吸血鬼75

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明智小五郎シリーズ
江戸川乱歩の作品です。句読点以外の記号は省いています。

関連タイピング

問題文

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(ひとびとは、つねかわけいぶのかたのちからにかんしゃしなければならない。どあがあんなにはやく)

人々は、恒川警部の肩の力に感謝しなければならない。ドアがあんなに早く

(やぶれなかったら、もっとひどいめにあっていたにちがいないからだ。いちどうは)

破れなかったら、もっとひどい目に会っていたに違いないからだ。一同は

(むがむちゅうでもんがいにはしりでた。さいわい、だれもけがをしたものはない。ふりかえると、)

無我夢中で門外に走り出た。幸い、誰も怪我をしたものはない。振り返ると、

(こうじょうのまどというまどから、きいろいけむりがふきだしている。どうしたのです。)

工場の窓という窓から、黄色い煙が吹き出している。「どうしたのです。

(あのけむりはなんです みはりばんをつとめていたふたりのけいじがかけよって、いちどうに)

あの煙はなんです」見張り番を勤めていた二人の刑事が駆け寄って、一同に

(よびかけた。ほうかだ。はんにんはどうした。たにやまは、みたには、あいつをとらえたか)

呼びかけた。「放火だ。犯人はどうした。谷山は、三谷は、あいつを捕えたか」

(つねかわしがいきせききって、どなりかえした。いいえ、だれもでてきません。うらぐちじゃ)

恒川氏が息せききって、呶鳴り返した。「イイエ、誰も出て来ません。裏口じゃ

(ありませんか けいじがこたえる。よし、きみたちはここをうごいちゃいけない。じっと)

ありませんか」刑事が答える。「よし、君達はここを動いちゃいけない。じっと

(しているんだ。そして、どんなやつであろうと、にんげんのかたちをしたものがでてきたら)

しているんだ。そして、どんな奴であろうと、人間の形をしたものが出て来たら

(うむをいわせずひっくくるのだ つねかわしは、いいすてて、たんしんうらぐちへとはしって)

有無をいわせず引くくるのだ」恒川氏は、いい捨てて、単身裏口へと走って

(いった。だが、うらぐちのけいじもおなじこたえだ。だれもこうじょうからにげだしたものはない。)

行った。だが、裏口の刑事も同じ答えだ。誰も工場から逃げ出した者はない。

(ふしぎだ。ひのてはすでにこうじょうぜんたいにまわった。このかえんのなかに、どうして)

不思議だ。火の手はすでに工場全体に廻った。この火焔の中に、どうして

(せんぷくしていられるものか。とかくするうちに、かじばのこんらんがはじまった。あるいは)

潜伏していられるものか。兎角する内に、火事場の混乱が始まった。あるいは

(ちかくあるいはとおく、けいしょうのものすごきがっそう、はやくもかけつけたしょうぼうしゃのさいれん、)

近くあるいは遠く、警鐘の物すごき合奏、早くも駆けつけた消防車のサイレン、

(ちょうちんのひとともに、むらがりくるぐんしゅう、えんじんのうなりごえ、とびちがうしょうぼうしゅ、)

提燈の火と共に、群り来る群集、エンジンのうなり声、飛び違う消防手、

(ひのこのあめ、にげまどうひとなみ、なきごえ、わめきごえ。・・・・・・もはや、とりもの)

火の粉の雨、逃げまどう人波、泣き声、わめき声。……最早や、捕り物

(どころではなかった。だが、そのなかでも、つねかわしはじめけいじたちは、うのめたかのめ、)

どころではなかった。だが、その中でも、恒川氏初め刑事達は、鵜の目鷹の目、

(はんにんらしきじんぶつがにげだしはせぬかと、いっしょうけんめいみはっていたが、ついに)

犯人らしき人物が逃げ出しはせぬかと、一生懸命見張っていたが、ついに

(しょうかするまで、うたがわしきじんぶつさえはっけんすることができなかった。)

消火するまで、疑わしき人物さえ発見することが出来なかった。

(ひょっとしたら、あいつ、じさつしたのかもしれぬぞ つねかわしがむなしくかじばを)

「ひょっとしたら、彼奴、自殺したのかも知れぬぞ」恒川氏がむなしく火事場を

など

(ながめながら、つぶやいた。ぼくも、それをかんがえていたところです そばにたっていた)

眺めながら、つぶやいた。「僕も、それを考えていた所です」側に立っていた

(ぶかのいちけいじが、あいづちをうった。にげだしたやつがないとすると、そうでも)

部下の一刑事が、合づちを打った。逃げ出した奴がないとすると、そうでも

(かんがえるほかはなかった。たにやまはもうのがれられぬとかんねんしたのだ。どうせこうしゅだいに)

考える外はなかった。谷山はもうのがれられぬと観念したのだ。どうせ絞首台に

(のぼるくらいなら、かたきのしずこをはじめとして、うらみかさなるたんていやけいぶをみちづれに、)

のぼる位なら、敵の倭文子を初めとして、恨み重なる探偵や警部を道連れに、

(いさぎよくじさつをしようとけっしんした。それにはごにんのものをいっしつにとじこめて)

