黒死館事件48
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問題文
(だいよんぺん しとかっちゅうとげんえいぞうけい)
第四篇 詩と甲胄と幻影造型
(いち、こだいとけいしつへ)
一、古代時計室へ
(のぶこのしんさつをおわってはいってきたおとぼねいしは、ごじゅうをよほどこえたろうじんで、)
伸子の診察を終って入って来た乙骨医師は、五十をよほど越えた老人で、
(ひょろりとやせこけてかまきりのようなかおをしているが、ぎろぎろひかるめと、)
ヒョロリと瘠せこけて蟷螂のような顔をしているが、ギロギロ光る眼と、
(いっしゅきこつめいたはげかたとがいんしょうてきである。が、ちょうないきってのろうれんかだったし、)
一種気骨めいた禿げ方とが印象的である。が、庁内きっての老練家だったし、
(ことにどくぶつかんしきにかけては、そのほうめんのちょじゅつをご、ろくしゅもっているというほどで)
ことに毒物鑑識にかけては、その方面の著述を五、六種持っているというほどで
(むろんのりみずともじゅうぶんじゅくちのあいだがらだった。かれはざにつくとぶえんりょにたばこをようきゅうして、)
無論法水とも充分熟知の間柄だった。彼は座につくと無遠慮に莨を要求して、
(ひとくちうまそうにすいこむといった。さてのりみずくん、ぼくのしんぞうきょうてきしょうめいほうは、)
一口甘そうに吸い込むと云った。「さて法水君、僕の心像鏡的証明法は、
(いかんながらおーんまはとだ。だいたいかいてんいすがどうだろうがこうだろが、)
遺憾ながら知覚喪失だ。だいたい廻転椅子がどうだろうがこうだろが、
(けっきょくあのあおじろくすきとおったはぐきをみただけで、ぼくはじひょうをかけてもいいとおもう。)
結局あの蒼白く透き通った歯齦を見ただけで、僕は辞表を賭けてもいいと思う。
(まさしくとらんすとだんげんしてさしつかえないのだ。ところで、ここでとくに、くましろくんに)
まさしく単純失神と断言して差支えないのだ。ところで、ここで特に、熊城君に
(いちげんしたいのだが、あのおんながきょうきのよろいどおしをにぎっていたときいて、ぼくは)
一言したいのだが、あの女が兇器の鎧通しを握っていたと聴いて、僕は
(ちっくたっきんぐ・かーどのうらをみたようなきがしたのだよ。あのしっしんは、じつに)
数当て骨牌の裏を見たような気がしたのだよ。あの失神は、実に
(いんけんもうろうたるものなんだ。あまりにそろいすぎているじゃないか)
陰険朦朧たるものなんだ。あまりに揃い過ぎているじゃないか」
(なるほど のりみずはしつぼうしたようにうなずいたが、とにかくほそめを)
「なるほど」法水は失望したように頷いたが、「とにかく細目を
(うけたまわろうじゃないか。あるいはそのなかから、きみのもうろくさかげんがとびだしてこんとも)
承ろうじゃないか。あるいはその中から、君の耄碌さ加減が飛び出してこんとも
(かぎらんからね。ところで、きみのけんしゅつほうは?おとぼねいしはところどころじゅつごを)
限らんからね。ところで、君の検出法は?」乙骨医師はところどころ術語を
(まじえながら、きわめてじむてきにかれのちけんをのべた。むろんきゅうしゅうのはやいどくぶつは)
交えながら、きわめて事務的に彼の知見を述べた。「無論吸収の早い毒物は
(あるにゃあるがね。それに、とくいせいのあるにんげんだと、ちゅうどくりょうはるかいかの)
あるにゃあるがね。それに、特異性のある人間だと、中毒量はるか以下の
(すとりきにーねでも、あてとーじすやてたにいにるいじしたしょうじょうを)
ストリキニーネでも、屈筋震顫症や間歇強直症に類似した症状を
(おこすばあいがある。しかし、ちゅうどくとしてはまっしょうてきしょけんはないのだし、いちゅうの)
起す場合がある。しかし、中毒としては末梢的所見はないのだし、胃中の
(ないようぶつはほとんどいえきばかりなんだ。 これはちょっとふしんに)
内容物はほとんど胃液ばかりなんだ。――これはちょっと不審に
(おもわれるだろう。けれども、あのおんながしょうかのよいしょくもつをとってから)
思われるだろう。けれども、あの女が消化のよい食物を摂ってから
(にじかんぐらいでたおれたのだとしたら、いのくうきょにはごうもあやしむところはない。)
二時間ぐらいで斃れたのだとしたら、胃の空虚には毫も怪しむところはない。
(それから、にょうにもはんのうてきへんかはないし、ていりょうてきにしょうめいするものもない。)
それから、尿にも反応的変化はないし、定量的に証明するものもない。
