草枕- ひ人情編

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(すこしのまでもひにんじょうのてんちにしょうようしたいからのねがい。ひとつのすいきょうだ。)

すこしの間でもひ人情の天地に逍遥したいからの願。一つの酔狂だ。

(ぼうぼうたるうすずみいろのせかいを、いくじょうのぎんせんがななめにはしるなかを、)

茫々たる薄墨色の世界を、幾条の銀箭が斜に走るなかを、

(ひたぶるにぬれていくわれを、われならぬひとのすがたとおもえば、)

ひたぶるに濡れて行くわれを、われならぬ人の姿と思えば、

(しにもなる、くにもよまれる。)

詩にもなる、句にも咏まれる。

(ありていなるおのれをわすれつくしてじゅんきゃっかんにめをつくるとき、)

有体なる己を忘れ尽くして純客観に眼をつくる時、

(はじめてわれはえちゅうのじんぶつとして、しぜんのけいぶつとうつくしきちょうわをたもつ。)

始めてわれは画中の人物として、自然の景物と美しき調和を保もつ。

(ただふるあめのこころぐるしくて、ふむあしのつかれたるをきにかけるしゅんかんに、)

ただ降る雨の心苦しくて、踏む足の疲れたるを気に掛ける瞬間に、

(われはすでにしちゅうのひとにもあらず、がりのひとにもあらず。)

われはすでに詩中の人にもあらず、画裡の人にもあらず。

(いぜんとしてしせいのいちじゅしにすぎぬ。)

依然として市井の一豎子に過ぎぬ。

(うんえんひどうのおもむきもめにいりいらぬ。)

雲煙飛動の趣も眼に入いらぬ。

(らっかていちょうのなさけもこころにうかばぬ。)

落花啼鳥の情けも心に浮ばぬ。

(しょうしょうとしてひとりしゅんざんをゆくわれの、いかにうつくしきかはなおさらにかいせぬ。)

蕭々として独春山を行く吾の、いかに美しきかはなおさらに解せぬ。

(あめはまんもくのじゅしょうをうごかしてしほうよりこかくにせまる)

雨は満目の樹梢を揺かして四方より孤客に逼る

(ひにんじょうがちとつよすぎたようだ。)

ひ人情がちと強過ぎたようだ。

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