ちゃん 山本周五郎 ⑦

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重吉は腕の良い火鉢職人。時世の流れで仕事が減ってきている。
今夜も酒を飲んで帰宅する重吉を妻と子が迎える。
すでに独立した仲間の職人が相談に乗ろうとするが・・・

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問題文

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(「おれはうでいっぱいのしごとをする、まっとうなしょくにんならだれだってそうだろう、)

「おれは腕いっぱいの仕事をする、まっとうな職人なら誰だってそうだろう、

(おれはせんだいのおやかたにそうしこまれたし、しこまれたいじょうのしごとを)

おれは先代の親方にそう仕込まれたし、仕込まれた以上の仕事を

(してきたつもりだ」しげきちはからになったさかずきをもったままあいてをみた、)

して来たつもりだ」重吉は空からになった盃を持ったまま相手を見た、

(「ここをよくきいてくれ、いいか、かりにもしょくにんなら、)

「ここをよく聞いてくれ、いいか、かりにも職人なら、

(じぶんのうでいっぱい、だれにもまねることのできねえ、とうにんでなければ)

自分の腕いっぱい、誰にもまねることのできねえ、当人でなければ

(できねえしごとをするはずだ、そうしなくちゃあならねえはずだ、ちがうか」)

できねえ仕事をする筈だ、そうしなくちゃあならねえ筈だ、違うか」

(「そのとおりだ、そのとおりだよ、おやかた」)

「そのとおりだ、そのとおりだよ、親方」

(「おめえはいいにんげんだ」としげきちがいった、「どこのだれだっけ」)

「おめえはいい人間だ」と重吉が云った、「どこの誰だっけ」

(「まあつぎましょう」きすけはしゃくをした。)

「まあ注ぎましょう」喜助は酌をした。

(しげきちはそれをのみ、ぐたっとあたまをたれた。きすけはすばやくにはい、)

重吉はそれを飲み、ぐたっと頭を垂れた。喜助はすばやく二杯、

(てじゃくであおり、ぜんのうえにあるはちのなかからくわいのうまにをつまんで)

手酌であおり、膳の上にある鉢の中から慈姑のうま煮をつまんで

(くちへほおりこんだ。「おらあ、それをいのちにいきてきた」としげきちはいった、)

口へほうりこんだ。「おらあ、それをいのちに生きて来た」と重吉は云った、

(「みについたのうの、たかいひくいはしようがねえ、けれども、)

「身についた能の、高い低いはしようがねえ、けれども、

(ひくかろうと、たかかろうと、せいいっぱいちからいっぱい、ごまかしのない、)

低かろうと、高かろうと、精いっぱい力いっぱい、ごまかしのない、

(うそいつわりのないしごとをする、おらあ、それだけをまもりほんぞんにしてやってきた、)

嘘いつわりのない仕事をする、おらあ、それだけを守り本尊にしてやって来た、

(ところが、それがまちがいだっていうんだ、じせいがかわった、)

ところが、それが間違いだっていうんだ、時勢が変った、

(そんなしごとはいまのせけんにゃあつうようしねえ、そんなことをしていちゃあ、)

そんな仕事はいまの世間にゃあ通用しねえ、そんなことをしていちゃあ、

(にょうぼこがかわいそうだっていうんだ」)

女房子が可哀そうだっていうんだ」

(しげきちはかおをあげ、くちびるをゆがめながら、すこしいじわるなちょうしでいった、)

重吉は顔をあげ、唇をゆがめながら、少し意地悪な調子で云った、

(「いまはりゅうこうがだいいちのよのなかだ、めさきがかわっていてやすければきゃくはかう、)

「いまは流行が第一の世の中だ、めさきが変っていて安ければ客は買う、

など

(いちねんもつかってこわれるかあきるかすれば、またあたらしいのをかうだろう、)

一年も使ってこわれるかあきるかすれば、また新しいのを買うだろう、

(それがとうせいだ、しょせんひばちはひばちだって」)

それが当世だ、しょせん火鉢は火鉢だって」

(「おめえ、どうおもう」としげきちはきすけをみた、)

「おめえ、どう思う」と重吉は喜助を見た、

(「そんなこっていいとおもうか、みんながりゅうこうだいいち、うれるからいい、)

「そんなこっていいと思うか、みんなが流行第一、売れるからいい、

(もうかるからいいで、まにあわせみたようなしごとばかりして、)

儲かるからいいで、まに合せみたような仕事ばかりして、

(それでよのなかがまっとうにゆくとおもうか、それぁ、いまのまにあう、)