(ただいたずらに、りんさんえんがみちあふれているばかりなんだ。あのぞうりょうを、ぼくは)
ただ徒らに、燐酸塩が充ち溢れているばかりなんだ。あの増量を、僕は
(しんしんひろうのけっかとはんだんするが、どうだい めいさつだ。あのもうれつなひろうさえ)
心身疲労の結果と判断するが、どうだい」「明察だ。あの猛烈な疲労さえ
(なければ、ぼくはのぶこのかんさつをほうきしてしまっただろう のりみずはなにごとかを)
なければ、僕は伸子の観察を放棄してしまっただろう」法水は何事かを
(ほのめかして、あいてのせつをこうていしたが、ところで、きみがとうじたりあくてぃヴは、)
仄めかして、相手の説を肯定したが、「ところで、君が投じた試薬は、
(たったそれだけかね じょうだんじゃない。けっきょくとろうにはきしたけれども、ぼくは)
たったそれだけかね」「冗談じゃない。結局徒労には帰したけれども、僕は
(のぶこのひろうじょうたいをじょうけんにして、あるふじんかてきかんさつをこころみたんだ。のりみずくん、こんやの)
伸子の疲労状態を条件にして、ある婦人科的観察を試みたんだ。法水君、今夜の
(ほういがくてきいぎは、pennyroyal どくせいをゆうするやくそう ひとつに)
法医学的意義は、Pennyroyal(毒性を有する薬草)一つに
(つきるんだよ。あのx・xxぐらいをけんこうみにんしんしきゅうにさようさせると、)
尽きるんだよ。あの×・××ぐらいを健康未妊娠子宮に作用させると、
(ちょうどふくようごいちじかんほどで、げきれつなしきゅうまひがおこる。そして、ほとんど)
ちょうど服用後一時間ほどで、激烈な子宮痲痺が起る。そして、ほとんど
(しゅんかんてきにしっしんるいじのしょうじょうがあらわれるんだ。ところが、そのせいぶんである)
瞬間的に失神類似の症状が現われるんだ。ところが、その成分である
(oleum hedeomae apiol さえけんしゅつされない。)
Oleum Hedeomae Apiol さえ検出されない。
(もちろんあのおんなには、きおうにおいてふじんかてきしゅじゅつをうけたけいせきがないばかりでなく、)
勿論あの女には、既往において婦人科的手術をうけた形跡がないばかりでなく、
(ちゅうどくにたいするぞうきとくいせいをおもわせるふしもないのだ。そこでのりみずくん、ぼくの)
中毒に対する臓器特異性を思わせる節もないのだ。そこで法水君、僕の
(どくぶつるいれいしゅうはけっきょくこれだけなんだけども、しかしけつろんとしてひとこといわせて)
毒物類例集は結局これだけなんだけども、しかし結論として一言云わせて
(もらえるなら、あのしっしんのけいほうてきいぎは、むしろどうとくてきかんじょうにある)
もらえるなら、あの失神の刑法的意義は、むしろ道徳的感情にある
(というにつきるだろう。つまり、こいかないはつか なんだ とおとぼねいしは)
と云うに尽きるだろう。つまり、故意か内発か――なんだ」と乙骨医師は
(てーぶるをごつんとたたいて、かれのちけんをきょうちょうするのだった。いや、じゅんすいの)
卓子をゴツンと叩いて、彼の知見を強調するのだった。「いや、純粋の
(ぷしひょばとろぎいさ のりみずはくらいかおをしていいかえした。ところで、けいついは)
心理病理学さ」法水は暗い顔をして云い返した。「ところで、頚椎は
(しらべたろうね。ぼくはくいんけじゃないが、きょうふとしっしんはけいついのつうかくなり)
調べたろうね。僕はクインケじゃないが、恐怖と失神は頸椎の痛覚なり――
(いうのはしげんだとおもうよ おとぼねいしはたばこのはしをぐいとかみしめたが、)
云うのは至言だと思うよ」乙骨医師は莨の端をグイと噛み締めたが、
(むしろおどろいたようなひょうじょうをうかべて、うんぼくだって、やんれっぐの)
むしろ驚いたような表情を泛べて、「うん僕だって、ヤンレッグの
(ゆーべる・くらんくはふて・とりーぷはんどるんげん や、じゃねーの しやん・えすてじおめとりっく ぐらいは)
『病的衝動行為について』や、ジャネーの『験触野』ぐらいは
(よんでいるからね。いかにも、だいよんけいついにあっぱくがあるばあいにいんすぴらちよんをくうと)
読んでいるからね。いかにも、第四頸椎に圧迫がある場合に衝動的吸気を喰うと
(おうかくまくにけいれんてきなしゅうしゅくがおこる。だがしかしだ。そのかんじんなせむしというのは、)
横隔膜に痙攣的な収縮が起る。だがしかしだ。その肝腎な傴僂というのは、
(あのおんなじゃない。それいぜんに、ひとりぽっとびょうかんじゃがころされている)
