黒死館事件13

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小栗虫太郎の作品です。
句読点以外の記号は省いています。

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問題文

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(さん、しこうゆえなくしては)

三、屍光故なくしては

(くがしずこのねんれいは、ごじゅうをすぎてふたつみっつとおもわれたが、かつてみたことのない)

久我鎮子の年齢は、五十を過ぎて二つ三つと思われたが、かつて見たことのない

(てんがなふうぼうをそなえたふじんだった。まるでのみででもしあげたように、せんさいを)

典雅な風貌を具えた婦人だった。まるで鑿ででも仕上げたように、繊細を

(きわめたがんめんのしょせんは、よういにもとめられないぎようというのほかはなかった。)

きわめた顔面の諸線は、容易に求められない儀容と云うのほかはなかった。

(それがときおりひきしまると、そこから、このろうふじんの、どうじないてつのようないしが)

それが時折引き締ると、そこから、この老婦人の、動じない鉄のような意志が

(あらわれて、いんとんてきなしずかなかげのなかから、ほのおのようなものがめらめらと)

現われて、隠遁的な静かな影の中から、焔のようなものがメラメラと

(たちのぼるようなおもいがするのだった。のりみずはなによりさきに、このふじんのせいしんてきな)

立ち上るような思いがするのだった。法水は何より先に、この婦人の精神的な

(ふかさと、そうみからにじみでてくる、ものものしいまでのあつりょくにうたれざるを)

深さと、総身から滲み出てくる、物々しいまでの圧力に打たれざるを

(えなかった。あなたは、このへやにどうしてちょうどがすくないのか、おききに)

得なかった。「貴方は、この室にどうして調度が少ないのか、お訊きに

(なりたいのでしょう しずこがさいしょはっしたことばが、こうであった。いままで、)

なりたいのでしょう」鎮子が最初発した言葉が、こうであった。「今まで、

(あきしつだったのでは とけんじがくちをさしはさむと、そうもうすよりも、あけずのまと)

空室だったのでは」と検事が口を挾むと、「そう申すよりも、開けずの間と

(よびましたほうが としずこはぶえんりょなていせいをして、おびのあいだからとりだしたほそまきに)

呼びました方が」と鎮子は無遠慮な訂正をして、帯の間から取り出した細巻に

(ひをてんじた。じつは、おききおよびでもございましょうが、あのへんしじけん)

火を点じた。「実は、お聴き及びでもございましょうが、あの変死事件――

(それがさんどともつづけてこのへやにおこったからでございます。ですから、さんてつさまの)

それが三度とも続けてこの室に起ったからでございます。ですから、算哲様の

(じさつをさいごとして、このへやをえいきゅうにとじてしまうことになりました。このちょうぞうと)

自殺を最後として、この室を永久に閉じてしまうことになりました。この彫像と

(しんだいだけは、それいぜんからあるちょうどだともうされておりますが あけずのまに)

寝台だけは、それ以前からある調度だと申されておりますが」「開けずの間に」

(のりみずはふくざつなひょうじょうをうかべて、そのあけずのまが、ゆうべは、どうして)

法水は複雑な表情を泛べて、「その開けずの間が、昨夜は、どうして

(ひらかれたのです?だんねべるぐふじんのおいいつけでした。あのかたのおびえきった)

開かれたのです?」「ダンネベルグ夫人のお命令でした。あの方の怯えきった

(おこころは、ゆうべさいごのひなんじょをここへもとめずにはいられなかったのです とせいきの)

お心は、昨夜最後の避難所をここへ求めずにはいられなかったのです」と凄気の

(こもったことばをぼうとうにして、しずこはまず、やかたのなかへほうはくとみなぎってきたいような)

罩もった言葉を冒頭にして、鎮子はまず、館の中へ磅はくと漲ってきた異様な

など

(ふんいきをかたりはじめた。さんてつさまがおなくなりになってから、ごかぞくの)

雰囲気を語りはじめた。「算哲様がお歿くなりになってから、御家族の

(だれもかもが、おちつきをうしなってまいりました。それまではくちあらそいひとつ)

誰もかもが、落着きを失ってまいりました。それまでは口争い一つ

(したことのないよにんのがいじんのかたも、しだいにことばかずがすくなくなって、おたがいに)

したことのない四人の外人の方も、しだいに言葉数が少なくなって、お互いに

(けいかいするようなそぶりがひましにつのってゆきました。そして、こんげつにはいると、)

