吸血鬼58
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問題文
(やっぱりそうだ たしかに、わらがちょっとばかりきれこんで、たんけんのささったあとを)
「やっぱりそうだ」確に、わらが一寸ばかり切れ込んで、短剣の刺さったあとを
(しめしている。もっと、よくごらんなさい あけちがそばからこえをかける。)
示している。「もっと、よくごらんなさい」明智がそばから声をかける。
(よくみよとは、いったいなにを?ふしんにおもってわらにんぎょうのきずぐちをぼんやりながめていると)
よく見よとは、一体何を?不審に思ってわら人形の傷口をボンヤリ眺めていると
(そのきずぐちからなにかくろいものがにじみだしてきた。そのくろいものが、かみの)
その傷口から何か黒いものがにじみ出して来た。その黒いものが、紙の
(こげるようにじりじりとひろがっていく。ああちだ!くろいのではない。)
こげる様にジリジリとひろがって行く。「アア血だ!」黒いのではない。
(どくどくしいまっかないろだ。ゆうあんのために、それがくろくみえたのだ。わらにんぎょうは、むねを)
毒々しい真赤な色だ。夕暗のために、それが黒く見えたのだ。わら人形は、胸を
(さされて、まっかなちをながしているのだ。つねかわしは、きずぐちにさわったゆびを、)
刺されて、真赤な血を流しているのだ。恒川氏は、傷口に触った指を、
(めのまえにもってきて、まどのひかりにすかしてみた。あんのじょう、ゆびにはべっとりちが)
目の前に持って来て、窓の光にすかして見た。案の定、指にはベットリ血が
(ついている。ははははは、いや、なんでもないです。ただちょっと、おしばいを)
ついている。「ハハハハハ、イヤ、何でもないです。ただちょっと、お芝居を
(ほんとうらしくするために、わらにんぎょうのむねに、あかいんきをいれたごむのふくろを、)
本当らしくする為に、わら人形の胸に、赤インキを入れたゴムの袋を、
(しのばせておいたのですよ。しかし、これで、わらにんぎょうのおがわしょういちがむねを)
しのばせておいたのですよ。しかし、これで、わら人形の小川正一が胸を
(さされたことは、はっきりおわかりになるでしょう あけちが、わらいながら)
刺されたことは、ハッキリお分りになるでしょう」明智が、笑いながら
(せつめいした。すると、やっぱり、あのたんけんはげんかくではなかったのだ。きょうきは?)
説明した。すると、やっぱり、あの短剣は幻覚ではなかったのだ。「兇器は?
(たんけんは?つねかわしが、おもわずくちにだしていった。まだ、おわかりに)
短剣は?」恒川氏が、思わず口に出していった。「まだ、お分りに
(なりませんか。いまにたねあかしをしますよ。・・・・・・ところでさいとうろうじんや)
なりませんか。今に種明かしをしますよ。・・・・・・ところで斎藤老人や
(しょせいたちが、おがわしょういちのしたいをはっけんしたときのじょうたいは、ちょうどこのとおりでした。)
書生達が、小川正一の死体を発見した時の状態は、丁度この通りでした。
(おがわは、こうしてむねからちをながしてたおれていたのです。きょうきはむろん、どこにも)
小川は、こうして胸から血を流して倒れていたのです。兇器は無論、どこにも
(みあたりませんでした あけちはせつめいをつづける。はんにんもすがたをみせず、きょうきさえ)
見当りませんでした」明智は説明を続ける。「犯人も姿を見せず、兇器さえ
(きえうせてしまいました。しかし、おがわしょういちはむねからちをながしてたおれていた。)
消え失せてしまいました。しかし、小川正一は胸から血を流して倒れていた。
(このにんぎょうも、おなじむねをやられて、たおれています。わらがきれ、あかいんきのごむが)
この人形も、同じ胸をやられて、倒れています。わらが切れ、赤インキのゴムが
(やぶれたのが、なによりのしょうこです。にんぎょうはころされたのです。だが、だれに、)
破れたのが、何よりの証拠です。人形は殺されたのです。だが、誰に、
(どうして?・・・・・・げんにもくげきされたあなたがたにさえ、はっきりはわからない)
どうして?・・・・・・現に目撃されたあなた方にさえ、ハッキリは分らない
(のです。とうじ、さいとうろうじんたちがあのようにふしぎがったのも、むりではありません)
のです。当時、斎藤老人達があの様に不思議がったのも、無理ではありません」
(そういううちにも、へやはめにみえてくらくなっていった。わらにんぎょうのわらの)
