半七捕物帳 三河万歳9
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問題文
(「おまえはいちまるだゆうだろう。しょうじきにいえ」と、はんしちはかれのうでをつかんだ。)
「お前は市丸太夫だろう。正直にいえ」と、半七はかれの腕をつかんだ。
(「どうもいなりさまのなかでごそごそいうとおもったら、あんのじょうこんなきつねが)
「どうも稲荷様の中でごそごそいうと思ったら、案の定こんな狐が
(はいこんでいた。さあ、ばんやへこい」)
這い込んでいた。さあ、番屋へ来い」
(ちょうないのじしんばんへひったてられていったおとこは、はたしてかの)
町内の自身番へ引っ立てられて行った男は、果たして彼(か)の
(いちまるだゆうであった。かれはふところにこがたなをのんでいたが、)
市丸太夫であった。かれはふところに小刀(こがたな)を吞んでいたが、
(そのはにはちのあとがなかった。)
その刃には血の痕がなかった。
(「おまえはとみぞうをころして、ひをつけたのか」)
「お前は富蔵を殺して、火をつけたのか」
(「おそれいりました」と、いちまるだゆうははくじょうした。「まったくわたくしは)
「恐れ入りました」と、市丸太夫は白状した。「全くわたくしは
(とみぞうをころそうとぞんじてまいりました。しかしころさないうちにかじがでて、)
富蔵を殺そうと存じてまいりました。しかし殺さないうちに火事が出て、
(とみぞうはやけしんだのでございます」)
富蔵は焼け死んだのでございます」
(「なぜとみぞうをころそうとした」)
「なぜ富蔵を殺そうとした」
(「わずかのかねにさしつかえましたのでございます」)
「わずかの金に差し支えましたのでございます」
(かれはあやまってとみぞうのねこをころしたしまつをしょうじきにもうしたてた。)
かれは誤って富蔵の猫を殺した始末を正直に申し立てた。
(それはながやのもののすいさつどおり、かれはおととしのはるからおつがにかんけいして、)
それは長屋の者の推察通り、彼は一昨年の春からお津賀に関係して、
(まいとしえどへでるたびにかのじょのところへたずねてきて、まつのうちにかせぎためた)
毎年江戸へ出るたびに彼女のところへ訪ねて来て、松の内に稼ぎためた
(かねのだいぶぶんをしぼりとられていた。ことしもいちねんぶりでたずねてくると、)
金の大部分を絞り取られていた。今年も一年ぶりで訪ねて来ると、
(あいにくおつがはるすで、はからずもとなりのねこをころすようなまちがいを)
あいにくお津賀は留守で、測らずも隣りの猫を殺すような間違いを
(しでかしてしまった。)
仕出来(しでか)してしまった。
(「おつがのあつかいで、そのばだけはかんべんしてもらったのですが、)
「お津賀のあつかいで、その場だけは勘弁して貰ったのですが、
(あとがねのよんりょういちぶのくめんがなかなかつきません。なかまのものもはるにならなければ、)
あと金の四両一分の工面がなかなか付きません。仲間の者も春にならなければ、
(まとまったかねをかしてくれることはできませんので、わたくしも)
まとまった金を貸してくれることは出来ませんので、わたくしも
(とほうにくれました。さしあたりおつがのきものでもしちにいれて、)
途方にくれました。差し当りお津賀の着物でも質(しち)に入れて、
(なんとかゆうずうしてもらおうとぞんじまして、そのあくるばんでなおしてそうだんに)
なんとか融通して貰おうと存じまして、その明くる晩出直して相談に
(まいりますと、けんもほろろのあいさつでことわられました。ふたことみこと)
まいりますと、剣もほろろの挨拶で断わられました。ふた言三言
(いいあっていますうちに、おつがはきのつよいおんなで、とうとうわたしをつかまえて)
云い合っていますうちに、お津賀は気の強い女で、とうとう私をつかまえて
(おもてへつきだしてしまいました。いいとしをしてわかいおんなにかかりあいまして、)
表へ突き出してしまいました。いい年をして若い女に係り合いまして、
(とんだはじをもうしあげなければなりません。それでしおしおかえりますと、)
飛んだ恥を申し上げなければなりません。それで悄々(しおしお)帰りますと、
(あくるひおつががわたくしのやどへおしかけてまいりまして、あとがねをはやく)
あくる日お津賀がわたくしの宿へ押し掛けて参りまして、後金を早く
(どうにかしてくれなければきんじょへたいしてめんぼくがないとせがみます。)
どうにかしてくれなければ近所へ対して面目がないと強請(せが)みます。
(そのひはまあなんとかなだめてかえしますと、あくるひもまた)