警戒するような素振りが日増しに募ってゆきました。そして、今月に入ると、

(どなたもめったにおへやからでないようになり、ことにだんねべるぐさまのごようすは、)

誰方も滅多にお室から出ないようになり、ことにダンネベルグ様の御様子は、

(ほとんどきょうてきとしかおもわれません。ごしんらいなさっているわたしかえきすけのほかには、)

ほとんど狂的としか思われません。御信頼なさっている私か易介のほかには、

(だれにもしょくじさえはこばせなくなりました そのきょうふのげんいんに、あなたはなにかかいしゃくが)

誰にも食事さえ運ばせなくなりました」「その恐怖の原因に、貴女は何か解釈が

(おつきですかな。こじんてきなあんとうならばともかく、あのよにんのかたがたには、)

おつきですかな。個人的な暗闘ならばともかく、あの四人の方々には、

(いさんというもんだいはないはずです げんいんはわからなくても、あのかたがたが、ごじしんの)

遺産という問題はないはずです」「原因は判らなくても、あの方々が、御自身の

(せいめいにきけんをかんじておられたことだけはたしかでございましょう そのくうきが、)

生命に危険を感じておられたことだけは確かでございましょう」「その空気が、

(こんげつにはいってひどくなったというのは まあ、わたしがすうぇーでんぼるぐか)

今月に入って酷くなったと云うのは」「マア、私がスウェーデンボルグか

(じょん・うぇすれい めそじすときょうかいのそうりつしゃ でもあるのでしたら としずこは)

ジョン・ウェスレイ(メソジスト教会の創立者)でもあるのでしたら」と鎮子は

(ひにくにいって、だんねべるぐさまは、そういうあっきようなものから、)

皮肉に云って、「ダンネベルグ様は、そういう悪気のようなものから、

(なんとかしてのがれたいと、どれほどこころをおくだきになったかわかりません。そして、)

なんとかして遁れたいと、どれほど心をお砕きになったか判りません。そして、

(そのけっかがあのかたのごしどうで、ゆうべのしんいしんもんのかいとなってあらわれたので)

その結果があの方の御指導で、昨夜の神意審問の会となって現れたので

(ございます しんいしんもんとは?けんじにはしずこのくろずくめのわそうが、ぐいと)

ございます」「神意審問とは?」検事には鎮子の黒ずくめの和装が、ぐいと

(せまったようにかんぜられた。さんてつさまは、いようなものをのこしておきました。)

迫ったように感ぜられた。「算哲様は、異様なものを残して置きました。

(まっくれんぶるぐまほうのひとつとかで、こうしたいのてくびをすづけにしたものを)

マックレンブルグ魔法の一つとかで、絞死体の手首を酢漬けにしたものを

(かんそうした はんど・おぶ・ぐろーりーのいっぽんいっぽんのゆびのうえに、これもこうしざいにんのしぼうから)

乾燥した――栄光の手の一本一本の指の上に、これも絞死罪人の脂肪から

(つくった、したいろうそくをたてるのです。そして、それにひをてんじますと、)

作った、死体蝋燭を立てるのです。そして、それに火を点じますと、

(じゃしんのあるものはからだがすくんでしんきをうしなってしまうとかもうすそうでございます。)

邪心のある者は身体が竦んで心気を失ってしまうとか申すそうでございます。

(で、そのかいがはじまったのは、ゆうべしょうくじ。れっせきしゃはとうしゅはたたろうさまのほかに)

で、その会が始まったのは、昨夜の正九時。列席者は当主旗太郎様のほかに

(よにんのかたがたと、それに、わたしとかみたにのぶこさんとでございました。もっとも、おしがねの)

四人の方々と、それに、私と紙谷伸子さんとでございました。もっとも、押鐘の

(おくさま つたこ がしばらくごとうりゅうでしたけれども、きのうはそうちょうおかえりに)

奥様(津多子)がしばらく御逗留でしたけれども、昨日は早朝お帰りに

(なりましたので そして、そのひかりはだれをいぬきましたか それが、)

なりましたので」「そして、その光は誰を射抜きましたか」「それが、

(とうのごじしんだんねべるぐさまでございました としずこは、ひくくこえをおとして)

当の御自身ダンネベルグ様でございました」と鎮子は、低く声を落して

(ふるわせた。あのまたとないひかりは、ひるのひかりでもなければよるのひかりでも)

慄わせた。「あのまたとない光は、昼の光でもなければ夜の光でも

(ございません。じいじいっとぜいめいのようなかすれたおとをたててもえはじめると、)