そういう内にも、部屋は目に見えて暗くなって行った。わら人形のわらの
(いっぽんいっぽんが、もうみわけられぬほどだ。くろっぽいぶつぞうたちは、じりじりと)
一本一本が、もう見分けられぬ程だ。黒っぽい仏像達は、ジリジリと
(あとしざりをして、かべのなかへとけこんでいくかとみえた。ふしぎだ。なんだか)
あとしざりをして、壁の中へ溶け込んで行くかと見えた。「不思議だ。何だか
(ゆめをみているようなきがします みたにが、なぜか、いようにおおきなこえでいった。)
夢を見ている様な気がします」三谷が、なぜか、異様に大きな声でいった。
(あけちもつねかわしも、そのこえがあまりたかかったので、びっくりしてみたにのかおを)
明智も恒川氏も、その声があまり高かったので、びっくりして三谷の顔を
(ながめたが、どんなひょうじょうをしているか、ゆうやみがぬりかくして、はっきりは)
眺めたが、どんな表情をしているか、夕やみが塗り隠して、ハッキリは
(みえなかった。でんとうをつけましょう。これじゃくらくて、なにがなんだかわかりや)
見えなかった。「電燈をつけましょう。これじゃ暗くて、何が何だか分りや
(しない けいぶはつぶやきながら、すいっちのほうへあるきだした。いや、でんとうは)
しない」警部は呟きながら、スイッチの方へ歩き出した。「イヤ、電燈は
(つけないでください。もうしばらく、このままで、がまんしてください。ほんとうのてじなは)
つけないで下さい。もうしばらく、このままで、我慢して下さい。本当の手品は
(これからはじまるのです。それにはぶたいをうすぐらくしておくほうがこうつごうなのです)
これから始まるのです。それには舞台を薄暗くしておく方が好都合なのです」
(あけちはつねかわしをひきとめて、では、もういちど、せきにおつきください。これから、)
明智は恒川氏を引止めて、「では、もう一度、席におつき下さい。これから、
(いよいよおがわごろしのひみつをあばいておめにかけるのですから ふたりのけんぶつにんは、)
いよいよ小川殺しの秘密をあばいてお目にかけるのですから」二人の見物人は、
(あけちのために、もとのいすへ、おしもどされた。さて、さいとうろうじんたちは、おがわのしたいを)
明智の為に、元の椅子へ、押し戻された。「さて、斎藤老人達は、小川の死体を
(はっけんすると、おどろいてけいさつへしらせました。そして、けいかんがくるまで、だれもしたいに)
発見すると、驚いて警察へ知らせました。そして、警官が来るまで、誰も死体に
(てをふれぬよう、まどにはかけがねをかけ、どあにはそとからかぎをかけて、いちどうこのへやを)
手を触れぬ様、窓には掛金をかけ、ドアには外から鍵をかけて、一同この部屋を
(たちさったのです いいながらあけちは、そのとおり、さいぜんけいぶがひらいたまどをしめて)
立去ったのです」いいながら明智は、その通り、さい前警部が開いた窓をしめて
(かけがねをかけ、どあは、しまりができているのをたしかめたうえ、かぎあなのかぎをぬきとって、)
掛金をかけ、ドアは、締りが出来ているのを確めた上、鍵穴の鍵を抜き取って、
(ぽけっとにいれた。これで、まったくあのときとおなじじょうたいです。ひとびとはさんじゅっぷんほど、)
ポケットに入れた。「これで、全くあの時と同じ状態です。人々は三十分程、
(このへやからとおざかっていました。そのあいだに、まったくふかのうなことが)
この部屋から遠ざかっていました。その間に、全く不可能なことが
(おこったのです。どこにもでいりぐちのないへやのなかで、おがわのしたいがきえて)
起ったのです。どこにも出入口のない部屋の中で、小川の死体が消えて
(なくなったのです。つねかわさん、きみがこのじけんにかんけいなすったのは、あのひが)
なくなったのです。恒川さん、君がこの事件に関係なすったのは、あの日が
(さいしょでしたね そうです。あのひからぼくはあくまにみいられているのです。)
最初でしたね」「そうです。あの日から僕は悪魔にみ入られているのです。
(あれからわずかとおかあまりのあいだに、こくぎかんのかつげき、ふうせんおとこのざんし、さいとうろうじんごろし、)
あれから僅か十日余りの間に、国技館の活劇、風船男の惨死、斎藤老人殺し、
(はたやなぎふじんのいえでと、じけんはめまぐるしくはってんしました。しかも、それが、)
畑柳夫人の家出と、事件は目まぐるしく発展しました。しかも、それが、
(どれもこれもぜんれいもないとっぴせんばんな、あるいはきちがいめいた、ふしぎなできごと)
