黒死館事件32
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問題文
(ずさんだよはぜくらくん、きみはけんじのくせに、びょうりてきしんりのけんさんをおろそかにしている。)
「ずさんだよ支倉君、君は検事のくせに、病理的心理の研鑽を疎かにしている。
(もしそうでなければ、ぱむぺぴさう などのししにあらわれているようじゅつせいしんや)
もしそうでなければ、『古代丁抹伝説集』などの史詩に現われている妖術精神や
(そのなかに、ばいどくせいてんかんせいのじんぶつなどがさかんにれいしょうとしてひかれている)
その中に、黴毒性癲癇性の人物などがさかんに例証として引かれている――
(そのくらいのことは、とうぜんおぼえてなければならないはずだよ。ところで)
そのくらいの事は、当然憶えてなければならないはずだよ。ところで
(このりゅですはいむものがたりは、べつにいんしょうされてはいないけれども、めーるひぇんの)
このリュデスハイム譚は、別に引証されてはいないけれども、メールヒェンの
(でーむめる・しゅてんで をよむと、しでうたわれたおすわるどのそうしんじょうたいが、それには)
『朦朧状態』を読むと、詩で唱われたオスワルドの喪神状態が、それには
(かがくてきにせつめいされている。そのなかのたんじゅんしっしんのしょうに、こうあるのだよ。)
科学的に説明されている。その中の単純失神の章に、こうあるのだよ。
(しっしんがおこると、だいのうさようがいっぽうてきにぎょうしゅうするために、しゅういはたちまち)
失神が起ると、大脳作用が一方的に凝集するために、執意はたちまち
(きえうせてしまって、ぜんしんにふようかんがおこってくる。しかし、いっぽうしょうのうのさようが)
消え失せてしまって、全身に浮揚感が起ってくる。しかし、一方小脳の作用が
(ていしするのは、ややあとであるために、そのふたつがりきがくてきにさようしあって、)
停止するのは、やや後であるために、その二つが力学的に作用し合って、
(むろんわずかなあいだだけれども、ぜんしんによこなみをうけたようなどうようをおこす)
無論わずかな間だけれども、全身に横波をうけたような動揺を起す――
(というのだ。ところが、のぶこのからだは、そのさいにしぜんのほうそくをむししてしまって)
と云うのだ。ところが、伸子の身体は、その際に自然の法則を無視してしまって
(かえってはんたいのほうこうにうごいているのだよ とのぶこがこしをおろしていたかいてんいすを、)
かえって反対の方向に動いているのだよ」と伸子が腰を下していた廻転椅子を、
(くるっとあおむけにして、そのかいてんしんぼうをゆびさした。ところではぜくらくん、ぼくはいま)
クルッと仰向けにして、その廻転心棒を指差した。「ところで支倉君、僕はいま
(しぜんのほうそくなぞとおおげさにいったけれども、たかがこのいすのかいてんに)
自然の法則なぞと大袈裟に云ったけれども、たかがこの椅子の廻転に
(すぎないのだよ。らせんのほうこうは、これでみるとおりに、みぎねじだ。そして、しんぼうが)
すぎないのだよ。螺旋の方向は、これで見るとおりに、右捻だ。そして、心棒が
(まったくねじあなのなかにぼっしさっていて、みぎへひくくなってゆくかいてんは、すでにきょくげんまで)
全く螺旋孔の中に没し去っていて、右へ低くなってゆく廻転は、すでに極限まで
(つまっている。しかし、いっぽうのぶこのしたいをかんがえると、こしをざふかめにひいて、)
詰っている。しかし、一方伸子の肢態を考えると、腰を座深めに引いて、
(そこからしたのかしのぶぶんはややひだりむきとなり、じょうはんしんはそれとははんたいに、)
そこから下の下肢の部分はやや左向きとなり、上半身はそれとは反対に、
(いくぶんみぎへかたむいているのだ。まさにそのかたちは、わずかほどひだりのほうへかいてんしながら)
幾分右へ傾いているのだ。まさにその形は、わずかほど左の方へ廻転しながら
(たおれたものにちがいない。これは、あきらかにはんそくてきだ。なぜなら、ひだりのほうへ)
倒れたものに違いない。これは、明らかに反則的だ。何故なら、左の方へ
(かいてんすれば、とうぜんいすがういてこなければならないからだ あいまいなはんごは)
廻転すれば、当然椅子が浮いてこなければならないからだ」「曖昧な反語は
(いかん くましろがなんしょくをあらわすと、のりみずはあらゆるかんさつてんをしめして、むじゅんを)