いさぎよく自殺をしようと決心した。それには五人のものを一室にとじこめて

(おいて、こうじょうにひをはなちさえすればよいのだ。あいつのかんがえつきそうなことである。)

おいて、工場に火を放ちさえすればよいのだ。あいつの考えつき相な事である。

(よくあさ、やけあとそうさくのけっか、つねかわしのすいさつがてきちゅうしたことがわかった。にんぷたちは、)

翌朝、焼跡捜索の結果、恒川氏の推察が的中したことが分った。人夫達は、

(まずだいいちに、だいしょうふたつのしがいにおどろかされた。や、しがいだっ さいしょそれを)

先ず第一に、大小二つの死骸に驚かされた。「ヤ、死骸だッ」最初それを

(みつけたおとこは、とんきょうなさけびごえをたててとびのいた。しかし、それは、ほんとうの)

見つけた男は、頓狂な叫び声を立てて飛びのいた。しかし、それは、本当の

(しがいではなかった。れいのはなごおりのろうにんぎょうなのだ。こおりがあつかったために、なかの)

死骸ではなかった。例の花氷のろう人形なのだ。氷が厚かったために、中の

(ろうがとけきるひまがなく、かたちはくずれながらも、らたいにんぎょうのおもかげをとどめて)

ろうがとけ切る暇がなく、形はくずれながらも、裸体人形のおもかげをとどめて

(いた。しがいでないとわかっても、そんなぶきみなしろものをみたにんぷたちは、ひどく)

いた。死骸でないと分っても、そんな不気味な代物を見た人夫達は、ひどく

(しんけいてきになっていた。おい、こんどはほんものだ。にんげんのおこつだ まもなくひとりの)

神経的になっていた。「オイ、今度は本物だ。人間のお骨だ」間もなく一人の

(にんぷがさけんだ。や、ほんものだ。ほんものだ  こんどこそまちがいでないことがわかった。)

人夫が叫んだ。「ヤ、本物だ。本物だ」今度こそ間違いでないことがわかった。

(やけてはいになったざいもくのしたに、ばらばらにくだけたじんこつがうまっていた。そこは、)

焼けて灰になった材木の下に、バラバラに砕けた人骨が埋まっていた。そこは、

(たてもののうちでも、もっともひのはげしかったぶぶんだから、にくもぞうふもとけてしまった)

建物の内でも、最も火のはげしかった部分だから、肉も臓腑もとけてしまった

(としても、ふしぎはなかった。じゅんさがかけつけた。やっぱり、はんにんはここで)

としても、不思議はなかった。巡査が駆けつけた。「やっぱり、犯人はここで

(やけしんだのだ かれはけいしちょうにこのことをきゅうほうした。しばらくすると、)

焼け死んだのだ」彼は警視庁にこのことを急報した。しばらくすると、

(つねかわけいぶがあけちこごろうをどうはんしてやってきた。ぼくのおもったとおりだ。やつは)

恒川警部が明智小五郎を同伴してやって来た。「僕の思った通りだ。奴は

(とうとうじさつしたのです ばらばらのはっこつをまえにして、けいぶがかんがいをこめて)

とうとう自殺したのです」バラバラの白骨を前にして、警部が感慨をこめて

(いった。そうです。あいつはしんだのかもしれません。しかし、・・・・・・あけちは)

いった。「そうです。彼奴は死んだのかも知れません。しかし、……」明智は

(むずかしいかおをしてことばをきったまま、だまりこんでしまった。かれにも、この)

むずかしい顔をして言葉を切ったまま、だまり込んでしまった。彼にも、この

(はっこつがたにやまのものでないと、いいきるほどのじしんはなかったからだ。)

白骨が谷山のものでないと、いい切る程の自信はなかったからだ。

(しゅうねん)

執念

(じけんはらくちゃくした。きゅうけつきのごときしゅうねんのあくま、たにやまさぶろうはしんでしまった。)

事件は落着した。吸血鬼の如き執念の悪魔、谷山三郎は死んでしまった。

(かれのためにさんざんせめさいなまれ、さいごには、やきころされようとさえした)

彼の為にさんざん責さいなまれ、最後には、焼殺されようとさえした

(はたやなぎしずこは、あやうくなんをのがれて、もとのぶじへいおんなせいかつにかえった。めでたし、)

畑柳倭文子は、危く難をのがれて、元の無事平穏な生活に帰った。目出度し、

(めでたしである。だれしもそれをうたがわなかった。だが、たったひとり、じけんのらくちゃくを)

目出度しである。誰しもそれを疑わなかった。だが、たった一人、事件の落着を

(しんじないじんぶつがあった。あけちこごろうである。かれにはあのへびのようなしゅうねんが、)

信じない人物があった。明智小五郎である。彼にはあの蛇の様な執念が、

(あのままきえうせてしまったとは、どうしてもかんがえられなかった。かじは)

あのまま消え失せてしまったとは、どうしても考えられなかった。火事は

(しずこをやきころすためではなくて、ただあくまの かとんのじゅつ であったとしか)

