吸血鬼48
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問題文
(そうぎしゃ)
葬儀車
(やみのひろまへしのびこみ、さいとうろうじんをおさめたひつぎのふたをひらいたおとこは、どくしゃも)
闇の広間へ忍び込み、斎藤老人を納めた棺のふたを開いた男は、読者も
(そうぞうされたとおり、みたにせいねんであった。だが、いったいぜんたいかれはなんのために、ひつぎの)
想像された通り、三谷青年であった。だが、一体全体彼は何の為に、棺の
(ふたなどをひらいたのであろう。ひらいて、なかのしたいをどうしようというのか。)
ふたなどを開いたのであろう。開いて、中の死体をどうしようというのか。
(やみのなかに、はなをつくししゅう、こおりのようにひえきったしたい。めがなれるにしたがって、)
闇の中に、鼻をつく屍臭、氷の様に冷え切った死体。目がなれるに随って、
(ほのかにうきだしてみえる、おそろしいしにんのかお。みたにはそれをものともせず、)
ほのかに浮出して見える、恐ろしい死人の顔。三谷はそれを物ともせず、
(いきなり、ひつぎのなかからろうじんのしがいをひきずりだすと、かるがるとこわきにかかえ、おともなく)
いきなり、棺の中から老人の死骸を引ずり出すと、軽々と小脇に抱え、音もなく
(もののけのようにへやをでて、ろうかをだいどころよこのものおきべやへとたどりついた。しがいを)
物の怪の様に部屋を出て、廊下を台所横の物置部屋へとたどりついた。死骸を
(もののかげにかくすと、かれはれいのゆかいたをめくり、いしのふたをとりのけ、かのようなこえで、)
物の蔭に隠すと、彼は例の床板をめくり、石のふたをとりのけ、蚊の様な声で、
(いどのなかへよびかけた。しずこさん、ぼくです。これからまたべつのかくればしょへ)
井戸の中へ呼びかけた。「倭文子さん、僕です。これからまた別の隠れ場所へ
(かわるのです。しっかりしてください しずこのかすかなへんじをきくと、かれは)
変るのです。しっかりして下さい」倭文子のかすかな返事を聞くと、彼は
(ものおきべやにあったしょうばしごをもってきて、ふるいどのなかへおろした。しずこと)
物置部屋にあった小梯子を持って来て、古井戸の中へおろした。倭文子と
(しげるしょうねんは、みたににはげまされ、かれのてだすけで、やっとそのはしごをのぼることが)
茂少年は、三谷に励まされ、彼の手助けで、やっとその梯子を昇ることが
(できた。しげるちゃん、だまって。すこしでもこえをだしたら、こわいおじさんが)
出来た。「茂ちゃん、だまって。少しでも声を出したら、こわい小父さんが
(かあさまをつかまえにくるのですよ みたにはしげるしょうねんになきだされることをもっとも)
母さまを捕まえに来るのですよ」三谷は茂少年に泣き出されることを最も
(おそれた。だが、おびえきったろくさいのしょうねんは、まるでどろぼうねこのように、みをすくめ、)
恐れた。だが、おびえ切った六歳の少年は、まるで泥棒猫の様に、身をすくめ、
(あしおとをしのばせ、こえをたてようともしなかった。みたにはふたりをせんめんじょうにたちよらせ、)
足音を忍ばせ、声を立てようともしなかった。三谷は二人を洗面場に立寄らせ、
(それから、ろうかをしのんで、ひつぎのあるひろまへとつれていった。しずこたちはもちろん、)
それから、廊下を忍んで、棺のある広間へと連れて行った。倭文子達は勿論、
(みたにもそのころはやみにめがなれて、でんとうをけしたしつないのようすが、はっきり)
三谷もその頃は暗に目がなれて、電燈を消した室内の様子が、ハッキリ
(みえるほどになっていた。さあ、このひつぎのなかへかくれるのです。おおがたのねかんだから)
見える程になっていた。「サア、この棺の中へ隠れるのです。大型の寝棺だから
(すこしきゅうくつだけれど、あなたがたふたりくらいはいれます みたにのいようなさしずをきくと、)
少し窮屈だけれど、あなた方二人位は入れます」三谷の異様な指図を聞くと、
(しずこはびっくりして、おもわずみをひいた。まあ、こんなもののなかへ?)
