江戸川乱歩 芋虫 -4-

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江戸川乱歩

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(えたいのしれぬあくむにうなされて、ひどいさけびごえをたてたかとおもうと、)

えたいのしれぬ悪夢にうなされて、ひどい叫び声を立てたかと思うと、

(ときこはびっしょりとねあせをかいてめをさました。)

時子はびっしょりと寝汗をかいて眼をさました。

(まくらもとのらんぷのほやにみょうなかたちのゆえんがたまって、ほそめたしんがじじじじじじと)

枕元のランプのホヤに妙な形の油煙がたまって、細めた芯がジジジジジジと

(ないていた。へやのなかが、てんじょうもかべもへんにだいだいいろにかすんでみえ、となりにねている)

鳴いていた。部屋の中が、天井も壁も変に橙色に霞んで見え、隣に寝ている

(おっとのかおが、ひっつりのところがほかげにはんしゃして、やっぱりだいだいいろにてらてらと)

夫の顔が、ひっつりのところが灯影に反射して、やっぱり橙色にテラテラと

(ひかっている。いまのうなりごえがきこえたはずもないのだけれど、かれのりょうめは)

光っている。今の唸り声が聞こえたはずもないのだけれど、彼の両眼は

(ぱっちりとひらいて、じっとてんじょうをみつめていた。つくえのうえのまくらどけいをみると、)

パッチリとひらいて、じっと天井を見つめていた。机の上の枕時計を見ると、

(いちじをすこしすぎていた。)

一時を少し過ぎていた。

(おそらくそれがあくむのげんいんをなしたのであろうけれど、ときこはめが)

おそらくそれが悪夢の原因をなしたのであろうけれど、時子は眼が

(さめるとすぐ、からだにあるふかいをおぼえたが、ややねぼけたかたちで、)

さめるとすぐ、からだに或る不快をおぼえたが、やや寝ぼけた形で、

(そのふかいをはっきりかんじるまえに、なんだかへんだとはおもいながら、ふと、)

その不快をはっきり感じる前に、なんだか変だとは思いながら、ふと、

(べつのことを、さいぜんのいようなゆうぎのありさまをまぼろしのようにめにうかべていた。)

別の事を、さいぜんの異様な遊戯の有様を幻のように眼に浮かべていた。

(そこには、きりきりとまわる、いきたこまのようなにくかいがあった。そして、)

そこには、キリキリと廻る、生きたコマのような肉塊があった。そして、

(こえふとって、あぶらぎったさんじゅうおんなのぶざまなからだがあった。それがまるで)

肥え太って、脂ぎった三十女のぶざまなからだがあった。それがまるで

(じごくえみたいに、もつれあっているのだ。なんといういまわしさ、)

地獄絵みたいに、もつれ合っているのだ。なんといういまわしさ、

(みにくさであろう。だが、そのいまわしさ、みにくさが、どんなほかのたいしょうよりも、)

醜さであろう。だが、そのいまわしさ、醜さが、どんなほかの対象よりも、

(まやくのようにかのじょのじょうよくをそそり、かのじょのしんけいをしびれさせるちからをもって)

麻薬のように彼女の情欲をそそり、彼女の神経をしびれさせる力をもって

(いようとは、さんじゅうねんのはんせいをつうじて、かのじょのかつてそうぞうだもしなかった)

いようとは、三十年の半生を通じて、彼女のかつて想像だもしなかった

(ところである。)

ところである。

(「あーあ、あーあ」)

「アーア、アーア」

など

(ときこはじっとかのじょのむねをだきしめながら、えいたんともうめきともつかぬこえを)

時子はじっと彼女の胸を抱きしめながら、詠嘆ともうめきともつかぬ声を

(たてて、こわれかかったにんぎょうのような、おっとのねすがたをながめるのであった。)

立てて、毀れかかった人形のような、夫の寝姿を眺めるのであった。

(このとき、かのじょははじめて、めざめてからのにくたいてきなふかいのげんいんをさとった。)

