黒死館事件43

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小栗虫太郎の作品です。
句読点以外の記号は省いています。

関連タイピング

問題文

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(ところで、おたずねしたいのは、いさんそうぞくのじつじょうなんです それが、)

「ところで、お訊ねしたいのは、遺産相続の実状なんです」「それが、

(ふこうにしてあきらかではないのですよ しんさいはちんうつなかおになってこたえた。)

不幸にして明らかではないのですよ」真斎は沈鬱な顔になって答えた。

(もちろんそのてんが、このやかたにあんえいをなげているといえましょう。さんてつさまは)

「勿論その点が、この館に暗影を投げていると云えましょう。算哲様は

(おなくなりになるにしゅうかんほどまえに、ゆいごんじょうをさくせいして、それをやかたのだいきんこのなかに)

お歿りになる二週間ほど前に、遺言状を作成して、それを館の大金庫の中に

(ほかんさせました。そして、かぎももじあわせのふひょうもともに、つたこさまの)

保管させました。そして、鍵も文字合わせの符表もともに、津多子様の

(ごふぎみおしがねどうきちはかせにおあずけになったのですが、なにかじょうけんがあるとみえて、)

御夫君押鐘童吉博士にお預けになったのですが、何か条件があるとみえて、

(いまだもってかいふうされてはおりません。わしはそうぞくかんりにんにしていされているとは)

未だもって開封されてはおりません。儂は相続管理人に指定されているとは

(いいくだり、ほんしつてきにはぜんぜんむりょくなにんげんにすぎんのですよ では、いさんのはいぶんに)

云い条、本質的には全然無力な人間にすぎんのですよ」「では、遺産の配分に

(あずかるひとたちは?それがきっかいなことには、はたたろうさまいがいに、よにんの)

預かる人達は?」「それが奇怪な事には、旗太郎様以外に、四人の

(きかにゅうせきをされたかたがたがくわわっております。しかし、じんいんはそのごにんだけですが)

帰化入籍をされた方々が加わっております。しかし、人員はその五人だけですが

(そのないようとなると、しってかしらずか、だれしもいちごんはんくさえ)

その内容となると、知ってか知らずか、誰しも一言半句さえ

(もらそうとはせんのです まったくおどろいた とけんじは、ようてんをかきとめていた)

洩らそうとはせんのです」「まったく驚いた」と検事は、要点を書き留めていた

(えんぴつをほりだして、はたたろういがいにたったひとりのけつえんをじょがいしているなんて。)

鉛筆を抛り出して、「旗太郎以外にたった一人の血縁を除外しているなんて。

(だが、そこにはなにかふわとでもいうようなげんいんが・・・・・・それが)

だが、そこには何か不和とでも云うような原因が……」「それが

(ないのですから。さんてつさまはつたこさまをいちばんあいしておられました。また、)

ないのですから。算哲様は津多子様を一番愛しておられました。また、

(そのいがいなけんりが、よにんのかたがたにはおそらくねみみにみずだったでしょう。)

その意外な権利が、四人の方々には恐らく寝耳に水だったでしょう。

(ことにれヴぇずさまのごときは、ゆめではないかともうされたほどでした)

ことにレヴェズ様のごときは、夢ではないかと申されたほどでした」

(それではたごうさん、さっそくおしがねはかせにごそくろうねがうことにしましょう)

「それでは田郷さん、さっそく押鐘博士に御足労願うことにしましょう」

(とのりみずはしずかにいった。そうしたら、いくぶんさんてつはかせのせいしんかんていが)

と法水は静かに云った。「そうしたら、幾分算哲博士の精神鑑定が

(できるでしょうからな。では、どうぞこれでおひきとりください。それから、)

出来るでしょうからな。では、どうぞこれでお引き取り下さい。それから、

など

(こんどははたたろうさんにきていただきますかな しんさいがさると、のりみずはけんじのほうへ)

今度は旗太郎さんに来て頂きますかな」真斎が去ると、法水は検事の方へ

(むきなおって、これで、ふたつきみのしごとができたわけだよ。おしがねはかせにしょうかんじょうを)

