黒死館事件5
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問題文
(だいいっぺん したいとふたつのとびらをめぐって)
第一篇 死体と二つの扉を繞って
(いち、えいこうのきせき)
一、栄光の奇蹟
(してつtせんもしゅうてんになると、そこはもうかながわけんになっている。そして、こくしかんを)
私鉄T線も終点になると、そこはもう神奈川県になっている。そして、黒死館を
(てんぼうするきゅうりょうまでのあいだは、かしのぼうふうりんやたけばやしがつづいていて、とにかくそこまでは)
展望する丘陵までの間は、樫の防風林や竹林が続いていて、とにかくそこまでは
(たきのないきたさがみのふうぶつであるけれども、いったんおかのうえにきてしまうと、)
他奇のない北相模の風物であるけれども、いったん丘の上に来てしまうと、
(ふかんしたふうけいがぜんぜんふうしゅをいにしてしまうのだ。ちょうどそれは、)
俯瞰した風景が全然風趣を異にしてしまうのだ。ちょうどそれは、
(まくべすのしょりょうくぉーだーのあった ほくぶすこっとらんどそっくりだといえよう。)
マクベスの所領クォーダーのあった――北部蘇古蘭そっくりだと云えよう。
(そこにはきもくさもなく、そこまでくるうちには、うみのしおかぜにもすいぶんがつきて)
そこには木も草もなく、そこまで来るうちには、海の潮風にも水分が尽きて
(しまって、しめりけのないつちのひょうめんがはいいろにふうかしていて、それががんえんのように)
しまって、湿り気のない土の表面が灰色に風化していて、それが岩塩のように
(みえ、でこぼこしたかんしゃのそこにまっくろなみずうみがあろうという それにさもにた)
見え、凸凹した緩斜の底に真黒な湖水があろうと云う――それにさも似た
(こうりょうたるふうぶつが、すりばちのそこにあるしょうへきまでつづいている。そのしゃどかっさのいんを)
荒涼たる風物が、擂鉢の底にある墻壁まで続いている。その赭土褐砂の因を
(なしたというのは、けんせつとうじいしょくしたといわれるこういどのしょくぶつが、またたくまに)
なしたというのは、建設当時移植したと云われる高緯度の植物が、またたく間に
(しめつしてしまったからであった。けれども、せいもんまではていれのいきとどいた)
死滅してしまったからであった。けれども、正門までは手入れの行届いた
(じどうしゃみちがつくられていて、はしょうていくずしといわれるきりとりかべがでばったしゅろうの)
自動車路が作られていて、破墻挺崩と云われる切り取り壁が出張った主楼の
(したには、あざみとぶどうのはぶんがてっぴをつくっていた。そのひはぜんやのとううのあとをうけて)
下には、薊と葡萄の葉文が鉄扉を作っていた。その日は前夜の凍雨の後をうけて
(あついそうをなしたくもがひくくたれさがり、それに、きあつのへんちょうからでもあろうか、)
厚い層をなした雲が低く垂れ下り、それに、気圧の変調からでもあろうか、
(みょうにひとはだめいたなまあたたかさで、ときおりかすかにいなずまがまたたき、くちこごとのようならいめいが)
妙に人肌めいた生暖かさで、時折微かに電光が瞬き、口小言のような雷鳴が
(にぶくものうげにとどろいてくる。そういうあんたんたるそらもようのなかで、こくしかんのきょだいな)
鈍く懶気に轟いてくる。そういう暗澹たる空模様の中で、黒死館の巨大な
(にそうろうは わけてもちゅうおうにあるれいはいどうのせんとうやさゆうのとうやぐらが、ひとはけはいた)
二層楼は――わけても中央にある礼拝堂の尖塔や左右の塔櫓が、一刷毛刷いた
(うすずみいろのなかにとまつされていて、ぜんたいがやにっぽいものくろーむをつくっていた。)
薄墨色の中に塗抹されていて、全体が樹脂っぽい単色画を作っていた。
(のりみずはせいもんぎわでくるまをとめて、そこからぜんていのなかをあるきはじめた。へきろうのはいごには)
法水は正門際で車を停めて、そこから前庭の中を歩きはじめた。壁廓の背後には
(ばらをからませたひくいあかごうしのへいがあって、そのあとがきかがくてきなこうずではいちされた)
薔薇を絡ませた低い赤格子の塀があって、その後が幾何学的な構図で配置された
(る・のーとるしきのかえんになっていた。かえんをじゅうおうにつらぬいているさんぽみちのところどころには)
ル・ノートル式の花苑になっていた。花苑を縦横に貫いている散歩路の所々には
(れっちゅうしきのこていやすいじんやさいきあるいはこっけいなどうぶつのぞうがおかれてあって、)
