黒死館事件113

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小栗虫太郎の作品です。
句読点以外の記号は省いています。

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問題文

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(およびになったのは、たぶんこれだとおもいますわ とのぶこのほうから、)

「お喚びになったのは、たぶんこれだと思いますわ」と伸子の方から、

(いすにつくときりだした。そのたいどには、あいかわらず、あかるいしんあいのじょうが)

椅子につくと切り出した。その態度には、相変らず、明るい親愛の情が

(あふれていた。きのうれヴぇずさまが、わたしにこうぜんけっこんをおもうしでになりました。)

溢れていた。「昨日レヴェズ様が、私に公然結婚をお申し出になりました。

(そして、そのだくひを、このふたつでかいとうしてくれとおっしゃって・・・・・・とかのじょは)

そして、その諾否を、この二つで回答してくれと仰言って」と彼女は

(ごびをすぼめて、あまりにもあわただしい、じんせいのへんてんをかなしむごとくであった。)

語尾を萎めて、あまりにも慌ただしい、人生の変転を悲しむごとくであった。

(が、やがて、かいちゅうからとりだしたものがあって、そのときならぬごうしゃなこうきが、)

が、やがて、懐中から取り出したものがあって、その時ならぬ豪奢な光輝が、

(おもわずさんにんのめをうごかなくしてしまった。それはにほんのくらうんぴんだった。)

思わず三人の眼を動かなくしてしまった。それは二本の王冠ピンだった。

(そして、そのうえに、ひとつにはるびーひとつにはあれきさんどらいとが、それぞれ)

そして、その上に、一つには紅玉一つにはアレキサンドライトが、それぞれ

(ぷらちなのだいのうえで、ひゃくに、さんじゅうからっともあろうとおもわれる、まーきーずがたの)

白金の台の上で、百二、三十カラットもあろうと思われる、マーキーズ形の

(とつこくめんをかがやかしていた。のぶこはよわよわしいたんそくをしてから、したをおもたげに)

凸刻面を輝かしていた。伸子は弱々しい嘆息をしてから、舌を重たげに

(うごかしていった。つまり、しんあいなきいろ あれきさんどらいとのほうがきちで、)

動かしていった。「つまり、親愛な黄色ーーアレキサンドライトの方が吉で、

(るびーのちはもちろんきょうなのでございます。そして、このふたつをだくひのしるしにして、)

紅玉の血は勿論凶なのでございます。そして、この二つを諾否の表示にして、

(どっちかを、えんそうちゅうわたしのかみかざりにしていてくれ と、あのかたはおっしゃいました)

どっちかを、演奏中私の髪飾りにしていてくれーーと、あの方は仰言いました」

(では、いいあててみましょうか とずるそうにめをほそめていったが、しかし、)

「では、云い当てて見ましょうか」と狡猾そうに眼を細めて云ったが、しかし、

(なぜかのりみずは、むねをたかくなみうたせていて、いつぞや、あなたはれヴぇずをさけて)

何故か法水は、胸を高く波打たせていて、「いつぞや、貴女はレヴェズを避けて

(ぼるけんはうすにのがれていましたっけね いいえ、れヴぇずさまのしに、わたしは)

樹皮亭に遁れていましたっけね」「いいえ、レヴェズ様の死に、私は

(どうとくじょうせきにんをおうひけめはございません とのぶこは、いきをあららげてさけんだ。)

道徳上責任を負う引け目はございません」と伸子は、息を荒ららげて叫んだ。

(じつはわたし、あれきさんどらいとをつけました。それで、あのかたとふたりで、)

「実は私、アレキサンドライトを付けました。それで、あの方と二人で、

(このはるつのやま ようまどもが、いわゆるヴぁるぷるぎすきょうえんをおこなうというやま を)

このハルツの山(妖魔どもが、いわゆるヴァルプルギス饗宴を行うという山)を

(おりるつもりだったのですわ それから、のりみずのかおをしげしげのぞきこんで、)

降りるつもりだったのですわ」それから、法水の顔をしげしげ覗き込んで、

など

(あいがんするように、ねえ、ほんとうのことをおっしゃってくださいまし。もしや、あのかた)

哀願するように、「ねえ、真実の事を仰言って下さいまし。もしや、あの方

(じさつなされたのでは、いいえけっして、わたしがあれきさんどらいとを)

自さつなされたのでは、いいえけっして、私がアレキサンドライトを

(つけたいじょう・・・・・・そのときのりみずのかおに、さっとくらいものがはいて、)

