ちゃん 山本周五郎 ④

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重吉は腕の良い火鉢職人。時世の流れで仕事が減ってきている。
今夜も酒を飲んで帰宅する重吉を妻と子が迎える。
すでに独立した仲間の職人が相談に乗ろうとするが・・・

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問題文

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(およしはじっとちちおやをみていて、ほんのうてきにあわれをかんじたらしい。)

お芳はじっと父親を見ていて、本能的に哀れを感じたらしい。

(とがめるようなめつきが、いまは(みっつというとしにもかかわらず))

咎めるような眼つきが、いまは(三つという年にもかかわらず)

(あわれむようないろにかわっていた。みっつでもおんなのこはおんなのこであり、)

憐むような色に変っていた。三つでも女の子は女の子であり、

(まずしいせいかつのなかでははおややあにやあねたちの、ちちにたいするいたわりやきづかいを)

貧しい生活の中で母親や兄や姉たちの、父に対するいたわりや気遣いを

(みたりきいたりしているためだろう。そのかおつきにはひどくおとなびた、)

見たり聞いたりしているためだろう。その顔つきにはひどくおとなびた、

(まじめくさったひょうじょうがあらわれていた。)

まじめくさった表情があらわれていた。

(「いいよ」しげきちはめをそらした、「じぶんでいってのんでくる、おまえあそびに)

「いいよ」重吉は眼をそらした、「自分でいって飲んで来る、おまえ遊びに

(ゆかないのか」「いかない」とおよしはいった、「たんのばんをしていなって、)

ゆかないのか」「いかない」とお芳は云った、「たんの番をしていなって、

(かえるまでばんしてなって、かあたんがいったんだもんさ」)

帰るまで番してなって、かあたんが云ったんだもんさ」

(しげきちはたってかってへゆき、みずがめからじかにひしゃくでさんばいみずをのんだ。)

重吉は立って勝手へゆき、水瓶からじかに柄杓で三杯水を飲んだ。

(おなおさんやこどもたちがかわいそうだぜ。しんすけがそういった。)

お直さんや子供たちが可哀そうだぜ。新助がそう云った。

(あれはみっかまえのことだな、としげきちはひしゃくをもったままおもった。)

あれは三日まえのことだな、と重吉は柄杓を持ったまま思った。

(あれはしんせつでいったことだ。ひものちょうのしんじろうもそうだ。)

あれは親切で云ったことだ。檜物町の真二郎もそうだ。

(あのふたりとはおなじかまのめしをくってそだった。きんろくちょうもひものちょうも)

あの二人とは同じ釜の飯を食って育った。金六町も檜物町も

(めさきのきくにんげんだ。ふたりが「ごとう」にみきりをつけ、)

めさきのきく人間だ。二人が「五桐」にみきりをつけ、

(きれいにひまをとり、じぶんじぶんのみせをもって、)

きれいにひまをとり、自分自分の店を持って、

(とうせいふうのしょうばいにのりかえたのは、めさきがきくからだ。)

当世ふうのしょうばいに乗り替えたのは、めさきがきくからだ。

(おかげでしょうばいははんじょうするし、かぞくもすきなようなくらしができる。)

おかげでしょうばいは繁昌するし、家族も好きなような暮しができる。

(ひものちょうはうえのむすめをおどりとながうたのけいこにかよわせているし、)

檜物町は上の娘を踊りと長唄の稽古にかよわせているし、

(きんろくちょうはめかけをかこってるそうだ。「それでもおれのことをしんぱいしてくれる」)

金六町は妾を囲ってるそうだ。「それでもおれのことを心配してくれる」

など

(しげきちはもっているひしゃくをみつめがなら、ほうしんしたようにつぶやいた、)

重吉は持っている柄杓をみつめながら、放心したようにつぶやいた、

(「ともだちだからな、ともだちってものはありがてえもんだ」)

「友達だからな、友達ってものはありがてえもんだ」

(しげきちはぎょっとした。かってぐちのこしだかしょうじが、いきなりそとから)

重吉はぎょっとした。勝手口の腰高障子が、いきなり外から

(あけられたのである。あけたのはちょうなんのよしきちで、よしきちもびっくりしたらしい、)

あけられたのである。あけたのは長男の良吉で、良吉もびっくりしたらしい、

(てんびんぼうをもったまま、くちをあいてちちおやをみた。)

