ちゃん 山本周五郎 ⑩(終)

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重吉は腕の良い火鉢職人。時世の流れで仕事が減ってきている。
今夜も酒を飲んで帰宅する重吉を妻と子が迎える。
すでに独立した仲間の職人が相談に乗ろうとするが・・・

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問題文

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(おなおはふるえるこえをおさえていった、「はつかばかりまえのことだけれど、)

お直はふるえる声を抑えて云った、「二十日ばかりまえのことだけれど、

(ひものちょうがここへきて、あたしにおなじようなことをいったわ、)

檜物町がここへ来て、あたしに同じようなことを云ったわ、

(いまのようでは、うだつがあがらない、うちのしごとをするようにすすめてくれ、)

いまのようでは、うだつがあがらない、うちの仕事をするようにすすめてくれ、

(そうすればもうちっとくらしもらくになるからって」)

そうすればもうちっと暮しも楽になるからって」

(「やっぱり、ひものちょうがきたのか」「きたけれどおまえさんにはいわなかったし、)

「やっぱり、檜物町が来たのか」「来たけれどおまえさんには云わなかったし、

(ひものちょうにも、あたしはしごとのことにはくちだしをしませんからって、)

檜物町にも、あたしは仕事のことには口だしをしませんからって、

(そうことわっておきました」おなおはおこったようなこえでつづけた、)

そう断わっておきました」お直は怒ったような声で続けた、

(「おまえさんがそんなしごとをするはずもなし、あたしたちだって)

「おまえさんがそんな仕事をする筈もなし、あたしたちだって

(おまえさんにいやなしごとをさせてまで、らくをしようとはおもやしません、)

おまえさんにいやな仕事をさせてまで、楽をしようとは思やしません、

(よしはじゅうよん、おつぎはじゅうさん、あたしだってからだはじょうぶなんだから、)

良は十四、おつぎは十三、あたしだってからだは丈夫なんだから、

(いっかろくにんがそろっていればこそ、くろうのしがいもあるんじゃないの」)

一家六人がそろっていればこそ、苦労のしがいもあるんじゃないの」

(「そいつもかんがえた、いちんち、ようくかんがえてみたんだ」としげきちはいった、)

「そいつも考えた、いちんち、ようく考えてみたんだ」と重吉は云った、

(「けれどもいけねえ、きのうおみせでかんじょうをもらってみてわかったが、)

「けれどもいけねえ、昨日お店で勘定を貰ってみてわかったが、

(かんじょうはこっちのつもりのはんぶんたらずで、これからはうれただけのぶばらいだという、)

勘定はこっちの積りの半分たらずで、これからは売れただけの分払いだという、

(つまりもうよしてくれというわけだ、これまでだってまんぞくなかせぎはせず、)

つまりもうよしてくれというわけだ、これまでだって満足な稼ぎはせず、

(のんだくれてばかりいたあげくに、みもしらねえおとこをつれこんで、)

飲んだくれてばかりいたあげくに、見も知らねえ男を伴れこんで、

(ありもしねえなかからものをぬすまれた、もうたくさんだ、)

ありもしねえ中から物を盗まれた、もうたくさんだ、

(じぶんでじぶんにあいそがつきた、おらあこのうちのやくびょうがみだ、)

自分で自分にあいそがつきた、おらあこのうちの厄病神だ、

(たのむからとめねえでくれ、おらあ、どうしてもここにはいられねえんだ」)

頼むから止めねえでくれ、おらあ、どうしてもここにはいられねえんだ」

(「そいつはいいかんがえだ」というこえがした。)

「そいつはいい考えだ」と云う声がした。

など

(とつぜんだったので、しげきちもおなおもとびあがりそうになって、ふりかえった。)

突然だったので、重吉もお直もとびあがりそうになって、振返った。

(ろくじょうのそこに、よしきちがたってい、そのむこうにおつぎもかめきちも、)

六帖のそこに、良吉が立ってい、その向うにおつぎも亀吉も、

(およしまでもたっているのがみえた。「そいつはいいぜ、ちゃん」)

お芳までも立っているのが見えた。「そいつはいいぜ、ちゃん」

(とよしきちはいった、「どうしてもいたくねえのならこのうちをでよう」)

と良吉は云った、「どうしてもいたくねえのならこのうちを出よう」

(「よし、なにをいうんだ」とおなおがいった。)

「良、なにを云うんだ」とお直が云った。

(「けれどもね、ちゃん」とよしきちはかまわずにいった、)

「けれどもね、ちゃん」と良吉は構わずに云った、

(「でてゆくんなら、ちゃんひとりはやらねえ、おいらもいっしょにゆくぜ」)

「出てゆくんなら、ちゃん一人はやらねえ、おいらもいっしょにゆくぜ」

(「あたいもいくさ」とおよしがいった。)

「あたいもいくさ」とお芳が云った。

(「よしなんかだめだ」とかめきちがいった、「おんなはだめだ、いくのはおいらと)

「芳なんかだめだ」と亀吉が云った、「女はだめだ、いくのはおいらと

(あんちゃんだ、おとこだからな」「みんないくのよ」とおつぎがいった、)

あんちゃんだ、男だからな」「みんないくのよ」とおつぎが云った、

(「はなればなれになるくらいなら、みんなでのたれじにするほうがましだわ」)

「放ればなれになるくらいなら、みんなでのたれ死にするほうがましだわ」

(そしておつぎはなきだした、「そうだわね、かあちゃん、そのほうがいいわね」)