向き直って、「これで、二つ君の仕事が出来た訳だよ。押鐘博士に召喚状を

(だすことと、もうひとつは、よしんはんじにかたくそうされいじょうをはっこうしてもらうことなんだ。)

出す事と、もう一つは、予審判事に家宅捜査令状を発行してもらう事なんだ。

(だって、ぼくらのへんけんをとかしてしまうものは、このばあい、ゆいごんじょうのかいふういがいには)

だって、僕等の偏見を溶かしてしまうものは、この場合、遺言状の開封以外には

(ないじゃないか。どのみち、おしがねはかせもおいそれとはしょうだくしまいからね)

ないじゃないか。どのみち、押鐘博士もおいそれとは承諾しまいからね」

(ときに、きみとしんさいがやった、いまのしぶんのもんどうだが とくましろはそっちょくに)

「時に、君と真斎がやった、いまの詩文の問答だが」と熊城は率直に

(つっこんだ。あれは、なにかでぃれったんてぃずむのさんぶつかね いやどうして、)

突っ込んだ。「あれは、何か物奇主義の産物かね」「いやどうして、

(そんなじゅんかんろんてきなしろものなもんか。ぼくがとんだおもいちがいをしているか、)

そんな循環論的なしろものなもんか。僕がとんだ思い違いをしているか、

(それとも、ゆんぐやみゅんすたーべるひがおおばかやろうになってしまうかなんだ)

それとも、ユングやミュンスターベルヒが大莫迦野郎になってしまうかなんだ」

(のりみずはあいまいなことばでにごしてしまったが、そのとき、ろうかのほうからくちぶえのおとが)

法水は曖昧な言葉で濁してしまったが、その時、廊下の方から口笛の音が

(きこえてきた。それがやむと、とびらがあいてはたたろうがあらわれた。かれはまだ)

聞えてきた。それが止むと、扉が開いて旗太郎が現われた。彼はまだ

(じゅうななにすぎないのだが、たいどがひどくおとなびていて、だれしもせいねんきをまえに)

十七にすぎないのだが、態度がひどく大人びていて、誰しも成年期を前に

(いくぶんのこっていなければならぬ、どうしんなどはみじんもみられない。ことに、)

幾分残っていなければならぬ、童心などは微塵も見られない。ことに、

(うつくしいようしょくのかいちょうをはかいしているのが、おちつきのないめとせまいひたいだった。)

媚麗しい容色の階調を破壊しているのが、落着きのない眼と狭い額だった。

(のりみずはていねいにいすをすすめて、ぼくはその ぺとるーしゅか が、)

法水は丁寧に椅子を薦めて、「僕はその『ペトルーシュカ』が、

(すとらヴぃんすきーのさくひんのなかでは、いちばんこのましいとおもっているのです。)

ストラヴィンスキーの作品の中では、一番好ましいと思っているのです。

(おそろしいげんざいてつがくじゃありませんか。にんぎょうにさえ、くちをあいているはかあなが)

恐ろしい原罪哲学じゃありませんか。人形にさえ、口を空いている墳墓が

(まっているのですからね ぼうとうにはたたろうは、ぜんぜんよきしてもいなかったことばを)

待っているのですからね」冒頭に旗太郎は、全然予期してもいなかった言葉を

(きいたので、そのあおじろくすんなりのびたからだが、きゅうにこわばったようにおもわれ、)

聴いたので、その蒼白くすんなり伸びた身体が、急に硬ばったように思われ、

(しんけいてきにつばをのみはじめた。のりみずはつづけて、といって、あなたがくちぶえで)

神経的に唾を嚥みはじめた。法水は続けて、「と云って、貴方が口笛で

(うばのおどり のところをふくと、それにつれて、てれーずのぺとるーしゅかが)

『乳母の踊り』の個所を吹くと、それにつれて、テレーズの自動弾条人形が

(うごきだすというのではないのです。それに、またゆうべじゅういちじごろに、あなたが)

動き出すというのではないのです。それに、また昨夜十一時頃に、貴方が

(かみたにのぶことふたりでだんねべるぐふじんをおとずれ、それからすぐしんしつにはいられた)