天秤棒を持ったまま、口をあいて父親を見た。

(「ちゃん」とよしきちはどもった、「どうしたんだ」)

「ちゃん」と良吉はどもった、「どうしたんだ」

(しげきちはとまどったように、もっているひしゃくをみせた、「みずをね、のみにきたんだ」)

重吉は戸惑ったように、持っている柄杓をみせた、「水をね、飲みに来たんだ」

(「みずをね」とよしきちがいった、「びっくりするぜ」「ごどうようだ」)

「水をね」と良吉が云った、「びっくりするぜ」「ご同様だ」

(「きょうはやすんだのかい」「そんなようなもんだ」)

「今日は休んだのかい」「そんなようなもんだ」

(としげきちはみずがめへふたをし、そのうえにひしゃくをおきながらいった、)

と重吉は水瓶へ蓋をし、その上に柄杓を置きながら云った、

(「ほんじょのよしおかさまへちゅうもんをききにいって、そのままうちへけえってきたんだ」)

「本所の吉岡さまへ注文を聞きにいって、そのままうちへけえって来たんだ」

(「かあちゃんは」「おつぎととんやへいったらしい」)

「かあちゃんは」「おつぎと問屋へいったらしい」

(「ゆへいこう、ちゃん」とよしきちはながしのわきからたわしと)

「湯へいこう、ちゃん」と良吉は流しの脇からたわしと

(みがきすなのはこをとりながらいった、「いまどうぐをあらってくるからな、)

磨き砂の箱を取りながら云った、「いま道具を洗って来るからな、

(こいつをかたづけたらいっしょにゆへいこう」)

こいつを片づけたらいっしょに湯へいこう」

(「およしがいるんだ」「るすばんさしとけばいいさ、すぐだからまってなね」)

「お芳がいるんだ」「留守番さしとけばいいさ、すぐだから待ってなね」

(ろくじょうへもどるとすぐ、かめきちがとなりのおんなのこをつれてき、)

六帖へ戻るとすぐ、亀吉が隣りの女の子を伴れて来、

(およしといっしょにあそびはじめた。となりのおたつはいつつ、かめきちはななつであるが、)

お芳といっしょに遊び始めた。隣りのおたつは五つ、亀吉は七つであるが、

(どちらもおよしにぎゅうじられていた。おまんまごとになれば、)

どちらもお芳に牛耳られていた。おまんまごとになれば、

(かあたんになるのはおよしときまっていて、おたつはそのむすめ、)

かあたんになるのはお芳ときまっていて、おたつはその娘、

(かめきちは「てのかかってしゃのないせがれ」ということになる。)

亀吉は「手のかかってしゃのない伜」ということになる。

(それでふしぎにうまくゆくし、およしのかあたんぶりもいたについていた。)

それでふしぎにうまくゆくし、お芳のかあたんぶりも板についていた。

(「さあさ、ごはんにしましょ」とおよしがめんどうくさそうにいう、)

「さあさ、ごはんにしましょ」とお芳が面倒くさそうに云う、

(「きょうはなんにもないかやみそしるでたべちゃいましょ、さあさ、)

「今日はなんにもないかや味噌汁でたべちゃいましょ、さあさ、

(ふたりともてをあらってらっしゃい」)

二人とも手を洗ってらっしゃい」

(「かあたんはよなべだかやね、もうふたりともねちまいな」というのもおよしだ、)

「かあたんは夜なべだかやね、もう二人とも寝ちまいな」と云うのもお芳だ、

(「さっさとねちまいな、よなべをして、あったとんやへとどけなけえば、)

「さっさと寝ちまいな、夜なべをして、あった問屋へ届けなけえば、

(おこめがかえないんだかや、さっさとねちまいな」そのときもおなじことであった。)

お米が買えないんだかや、さっさと寝ちまいな」そのときも同じことであった。

(そのちいさなせたいはひどくくるしい、おたつはまだがんぜないし、)

その小さな世帯はひどく苦しい、おたつはまだ頑是ないし、

(かめきちはてばかりかかってすこしもやくにたたない、およしひとりがめしのしたくをしたり、)

亀吉は手ばかりかかって少しも役に立たない、お芳ひとりが飯の支度をしたり、

(ぬいはりをしたり、よるもひるもちんしごとをしてかせぐのである。)