倭文子はびっくりして、思わず身を引いた。「マア、こんな物の中へ?」
(いや、えんぎなどをいっているばあいではありません。さあ、おはいりなさい。)
「イヤ、縁起などをいっている場合ではありません。サア、お入りなさい。
(このほかに、ぶじにやしきのそとへでるほうほうはぜったいにないのです。そうしきはあしたの)
この外に、無事に邸の外へ出る方法は絶対にないのです。葬式は明日の
(おひるすぎです。それまでのしんぼうです。しんだきになって、かくれていてください)
お午過ぎです。それまでの辛抱です。死んだ気になって、隠れていて下さい」
(けっきょくみたにのいうままになるほかはなかった。しずこがさきに、そのすそのほうへしげるしょうねんが)
結局三谷のいうままになる外はなかった。倭文子が先に、その裾の方へ茂少年が
(かさなりあって、ひつぎのなかへよこになった。みたにはそのうえからもとどおりふたをした。)
重なり合って、棺の中へ横になった。三谷はその上から元通りふたをした。
(それから、かれはものおきべやにひきかえして、はしごをあげ、いしのふたとゆかいたをもとどおりに)
それから、彼は物置部屋に引返して、梯子を上げ、石のふたと床板を元通りに
(なおし、さいとうろうじんのしがいのしまつをした。どんなふうにしまつしたかは、やがてまもなく)
直し、斎藤老人の死骸の仕末をした。どんな風に仕末したかは、やがて間もなく
(わかるときがくる。さて、よくじつしゅっかんのじかんまで、ひつぎのなかのふたりのくるしみはいうまでも)
分る時が来る。さて、翌日出棺の時間まで、棺の中の二人の苦しみはいうまでも
(ないことだが、みたにせいねんのきぐろうもなみたいていではなかった。かれはそうちょうから、ひつぎの)
ないことだが、三谷青年の気苦労も並大抵ではなかった。彼は早朝から、棺の
(そばをはなれず、なかでかすかなおとでもすれば、それをまぎらすために、せきばらいをしたり)
側を離れず、中でかすかな音でもすれば、それをまぎらす為に、咳払いをしたり
(ふひつようなものおとをたてたり、こっけいなほどきをくばった。ひつぎのふたにくぎをうちつけ、)
不必要な物音を立てたり、滑稽な程気をくばった。棺のふたに釘を打ちつけ、
(なかをのぞかれぬようじんをしたことはいうまでもない。みたにはこのさつじんじけんのげんいんと)
中をのぞかれぬ用心をしたことはいうまでもない。三谷はこの殺人事件の原因と
(なったじんぶつだけれど、かないのものが、それとはっきりしっていたわけでもなく、)
なった人物だけれど、家内の者が、それとハッキリ知っていた訳でもなく、
(しんせきちきはあつまってきたが、ひごろそえんのひとがおおく、しずこゆうかいじけんいらい、)
親戚知己は集まって来たが、日頃疎遠の人が多く、倭文子誘拐事件以来、
(はたやなぎけのそうだんやくのようなたちばにあるみたにが、さしずめそうぎいいんちょうであった。)
畑柳家の相談役の様な立場にある三谷が、さしずめ葬儀委員長であった。
(ていこくがくると、みたにはひとびとをせきたてて、しゅっかんをいそいだ。にんぷがひつぎを)
定刻が来ると、三谷は人々をせき立てて、出棺を急いだ。人夫が棺を
(かつぐときには、もしさとられはせぬかと、ひじょうにしんぱいしたが、そんなこともなく、)
かつぐ時には、若し悟られはせぬかと、非常に心配したが、そんなこともなく、
(いきたおやこのひそんだおおがたねかんは、ぶじもんぜんのそうぎじどうしゃへはこびこまれ、)
生きた親子の潜んだ大型寝棺は、無事門前の葬儀自動車へ運び込まれ、
(はたやなぎけぼだいじでのそうしきもかたのごとくおわり、さらにそうぎしゃは、きんしんのもののじどうしゃを)
畑柳家菩提寺での葬式も型の如く終り、更に葬儀車は、近親の者の自動車を
(したがえてかそうばへとむかった。ひとごろし、たんとう、ちのり、けいさつ、さいばんしょ、ろうごく、)
従えて火葬場へと向った。人殺し、短刀、血のり、警察、裁判所、牢獄、
(こうしゅだい、こいびと、あいじ、はたやなぎ、ざいさん、くちびるのないおとこ、・・・・・・・・・・・・)
絞首台、恋人、愛児、畑柳家、財産、唇のない男、…………
(というようなかんねんが、あるいはきょうふの、あるいはあいちゃくの、めまぐるしきえと)