倭文子を焼殺す為ではなくて、ただ悪魔の「火遁の術」であったとしか

(おもえなかった。かとんのじゅつ だ。それをいっそうまことしやかにみせるためのはっこつだ。)

思えなかった。「火遁の術」だ。それを一層まことしやかに見せる為の白骨だ。

(やけてぼろぼろになったはっこつには、めじるしがないからだ。せいりひょうほんしつのがいこつを)

焼けてボロボロになった白骨には、目印がないからだ。生理標本室の骸骨を

(もってきて、ころがしておいても、じゅうぶんみがわりになるからだ。それをうたがっている)

持って来て、ころがしておいても、充分身代りになるからだ。それを疑っている

(じんぶつが、あけちこごろうたったひとりであったことがだいいちのふこうであった。しかもその)

人物が、明智小五郎たった一人であったことが第一の不幸であった。しかもその

(あけちが、あのかじさわぎいらい、いつかのだぼくしょうがげんいんで、どっととこについて)

明智が、あの火事騒ぎ以来、いつかの打撲傷が原因で、ドッと床について

(しまったことがさらにいっそうのふこうであった。ぐうぜんであったか、あるいは)

しまったことが更に一層の不幸であった。偶然であったか、あるいは

(ふかしぎなるてんのせつりであったか、あけちのびょうきが、このものがたりにいがいな、しかも)

不可思議なる天の摂理であったか、明智の病気が、この物語りに意外な、しかも

(またかんがえようによっては、はなはだだとうなけつまつをあたえた。それは、いわゆる)

また考え様によっては、甚だ妥当な結末を与えた。それは、いわゆる

(めでたし、めでたし ではなかったのだけれど。あるひつねかわけいぶが、ほんごうの)

「目出度し、目出度し」ではなかったのだけれど。ある日恒川警部が、本郷の

(sびょういんににゅういんちゅうのあけちこごろうをみまった。もう、あれからはんつきですね。しかし)

S病院に入院中の明智小五郎を見舞った。「もう、あれから半月ですね。しかし

(なんのかわったこともありません。やっぱりたにやまはかじばでやけしんだのが)

何の変った事もありません。やっぱり谷山は火事場で焼け死んだのが

(ほんとうでしょう。でなくて、こんなにながいあいだ、ちんもくしているはずがありません)

本当でしょう。でなくて、こんなに長い間、沈黙している筈がありません」

(けいぶも、おおくのひとびととおなじく、たにやましょうしせつをしんじていた。われわれは、あのほねが)

警部も、多くの人々と同じく、谷山焼死説を信じていた。「我々は、あの骨が

(たにやまのものであるという、なんらのかくしょうをもちません。たんていどうには たぶん)

谷山のものであるという、何等の確証を持ちません。探偵道には『多分

(そうだろう というかんがえかたはゆるされないのです。どんなささいなうたがいも)

そうだろう』という考え方は許されないのです。どんなさ細な疑いも

(みのがしてはなりません。それがひじょうにじゅうだいなけっかをひきおこすことが)

見のがしてはなりません。それが非常に重大な結果をひき起すことが

(あるからです あけちはべっどにぎょうがしたまま、かたのいたみにかおをしかめながらも)

あるからです」明智はベッドに仰臥したまま、肩のいたみに顔をしかめながらも

(ねっしんにいった。で、ぼくらはけいかいしているのです。はたやなぎやにはいまでも、にめいの)

熱心にいった。「で、僕等は警戒しているのです。畑柳家には今でも、二名の

(けいじがしょせいにばけてはいりこんでいます。だが、なんのかわったこともありません。)

刑事が書生に化けて入り込んでいます。だが、何の変ったこともありません。

(しずこさんがひどくかいかつになっていくほかには けいぶはにがにがしげにいった。)

倭文子さんがひどく快活になって行く外には」警部は苦々しげにいった。

(かいかつに?そうです。こまったひとです。あれにこりてきんしんしていなければ)

「快活に?」「そうです。困った人です。あれに懲りて謹慎していなければ

(ならないしずこさんが、はんつきたつかたたぬに、わかいおとこともだちをこしらえて、)

ならない倭文子さんが、半月たつかたたぬに、若い男友達をこしらえて、

(まいにちのようにあっているということです。たにやまじろうがもんじにしたというのも、)

毎日の様に逢っているということです。谷山二郎が悶死したというのも、

(むりではないのかもしれません。あんなじけんをひきおこしたもとは、やっぱり)

無理ではないのかも知れません。あんな事件をひき起した元は、やっぱり

(あのひとです。あのひとにもいやなじゃくてんがあるのです しずこのほうにもたにやまのふくしゅうを)

あの人です。あの人にもいやな弱点があるのです」倭文子の方にも谷山の復讐を

(うけるだけのつみはあったのかもしれない。たにやまばかりをせめるのは、たとえかれが)

受けるだけの罪はあったのかも知れない。谷山ばかりを責めるのは、たとえ彼が

(れいこくむあくのさつじんしゃであったとしても、すこしこくかもしれない。)

冷酷無悪の殺人者であったとしても、少し酷かも知れない。

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