黒死館事件95

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小栗虫太郎の作品です。
句読点以外の記号は省いています。

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問題文

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(そうだはぜくらくん、あまりきみのさいんがあざやかだったものだから、それにめがくらんで、)

「そうだ支倉君、あまり君の署名が鮮かだったものだから、それに眼が眩んで、

(ぼくはささいなことまでもうっかりしていたよ。あながちぴろかるぴんのしょざいは、)

僕は些細な事までもうっかりしていたよ。あながちピロカルピンの所在は、

(このやくぶつしつのみにかぎらんのだ。がんらいあのせいぶんというのが、やぽらんじいの)

この薬物室のみに限らんのだ。元来あの成分と云うのが、ヤポランジイの

(はのなかにふくまれているんだからね。さあ、これからおんしつへいこう。もしかしたら)

葉の中に含まれているんだからね。サア、これから温室へ行こう。もしかしたら

(さいきんそこへでいりしたじんぶつのなが、わかるかもしれないから・・・・・・)

最近そこへ出入りした人物の名が、判るかもしれないから」

(のりみずがめざしたところのおんしつというのは、うらにわのくさびらさいえんのこうほうにあって、)

法水が目指したところの温室と云うのは、裏庭の蔬菜園の後方にあって、

(そのかたわらには、どうぶつごやとちょうきんしゃとがならんでいた。どあをひらくと、むっとするような)

その側には、動物小屋と鳥禽舎とが列んでいた。扉を開くと、噎とするような

(だんきがおそってきて、それはねつにうれた、さまざまなかふんのかおりが みょうにかんのうを)

暖気が襲ってきて、それは熱に熟れた、様々な花粉の香りがーー妙に官能を

(そそるような、いっしゅめいじょうしようのないびしゅうで、びこうをふさいでくるのだった。)

唆るような、一種名状しようのない媚臭で、鼻孔を塞いでくるのだった。

(いりぐちには、いかにもぜんしてきなやにしだがにきあって、そのおおきなしだれはをもぐって)

入口には、いかにも前史的なヤニ羊歯が二基あって、その大きな垂葉を潜って

(たたきのうえにおりると、ぜんめんには、ねったいしょくぶつとくゆうの たっぷりじゅえきでも)

凝固土の上に下りると、前面には、熱帯植物特有のーーたっぷり樹液でも

(ふくんでいそうなあおぐろいはが、おもたそうにしげりかぶさりあい、そのよういんのところどころに、)

含んでいそうな青黒い葉が、重たそうに繁り冠さり合い、その葉陰の所々に、

(えんじやふじむらさきのまだらがてんてつされていた。しかし、まもなくあかりのなかへ、)

臙脂や藤紫の斑が点綴されていた。しかし、間もなく灯の中へ、

(ちょっといぬたでににた、みなれないかたちのはがあらわれて、それをのりみずは)

ちょっと馬蓼に似た、見なれない形の葉が現われて、それを法水は

(やぽらんじいだといった。ところが、ちょうさのけっかは、はたしてかれのいうがごとく)

ヤポランジイだと云った。ところが、調査の結果は、はたして彼の云うがごとく

(そのくきにはろっかしょほど、さいきんにはをもぎとったらしいきずあとがのこされていた。)

その茎には六個所ほど、最近に葉をもぎ取ったらしい疵跡が残されていた。

(すると、のりみずはみけんをせばめて、みるみるそのかおにきぐのいろがなみうってきた。)

すると、法水は眉間を狭めて、みるみるその顔に危惧の色が波打ってきた。

(ねえ、はぜくらくん、ろくひくいちはごだろう。そのごにはどくさつてきこうかがあるのだよ。)

「ねえ、支倉君、六引く一は五だろう。その五には毒殺的効果があるのだよ。

(しかし、いまののぶこのばあいには、ろくまいのはぜんぶがひつようではなかったのだ。)

しかし、いまの伸子の場合には、六枚の葉全部が必要ではなかったのだ。

(つまり、じゅうぶん0.01くらいをふくんでいるいちまいだけで、あのていどのはっかんとはつおんの)

つまり、十分〇・〇一くらいを含んでいる一枚だけで、あの程度の発汗と発音の

など

(ふせいかくをおこすことができるのだからね。すると、はんにんがまだにぎっているはずの)

不正確を起すことが出来るのだからね。すると、犯人がまだ握っているはずの

(ごまい 。そののこりに、ぼくははんにんのすてーと・おぶ・うぉあをみたようなきがするのだよ)