列柱式の小亭や水神やサイキあるいは滑稽な動物の像が置かれてあって、
(あかれんがをはすかいにならべたちゅうおうのおおじを、みどりいろのくすりがわらでふちどりしているところは、)
赤煉瓦を斜かいに並べた中央の大路を、碧色の釉瓦で縁取りしている所は、
(いわゆるへりんぐ・ぼーんというのであろう。そして、ほんかんはいちいのかりこみがきでめぐらされ、)
いわゆる矢筈敷と云うのであろう。そして、本館は水松の刈込垣で繞らされ、
(かべくるわのまわりには、さまざまのどうぶつのかたちやかしらもじをまがきがたにかりこんだつげやいとすぎの)
壁廓の四周には、様々の動物の形や頭文字を籬状に刈り込んだつげや糸杉の
(とぴありーがならんでいた。なお、かりこみがきのぜんぽうには、ぱるなすぐんぞうのふんせんがあって、)
象徴樹が並んでいた。なお、刈込垣の前方には、パルナス群像の噴泉があって、
(のりみずがちかづくと、とつじょきみょうなおんきょうをはっしてすいえんをあげはじめた。はぜくらくん、)
法水が近づくと、突如奇妙な音響を発して水煙を上げはじめた。「支倉くん、
(これはうぉーたー・さーぷらいずというのだよ。あのおとも、またたまのようにみずをあびせるのも、)
これは驚駭噴泉と云うのだよ。あの音も、また弾丸のように水を浴びせるのも、
(みんなすいあつをりようしているのだ とのりみずはしぶきをさけながら、なにげなしに)
みんな水圧を利用しているのだ」と法水は飛沫を避けながら、何気なしに
(いったけれども、けんじはこのばろっくふうのおもちゃから、なんとなくうすきみわるい)
云ったけれども、検事はこのバロック風の弄技物から、なんとなく薄気味悪い
(よかんをおぼえずにはいられなかった。それからのりみずは、かりこみがきのまえにたってほんかんを)
予感を覚えずにはいられなかった。それから法水は、刈込垣の前に立って本館を
(ながめはじめた。ながいくけいにつくられているほんかんのちゅうおうは、はんえんけいにつきだしていて、)
眺めはじめた。長い矩形に作られている本館の中央は、半円形に突出していて、
(さゆうににじょうのあぷさがあり、そのぶぶんのがいへきだけは、ばらいろのちいさなきりいしを)
左右に二条の張出間があり、その部分の外壁だけは、薔薇色の小さな切石を
(もるたるでかため、きゅうせいきふうのそぼくなぷれ・ろまねくすと・すたいるをなしていた。もちろんそのぶぶんは)
膠泥で固め、九世紀風の粗朴な前羅馬様式をなしていた。勿論その部分は
(れいはいどうにちがいなかった。けれども、あぷすのまどには、ばらがたまどがあーちがたの)
礼拝堂に違いなかった。けれども、張出間の窓には、薔薇形窓がアーチ形の
(こうしのなかにはまっているのだし、ちゅうおうのへきがにも、じゅうにきゅうをえがいたすてんどぐらすの)
格子の中に嵌っているのだし、中央の壁画にも、十二宮を描いた彩色硝子の
(えんげまどのあるところをみると、これらようしきのむじゅんが、おそらくのりみずのきょうみを)
円華窓のあるところを見ると、これ等様式の矛盾が、恐らく法水の興味を
(ひいたこととおもわれた。しかし、それいがいのぶぶんは、げんぶがんのきりいしせきで、まどは)
惹いたことと思われた。しかし、それ以外の部分は、玄武岩の切石積で、窓は
(たかさじゅっしゃくもあろうというにだんよろいどになっていた。げんかんはれいはいどうのひだりてにあって、)
高さ十尺もあろうという二段鎧扉になっていた。玄関は礼拝堂の左手にあって、
(もしそのうちとわのついたおおとのそばにしふくさえみなかったならば、おそらくのりみずの)
もしその打戸環のついた大扉の際に私服さえ見なかったならば、恐らく法水の
(ゆめのようなこうしょうへきは、いつまでもさめなかったにちがいない。けれども、)
夢のような考証癖は、いつまでも醒めなかったに違いない。けれども、
(そのあいだでも、けんじがたえずのりみずのしんけいをぴりぴりかんじていたというのは、)
その間でも、検事が絶えず法水の神経をピリピリ感じていたと云うのは、
(しょうろうらしいちゅうおうのたかとうからはじめて、きみょうなかたちのやまどやえんとつがりんりつしている)
鐘楼らしい中央の高塔から始めて、奇妙な形の屋窓や煙突が林立している
(あたりから、さゆうのとうやぐらにかけて、きゅうしゅんなやねをひとわたりかんさつしたあとに、)
辺りから、左右の塔櫓にかけて、急峻な屋根をひとわたり観察した後に、
(そのしせんをさげて、こんどはへきめんにむけたかおをなんどとなくあごをじょうげさせ、)
その視線を下げて、今度は壁面に向けた顔を何度となく顎を上下させ、