それで世の中がまっとうにゆくと思うか、それぁ、いまのまに合う、

(そういうしごとをすれぁ、かねはもうかるかもしれねえ、げんにおめえも)

そういう仕事をすれぁ、金は儲かるかもしれねえ、現におめえも

(しってるとおり、ひものちょうもきんろくちょうもみせをはって、かねものこしたし)

知ってるとおり、檜物町も金六町も店を張って、金も残したし

(せけんからたてられるようにもなった、それはそれでいいんだ、)

世間から立てられるようにもなった、それはそれでいいんだ、

(あのふたりはそうしてえんだから、それでいいんだ、おめえ、きんろくちょうと)

あの二人はそうしてえんだから、それでいいんだ、おめえ、金六町と

(ひものちょうをしってるか」「それぁ、そのくらいのことはね、おやかた」)

檜物町を知ってるか」「それぁ、そのくらいのことはね、親方」

(ときすけはあいそわらいをした、「まひとつ、おしゃくしましょう」)

と喜助はあいそ笑いをした、「ま一つ、お酌しましょう」

(しげきちはさかずきをみつめた。「あのふたりからみれば、おれなんぞはぶまで、)

重吉は盃をみつめた。「あの二人からみれば、おれなんぞはぶまで、

(どじで、きのきかねえとうへんぼくにみえるだろう、けれどもおれはおれだ、)

どじで、気のきかねえ唐変木にみえるだろう、けれどもおれはおれだ、

(にょうぼうにゃあすまねえが、おらあしょくにんのいじだけはまもりてえ、)

女房にゃあ済まねえが、おらあ職人の意地だけは守りてえ、

(じぶんをだまくらかして、ただかねのためにするようなしごとはおれにゃあできねえ」)

自分をだまくらかして、ただ金のためにするような仕事はおれにゃあできねえ」

(しげきちはまたぐらっとあたまをたれた、)

重吉はまたぐらっと頭を垂れた、

(「それを、あのきんろくちょうはいやあがった。しんすけのやつはいやあがった。)

「それを、あの金六町はいやあがった。新助のやつはいやあがった。

(ひばちはひばちだって、ひばちは、ひばち」)

火鉢は火鉢だって、ひばちは、ひばち」

(そしてしげきちはなきだした。おわりのことばはつきあげるおえつにけされ、)

そして重吉は泣きだした。終りの言葉はつきあげる嗚咽に消され、

(たれたあたまがじょうげに、うなずくようにゆれた。きすけはとうわくし、)

垂れた頭が上下に、うなずくように揺れた。喜助は当惑し、

(なにかいおうとしたが、いそいでさんばい、てじゃくであおった。)

なにか云おうとしたが、いそいで三杯、手酌であおった。

(「おらあ、くやしかった」としげきちはさかずきをもったままのてで、)

「おらあ、くやしかった」と重吉は盃を持ったままの手で、

(めのまわりをふいた、「むこうがむこうだからしようがねえ、)

眼のまわりを拭いた、「向うが向うだからしようがねえ、

(むこうはもうしょくにんじゃねえんだから、しょくにんのあしをあらったにんげんに)

向うはもう職人じゃねえんだから、職人の足を洗った人間に

(しょくにんのいじをいってもしようがねえ、おらあ、だまってた、)

職人の意地を云ってもしようがねえ、おらあ、黙ってた、

(だまってたが、くやしかったぜ、わかるか」)

黙ってたが、くやしかったぜ、わかるか」

(「わかりますとも、よくわかりますよ」「おめえはいいにんげんだ」)

「わかりますとも、よくわかりますよ」「おめえはいい人間だ」

(としげきちはめをあげてあいてをみた、「だれだっけ」)

と重吉は眼をあげて相手を見た、「誰だっけ」

(「いやだぜおやかた、きすけだっていってるじゃありませんか」)

「いやだぜ親方、喜助だっていってるじゃありませんか」

(「ああ、きすけさんか、うだがわちょうだな」「まあ、つぎましょう」)

「ああ、喜助さんか、宇田川町だな」「まあ、注ぎましょう」

(きすけはしゃくをした。それからきすけがさけのあとをちゅうもんしたのだ。)

喜助は酌をした。それから喜助が酒のあとを注文したのだ。

(それはおぼえている。おくにがきて、しげきちのひどくよっていることをみとめ、)

それは覚えている。おくにが来て、重吉のひどく酔っていることを認め、

(もうのまないほうがいいといった。しげきちはさいふをだし、そこでげんぺいがきて、)

