黒蜥蜴7
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問題文
(おんなまじゅつし)
女魔術師
(いちやのあいだに、じゅんいちせいねんのやまかわけんさくしはおしばいがすっかりいたについて、よくあさ)
一夜のあいだに、潤一青年の山川健作氏はお芝居がすっかり板について、翌朝
(みじまいをおわったときには、ろいどめがねもつけひげもにつかわしく、)
身じまいをおわった時には、ロイド目がねも付けひげも似つかわしく、
(いがくはかせとでもいったじんぶつになりすましていた。しょくどうでみどりかわふじんとさしむかいに)
医学博士とでもいった人物になりすましていた。食堂で緑川夫人とさし向かいに
(おーとみーるをすすりながらのかいわにも、みのこなしにも、すこしもへまは)
オートミールをすすりながらの会話にも、身のこなしにも、少しもへまは
(しなかった。しょくじをすませてへやにかえると、ぼーいがまちうけていて、)
しなかった。食事をすませて部屋に帰ると、ボーイが待ち受けていて、
(せんせい、ただいまおにもつがとどきましたが、こちらへはこんでもよろしゅう)
「先生、ただ今お荷物がとどきましたが、こちらへ運んでもよろしゅう
(ございますか とたずねた。じゅんいちせいねんは、せんせいなどとよばれたのはうまれて)
ございますか」とたずねた。潤一青年は、先生などと呼ばれたのは生れて
(はじめてであったが、いっしょけんめいおちつきはらって、こえさえおもおもしく、ああ、)
はじめてであったが、一所懸命落ちつきはらって、声さえ重々しく、「ああ、
(そうしてくれたまえ とこたえた。けさ、かれのにもつとしょうして、おおきなとらんくが)
そうしてくれたまえ」と答えた。けさ、彼の荷物と称して、大きなトランクが
(とどけられることは、ゆうべのうちあわせで、ちゃんとのみこんでいたのだ。)
とどけられることは、ゆうべの打ち合わせで、ちゃんと呑み込んでいたのだ。
(やがて、ぼーいとぽーたーが、ふたりがかりで、おおがたのきわくつきのとらんくを)
やがて、ボーイとポーターが、二人がかりで、大型の木枠つきのトランクを
(へやのなかへもちこんできた。だんだんおしばいがうまくなるわね。それならば)
部屋の中へ持ちこんできた。「だんだんお芝居がうまくなるわね。それならば
(もうだいじょうぶだわ。あけちこごろうだって、みやぶれやしないわ ぼーいたちが)
もう大丈夫だわ。明智小五郎だって、見破れやしないわ」ボーイたちが
(たちさるのをみすまして、りんしつのみどりかわふじんがはいってきて、しんでしのてなみを)
立ち去るのを見すまして、隣室の緑川夫人がはいってきて、新弟子の手なみを
(ほめた。うふ、ぼくだって、まんざらでもないでしょう......)
ほめた。「ウフ、僕だって、まんざらでもないでしょう......
(それはそうと、このべらぼうにおおきなとらんくには、いったいなにがはいって)
それはそうと、このべらぼうに大きなトランクには、一体なにがはいって
(いるんですね やまかわしは、まだとらんくのようとをおしえられていなかったのだ。)
いるんですね」山川氏は、まだトランクの用途を教えられていなかったのだ。
(ここにかぎがあるから、あけてごらんなさい いかめしいひげのこぶんは、)
「ここに鍵があるから、あけてごらんなさい」いかめしいひげの子分は、
(そのかぎをうけとりながら、こくびをかしげた。ぼくのおめしかえがはいって)
その鍵を受け取りながら、小首をかしげた。「僕のお召しかえがはいって
(いるんでしょう。やまかわけんさくせんせいともあろうものが、きのみきのままじゃ)
いるんでしょう。山川健作先生ともあろうものが、着のみ着のままじゃ
(へんだからね ふふ、そうかもしれないわ そこで、かぎをまわして、ふたをひらいて)
変だからね」「フフ、そうかもしれないわ」そこで、鍵を廻して、蓋をひらいて
(みると、なかには、いくえにもあつぼったくぼろぬのでつつんだものがぎっしりつまって)
みると、中には、いくえにも厚ぼったくボロ布で包んだものがギッシリつまって
(いた。おや、なんですかい、こりゃあ?やまかわしは、あてがはずれたように)
いた。「おや、なんですかい、こりゃあ?」山川氏は、あてがはずれたように
(つぶやいて、そのつつみのひとつを、そっとひらいてみた。なあんだ。いしころじゃ)
つぶやいて、その包みの一つを、ソッとひらいてみた。「なあんだ。石ころじゃ
(ありませんか。だいじそうにぬのにくるんだりして、ほかのもみんないしころ)
ありませんか。大事そうに布にくるんだりして、ほかのもみんな石ころ