この時、彼女ははじめて、眼覚めてからの肉体的な不快の原因を悟った。

(そして「いつもとはすこしはやすぎるようだ」とおもいながら、とこをでて、)

そして「いつもとは少し早過ぎるようだ」と思いながら、床を出て、

(はしごだんをおりていった。)

梯子段を降りて行った。

(ふたたびとこにはいって、おっとのかおをながめると、かれはいぜんとして、かのじょのほうを)

再び床にはいって、夫の顔を眺めると、彼は依然として、彼女の方を

(ふりむきもしないで、てんじょうをみいっているのだ。)

ふり向きもしないで、天井を見入っているのだ。

(「またかんがえているのだわ」)

「また考えているのだわ」

(めのほかには、なんのいしをはっぴょうするきかんをももたないひとりのにんげんが、)

眼のほかには、なんの意志を発表する器官をも持たない一人の人間が、

(じっとひとつところをみすえているようすは、こんなまよなかなどには、ふとかのじょに)

じっとひとつ所を見据えている様子は、こんな真夜中などには、ふと彼女に

(ぶきみなかんじをあたえた。どうせにぶくなったあたまだとはおもいながらも、)

無気味な感じを与えた。どうせ鈍くなった頭だとは思いながらも、

(このようなきょくたんなふぐしゃのあたまのなかには、かのじょたちとちがった、もっとべつのせかいが)

このような極端な不具者の頭の中には、彼女たちと違った、もっと別の世界が

(ひらけてきているのかもしれない。かれは、いまそのべつせかいを、ああしてさまよって)

ひらけてきているのかもしれない。彼は、今その別世界を、ああしてさまよって

(いるのかもしれない。などとかんがえると、ぞっとした。)

いるのかもしれない。などと考えると、ぞっとした。

(かのじょはめがさえてねむれなかった。あたまのしんにどどどどどとおとをたてて、)

彼女は眼がさえて眠れなかった。頭の芯にドドドドドと音を立てて、

(ほのおがうずまいているようなかんじがしていた。そして、むやみと、いろいろなもうそうが)

焔が渦まいているような感じがしていた。そして、無闇と、いろいろな妄想が

(うかんではきえた。そのなかには、かのじょのせいかつをこのようにいっぺんさせてしまった)

浮かんでは消えた。その中には、彼女の生活をこのように一変させてしまった

(ところの、さんねんいぜんのできごとがおりまぜられていた。)

ところの、三年以前の出来事が織り混ぜられていた。

(おっとがふしょうしてないちにおくりかえされるというほうちをうけとったときには、)

夫が負傷して内地に送り帰されるという報知を受け取った時には、

(まず、せんしでなくてよかったとおもった。そのころはまだつきあっていたどうりょうの)

先ず、戦死でなくてよかったと思った。その頃はまだつき合っていた同僚の

(おくさまたちから、あなたはおしあわせだとうらやまれさえした。まもなくしんぶんに)

奥様たちから、あなたはお仕合わせだとうらやまれさえした。間もなく新聞に

(おっとのはなばなしいせんこうがかきたてられた。どうじに、かれのふしょうのていどがかなり)

夫の華々しい戦功が書き立てられた。同時に、彼の負傷の程度が可なり

(はなはだしいものであることをしったけれど、むろんこれほどのこととは)

甚だしいものであることを知ったけれど、むろんこれほどのこととは

(そうぞうもしていなかった。)

想像もしていなかった。

(かのじょはえいじゅびょういんへおっとにあいにいったときのことを、おそらくいっしょうがい)

彼女は衛戌病院へ夫に会いに行った時のことを、おそらく一生涯

(わすれないであろう。まっしろなしーつのなかから、むざんにきずついたおっとのかおが、)

忘れないであろう。まっ白なシーツの中から、無残に傷ついた夫の顔が、

(ぼんやりとかのじょのほうをながめていた。いいんに、むずかしいじゅつごのまじったことばで、)