五枚ーー。その残りに、僕は犯人の戦闘状態を見たような気がするのだよ」

(ああ、なんというおそろしいやつだろう としんけいてきなまたたきをして、くましろも)

「ああ、なんという怖ろしい奴だろう」と神経的な瞬きをして、熊城も

(こころもちふるえをおびたこえでいった。ぼくはどくぶつというもののしとに、)

こころもち顫えを帯びた声で云った。「僕は毒物というものの使途に、

(これまでいんけんなものがあろうとはおもわなかったよ。どうして、あのれいけつむひな)

これまで陰険なものがあろうとは思わなかったよ。どうして、あの冷血無比な

(ふぁうすとはかせでなけりゃ、ざんにんにも、これほどこくれつなてんかしゅだんを)

ファウスト博士でなけりゃ、残忍にも、これほど酷烈な転課手段を

(あみだせるもんか けんじはかたわらをふりむいて、いっこうをあんないしたえんげいしにたずねた。)

編み出せるもんか」検事は側を振り向いて、一行を案内した園芸師に訊ねた。

(さいきんにだれか、このおんしつにでいりしたものがあったかね い、いいえ、)

「最近に誰か、この温室に出入りした者があったかね」「い、いいえ、

(このひとつきばかりはどなたも・・・・・・とそのろうじんは、めをみはってどもったが、けんじを)

この一月ばかりは誰方も」とその老人は、眼をみはって吃ったが、検事を

(まんぞくさせるようなかいとうをあたえなかった。それにのりみずは、おしつけるような)

満足させるような回答を与えなかった。それに法水は、押しつけるような

(ぶきみなこわねでついきゅうした。おい、ほんとうのことをいうんだ。さろんにある)

無気味な声音で追求した。「オイ、本当の事を云うんだ。広間にある

(でんどろびうむ・てぃるしふろるむのいろあわせは、ありゃ、たしかきみのげいじゃあるまいね このせんもんてきな)

藤花蘭の色合わせは、ありゃ、たしか君の芸じゃあるまいね」この専門的な

(しつもんは、ただちにおどろくべきこうかをもたらした。まるでろうえんげいしは、あたかも)

質問は、ただちに驚くべき効果をもたらした。まるで老園芸師は、あたかも

(それじしんがゆみのつるででもあるかのように、のりみずのいちだでおもわず)

それ自身が弓の弦ででもあるかのように、法水の一打で思わず

(くちにしてしまったものがあった。しかし、やといにんというわたしのたちばも、)

口にしてしまったものがあった。「しかし、傭人という私の立場も、

(じゅうぶんおさっしねがいたいとおもいまして とうったえるようなめで、あわれみをこうような)

十分お察し願いたいと思いまして」と訴えるような眼で、憐憫を乞うような

(ぜんていをおいてから、おずおずふたりのなをあげた。さいしょは、あのおそろしい)

前提を置いてから、怯ず怯ず二人の名を挙げた。「最初は、あの怖ろしい

(できごとがおこりましたとうじつのごごでございましたが、そのときはたたろうさまがめずらしく)

出来事が起りました当日の午後でございましたが、その時旗太郎様が珍しく

(おみえになりました。それから、きのうはせれなさまが・・・・・・、あのかたは、)

お見えになりました。それから、昨日はセレナ様が、あの方は、

(このかてりあ・もしゅをたいそうおこのみでございまして。ですが、このやぽらんじいの)

この乱咲蘭をたいそうお好みでございまして。ですが、このヤポランジイの

(はだけは、おっしゃられるまでいっこうにきがつきませんでした)

葉だけは、仰言られるまでいっこうに気がつきませんでした」

(わいじゅやぽらんじいのえだに、ふたつのはながさいた。すなわち、もっともけんぎのきはくだった)

矮樹ヤポランジイの枝に、二つの花が咲いた。すなわち、最も嫌疑の稀薄だった

(はたたろうとせれなふじんにも、いちおうはふぁうすとはかせの、くろいどうしふくを)

旗太郎とセレナ夫人にも、一応はファウスト博士の、黒い道士服を

(そうぞうしなければならず、したがってあのちみどろのぎょうれつは、あたらしいふたりを)

想像しなければならず、したがってあの血みどろの行列は、新しい二人を

(くわえることになってしまった。こうして、じけんのふつかめは、まさにききょうへんたいの)

加えることになってしまった。こうして、事件の二日目は、まさに奇矯変態の

(きょくちともいうべきなぞのぞくしゅつで、おそらくそのひが、じけんちゅうふんきゅうこんらんのぜっちょうと)