紙谷伸子と二人でダンネベルグ夫人を訪れ、それからすぐ寝室に入られた

(ということもわかっているのですからね それでは、なにをおたずねに)

という事も判っているのですからね」「それでは、何をお訊ねに

(なりたいのです?とはたたろうはじゅうぶんこわねへんかのきいているこえで、はんこうぎみに)

なりたいのです?」と旗太郎は十分声音変化のきいている声で、反抗気味に

(といかえした。つまり、あなたがたにかせられている、さんてつはかせのいしをですね)

問い返した。「つまり、貴方がたに課せられている、算哲博士の意志をですね」

(ああ、それでしたら とはたたろうは、かすかにじちょうめいたこうふんをうかべて、)

「ああ、それでしたら」と旗太郎は、微かに自嘲めいた亢奮を泛べて、

(たしかに、おんがくきょういくをしてくれたことだけは、かんしゃしてますがね。)

「確かに、音楽教育をしてくれた事だけは、感謝してますがね。

(でなかったひには、とうにきちがいになっていますよ。そうでしょう。けんたい、ふあん、)

でなかった日には、既に気狂いになっていますよ。そうでしょう。倦怠、不安、

(かいぎ、はいたい とあけくれそればかりです。だれだって、こんなおしつぶされそうな)

懐疑、廃頽――と明け暮れそればかりです。誰だって、こんな圧し殺されそうな

(ゆううつのなかで、ふるびたのういしょうみたいなひとたちといっしょにくらしてゆけるもんですか。)

憂鬱の中で、古びた能衣装みたいな人達といっしょに暮してゆけるもんですか。

(じっさいちちは、ぼくににんげんさんくのきろくをのこさせる それだけのために、ほそぼそとせいを)

実際父は、僕に人間惨苦の記録を残させる――それだけのために、細々と生を

(たもってゆくすべをおしえてくれたのです そうすると、それいがいのすべてを、)

保ってゆく術を教えてくれたのです」「そうすると、それ以外のすべてを、

(よにんのきかにゅうせきがうばってしまったというわけですか?たぶんそうとも)

四人の帰化入籍が奪ってしまったという訳ですか?」「たぶんそうとも

(なりましょうね とはたたろうはみょうにおくしたようないいかたをして、いや、)

なりましょうね」と旗太郎は妙に憶したような云い方をして、「いや、

(じじついまだに、そのりゆうがはっきりとしておりません。なにしろ、ぐれーてさんはじめ)

事実未だに、その理由が判然としておりません。なにしろ、グレーテさんはじめ

(よにんのひとたちのいしが、それにはすこしもくわわっていないのですからね。ところで、)

四人の人達の意志が、それには少しも加わっていないのですからね。ところで、

(くいーんあんじだいのけいくをごぞんじですか。ばいしんいんがびしょっぷのゆうさんにあずかるためには、)

女王アン時代の警句を御存じですか。陪審人が僧正の夕餐に与るためには、

(ざいにんがひとりくびりころされる って。だいたい、ちちというじんぶつが、そういった)

罪人が一人絞り殺される――って。だいたい、父という人物が、そういった

(びしょっぷみたいなおとこなんです。たましいのそこまでも、ひみつとかくさくにつつまれているんですから)

僧正みたいな男なんです。魂の底までも、秘密と画策に包まれているんですから

(たまりませんよ ところがはたたろうさん、そこに、このやかたのびょうへいが)

たまりませんよ」「ところが旗太郎さん、そこに、この館の病弊が

(あるのですよ。いずれのぞかれることでしょうが、だがあなたにしたところで、)

あるのですよ。いずれ除かれることでしょうが、だが貴方にしたところで、

(なにもはかせのせいしんかいぼうずを、もっているというわけじゃありますまい とあいての)

なにも博士の精神解剖図を、持っているという訳じゃありますまい」と相手の

(もうしんをたしなめるようにいってから、のりみずはふたたびじむてきなしつもんをはなった。)

盲信を窘めるように云ってから、法水は再び事務的な質問を放った。

(ところで、にゅうせきのことを、はかせからきかれたのはなんにちごろです?それが、)