ボンヤリと彼女の方を眺めていた。医員に、むずかしい術語のまじった言葉で、

(ふしょうのためにみみがきこえなくなり、はっせいきのうにみょうなこしょうをしょうじて、)

負傷のために耳が聞こえなくなり、発声機能に妙な故障を生じて、

(くちさえきけなくなっているときかされたとき、すでにかのじょはめをまっかにして)

口さえきけなくなっていると聞かされた時、すでに彼女は眼をまっ赤にして

(しきりにはなをかんでいた。そのあとも、どんなおそろしいものがまちかまえている)

しきりに鼻をかんでいた。そのあとも、どんな恐ろしいものが待ち構えている

(かもしらないで。)

かも知らないで。

(いかめしいいいんであったが、さすがにきのどくそうなかおをして「おどろいては)

いかめしい医員であったが、さすがに気の毒そうな顔をして「驚いては

(いけませんよ」といいながら、そっとしろいしーつをまくってみせてくれた。)

いけませんよ」と言いながら、そっと白いシーツをまくって見せてくれた。

(そこにはあくむのなかのおばけみたいに、てのあるべきところにてが、あしのあるべきところに)

そこには悪夢の中のお化けみたいに、手のあるべき所に手が、足のあるべき所に

(あしが、まったくみえないで、ほうたいのためにまるくなったどうたいばかりが)

足が、まったく見えないで、包帯のために丸くなった胴体ばかりが

(ぶきみによこたわっていた。それはまるでいのちのないせっこうざいくのきょうぞうを)

無気味に横たわっていた。それはまるで生命のない石膏細工の胸像を

(べっどによこたえたかんじであった。)

ベッドに横たえた感じであった。

(かのじょはくらくらっとめまいのようなものをかんじて、べっどのあしのところへ)

彼女はクラクラっと目まいのようなものを感じて、ベッドの脚のところへ

(うずくまってしまった。)

うずくまってしまった。

(ほんとうにかなしくなって、ひとめもかまわず、こえをあげてなきだしたのは、)

ほんとうに悲しくなって、人目もかまわず、声を上げて泣き出したのは、

(いいんやかんごふにべっしつにつれてこられてからであった。かのじょはそこのうすよごれた)

医員や看護婦に別室に連れてこられてからであった。彼女はそこの薄よごれた

(てーぶるのうえに、ながいあいだなきふしていた。)

テーブルの上に、長いあいだ泣き伏していた。

(「ほんとうにきせきですよ。りょうてりょうあしをうしなったふしょうしゃはすながちゅういばかりでは)

「ほんとうに奇蹟ですよ。両手両足を失った負傷者は須永中尉ばかりでは

(ありませんが、みなせいめいをとりとめることはできなかったのです。)

ありませんが、みな生命を取りとめることはできなかったのです。

(じつにきせきです。これはまったくぐんいせいどのときたむらはかせのおどろくべきぎじゅつの)

実に奇蹟です。これはまったく軍医正殿と北村博士の驚くべき技術の

(けっかなのですよ、おそらくどのくにのえいじゅびょういんにも、こんなじつれいは)

結果なのですよ、おそらくどの国の衛戌病院にも、こんな実例は

(ありますまいよ」)

ありますまいよ」

(いいんは、なきふしたときこのみみもとで、なぐさめるように、そんなことをいっていた。)

医員は、泣き伏した時子の耳元で、慰めるように、そんなことを言っていた。

(「きせき」というよろこんでいいのかかなしんでいいのかわからないことばが、)

「奇蹟」という喜んでいいのか悲しんでいいのかわからない言葉が、

(いくどもいくどもくりかえされた。)

幾度も幾度も繰り返された。

(しんぶんしがすながおにちゅういのかくかくたるぶくんはもちろん、このげかいじゅつじょうの)

新聞紙が須永鬼中尉の赫々たる武勲はもちろん、この外科医術上の

(きせきてきじじつについてかきたてたことはいうまでもなかった。)

奇蹟的事実について書き立てたことは言うまでもなかった。

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