(なんですか そうよ。おめしかえでなくっておきのどくさま。みんな)
なんですか」「そうよ。お召しかえでなくってお気の毒さま。みんな
(いしころなの。すこしとらんくにおもみをつけるひつようがあったものだからね)
石ころなの。少しトランクに重みをつける必要があったものだからね」
(おもみですって?ああ、ちょうどにんげんひとりのおもみをね。いしころを)
「重みですって?」「ああ、ちょうど人間一人の重味をね。石ころを
(つめるなんてきがきかないようだけれど、おぼえて、おきなさい、これだと)
つめるなんて気がきかないようだけれど、おぼえて、おきなさい、これだと
(あとのしまつがらくなのよ。いしころはまどのそとのじめんへほうりだしておけばいいし、)
あとの始末が楽なのよ。石ころは窓のそとの地面へほうり出しておけばいいし、
(ぼろぬのはべっどのくっしょんとしきぶとんのあいだへしきこんでしまえば、)
ボロ布はベッドのクッションと敷蒲団のあいだへ敷きこんでしまえば、
(とらんくをからっぽにしても、あとになんにものこらないっていうわけさ。)
トランクをからっぽにしても、あとになんにも残らないっていうわけさ。
(ここいらがまほうつかいのこつだわ へええ、なるほどねえ。だが、とらんくを)
ここいらが魔法使いのコツだわ」「へええ、なるほどねえ。だが、トランクを
(からっぽにして、なにをいれようっていうんです ほほほほほ、てんかつだって、)
からっぽにして、何を入れようっていうんです」「ホホホホホ、天勝だって、
(とらんくにいれるものはたいていきまっているじゃないの。まあいいから、)
トランクに入れるものはたいていきまっているじゃないの。まあいいから、
(いしころのしまつをてつだいなさいよ かれらのへやはほてるのおくまったかいかに)
石ころの始末を手伝いなさいよ」彼らの部屋はホテルの奥まった階下に
(あったので、まどのそとはひとめのないせまいなかにわになっていて、そこにおおつぶな)
あったので、窓のそとは人目のない狭い中庭になっていて、そこに大つぶな
(じゃりがしいてあった。いしころをなげだすにはおあつらえむきだ。ふたりはいそいで)
砂利がしいてあった。石ころを投げ出すにはおあつらえ向きだ。二人は急いで
(いしころをほうりだし、ぼろぬののしまつをした。さあ、これですっかりからっぽに)
石ころをほうり出し、ボロ布の始末をした。「さあ、これですっかりからっぽに
(なってしまった。じゃあ、これからまほうのとらんくのつかいみちをおしえて)
なってしまった。じゃあ、これから魔法のトランクの使いみちを教えて
(あげましょうか みどりかわふじんは、めんくらっているじゅんちゃんを、おかしそうに)
あげましょうか」緑川夫人は、面くらっている潤ちゃんを、おかしそうに
(ながめたが、てばやくどあにかぎをかけ、まどのぶらいんどをおろして、そとから)
眺めたが、手早くドアに鍵をかけ、窓のブラインドをおろして、そとから
(すきみのできないようにしておいて、いきなりくろずくめのどれすを)
すき見のできないようにしておいて、いきなり黒ずくめのドレスを
(ぬぎはじめた。まだむ。へんだね。ひるにっちゅう、れいのおどりをはじめようって)
ぬぎはじめた。「マダム。へんだね。昼日中、例の踊りをはじめようって
(わけじゃないでしょうね ほほほほほ、びっくりしてるわね ふじんは)
わけじゃないでしょうね」「ホホホホホ、びっくりしてるわね」夫人は
(わらいながら、てをやすめないで、いちまいいちまいといふくをとりさっていった。かのじょの)
笑いながら、手を休めないで、一枚一枚と衣服を取り去って行った。彼女の
(きみょうなびょうきがおこったのだ。えきじびじょにずむがはじまったのだ。ぜんらの)
奇妙な病気が起こったのだ。エキジビジョニズムがはじまったのだ。ぜんらの
(びじょとさしむかいでは、いかなふりょうせいねんも、まっかになって、もじもじしない)
美女とさし向かいでは、いかな不良青年も、まっ赤になって、もじもじしない
(ではいられなかった。そこには、このましいきょくせんにふちどられた、かがやくばかりに)
ではいられなかった。そこには、このましい曲線にふちどられた、輝くばかりに
(うつくしいももいろのにくかいが、ぎょっとするほどだいたんなぽーずでたちはだかっていたでは)
美しい桃色の肉塊が、ギョッとするほど大胆なポーズで立ちはだかっていたでは
(ないか。みまいとしても、しせんがそのほうにいった。そしてふじんのめと)
ないか。見まいとしても、視線がその方に行った。そして夫人の眼と
(ぶっつかると、そのたびごとに、かれはまたしてもいっそうせきめんした。)
ぶっつかると、その度ごとに、彼はまたしても一そう赤面した。