「ところで、入籍の事を、博士から聴かれたのは何日頃です?」「それが、

(じさつするにしゅうかんほどまえでした。そのときゆいごんじょうがさくせいされて、ぼくは、)

自殺する二週間ほど前でした。その時遺言状が作成されて、僕は、

(じぶんじしんにかんするぶぶんだけをちちからよみきかされたのです といいかけたが、)

自分自身に関する部分だけを父から読み聴かされたのです」と云いかけたが、

(はたたろうはきゅうにおちつかないたいどになって、ですけれどのりみずさん、ぼくには、)

旗太郎は急に落着かない態度になって、「ですけれど法水さん、僕には、

(そのぶぶんをおきかせするじゆうがないのですよ。くちにだしたらさいご、それは)

その部分をお聴かせする自由がないのですよ。口に出したら最後、それは

(もちぶんのそうしつをいみするのですからね。それに、ほかのよにんもどうようで、やはり)

持分の喪失を意味するのですからね。それに、他の四人も同様で、やはり

(じぶんじしんにかんするじじつよりほかにしらないのです いやけっして とのりみずは、)

自分自身に関する事実よりほかに知らないのです」「いやけっして」と法水は、

(さとすようななごやかなこわねで、だいたいにほんのみんぽうでは、そういうてんが)

諭すような和やかな声音で、「だいたい日本の民法では、そういう点が

(すこぶるかんだいなんですから ところがだめです とはたたろうはあおざめたかおで、)

すこぶる寛大なんですから」「ところが駄目です」と旗太郎は蒼ざめた顔で、

(きっぱりいいきった、なにより、ぼくはちちのめがおそろしくてならないのです。)

キッパリ云い切った、「何より、僕は父の眼が怖ろしくてならないのです。

(あのめふぃすとのようなじんぶつが、どうしてあとあとにも、なにかのかたちでいんけんな)

あのメフィストのような人物が、どうして後々にも、何かの形で陰険な

(せいさいほうほうをのこしとかずにはおくものですか。きっとぐれーてさんが)

制裁方法を残しとかずにはおくものですか。きっとグレーテさんが

(ころされたのだって、そういうてんで、なにかあやまちをおかしたからにちがいありません)

殺されたのだって、そういう点で、何か誤ちを冒したからに違いありません」

(では、むくいだといわれるのですか とくましろはするどくきりこんだ。そうです。)

「では、酬いだと云われるのですか」と熊城は鋭く切り込んだ。「そうです。

(ですから、ぼくがいえないというりゆうは、じゅうぶんおわかりになったでしょう。)

ですから、僕が云えないという理由は、十分お解りになったでしょう。

(そればかりでなく、だいいち、ざいさんがなければ、ぼくにはせいかつというものが)

そればかりでなく、第一、財産がなければ、僕には生活というものが

(ないのですからね とへいぜんといいはなって、はたたろうはたちあがった。そして、)

ないのですからね」と平然と云い放って、旗太郎は立ち上った。そして、

(ヴぁいおりにすととくゆうのほそくひかったゆびを、じゅっぽんてーぶるのはしにならべて、さいごにかれはひどく)

提琴奏者特有の細く光った指を、十本卓子の端に並べて、最後に彼はひどく

(げきえつなちょうしでいった。もうこれで、おたずねになることはないとおもいますが、)

激越な調子で云った。「もうこれで、お訊ねになる事はないと思いますが、

(ぼくのほうでも、これいじょうおこたえすることはふかのうなのです。しかし、このことだけは)

僕の方でも、これ以上お答えすることは不可能なのです。しかし、この事だけは

(はっきりごきおくになってください。よくやかたのものは、てれーずにんぎょうのことを)

はっきり御記憶になって下さい。よく館の者は、テレーズ人形のことを

(あくりょうだともうすようですが、ぼくには、ちちがそうではないかとおもわれるのです。)

悪霊だと申すようですが、僕には、父がそうではないかと思われるのです。

(いいえ、たしかにちちは、このやかたのなかでまだいきているはずです)

いいえ、確かに父は、この館の中でまだ生きているはずです」

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