付けた以上・・・・・・」その時法水の顔に、サッと暗いものが掃いて、

(みるみるなやましげなひょうじょうがうかびあがっていった。そのあんえいというのは 、)

みるみる悩ましげな表情が泛び上っていった。その暗影と云うのはーー、

(たしかにかれのしんじゅうにひとつのぱらどっくすがあって、それをいまののぶこのことばが、みじんと)

たしかに彼の心中に一つの逆説があって、それを今の伸子の言葉が、微塵と

(うちくだいたにそういなかった。いや、せいかくにたさつです とのりみずは)

打ち砕いたに相違なかった。「いや、正確に他さつです」と法水は

(ちんつうなこえでいったが、しかし、ここへあなたをおよびしたのは、)

沈痛な声で云ったが、「しかし、ここへ貴女をお呼びしたのは、

(ほかでもないのですが、さくねんさんてつがゆいごんしょをはっぴょうしたせきじょうから、いったいだれが)

ほかでもないのですが、昨年算哲が遺言書を発表した席上から、いったい誰が

(さきにでたのでしょうね すでにいちねんちかくもけいかしているので、もちろんのぶこは、)

先に出たのでしょうね」すでに一年近くも経過しているので、勿論伸子は、

(いちもにもなくくびをふるものとおもわれていた。ところが、そのいかにも)

一も二もなく頸を振るものと思われていた。ところが、そのいかにも

(いみありげなひとことが、のぶこになにごとかをさとらせたとみえた。いきなり、かのじょの)

意味ありげな一言が、伸子に何事かを覚らせたと見えた。いきなり、彼女の

(ぜんしんにいようなどうようがたった。それは......あの......)

全身に異様な動揺が起った。「それは......あの......

(あのかたなのでございますが とのぶこはくるしげにかおをゆがめて、)

あの方なのでございますが」と伸子は苦しげに顔を歪めて、

(いうまいいわせようのかっとうとせいれつにたたかっているようすであったが、やがて、けついを)

云うまい云わせようの葛藤と凄烈に闘っている様子であったが、やがて、決意を

(さだめたかのようにきっとのりみずをみて、いまわたしのくちからは、とうてい)

定めたかのように毅然と法水を見て、「いま私の口からは、とうてい

(もうしあげることはできません。けれども、のちほど しへんで)

申し上げることは出来ません。けれども、のちほどー紙片で

(おつたえいたしますわ のりみずはまんぞくそうにうなずいて、のぶこのじんもんをうちきった。)

お伝えいたしますわ」法水は満足そうに頷いて、伸子の訊問を打ち切った。

(くましろは、きょうのじけんにおいて、もっともふりなしょうげんにつつまれているのぶこにたいして、)

熊城は、今日の事件において、最も不利な証言に包まれている伸子に対して、

(いささかものりみずが、そのてんにふれようとしなかったのがふまんらしかったが・・・・・・)

いささかも法水が、その点に触れようとしなかったのが不満らしかったが

(しかし、かんぱんにかくれているしんおうのひみつをさぐるさいごのしゅだんとして、いよいよ)

しかし、乾板に隠れている深奥の秘密を探る最後の手段として、いよいよ

(しんいしんもんかいのこうけいをさいげんすることになった。もちろんそれいぜんにのりみずは、しずこに)

神意審問会の光景を再現することになった。勿論それ以前に法水は、鎮子に

(しふくをむけて、とうじしちにんがしめていたいちについてしることができた。)

私服を向けて、当時七人が占めていた位置について知ることが出来た。

(ところでそのはいちをいうと、だんねべるぐふじんひとりのみをむこうがわにして、)

ところでその配置を云うと、ダンネベルグ夫人一人のみを向う側にして、

(そのあいだにはんど・おぶ・ぐろーりー こうしたいのてをすづけにして、それをさらにかんそうしたもの を)

その間に栄光の手(絞し体の手を酢漬けにして、それをさらに乾燥したもの)を

(はさみ、そのぜんぽうには、ひだりからかぞえて、のぶこ・しずこ・せれなふじん・)

挟み、その前方には、左から数えて、伸子・鎮子・セレナ夫人・

(くりヴぉふふじん・はたたろう といじょうのこりのごにんが、そうとうはなれてはんえんけいを)

クリヴォフ夫人・旗太郎ーと以上残りの五人が、相当離れて半円形を

(つくっていたが、ひとりれヴぇずのみは、はんえんけいのちょうてんにあたるせれなふじんのぜんめんで、)