極致とも云うべき謎の続出で、恐らくその日が、事件中紛糾混乱の絶頂と

(おもわれた。のみならず、かんけいじんぶつのぜんぶが、けんぎしゃともくされるにいたったので、)

思われた。のみならず、関係人物の全部が、嫌疑者と目されるに至ったので、

(そのしゅうそくがいつのひやらはてしもなく、ただただはんにんの、めいろてきずのうに)

その集束がいつの日やら涯しもなく、ただただ犯人の、迷路的頭脳に

(ほんろうされるのみだった。そのふつかご ちょうどそのひはこくしかんで、ねんいっかいの)

翻弄されるのみだった。その二日後ーーちょうどその日は黒死館で、年一回の

(こうかいえんそうかいがかいさいされるとうじつであったが、けんじとくましろは、のりみずのふつかにわたる)

公開演奏会が開催される当日であったが、検事と熊城は、法水の二日にわたる

(けんとうのけっかをきたいして、ふたたびかいぎをひらいた。それが、ふるめかしいちほうさいばんしょの)

検討の結果を期待して、再び会議を開いた。それが、古めかしい地方裁判所の

(きゅうかんで、じこくはすでにさんじをまわっていた。しかし、そのひののりみずには、)

旧館で、時刻はすでに三時を廻っていた。しかし、その日の法水には、

(みるからにせいそうなきりょくがみなぎっていた。すでにひとつの、けつろんに)

見るからに凄愴な気力が漲っていた。すでに一つの、結論に

(たっしたのではないかとおもわれたほど、かおはかすかにねつばんで、そのこうちょうには)

達したのではないかと思われたほど、顔は微かに熱ばんで、その紅潮には

(だいなみっくなものがふるえている。のりみずはかるくくちをしめしてから、きりだした。)

動的なものが顫えている。法水は軽く口をしめしてから、切り出した。

(ところでぼくは、いちいちじしょうをあげて、それをぶんるいてきにせつめいしてゆくことにする。)

「ところで僕は、一々事象を挙げて、それを分類的に説明してゆくことにする。

(それで、さいしょはこのくつあとなんだが・・・・・・とたくじょうにのせてあるふたつのせっこうがたを)

それで、最初はこの靴跡なんだが」と卓上に載せてある二つの石膏型を

(とりあげた。もちろんこれに、くどくどしいせつめいはいるまいけれど、まずさいしょが、)

取り上げた。「勿論これに、くどくどしい説明は要るまいけれど、まず最初が、

(ちいさいほうのぴゅあらばーのえんげいぐつ だ。これは、がんらいえきすけのじょうようひんで、)

小さい方の純護謨製の園芸靴ーーだ。これは、元来易介の常用品で、

(えんげいそうこからはっして、かんぱんのはへんとのあいだをおうふくしている。ところが、)

園芸倉庫から発して、乾板の破片との間を往復している。ところが、

(そのほこうせんをみると、かたちのおおきさにくらべると、ひじょうにほはばがせまく、)

その歩行線を見ると、形状の大きさに比べると、非常に歩幅が狭く、

(しかもぜんたいが、じぐざぐにはこばれているのだ。また、そのうえあしがたじしんにも、)

しかも全体が、電光形に運ばれているのだ。また、その上足型自身にも、

(ぼくらのそうぞうをちょうぜつしているような、ぎもんがふくまれている。だってかんがえてみたまえ、)

僕等の想像を超絶しているような、疑問が含まれている。だって考えて見給え、

(えきすけみたいなこびとのあしにあうようなくつで、そのよこはばが、)

易介みたいな侏儒の足に合うような靴で、その横幅が、

(いちいちことなっているじゃないか。そのうえ、つまさきのいんぞうをちゅうおうのぶぶんにひかくすると、)

一々異なっているじゃないか。その上、爪先の印像を中央の部分に比較すると、

(きんこうじょういくぶんちいさいようにおもわれるのだ。おまけに、こうしょうぶに)

均衡上幾分小さいように思われるのだ。おまけに、後踵部に

(じゅうてんがあったといえて、そのぶぶんには、とくにちからをくわえたらしいあとが)

重点があったと言えて、その部分には、特に力を加えたらしい跡が

(のこされている・・・・・・。それから、もうひとつのおヴぁ・しゅーずのほうは、ほんかんのみぎはしにある)

残されている。それから、もう一つの套靴の方は、本館の右端にある

(しゅつにゅうどあからはじまっていて、ちゅうおうのあぷすをゆみがたにそい、やはりそれも、)