いかん」熊城が難色を現わすと、法水はあらゆる観察点を示して、矛盾を
(あきらかにした。もちろんげんざいのこのかたちを、さいしょからのものとはおもっちゃいないさ。)
明らかにした。「勿論現在のこの形を、最初からのものとは思っちゃいないさ。
(しかし、たとえばらせんによゆうがあったにしてもだ。しっしんじのよこぶればかりをかんがえて、)
しかし、例えば螺旋に余裕があったにしてもだ。失神時の横揺ばかりを考えて、
(それいがいにじゅうりょうという、すいちょくにはたらくちからがあるのをわすれちゃならん。)
それ以外に重量という、垂直に働く力があるのを忘れちゃならん。
(それがあるので、どうようしながらも、しだいにそのほうこうがけっていされてゆく。つまり)
それがあるので、動揺しながらも、しだいにその方向が決定されてゆく。つまり
(そのしんぷくが、ていかしてゆくみぎのほうこうへおおきくなるのがとうぜんじゃないか。)
その振幅が、低下してゆく右の方向へ大きくなるのが当然じゃないか。
(さらにまた、もうひとあんひきだして、こんどはみぎへおおきくいっかいてんしてから、)
さらにまた、もう一案引き出して、今度は右へ大きく一廻転してから、
(げんざいのいちでらせんがつまったものとかていしよう。けれども、そのかいてんのあいだに、)
現在の位置で螺旋が詰ったものと仮定しよう。けれども、その廻転の間に、
(とうぜんえんしんりょくがはたらくだろうからね。したがって、ああいうせいざにひとしいかたちが、)
当然遠心力が働くだろうからね。したがって、ああいう正座に等しい形が、
(とうていていししたさいにもとめられようどうりはないとおもうよ。だからくましろくん、)
とうてい停止した際に求められよう道理はないと思うよ。だから熊城君、
(いすのらせんとのぶこのかたちをたいしょうしてみると、そこにおどろくべきむじゅんが)
椅子の螺旋と伸子の肢態を対照してみると、そこに驚くべき矛盾が
(あらわれてくるのだ あ、いしのともなったしっしん......とけんじはわくらんぎみに)
現われてくるのだ」「あ、意志の伴った失神......」と検事は惑乱気味に
(たんそくした。それがもしじじつならばぐりーんけのあださ。だから......)
嘆息した。「それがもし事実ならばグリーン家のアダさ。だから......」
(とのりみずはりょうてをうしろにくんで、こつこつあるきまわりながら、ぼくだってゆえなしに、)
と法水は両手を後に組んで、こつこつ歩き廻りながら、「僕だって故なしに、
(いせんできやにょうのけんさなんぞやらせやしないぜ。もちろんもんだいというのは、そういう)
胃洗滌や尿の検査なんぞやらせやしないぜ。勿論問題と云うのは、そういう
(じきてきなざいりょうが、はっけんされなかったばあいにあるのだよ ときいのまえにたちどまって)
自企的な材料が、発見されなかった場合にあるのだよ」と鍵盤の前に立ち止って
(それをてのひらでぐいとおしさげていった。そのこういは、いせつのしょざいを)
それを掌でグイと押し下げて云った。その行為は、異説の所在を
(あんじしているのであった。このとおりだよ。かりりよんのえんそうには、じょせいいじょうの)
暗示しているのであった。「このとおりだよ。鐘鳴器の演奏には、女性以上の
(たいりょくがひつようなんだ。かんたんなあんせむでもさんどでもくりかえしたら、たいてい)
体力が必要なんだ。簡単な讃詠でも三度でも繰り返したら、たいてい
(へとへとになるにきまってるよ。だから、あのとうじねいろがしだいに)
ヘトヘトになるにきまってるよ。だから、あの当時音色がしだいに
(おとろえていったけれども、たぶんそのげんいんが、このへんにありゃしないかと)
衰えて行ったけれども、たぶんその原因が、この辺にありゃしないかと
(おもうのだ すると、そのひろうにしっしんのげんいんが?とくましろはあえぎぎみに)
思うのだ」「すると、その疲労に失神の原因が?」と熊城はあえぎ気味に
(たずねた。うんひろうじのしょうげんをしんずるな としゅてるんがいうほどだからね。)
訊ねた。「ウン疲労時の証言を信ずるな――とシュテルンが云うほどだからね。
(そこへなにか、よそうがいのちからがはたらいたとしたら、まさしくぜっこうなじょうたいには)
そこへ何か、予想外の力が働いたとしたら、まさしく絶好な状態には
(ちがいないのだ。ただしなにもかも、ばいおんはっせいのげんいんがしょうめいされたうえでだ。あれは)
