『伝習録』格言集〈現代語訳〉2
行動の儒学、陽明学の始祖「王陽明」教えです。
陽明学は日本において維新の志士の行動哲学でも有りました。
維新の志士の情熱的な行動に思いを馳せてタイピングするのも面白いかもしれません。
なるべく平易な現代語でふんわり翻訳しています。
詳しくは大家の翻訳書を御覧ください。
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問題文
(しんのがくもんはこころのなかにきざまれていくことがだいいちぎである。)
真の学問は心の中に刻まれていくことが第一義である。
(もしじぶんのりょうちにてらしみてそれがあやまりだとおもえば、)
もし自分の良知に照らし見てそれが誤りだと思えば、
(たとえそれがこうしのことばであったとしても、それをただしいとしてはならない。)
たとえそれが孔子の言葉であったとしても、それを正しいとしてはならない。
(だれもがひとしくもっているりょうちにしたがってこうどうすればよい。)
誰もが等しく持っている良知に従って行動すればよい。
(それをつづけていくだけでじしんにはいずれぜんだけがのこり、あくはさっていくだろう。)
それを続けていくだけで自身にはいずれ善だけが残り、悪は去って行くだろう。
(せいけんをしんじておしえにすなおにしたがう、それもいいだろう。)
聖賢を信じて教えに素直に従う、それもいいだろう。
(だがほんらいじしんのしんおうにもっているりょうちにしたがうほうがよい。)
だが本来自身の心奥に持っている良知に従う方が良い。
(たにんをせめるようなことはやめ、まずじしんのこころをただすことこそがだいじである。)
他人を責めるようなことはやめ、まず自身の心を正すことこそが大事である。
(ともにたいしあいてからまなぶようなこうゆうをもてばせいちょうがえられるが、)
友に対し相手から学ぶような交友を持てば成長が得られるが、
(あいてのうえにたとうとするのはわるいけっかをうむだけである。)
相手の上に立とうとするのは悪い結果を生むだけである。
(ちをみにつけるということはこうどうのはじめにほかならない。)
知を身につけるということは行動のはじめに他ならない。
(こうどうするということはそのちをかんせいさせるということだ。)
行動するということはその知を完成させるということだ。
(すなわち、こうどうがともなわないのであればそれはちとはいえないのだ。)
すなわち、行動が伴わないのであればそれは知とはいえないのだ。
(いくらちがあってもじっせんがともなっていないならば、それはむちとおなじなのである。)
いくら知があっても実践が伴っていないならば、それは無知と同じなのである。
(ひとというものはほんらいうまれながらにしてみなせいじんなのである。)
人というものは本来生まれながらにして皆聖人なのである。
(だがときがたつにつれしよくがしょうじぶつよくがうまれ、)
だが時が経つにつれ私欲が生じ物欲が生まれ、
(ついにはたにんとじぶんとをいったいのものとかんがえられなくなるのだ。)
ついには他人と自分とを一体のものと考えられなくなるのだ。
(したがってにんげんがほんらいもっているせいじんのこころをとりもどすために、)
従って人間が本来持っている聖人の心を取り戻すために、
(しよく・がしゅうにとらわれたおのれにうちかたなければならないのだ。)
私欲・我執に囚われた己に打ち克たなければならないのだ。
(ただにんげんがほんらいもっているりょうちにしたがうことにせんしんするのだ。)
ただ人間が本来持っている良知に従うことに専心するのだ。
(せいやし、またはやじにとかながいきかなど、そんなことにこうでいせず、)
生や死、また早死にとか長生きかなど、そんな事に拘泥せず、
(ただいっしんにわがみをおさめてんめいをまつのみである。)
ただ一心に我が身を修め天命を待つのみである。
(しんのがくもんというものはこうどうのなかにのみある。 じっせんがなければがくもんではない。)
真の学問というものは行動の中にのみある。 実践がなければ学問ではない。
(さんちゅうのぞくをだはするのはたやすい。 だがしんちゅうのぞくをだはするのはしなんである。)
山中の賊を打破するのは容易い。 だが心中の賊を打破するのは至難である。
(じんせいにおいてのたいびょう、それはただ「ごう」のいちじにつきる。)
人生においての大病、それはただ「傲」の一字に尽きる。
(そのじんぶつがどういったものをこのむかをよくみることによって、)
その人物がどういったものを好むかをよく視ることによって、
(そのじんぶつをはんだんせよ。 けっしてかくせるものではない。)
その人物を判断せよ。 決して隠せるものではない。
(くんしはじっせんをもってかたり、しょうじんはしたをもってかたる。)
君子は実践をもって語り、小人は舌をもって語る。