縫い張りをしたり、夜も昼も賃仕事をして稼ぐのである。

(「うるさい、うるさい」とおよしがまたいう、「そんなとこよで、)

「うるさい、うるさい」とお芳がまた云う、「そんなとこよで、

(ごまごましてたや、しごとができやしない、ふたりともそとへいってあそんできな」)

ごまごましてたや、仕事ができやしない、二人とも外へいって遊んできな」

(しげきちはみみをふさぎたくなり、いたたまれなくなってそこをたった。)

重吉は耳をふさぎたくなり、いたたまれなくなってそこを立った。

(「とおかえびすの、うりものは」あがりはなのにじょうへいって、しげきちはそとをながめながら、)

「十日戎の、売り物は」上り端の二帖へいって、重吉は外を眺めながら、

(ちょうしのくるったふしでひくくうたいだした、)

調子の狂った節で低くうたいだした、

(「はぜぶくろにとりばち、かます、こばんにきんぱく」かれはそこでやめて、くびをふった、)

「はぜ袋にとり鉢、銭叺、小判に金箱」彼はそこでやめて、首を振った、

(「うたもひとつまんぞくにはうたえねえか」しげきちはきのぬけたようなめで、)

「唄も一つ満足にはうたえねえか」重吉は気のぬけたような眼で、

(ぼんやりそとをながめやった。むこうのいどばたでよしきちのこえがする。)

ぼんやり外を眺めやった。向うの井戸端で良吉の声がする。

(はんだいをあらいながら、きんじょのかみさんとはなしているらしい。)

盤台を洗いながら、近所のかみさんと話しているらしい。

(げんきなはなしごえにまじって、たかいみずのおとがきこえた。よしきちのこえにははりがあり、)

元気な話し声にまじって、高い水の音が聞えた。良吉の声には張りがあり、

(はなすちょうしはおとなびていた。しげきちはからだがたよりなくなるような、)

話す調子はおとなびていた。重吉はからだがたよりなくなるような、

(せいのないきぶんでそれをきいていた。)

精のない気分でそれを聞いていた。

(まもなくおなおとおつぎがかえり、よしきちもいどばたからもどってきた。)

まもなくお直とおつぎが帰り、良吉も井戸端から戻って来た。

(おなおたちはないしょくもののつつみをせおっていて、ありがたいことにらいげついっぱい)

お直たちは内職物の包を背負っていて、有難いことに来月いっぱい

(しごとがつづくそうだ、などとしげきちにいいながら、ろくじょうへいってつつみをおろし、)

仕事が続くそうだ、などと重吉に云いながら、六帖へいって包をおろし、

(よしきちはてばしこくどうぐをかたづけた。「かあちゃん」とよしきちはどまからさけんだ、)

良吉は手ばしこく道具を片づけた。「かあちゃん」と良吉は土間から叫んだ、

(「おれ、ちゃんとゆへいってきていいか」)

「おれ、ちゃんと湯へいって来ていいか」

(「おおきなこえだね、みっともない」とろくじょうでおなおがいった、)

「大きな声だね、みっともない」と六帖でお直が云った、

(「いくんなら、かめきちもつれてっておくれよ」「だめだよ、きょうはだめだ」)

「いくんなら、亀吉も伴れてっておくれよ」「だめだよ、今日はだめだ」

(とよしきちはいいかえした、「きょうはちょっとちゃんにはなしがあるんだ」)

と良吉は云い返した、「今日はちょっとちゃんに話があるんだ」

(かれはちちおやにめくばせをし、「このつぎにつれてってやるからな、)

彼は父親に眼くばせをし、「この次に伴れてってやるからな、

(かめ、きょうはかあちゃんといきな、な」「ひどいよ、よし」)

亀、今日はかあちゃんといきな、な」「ひどいよ、良」

(いうおよしのきどったこえがきこえた、「つれてってやんな、よし、ひどいよ」)

云うお芳の気取った声が聞えた、「伴れてってやんな、良、ひどいよ」

(「へっ」とよしきちがかたをすくめた、「あいつをかみさんにするやろうの)

「へっ」と良吉が肩をすくめた、「あいつをかみさんにする野郎の

(つらがみてえや、ちゃん、いこうか」おつぎがしげきちにてぬぐいをもってきた。)

面が見てえや、ちゃん、いこうか」おつぎが重吉に手拭を持って来た。

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