あの女じゃない。それ以前に、一人亀背病患者が殺されている
(というはなしじゃないか ところがねえ とのりみずはあえぎぎみにいった。)
という話じゃないか」「ところがねえ」と法水はあえぎ気味に云った。
(むろんかくじつなけつろんではない。おそらくかいてんいすのいちやふしぎなばいおんえんそうを)
「無論確実な結論ではない。恐らく廻転椅子の位置や不思議な倍音演奏を
(かんがえたら、いっこするかちもあるまいよ。けれどもいっせつとして、ぼくは)
考えたら、一顧する価値もあるまいよ。けれども一説として、僕は
(ひすてりーせいはんぷくすいみんにおもいあたったのだ。あれをしっしんのどうていに)
ヒステリー性反覆睡眠に思い当ったのだ。あれを失神の道程に
(あててみたいのだよ もっとものりみずくん、がんらいぼくはひげんそうてきな)
当ててみたいのだよ」「もっとも法水君、元来僕は非幻想的な
(どうぶつなんだがね とおとぼねいしはげんわくをはらいのけるようなひょうじょうをして、)
動物なんだがね」と乙骨医師は眩惑を払い退けるような表情をして、
(ひにくにいいかえした。だいたいひすてりーのほっさちゅうには、もるひねにたいする)
皮肉に云い返した。「だいたいヒステリーの発作中には、モルヒネに対する
(こうどくせいがこうしんするものだよ。しかし、どうあってもひふのしつじゅんだけは)
抗毒性が亢進するものだよ。しかし、どうあっても皮膚の湿潤だけは
(まぬがれんことなんだがね ここでおとぼねいしが、もるひねをれいにこうしんしんけいの)
免れんことなんだがね」ここで乙骨医師が、モルヒネを例に亢進神経の
(ちんせいうんぬんをもちだしたのは、もちろんのりみずにたいするふうしではあるけれども、それは、)
鎮静云々を持ち出したのは、勿論法水に対する諷刺ではあるけれども、それは、
(おりふしにんげんのしいげんかいをこえようとする、かれのくうそうにむけられていたのだ。)
折ふし人間の思惟限界を越えようとする、彼の空想に向けられていたのだ。
(というのは、そのひすてりーせいはんぷくすいみんというびょうてきせいしんげんしょうが、じつにきびょうちゅうの)
と云うのは、そのヒステリー性反覆睡眠という病的精神現象が、実に稀病中の
(きびょうであって、にほんでもめいじにじゅうきゅうねんはちがつふくらいはかせのはっぴょうが)
稀病であって、日本でも明治二十九年八月福来博士の発表が
(さいしょのぶんけんである。げんに、このんでじいんやびょうてきしんりをあつかう)
最初の文献である。現に、好んで寺院や病的心理を扱う
(こしろうおたろう さいきんしゅつげんしたたんていしょうせつか のたんぺんちゅうにも さつじんをおかそうとする)
小城魚太郎(最近出現した探偵小説家)の短篇中にも――殺人を犯そうとする
(ひとりのやまいかんいいんが、もともといちろうどうしゃにすぎないそのかんじゃに、いがくてきなじゅつごを)
一人の病監医員が、もともと一労働者にすぎないその患者に、医学的な術語を
(きかせ、それをごこくのほっさちゅうにしゃべらせて、じぶんじしんのありばいにりようする)
聴かせ、それを後刻の発作中に喋らせて、自分自身の不在証明に利用する――
(というさくひんもあるとおりで、じこさいみんてきなほっさがおこると、)
という作品もあるとおりで、自己催眠的な発作が起ると、
(じぶんがおこないかつきいたうちのもっともあたらしいぶぶんを、それとすんぶんたがわぬまでに)
自分が行いかつ聴いたうちの最も新しい部分を、それと寸分違わぬまでに
(さいえんしかつしゃべるのであるから、べつめいとしてのひすてりーせいむあんじごさいみんげんしょうと)
再演しかつ喋るのであるから、別名としてのヒステリー性無暗示後催眠現象と
(よぶほうが、かえって、このげんしょうのじったいにそうおうするようにおもわれるのである。)
呼ぶ方が、かえって、この現象の実体に相応するように思われるのである。
(それであるからしておとぼねいしが、ないしんのりみずのえいびんなかんかくにこうふんをかんじながらも、)
それであるからして乙骨医師が、内心法水の鋭敏な感覚に亢奮を感じながらも、
(ひょうめんつうれつなひにくをもっていぎをとなえたのもむりではなかった。それをきくと、)
表面痛烈な皮肉をもって異議を唱えたのも無理ではなかった。それを聴くと、
(のりみずはいったんじちょうめいたたんそくをしたが、つづいて、かれにはめずらしい)
法水はいったん自嘲めいた嘆息をしたが、続いて、彼には稀らしい
(そうきょうてきなこうふんがあらわれた。)
噪狂的な亢奮が現われた。