(そういうたいどをすうかいにわたってくりかえしたからであって、そのようすがなんとなく)
そういう態度を数回にわたって繰り返したからであって、その様子がなんとなく
(さんすうてきにひかくけんとうしているもののようにおもわれたからだった。はたせるかな、)
算数的に比較検討しているもののように思われたからだった。はたせるかな、
(このよそくはてきちゅうした。さいしょからしたいをみぬにもかかわらず、はやのりみずは、)
この予測は的中した。最初から死体を見ぬにもかかわらず、はや法水は、
(このやかたのふんいきをまさぐってそのなかからけっしょうのようなものをつまみだしていった)
この館の雰囲気を摸索ってその中から結晶のようなものを摘出していった
(のであった。げんかんのつきあたりがひろまになっていて、そこにひかえていたろうじんのばとらーが)
のであった。玄関の突当りが広間になっていて、そこに控えていた老人の召使が
(さきにたち、みぎてのだいかいだんしつにみちびいた。そこのゆかには、りらとあんこうしょくのしっぽうもようが)
先に立ち、右手の大階段室に導いた。そこの床には、リラと暗紅色の七宝模様が
(もざいくをつくっていて、それと、てんじょうにちかいえんろうをめぐっているへきがとのたいしょうが、)
切嵌を作っていて、それと、天井に近い円廊を廻っている壁画との対照が、
(ちゅうかんにむそうしょくのかべがあるだけいっそうひきたって、まさにけいようをたやしたしきさいを)
中間に無装飾の壁があるだけいっそう引き立って、まさに形容を絶した色彩を
(つくっていた。ひづめがたにりょうあしをはったかいだんをのぼりきると、そこはいわゆるかいだんろうに)
作っていた。馬蹄形に両肢を張った階段を上りきると、そこはいわゆる階段廊に
(なっていて、そこからいまきたじょうくうに、もうひとつみじかいかいだんがのび、かいじょうに)
なっていて、そこから今来た上空に、もう一つ短い階段が伸び、階上に
(たっしている。かいだんろうのさんぽうのかべには、へきめんのはるかじょうほうに、ちゅうおうの)
達している。階段廊の三方の壁には、壁面の遙か上方に、中央の
(がぶりえる・まっくすさく ふわけず をさしはさんで、ひだりてのかべに)
ガブリエル・マックス作「腑分図」を挾んで、左手の壁に
(じぇらーる・だびっどの しさむねすひはくしけいのず、みぎてのへきめんには、)
ジェラール・ダビッドの「シサムネス皮剥死刑の図」、右手の壁面には、
(ど・とりーの 1720ねんまるせーゆのぺすと が、かかげられてあった。)
ド・トリーの「一七二〇年マルセーユの黒死病」が、掲げられてあった。
(いずれも、たてななしゃくはばじゅっしゃくいじょうにかくだいもしゃしたふくせいがであって、なぜかかるいんさんな)
いずれも、縦七尺幅十尺以上に拡大摸写した複製画であって、何故かかる陰惨な
(もののみをえらんだのか、そのいとがすこぶるぎもんにおもわれるのだった。しかし、)
もののみを選んだのか、その意図がすこぶる疑問に思われるのだった。しかし、
(そこでのりみずのめがすばやくとびついたというのは ふわけず のぜんぽうにしょうめんをはって)
そこで法水の眼が素早く飛びついたというのは「腑分図」の前方に正面を張って
(ならんでいる、にきのちゅうせいかっちゅうむしゃだった。いずれもてにしょうきのはたぼうをにぎっていて)
並んでいる、二基の中世甲冑武者だった。いずれも手に旌旗の旆棒を握っていて
(せんとうからたれているにようのつるねーが、がめんのじょうほうでみっちゃくしていた。そのみぎての)
尖頭から垂れている二様の綴織が、画面の上方で密着していた。その右手の
(ものは、くぇーかーしゅうとのふくそうをしたいんぐらんどじぬしがしょりょうちずをひろげ、てに)
ものは、クェーカー宗徒の服装をした英蘭土地主が所領地図を拡げ、手に
(ずめんようのえーかーざしをもっているこうずであって、ひだりてのものには、ろーまきょうかいのみさが)
図面用の英町尺を持っている構図であって、左手のものには、羅馬教会の弥撒が
(えがかれてあった。そのふたつとも、じょうりゅうかていにはありきたりな、ふうきとしんこうの)
描かれてあった。その二つとも、上流家庭にはありきたりな、富貴と信仰の
(しむぼるにすぎないのであるから、おそらくのりみずはかんかするとおもいのほか、かえって)
表徴にすぎないのであるから、恐らく法水は看過すると思いのほか、かえって
(ばとらーをまねきよせてたずねた。)
召使を招き寄せて訊ねた。