作っていたが、独りレヴェズのみは、半円形の頂点に当るセレナ夫人の前面で、

(ややかがみかげんにざをしめていたのである。そして、ろくにんのいちは、いりぐちのどあを)

やや跼み加減に座を占めていたのである。そして、六人の位置は、入口の扉を

(はいめんにしていたのだった。いぜんおこなわれたときとおなじへやにはいって、てつばこのなかから、)

背面にしていたのだった。以前行われた時と同じ室に入って、鉄筐の中から、

(くましろがはんど・おぶ・ぐろーりーをとりだしたとき、そのゆびのふるえに、むりょうのきょうふを)

熊城が栄光の手を取り出したとき、その指の顫えに、無量の恐怖を

(かんじさせるものがあった。それは、かつてじんたいであったのを、)

感じさせるものがあった。それは、かつて人体であったのを、

(あざわらうかのように、それらしいせんやまっすはどこにもみられなかった。ただただ、)

嘲笑うかのように、それらしい線や塊はどこにも見られなかった。ただただ、

(ざっしょくとざつけいのいっしゅいようなこんこうであって、あるいは、ぼんけいてきにきょうぜつなかたちをした)

雑色と雑形の一種異様な混淆であって、あるいは、盆景的に矯絶な形をした

(きのこんざいくのようでもあり、その いちめんにこまかいきれつのはいったようひししょくの)

木の根細工のようでもあり、そのー一一面に細かい亀裂の入った羊皮紙色の

(ひふをみると、わぼんのはがれたひょうしを、みるようなきもするのだった。すでに、)

皮膚を見ると、和本の剥がれた表紙を、見るような気もするのだった。すでに、

(にくたいてきなるいじをもとめるのが、こんなんなしろものだったのである。また、そのしとうに)

肉体的な類似を求めるのが、困難なしろものだったのである。また、その指頭に

(たてるしたいろうそくには、いちいちむきとしるしがついていて、それはややこうたくの)

立てる屍体蝋燭には、一々向きと印しがついていて、それはやや光沢の

(にぶいようなかんじはするけれども、がいけんはいっこうに、つうじょうのはくろうと)

鈍いような感じはするけれども、外見はいっこうに、通常の白蝋と

(かわりはなかった。そして、はしからひをうつしてゆくと、じいじいっと、まるで)

変りはなかった。そして、端から火を移してゆくと、ジイジイっと、まるで

(みみなれたささやきをきくようなねいろをたててともりはじめ、あかばんだ ちょうどちを)

耳馴れた囁きを聴くような音色を立てて点りはじめ、赭ばんだーーちょうど血を

(うすめたようなこうせんが、へやのすみずみにひろがっていった。そうしているうちに、)

薄めたような光線が、室の隅々に拡がっていった。そうしているうちに、

(だんねべるぐふじんのいちにいたのりみずのしやを、いようにもうろうとしたものが)

ダンネベルグ夫人の位置にいた法水の視野を、異様に朦朧としたものが

(おおいはじめてきた。それは、いっしゅとくべつなしゅうきをもった、きりのようなもので、)

覆いはじめてきた。それは、一種特別な臭気を持った、霧のようなもので、

(しだいにねもとからかけてごほんのろうしんをつつみはじめ、やがて、ほのおがゆれはじめて)

しだいに根元からかけて五本の蝋身を包みはじめ、やがて、焔が揺れはじめて

(またたきだすと、しつないは、すうっといちだんかこうしたようにうすぐらくなった。そのとたん、)

瞬き出すと、室内は、スウッと一段下降したように薄暗くなった。そのとたん、

(のりみずのてがさしのべられて、したいろうそくをひとつひとつにしらべはじめた。すると、)

法水の手が差し伸べられて、屍体蝋燭を一つ一つに調べはじめた。すると、

(ごほんともそのねもとに すなわち、ちゅうおうのさんぼんはりょうがわにひとつひとつ、りょうたんのにほんは)

五本ともその根元にーーすなわち、中央の三本は両側に一つ一つ、両端の二本は

(うちがわにひとつ ふかかいなびこうがあるのが、はっけんされたのだった。それをみて、)

内側に一つーー不可解な微孔があるのが、発見されたのだった。それを見て、

(くましろがてんめつきをひねると、そのいようなきりが、こんどはのりみずの、びょうてきなたんきゅうのくもに)

熊城が点滅器を捻ると、その異様な霧が、今度は法水の、病的な探究の雲に

(かわっていった。やがて、かれはにたりとほくそえんで、ふたりをかえりみた。)

変っていった。やがて、彼はニタリとほくそ笑んで、二人を顧りみた。

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