というような観念が、あるいは恐怖の、あるいは愛着の、目まぐるしき絵と
(なって、しずこのあたまのなかを、ぐるぐるぐるぐるかけまわった。そのくせ、とりとめた)
なって、倭文子の頭の中を、グルグルグルグル駈け廻った。その癖、とりとめた
(ことは、なにひとつかんがえられなかった。このさき、わがみがどうなることやら、まるで)
ことは、何一つ考えられなかった。この先、我身がどうなることやら、まるで
(けんとうさえつかなかった。かのじょはむがむちゅうで、こいびとみたにのさしずにしたがった。かわいい、)
見当さえつかなかった。彼女は無我夢中で、恋人三谷の指図に従った。可愛い、
(たよりないしげるしょうねんをだきしめて、いっこくもてばなすまいとするこころづかいだけで)
たよりない茂少年を抱きしめて、一刻も手離すまいとする心遣いだけで
(せいいっぱいだった。まっくらな、よみじのような、いどのそこのすうじかん、そこをでたかと)
精一杯だった。真暗な、よみじの様な、井戸の底の数時間、そこを出たかと
(おもうと、わがやのろうかを、まるでどろぼうでもあるように、しのびしのんで、ものもあろうに、)
思うと、我家の廊下を、まるで泥棒でもある様に、忍び忍んで、物もあろうに、
(たったいままで、わがてでころしたさいとうろうじんの、しがいがよこたわっていたひつぎのなかへ、)
たった今まで、我手で殺した斎藤老人の、死骸が横たわっていた棺の中へ、
(おやこでみをひそめなければならないとは。がんじょうなひつぎではあったけれど、みたにが)
親子で身をひそめなければならないとは。頑丈な棺ではあったけれど、三谷が
(くぎうつときに、そとからはみえぬように、まるめたかみをくさびにして、ほそいすきまをつくって)
釘うつ時に、外からは見えぬ様に、丸めた紙をくさびにして、細い隙間を作って
(おいてくれたので、くうきのけつぼうをきづかうことはなかったが、それにしても、せまい)
おいてくれたので、空気の欠乏を気遣うことはなかったが、それにしても、狭い
(はこのなかで、おともたてず、みうごきもできず、しゅっかんまでのながいじかん、じっとして)
箱の中で、音も立てず、身動きも出来ず、出棺までの長い時間、じっとして
(いなければならぬとは、ああすでに、かのじょのつみをつぐなうために、じごくのせめくが)
いなければならぬとは、アア既に、彼女の罪を償う為に、地獄の責苦が
(はじまったのではなかろうか。おびえきったしげるしょうねんは、しずこのすそにちぢまって、)
始まったのではなかろうか。おびえ切った茂少年は、倭文子の裾にちぢまって、
(じごくのおにめに、かあさまをわたすまいと、かのじょのひざこぞうを、しっかりだきしめ、)
地獄の鬼めに、母さまを渡すまいと、彼女の膝小僧を、しっかり抱きしめ、
(こっそりともおとをたてず、いきをころして、ぶるぶるふるえていたが、ふと)
こっそりとも音を立てず、息を殺して、ブルブルふるえていたが、ふと
(きがつくと、そのふるえがぱったりとまって、こきゅうもしずかになっていた。)
気がつくと、そのふるえがパッタリ止って、呼吸も静かになっていた。
(おびえながらねいったのだ。おさないにくたいは、きのうからいっすいもせぬしんろうにたえかねて)
おびえながら寝入ったのだ。幼い肉体は、昨日から一睡もせぬ心労にたえかねて
(おそろしいかんおけのねどこのなかで、ぐっすりねいってしまったのだ。しずこは、)
恐ろしい棺桶の寝床の中で、グッスリ寝入ってしまったのだ。倭文子は、
(むじゃきなこどもをうらやむとどうじにいくらかきやすさをおぼえた。みみをすましても、)
無邪気な子供を羨むと同時にいくらか気やすさを覚えた。耳をすましても、
(なんのものおともなく、めにはかすかなひかりさえもみえぬ。みをひそめたひつぎが、)
何の物音もなく、目には幽かな光さえも見えぬ。身をひそめた棺が、
(いつのまにかちちゅうにほうむられ、うえからおおいかぶさった、あついつちのそうのために、ひかりも)
いつの間にか地中に葬られ、上から覆いかぶさった、厚い土の層の為に、光も
(おとも、まったくとだえてしまったのではないかと、あやしまれるほどであった。)
音も、全く途絶えてしまったのではないかと、怪しまれる程であった。