もう飲まないほうがいいといった。重吉は財布を出し、そこで源平が来て、

(ちょっとやりあった。げんぺいはちゅうっぱらなようなことをいい、)

ちょっとやりあった。源平は中っ腹なようなことを云い、

(しげきちはさいふをなげだして、たちあがった。)

重吉は財布を投げだして、立ちあがった。

(「くそうくらえ、おらあこのひととどろぼうになるんだ」としげきちはどなったのだ、)

「くそうくらえ、おらあこの人と泥棒になるんだ」と重吉はどなったのだ、

(「こうなったらどろぼうだってなんだってやるんだ、おしこみだってやって)

「こうなったら泥棒だってなんだってやるんだ、押込みだってやって

(やるから、みてやがれってんだ」それはそとへでてからのことかもしれない。)

やるから、みてやがれってんだ」それは外へ出てからのことかもしれない。

(きすけがしきりになだめ、ふたりはもつれあってあるいていた。)

喜助がしきりになだめ、二人はもつれあって歩いていた。

(しげきちはひょろひょろしながら、にょうぼうのおなおをほめ、よしきちをほめ、)

重吉はひょろひょろしながら、女房のお直を褒め、良吉を褒め、

(おつぎをほめ、かめきちをおよしをほめた。みんなをじまんし、ほめながら、)

おつぎを褒め、亀吉をお芳を褒めた。みんなを自慢し、褒めながら、

(じぶんをけなしつけ、いやしめ、ついでにきすけのこともやっつけた。)

自分をけなしつけ、卑しめ、ついでに喜助のこともやっつけた。

(「なっちゃねえや、なあ」しげきちはあいてのかたにもたれかかりながらいった、)

「なっちゃねえや、なあ」重吉は相手の肩にもたれかかりながら云った、

(「おめえもおれもなっちゃいねえ、くずみてえなもんだ、)

「おめえもおれもなっちゃいねえ、屑みてえなもんだ、

(ふたりともいねえほうがいいようなもんだ、おれにさからうつもりか」)

二人ともいねえほうがいいようなもんだ、おれにさからうつもりか」

(「おたくまでおくるんですよ、ながさわちょうでしょう」「とまるんだぜ」としげきちはいった、)

「お宅まで送るんですよ、長沢町でしょう」「泊るんだぜ」と重吉は云った、

(「こんやはおめえとゆっくりはなしをしよう、ふるいともだちとあってはなすなあ、)

「今夜はおめえとゆっくり話をしよう、古い友達と会って話すなあ、

(いいこころもちのもんだ、とまるか」「おたくへいってからね、おやぶん、)

いい心持のもんだ、泊るか」「お宅へいってからね、親分、

(おたくにだってつごうがあるでしょうから」)

お宅にだって都合があるでしょうから」

(「すると、とまらねえっていうのか」「あぶねえ、かごにぶつかりますぜ」)

「すると、泊らねえっていうのか」「危ねえ、駕籠にぶつかりますぜ」

(きすけはしげきちをかかえてかごをよけた。そうしてながさわちょうのうちへかえり、)

喜助は重吉を抱えて駕籠をよけた。そうして長沢町のうちへ帰り、

(むりやりにきすけをとまらせた。じこくもおそかったらしいが、)

むりやりに喜助を泊らせた。時刻もおそかったらしいが、

(かれはきすけをふるいともだちだといい、ひさしぶりだから、ふたりでのみながら)

彼は喜助を古い友達だと云い、久しぶりだから、二人で飲みながら

(はなしあかすのだといった。こどもたちはみんなねていたようだ。)

話し明かすのだと云った。子供たちはみんな寝ていたようだ。

(おなおがさけのしたくをし、きすけがしきりになにかじたいしていた。)

お直が酒の支度をし、喜助がしきりになにか辞退していた。

(それをききながら、しげきちはいいようもなくくたびれてきてねむくなり、)

それを聞きながら、重吉は云いようもなくくたびれてきて眠くなり、

(そこへよこになった。「おめえはやっててくれ」しげきちはねころびながらいった、)

そこへ横になった。「おめえはやっててくれ」重吉は寝ころびながら云った、

(「おらあ、ちょっとやすむから、ほんのちょっとだ」そしておなおに、)

「おらあ、ちょっと休むから、ほんのちょっとだ」そしてお直に、

(「すぐにおきるんだから、このともだちをかえしたらしょうちしないぞ」といった。)

「すぐに起きるんだから、この友達を帰したら承知しないぞ」と云った。

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