その日はまあなんとか宥(なだ)めて帰しますと、あくる日もまた
(おしかけてきてやかましくもうします。やどのてまえ、なかまのてまえ、)
押し掛けて来てやかましく申します。宿の手前、仲間の手前、
(おつがのようなおんなにまいにちおしかけてこられましては、わたくしも)
お津賀のような女に毎日押し掛けて来られましては、わたくしも
(どうしてよいか、じつにきえいりたいくらいで・・・・・・」)
どうしてよいか、実に消え入りたいくらいで……」
(わかいおんなにさいなまれているろうじんのざんげを、はんしちはあざけるような)
若い女にさいなまれている老人の懺悔(ざんげ)を、半七は嘲るような
(またあわれむようなこころもちできいているといちまるだゆうはおそるおそるかたりつづけた。)
又あわれむような心持で聴いていると市丸太夫は恐る恐る語りつづけた。
(そういうしだいで、わたくしもとほうにくれておりますうちに、やどのじょちゅうから)
そういう次第で、わたくしも途方に暮れて居りますうちに、宿の女中から
(ふとこんなことをききましたのでございます。さくねんのなつごろからやどに)
不図(ふと)こんなことを聞きましたのでございます。昨年の夏頃から宿に
(ほうこうしておりましたおきたというわかいじょちゅうがぬしのさだまらないたねをやどして、)
奉公して居りましたお北という若い女中が主の定まらない胤(たね)を宿して、
(だんだんたちいもたいぎになってきたので、このしちがつにひまをとって)
だんだん起居(たちい)も大儀になって来たので、この七月に暇を取って
(しんじゅくのやどもとへかえって、じゅうがつのはじめにおんなのこをぶじに)
新宿の宿許(やどもと)へ帰って、十月のはじめに女の児を無事に
(うみおとしました。ところがそのあかごはどうしたいんがか、うまれるときから)
産み落としました。ところがその赤児はどうした因果か、生まれるときから
(うわあごににほんのながいきばがはえているおにでございまして、ほんにんはもちろん、きょうだいたちも)
上顎に二本の長い牙が生えている鬼でございまして、本人は勿論、兄弟たちも
(せけんへたいしてがいぶんがわるいともうして、ひどくこまっているということを)
世間へ対して外聞が悪いと申して、ひどく困っているということを
(ききましたので、わたくしはすぐにそのおきたのいえへたずねてまいりました。)
聞きましたので、わたくしはすぐにそのお北の家へたずねて参りました。
(おきたとはかおなじみでございますので、ほんにんにあってそのあかごを)
お北とは顔馴染みでございますので、本人に逢ってその赤児を
(みせてもらいますと、なるほどりっぱないんがものでございます。しょうじきのところ)
みせて貰いますと、なるほど立派な因果者でございます。正直のところ
(わたくしはとてもさしあたってよんりょういちぶのくめんはつきませんから、)
わたくしはとても差し当って四両一分の工面は付きませんから、
(このいんがものをとみぞうのところへもっていって、ねこのかたしろに)
この因果者を富蔵のところへ持って行って、猫の形代(かたしろ)に
(うけとってもらおうとぞんじまして、このこをよそへやるきはないかと)
受け取って貰おうと存じまして、この児をよそへやる気はないかと
(ききますと、じつはもてあましているところだから、かたわをしょうちでもらってくれる)
訊きますと、実は持て余しているところだから、片輪を承知で貰ってくれる
(しんせつなひとがあれば、どこへでもやりたいともうします。それではいちど)
親切な人があれば、何処へでもやりたいと申します。それでは一度
(そうだんしてこようとやくそくしてかえりまして、そのあしでおつがのところへいって)
相談して来ようと約束して帰りまして、その足でお津賀のところへ行って
(そうだんしますと、となりのとみぞうはあいにくおりませんでしたが、おつがは)
相談しますと、隣りの富蔵はあいにく居りませんでしたが、お津賀は
(そのはなしをききまして、それがまったくしょうばいになりそうなものならば)
その話を聞きまして、それがまったく商売になりそうなものならば
(とみさんもしょうちしてくれるかもしれないから、ともかくもそのいんがものを)
富さんも承知してくれるかも知れないから、ともかくもその因果者を
(つれてきてみせろともうしました」)
連れて来てみせろと申しました」
(「それでとうとうそのあかんぼうをとってきたのか。おめえもむじひなおとこだな」)
「それでとうとうその赤ん坊を取って来たのか。おめえも無慈悲な男だな」
(と、はんしちはにがにがしそうにいった。)
と、半七は苦々(にがにが)しそうに云った。