった、)

世の中じゃあないし、またそんな眼のある客もいなくなった、

(このへんでじせいにあったしごとにのりかえようじゃないか、)

このへんで時勢に合った仕事に乗り替えようじゃないか、

(そのきになるなら、ひものちょうとおれがなんとでもするぜ」)

その気になるなら、檜物町とおれがなんとでもするぜ」

(しげきちはよわよわしくくちでわらった、「ひばちはひばちか、そりゃあそうだ」)

重吉は弱よわしくくちで笑った、「火鉢は火鉢か、そりゃあそうだ」

(「おれたちはさんにんいっしょにそだった、ひものちょうとおれはどうやらみせをもち、)

「おれたちは三人いっしょに育った、檜物町とおれはどうやら店を持ち、

(どうやらせけんづきあいもできるようになった、いまならおめえに)

どうやら世間づきあいもできるようになった、いまならおめえに

(ちからをかすこともできる、こんどはおめえのばんだ、このへんで)

力を貸すこともできる、こんどはおめえの番だ、このへんで

(ふんぎりをつけなくちゃあ、おなおさんやこどもたちがかわいそうだぜ」)

ふんぎりをつけなくちゃあ、お直さんや子供たちが可哀そうだぜ」

(しげきちはもっているさかずきをみつめ、それからてじゃくでのんで、ゆっくりとくびをふった。)

重吉は持っている盃をみつめ、それから手酌で飲んで、ゆっくりと首を振った。

(「ともだちはありがてえ」とかれはひくいこえでいった、)

「友達はありがてえ」と彼は低い声で云った、

(「ともだちだからそういってくれるんだ、うん、かんがえてみよう」)

「友達だからそう云ってくれるんだ、うん、考えてみよう」

(「わかってくれたか」「わかった」としげきちはうなずいた、)

「わかってくれたか」「わかった」と重吉はうなずいた、

(「おめえにいわれて、よくわかった」)

「おめえに云われて、よくわかった」

(そしてかれはきゅうにげんきなくちぶりになった、「じつをいうとね、りょうがえちょうのたなでも、)

そして彼は急に元気な口ぶりになった、「じつを云うとね、両替町の店でも、

(あんまりおれに、しごとをさしてくれなくなったんだ、むろんそいつは、)

あんまりおれに、仕事をさしてくれなくなったんだ、むろんそいつは、

(うれゆきのわるいためだろう、まってたひにゃあかいにくるきゃくもねえから、)

売れゆきの悪いためだろう、待ってたひにゃあ買いに来る客もねえから、

(おれがじぶんでふるいとくいをまわって、ちゅうもんをとってくるっていうしまつなんだ」)

おれが自分で古いとくいをまわって、注文を取ってくるっていう始末なんだ」

(「じぶんでだって、おめえがか」「はずかしかったぜ、いまはなれたけれども、)

「自分でだって、おめえがか」「恥ずかしかったぜ、いまは馴れたけれども、

(はじめははずかしくって、あせをかいたぜ」しげきちはてじゃくでにはいのみ、)

初めは恥ずかしくって、汗をかいたぜ」重吉は手酌で二杯飲み、

(からになったさかずきをじっとみつめた、「いまはなれた、けれどもな、)

空になった盃をじっとみつめた、「いまは馴れた、けれどもな、

(おめえのいうとおりだ、もうさんじゅうごで、にょうぼうとよにんのこどもをかかえてるんだ、)

おめえの云うとおりだ、もう三十五で、女房と四人の子供をかかえてるんだ、

(このままじゃあ、にょうぼこがかわそうだからな」)

このままじゃあ、女房子が可哀そうだからな」

(「そのはなし、もうよして」とおちょうがふいにいった、「おしゃくをするわ、しげさん、)

「その話、もうよして」とお蝶がふいに云った、「お酌をするわ、重さん、

(よってちょうだい」「ちょっとまてよ」としんすけがいった、)

酔ってちょうだい」「ちょっと待てよ」と新助が云った、

(「まだこれからそうだんがあるんだ」「もうたくさん、そのはなしはたくさんよ」)

「まだこれから相談があるんだ」「もうたくさん、その話はたくさんよ」

(とおちょうはつよくかぶりをふった、「しげさんはわかったっていってるし、)

とお蝶は強くかぶりを振った、「重さんはわかったって云ってるし、

(ここはのみやなんだから、もうそのはなしはよしてのんでちょうだい、)

ここは呑み屋なんだから、もうその話はよして飲んでちょうだい、

(こんやはあたしもいただくわ、いいでしょ、しげさん」)

今夜はあたしもいただくわ、いいでしょ、重さん」

(「うん」といってしげきちはあたまをたれた、「いいとも、あたぼうだ」)

「うん」と云って重吉は頭を垂れた、「いいとも、あたぼうだ」

(ともだちはありがてえな。つがれるままにのみながら、しげきちはこころのなかでつぶやいた。)

友達はありがてえな。注がれるままに飲みながら、重吉は心の中でつぶやいた。

(でてゆくきゃくがあり、はいってくるきゃくがあり、おたまがかなきりごえをあげた。)

出てゆく客があり、はいって来る客があり、おたまがかなきり声をあげた。

(おれはなきそうになってるぞ。しげきちはあたまをふった。)

おれは泣きそうになってるぞ。重吉は頭を振った。

(ともだちだからいってくれるんだ、ありがてえな、とかれはくちにはださずに)

友達だから云ってくれるんだ、ありがてえな、と彼は口には出さずに

(つぶやいた。おちょうがなにかいい、しんすけがそれにこたえたが、)

つぶやいた。お蝶がなにか云い、新助がそれに答えたが、

(やりかえすようなこえであった。しげきちはのみ、あたまをぐらぐらさせ、)

やり返すような声であった。重吉は飲み、頭をぐらぐらさせ、

(そうして「ありがてえな」とこえにだしていった。)

そうして「ありがてえな」と声に出して云った。

(おれはなきそうだ。ないたりすると、みっともねえぞ、としげきちはじぶんにいった。)

おれは泣きそうだ。泣いたりすると、みっともねえぞ、と重吉は自分に云った。

(そこでかれはそとへでたのだ。しんすけがよびかけたのを、おちょうがとめた。)

そこで彼は外へ出たのだ。新助が呼びかけたのを、お蝶がとめた。

(てあらいよ、というのがきこえたようで、しげきちはとぐちをでながら、)

手洗よ、というのが聞えたようで、重吉は戸口を出ながら、

(ああそうだよといった。)

ああそうだよと云った。

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