違いないのだ。ただし何もかも、倍音発生の原因が証明された上でだ。あれは
(たしかに、ありばいちゅうのありばいじゃないか では、のぶこの)
確かに、不在証明中の不在証明じゃないか」「では、伸子の
(だんそうじゅつとしてでかい とけんじはおどろいてといかえした。ぼくはとうてい、)
弾奏術としてでかい」と検事は驚いて問い返した。「僕はとうてい、
(あのばいおんがかねだけではしょうめいできようとはおもわんがね。それよりてぢかなもんだいは、)
あの倍音が鐘だけでは証明できようとは思わんがね。それより手近な問題は、
(よろいどおしをのぶこがにぎらされたかどうか にあるとおもうのだ いや、)
鎧通しを伸子が握らされたか否か――にあると思うのだ」「いや、
(しっしんしてからは、けっしてかたくにぎれるものじゃない とのりみずはふたたび)
失神してからは、けっして固く握れるものじゃない」と法水は再び
(あるきはじめたが、すこぶるきのないこえをだした。もちろんそれにはいせつもあるので)
歩きはじめたが、すこぶる気のない声を出した。「勿論それには異説もあるので
(ぼくはせんもんかのかんていをもとめたのだよ。それに、えきすけのしともじかんてきに)
僕は専門家の鑑定を求めたのだよ。それに、易介の死とも時間的に
(ほうかつされている。ばとらーのしょうじゅうろうは、とつぜんぜつめいごいちじかんとおもわれるにじに、)
包括されている。召使の庄十郎は、突然絶命後一時間と思われる二時に、
(えきすけのこきゅうをあきらかにきいた とちんじゅつしているんだが、そのじこくには、のぶこが)
易介の呼吸を明らかに聴いた――と陳述しているんだが、その時刻には、伸子が
(もてとっとをかなでていた。そうすると、さいごのあんせむをひくまでのにじゅっぷんあまりのあいだに)
経文歌を奏でていた。そうすると、最後の讃詠を弾くまでの二十分あまりの間に
(えきすけののどをきり、そうしてしっしんのげんいんをつくったとみなけりゃならない。ぼくは、)
易介の咽喉を切り、そうして失神の原因を作ったと見なけりゃならない。僕は、
(そこへはんしょうがあがりゃしないかと、そればかりおそれているところなんだよ。)
そこへ反証が挙りゃしないかと、そればかり懼れているところなんだよ。
(だいたい、ほういけいがつくってしぼりだしたけっかというのが、にひくいちはいちの)
だいたい、包囲形が作って絞り出した結果というのが、2-1=1の
(かいとうじゃないか。しかし、ばいおんが......ばいおんが?むろんそれいじょうは)
解答じゃないか。しかし、倍音が......倍音が?」無論それ以上は
(こんとんのかなたにあった。のりみずはひっしのせいきをこらしてすべてをのぶこに)
混沌の彼方にあった。法水は必死の精気を凝らしてすべてを伸子に
(しゅうちゅうしようとした。かつての こんすたんす・けんとじけん や)
集注しようとした。かつての「コンスタンス・ケント事件」や
(ぐりーんさつじんじけん などのきょうくんが、このばあい、はんぷくてきなかんさつを)
「グリーン殺人事件」等の教訓が、この場合、反覆的な観察を
(しそうしてくるからである。けれども、ひゃっかせんべんのかたちにぶんれつしているどうちゃくのかずかずは)
使嗾してくるからである。けれども、百花千弁の形に分裂している撞着の数々は
(のりみずのぶんせきてきなここのせつにも、かっこたるしんねんをきずかせない。いかにも、がいめんは)
法水の分析的な個々の説にも、確固たる信念を築かせない。いかにも、外面は
(ぎゃくせつはんごをたくみにもてあそんでいて、そうだいなしゅうじをおおうている。けれども、)
逆接反語を巧みに弄んでいて、壮大な修辞を覆うている。けれども、
(ときさるかたわらあたらしいかいぎがおこって、かれはのろわれたおらんだじんのように、)
説き去るかたわら新しい懐疑が起って、彼は呪われた和蘭人のように、
(こんぱいほうこうをつづけているのだ。そして、ついにもんだいがばいおんにつきあたってしまうと、)
困憊彷徨を続けているのだ。そして、ついに問題が倍音に衝き当ってしまうと、
(のりみずはふたたびいせつのためにひきもどされねばならなかった。とつぜんかれは、てんらいの)
法水は再び異説のために引き戻されねばならなかった。突然彼は、天来の
(れいかんでもうけたかのように、いじょうなこうきをそうがんにうかべて、たちどまった。)
霊感でも受けたかのように、異常な光輝を双眼に泛べて、立ち止った。