ございません。ジイジイっと喘鳴のようなかすれた音を立てて燃えはじめると、

(ひろがってゆくほのおのなかで、うすきみわるいそうえんいろをしたものがめらめらと)

拡がってゆく焔の中で、薄気味悪い蒼鉛色をしたものがメラメラと

(うごめきはじめるのです。それが、ひとつふたつとともされてゆくうちに、わたしたちは)

蠢きはじめるのです。それが、一つ二つと点されてゆくうちに、私達は

(まったくしゅういのしきべつをうしなってしまい、すうっとちゅうへうきあがっていくようなきもちに)

まったく周囲の識別を失ってしまい、スウッと宙へ浮き上って行くような気持に

(なりました。ところが、ぜんぶをともしおわったときに あのちっそくせんばかりの)

なりました。ところが、全部を点し終った時に――あの窒息せんばかりの

(いきぐるしいしゅんかんでした。そのときだんねべるぐさまはものすごいぎょうそうでぜんぽうをにらんで、)

息苦しい瞬間でした。その時ダンネベルグ様は物凄い形相で前方を睨んで、

(なんというおそろしいことばをさけんだことでしょう。あのかたのめにうたがいもなく)

なんという怖ろしい言葉を叫んだことでしょう。あの方の眼に疑いもなく

(うつったものがございました なにがです? ああさんてつ とさけんだのです。)

映ったものがございました」「何がです?」「ああ算哲――と叫んだのです。

(とおもうと、ばたりとそのばへ なに、さんてつですって!?とのりみずは、いちどは)

と思うと、バタリとその場へ」「なに、算哲ですって!?」と法水は、一度は

(あおくなったけれども、だが、そのざちーれはあまりにどらまちっくですね。)

蒼くなったけれども、「だが、その諷刺はあまりに劇的ですね。

(ほかのろくにんのなかからじゃあくのそんざいをはっけんしようとして、かえってじぶんじしんが)

他の六人の中から邪悪の存在を発見しようとして、かえって自分自身が

(たおされるなんて。とにかくはんど・おぶ・ぐろーりーを、わたしのてでもういちどともしてみましょう。)

倒されるなんて。とにかく栄光の手を、私の手でもう一度点してみましょう。

(そうしたら、なにがさんてつはかせを......とかれのほんりょうにかえってつめたく)

そうしたら、何が算哲博士を......」と彼の本領に返って冷たく

(いいはなった。そうすれば、そのろくにんのものが、いぬのごとくおのれのはきたるものに)

云い放った。「そうすれば、その六人の者が、犬のごとく己れの吐きたるものに

(かえりくる とでもおかんがえなのですか としずこはぺてろのことばをかりて、つうれつに)

帰り来る――とでもお考えなのですか」と鎮子はペテロの言を籍りて、痛烈に

(むくいかえした。そして、でも、わたしがいたずらなしんれいとうすいしゃでないということは、)

酬い返した。そして、「でも、私が徒らな神霊陶酔者でないということは、

(いまにだんだんとおわかりになりましょう。ところで、あのかたはほどなくいしきを)

今に段々とお判りになりましょう。ところで、あの方はほどなく意識を

(かいふくなさいましたけれども、ちのけのうせたかおにたきのようなあせをながして)

回復なさいましたけれども、血の気の失せた顔に滝のような汗を流して――

(とうとうやってきた。ああ、こんやこそは とぜつぼうてきにみもだえしながら、)

とうとうやって来た。ああ、今夜こそは――と絶望的に身悶えしながら、

(こえをふるわせてもうされるのです。そして、わたしとえきすけをつきそいにしてこのへやに)

声を慄わせて申されるのです。そして、私と易介を附添いにしてこの室に

(はこんでくれとおっしゃいました。だれもかってをしらないへやでなければ という、)

運んでくれと仰言いました。誰も勝手を知らない室でなければ――という、

(もくぜんにせまったおそろしいものをなんとかしてさけたいおこころもちが、わたしにはようく)

目前に迫った怖ろしいものを何とかして避けたい御心持が、私にはようく

(よみとることができたのです。それが、かれこれじゅうじちかくでしたろうが、)

読み取ることが出来たのです。それが、かれこれ十時近くでしたろうが、

(はたしてそのよるのうちに、あのかたのきょうふがじつげんしたのでございます)

はたしてその夜のうちに、あの方の恐怖が実現したのでございます」

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