どれもこれも前例もない突飛千万な、あるいは気違いめいた、不思議な出来事
(ばかりです けいぶはてれかくしのように、やけくそなちょうしでいった。で、)
ばかりです」警部はてれ隠しの様に、やけくそな調子でいった。「で、
(さいとうろうじんが、このへやをたちさってから、あなたがたけいさつのひとたちがこられるまで、)
斎藤老人が、この部屋を立去ってから、あなた方警察の人達が来られるまで、
(やくさんじゅっぷんのあいだに、どんなことがおこったか、それをこれからじつえんしておめにかける)
約三十分の間に、どんなことが起ったか、それをこれから実演してお目にかける
(わけです あけちはかまわずこうじょうをすすめる。だが、じつえんしてみせるといって、ここには)
訳です」明智は構わず口上を進める。だが、実演して見せるといって、ここには
(こうじょうかかりのあけちと、ふたりのけんぶつにんいがいには、わらにんぎょうがころがっている)
口上係りの明智と、二人の見物人以外には、わら人形がころがっている
(ばかりだ。いったいぜんたいだれがじつえんするというのだ。けんぶつたちは、まるできつねに)
ばかりだ。一体全体誰が実演するというのだ。見物達は、まるで狐に
(つままれたかんじで、こくいっこくくらくなっていくへやのなかを、めがいたくなるほど)
つままれた感じで、刻一刻暗くなって行く部屋の中を、目が痛くなる程
(みつめていた。かちかちかちかち、かいちゅうどけいのびょうをきざむおとが、やかましくみみに)
見つめていた。カチカチカチカチ、懐中時計の秒を刻む音が、やかましく耳に
(つくほどの、しずけさだ。つねかわしは、ふと、へやのなかのどこかで、ものの)
つく程の、静けさだ。恒川氏は、ふと、部屋の中のどこかで、物の
(うごめくけはいをかんじて、ぎょっとした。いたいた。たしかにひとだ。ぜんしんまっくろな、)
うごめく気配を感じて、ギョッとした。いたいた。確に人だ。全身真っ黒な、
(いっすんぼうしみたいなきけいのかいぶつが、そろりそろりむこうのかべにつたわっておりてくる。)
一寸法師みたいな畸形の怪物が、ソロリソロリ向うの壁に伝わって降りて来る。
(いっすんぼうし)
一寸法師
(あたまから、てあしのさきまで、まっくろないしょうでおおいかくした、みにくいかいぶつが、)
頭から、手足の先まで、真っ黒な衣裳で覆い隠した、醜い怪物が、
(くろいくものように、てんじょうから、かべにつたわっておりてくるのだ。めをこらして、)
黒い蜘蛛のように、天井から、壁に伝わって降りて来るのだ。目をこらして、
(かれのおりてきたかしょをみると、かくてんじょうのすみのいちまいが、ぽっかりくろいあなになって、)
彼の降りて来た個所を見ると、格天井の隅の一枚が、ポッカリ黒い穴になって、
(そこからいっぽんのほそびきがたれている。いっすんぼうしみたいなかいぶつは、そのほそびきに)
そこから一本の細引がたれている。一寸法師みたいな怪物は、その細引に
(ぶらさがって、ぶつぞうのかたをあしばにして、たくみに、おともたてず、ゆかにおりたった。)
ぶら下って、仏像の肩を足場にして、巧に、音も立てず、床に降り立った。
(めだけをのこして、かおじゅうを、くろぬのでつつんでいるので、なにものともはんだんがつかぬ。)
目だけを残して、顔中を、黒布で包んでいるので、何者とも判断がつかぬ。
(むろん、あけちのいわゆるやくしゃのひとりにそういないけれど、うすぐらいへやのなか、かいきな)
無論、明智のいわゆる役者の一人に相違ないけれど、薄暗い部屋の中、怪奇な
(ぶつぞうどものまえへ、まっくろないっすんぼうしが、くものようにてんじょうからおりてきたのをみると)
仏像共の前へ、真っ黒な一寸法師が、蜘蛛の様に天井から降りて来たのを見ると
(ぞっとしないではいられなかった。だれです。あいつは つねかわしは、おもわず)
ゾッとしないではいられなかった。「誰です。あいつは」恒川氏は、思わず
(りんせきのあけちにたずねる。しっ、しずかに。あいつがなにをするか、よく)
隣席の明智にたずねる。「シッ、静かに。あいつがなにをするか、よく
(ごらんください あけちにせいせられて、つねかわしはかたずをのんだ。みたにも、めを)
ごらん下さい」明智に制せられて、恒川氏はかたずを呑んだ。三谷も、目を
(しょうかいぶつにくぎづけにして、ねっしんにけんぶつしている。かれらは、めずらしいてじなをみいる)
小怪物に釘づけにして、熱心に見物している。彼等は、珍らしい手品を見入る
(おおきなこどもであった。)
大きな子供であった。