そしておつぎは泣きだした、「そうだわね、かあちゃん、そのほうがいいわね」

(「よし、そうだんはきまった」とよしきちがいさんでいった、)

「よし、相談はきまった」と良吉がいさんで云った、

(「これでもんくはねえだろう、ちゃん、よかったら、したくをしようぜ」)

「これで文句はねえだろう、ちゃん、よかったら、支度をしようぜ」

(「よし、」とおなおがかんじょうのあふれるようなこえでよびかけた。)

「良、」とお直が感情のあふれるような声で呼びかけた。

(しげきちはひくくうなだれ、かたほうのうででかおをおおった。)

重吉は低くうなだれ、片方の腕で顔をおおった。

(「おめえたちは」としげきちがしどろもどろにいった、「おめえたちは、みんな、)

「おめえたちは」と重吉がしどろもどろに云った、「おめえたちは、みんな、

(ばかだ、みんなばかだぜ」「そうさ」とよしきちがいった、)

ばかだ、みんなばかだぜ」「そうさ」と良吉が云った、

(「みんな、ちゃんのこだもの、ふしぎはねえや」おつぎがなきながらふきだし、)

「みんな、ちゃんの子だもの、ふしぎはねえや」おつぎが泣きながらふきだし、

(つぎにかめきちがふきだし、そしておよしまでが、わけもわからずにわらいだし、)

次に亀吉がふきだし、そしてお芳までが、わけもわからずに笑いだし、

(おなおはりょうてでなにかをいのるように、しっかりとかおをおさえた。)

お直は両手でなにかを祈るように、しっかりと顔を押えた。

(いうまでもなく、いっかはそのながやをうごかなかった。おなおとよしきちのいけんで、)

いうまでもなく、一家はその長屋を動かなかった。お直と良吉の意見で、

(しげきちは「ごとう」のみせをひき、じぶんのいえでしごとをすることにした。)

重吉は「五桐」の店をひき、自分の家で仕事をすることにした。

(これまでもじぶんがふるいとくいをまわり、ちゅうもんをとってきたのだから、)

これまでも自分が古いとくいを廻り、注文を取って来たのだから、

(みせをとおさずにじぶんでやれば、かずはすくなくとも、うれただけ)

店をとおさずに自分でやれば、数は少なくとも、売れただけ

(そっくりじぶんのてにはいる。「ごとうひばち」といわなくともいい、)

そっくり自分の手にはいる。「五桐火鉢」といわなくともいい、

(まきえのもようもかえよう。そのうちにはまたせけんのこのみがかわって、)

蒔絵の模様も変えよう。そのうちにはまた世間の好みが変って、

(かれのひばちににんきがたつかもしれない。いずれにせよ、)

彼の火鉢ににんきが立つかもしれない。いずれにせよ、

(やってみるだけのねうちはある、ということになったのであった。)

やってみるだけの値打はある、ということになったのであった。

(それがおもわくどおりにゆくかどうかは、だれにもはんだんはつかないだろう。)

それが思惑どおりにゆくかどうかは、誰にも判断はつかないだろう。

(ながやのひとたちはうまくゆくようにねがった。かれらはみなしげきちと)

長屋の人たちはうまくゆくように願った。かれらはみな重吉と

(そのかぞくをすいていたから、しかし、それからのちも、)

その家族を好いていたから、しかし、それからのちも、

(ながやのひとたちはしげきちがよって、くだをまくこえをきくのである。)

長屋の人たちは重吉が酔って、くだを巻く声を聞くのである。

(こんどはじゅうよっか、みそかではないし、せいぜいつきにいちどくらいであったが、)

こんどは十四日、晦日ではないし、せいぜい月に一度くらいであったが、

(それはよるのじゅうじごろにながやのきどではじまり、おなじようなじゅんじょで、)

それは夜の十時ごろに長屋の木戸で始まり、同じような順序で、

(とぐちまでつづくのである。「みんなのんじまった、よ」ととぐちのそとで)

戸口まで続くのである。「みんな飲んじまった、よ」と戸口の外で

(しげきちがへたばる、「にかんとごひゃくしきゃ、のこってないよ、ほんとに、)

重吉がへたばる、「二貫と五百しきゃ、残ってないよ、ほんとに、

(みんなのんじまったんだから、ね」)

みんな飲んじまったんだから、ね」

(「はいっておくれよ、おまえさん」とおなおのこえをころしていうのがきこえる、)

「はいっておくれよ、おまえさん」とお直の声をころして云うのが聞える、

(「ごきんじょにめいわくだからさ、ごしょうだからはいっておくれ」)

「ご近所に迷惑だからさ、ごしょうだからはいっておくれ」

(「はいれない、よ」しげきちがのんびりとこたえる、)

「はいれない、よ」重吉がのんびりと答える、

(「みんなのんで、つかっちまったんだから、ぜになんか、)

「みんな飲んで、遣っちまったんだから、銭なんか、

(ちっとしきゃのこってないんだから、ね、いやだよ」)

ちっとしきゃ残ってないんだから、ね、いやだよ」

(よしきちがかわり、やがておよしのこえがする、「たん、へんな」とおよしはきどって)

良吉が代り、やがてお芳の声がする、「たん、へんな」とお芳は気取って

(いうのであった、「へんなっていってゆでしょ、へんな、たん」)

云うのであった、「へんなって云ってゆでしょ、へんな、たん」

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