出入扉から始まっていて、中央の張出間を弓形に添い、やはりそれも、

(かんぱんのはへんとのあいだをおうふくしているのだ。しかしそのほうは、ややくつのけいじょうに)

乾板の破片との間を往復しているのだ。しかしその方は、やや靴の形状に

(ひかくしてこきざみだというのみで、ほせんもいたってせいぜんとしている。そして、)

比較して小刻みだと云うのみで、歩線も至って整然としている。そして、

(ぎもんというのは、かえってくつがたのほうにあったのだ。つまり、つまさきとかかととりょうたんが)

疑問と云うのは、かえって靴型の方にあったのだ。つまり、爪先と踵と両端が

(ぐっとくぼんでいて、しかも、うちがわにへんきょくしたうちこぼしのかたちをしめしている。またさらに)

グッと窪んでいて、しかも、内側に偏曲した内翻の形を示している。またさらに

(それがちゅうおうへいくにしたがい、あさくなっているのだ。もちろん、かんぱんのはへんを)

それが中央へ行くに従い、浅くなっているのだ。勿論、乾板の破片を

(さしはさんでいるのだから、そのにじょうのくつあとがなにをもくてきとしたか それはすでに、)

挾んでいるのだから、その二条の靴跡が何を目的としたかーーそれはすでに、

(あきらかだといってさしつかえないだろう。しかも、それがじかんてきにも、あのやうが)

明らかだと云って差支えないだろう。しかも、それが時間的にも、あの夜雨が

(ふりやんだ、じゅういちじはんいごであることがしょうめいされているし、また、)

降り止んだ、十一時半以後であることが証明されているし、また、

(いっかしょおヴぁ・しゅーすのほうがえんげいくつをふんでいて、ふたりがそのばしょにたどりついたぜんごも、)

一個所套靴の方が園芸靴を踏んでいて、二人がその場所に辿りついた前後も、

(あきらかにされているのだ。ところが、たとえこれだけのくえすちょねーあをていきょうされても、)

明らかにされているのだ。ところが、仮令これだけの疑題を提供されても、

(そのけつろんにいたって、ぼくらはいささかもまごつくところはないのだよ。)

その結論に至って、僕等は些かもまごつくところはないのだよ。

(じっさいかのくましろくんなんぞはとうにきがついているだろうが、そのふたつのあしがたを)

実際家の熊城君なんぞは既に気がついているだろうが、その二つの足型を

(さいしょうてきにかいしゃくしてみると、おおおとこのれヴぇずがはくおヴぁ・しゅーずのほうには、)

採証的に解釈してみると、大男のレヴェズが履く套靴の方には、

(さらによりいじょうかいいなきょじんがそうぞうされ、また、こびとのえんげいぐつをはいたぬしは、)

さらにより以上魁偉な巨人が想像され、また、侏儒の園芸靴を履いた主は、

(むしろえきすけいかの、りりぱっとじんかまめざえもんでなければならないからだ。)

むしろ易介以下の、リリパット人か豆左衛門でなければならないからだ。

(いうまでもなく、そういうじんたいけいせいのりほうをむししているようなものが、)

云うまでもなく、そういう人体形成の理法を無視しているようなものが、

(まさかこのにんげんせかいに、ありえようとはおもわれないだろう。もちろん、じぶんのあしがたを)

まさかこの人間世界に、あり得ようとは思われないだろう。勿論、自分の足型を

(おおいかくそうとしてのかんさくで、それには、よういならぬとりっくがひそんでいるに)

覆い隠そうとしての奸策で、それには、容易ならぬ詭計が潜んでいるに

(ちがいないのだ。そこで、まずじゅんじょとして、あのよるそのじこくごろ、うらにわへ)

違いないのだ。そこで、まず順序として、あの夜その時刻頃、裏庭へ

(いったというえきすけが、そもそもふたつのいずれであるか それをだいいちに、)

行ったという易介が、そもそも二つのいずれであるかーーそれを第一に、

(けっていするひつようがあるとおもうのだよ といじょうにねっしてきたくうきのなかで、のりみずの)

決定する必要があると思うのだよ」と異常に熱してきた空気の中で、法水の

(かいせきしんけいがずきずきみゃくうちだした。そして、くつがたのぎもんにじゅうおうのめすを)

解析神経がズキズキ脈打ち出した。そして、靴型の疑問に縦横の刀を

(くわえるのだった。)

加えるのだった。

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