半七捕物帳 三河万歳5
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問題文
(いぜんはにほんばしのよっかいちにさいぞういちというものがひらかれて、)
以前は日本橋の四日市に才蔵市(さいぞういち)というものが開かれて、
(みかわからでてくるまんざいどもはみなそれのいちへあつまって、おもいおもいに)
三河から出てくる万歳どもはみな其の市へあつまって、思い思いに
(じぶんのさいぞうをえらむことになっていたが、てんぽういごには)
自分の才蔵を択(えら)むことになっていたが、天保(てんぽう)以後には
(それがもうすたれて、まんざいとさいぞうとはらいねんをやくそくしてわかれる。)
それがもう廃(すた)れて、万歳と才蔵とは来年を約束して別れる。
(そうして、そのとしのくれにまんざいがかさねてえどへくだると、おもにあわ)
そうして、その年の暮に万歳が重ねて江戸へ下(くだ)ると、主に安房(あわ)
(かずさしもうさからでてくるさいぞうはやくそくのとおりそのじょうやどへ)
上総(かずさ)下総(しもうさ)から出て来る才蔵は約束の通りその定宿へ
(たずねていって、ふたたびつれだってえどのはるをいわってあるく。それがこのごろの)
たずねて行って、再び連れ立って江戸の春を祝ってあるく。それが此の頃の
(れいになっているので、まんざいはそのつどにさいぞうをえらぶひつようはなかった。)
例になっているので、万歳はその都度に才蔵を選ぶ必要はなかった。
(おんごくどうしのやくそくははなはだふあんのようではあるが、ぎりのかたいさいぞうは)
遠国(おんごく)同士の約束は甚だ不安のようではあるが、義理の固い才蔵は
(まんいちじぶんにびょうきそのたのさしつかえがあるばあいには、さしがみをもたせて)
万一自分に病気その他の差し支えがある場合には、差紙(さしがみ)を持たせて
(かならずだいにんをのぼせることになっているので、たいていはまちがいもなしに)
必ず代人を上(のぼ)せることになっているので、大抵は間違いも無しに
(すんでいた。そのさいぞうがやくそくどおりにたずねてこない。またそのだいにんも)
済んでいた。その才蔵が約束通りにたずねて来ない。又その代人も
(よこさないとあっては、まんざいのいちまるだゆうがとうわくするのもむりはなかった。)
よこさないとあっては、万歳の市丸太夫が当惑するのも無理はなかった。
(いくらりっぱなでいりやしきをたくさんもっていても、さいぞうをつれないまんざいは)
いくら立派な出入り屋敷をたくさん持っていても、才蔵を連れない万歳は
(ぶけやしきのかどまつをくぐるわけにはゆかなかった。)
武家屋敷の門松をくぐる訳にはゆかなかった。
(「そのさいぞうはなんというなで、どこのやつだ」と、はんしちはきいた。)
「その才蔵はなんという名で、どこの奴だ」と、半七は訊いた。
(「しもうさのこがのやつで、まつわかというんだそうです」)
「下総の古河(こが)の奴で、松若というんだそうです」
(「まつわか・・・・・・。しゃれたなだな」と、かめきちはわらった。)
「松若……。洒落(しゃれ)た名だな」と、亀吉は笑った。
(「すると、おやぶん。そのまつわかがせんぎものですね」)
「すると、親分。その松若が詮議者ですね」
(「で、そのいちまるだゆうというのにはあわねえんだな」と、はんしちはねんをおした。)
「で、その市丸太夫というのには逢わねえんだな」と、半七は念を押した。
(「あいません」と、ぜんぱちはこたえた。「なんでもごじゅうにさんのおおがらのおとこで、)
「逢いません」と、善八は答えた。「なんでも五十二三の大柄の男で、
(さけをのむとむやみにようきにさわぎちらすとやどのじょちゅうがはなしていました。)
酒を飲むとむやみに陽気に騒ぎ散らすと宿の女中が話していました。
(ふだんはまじめなつらをしているが、なかなかどうらくものらしいおとこで、)
ふだんはまじめな面(つら)をしているが、なかなか道楽者らしい男で、
(ようとしゃみせんなんぞをぽつんぽつんやるということです」)
酔うと三味線なんぞをぽつんぽつん弾(や)るということです」
(「そうか。それじゃもういちどそのみかわやへいって、いちまるだゆうのかえるのを)
「そうか。それじゃもう一度その三河屋へ行って、市丸太夫の帰るのを
(まっていて、そのさいぞうというのはどんなやつか、またそのおにっこになにか)
待っていて、その才蔵というのはどんな奴か、又その鬼っ児に何か
(こころあたりはねえか、よくしらべてくれ」)
心あたりはねえか、よく調べてくれ」
(ぜんぱちをだしてやって、ふたりはしたやのいなりちょうへあしをむけた。)
善八を出してやって、ふたりは下谷の稲荷町へ足を向けた。
(あさからのからっかぜがしろいすなけむりをふきまいているこうとくじまえをうろついて、)
朝からの空っ風が白い砂けむりを吹き巻いている広徳寺前をうろついて、
(ようようにやしのとみぞうのいえをさがしあてた。かぎのてにまがっている)
ようように香具師の富蔵の家を探しあてた。鉤(かぎ)の手に曲がっている
(ろじのおくで、となりのあきちには、いなりのやしろがまつられていた。)
路地の奥で、隣りの空地には、稲荷の社(やしろ)が祀(まつ)られていた。
(きんじょできいてみようとあたりをみまわすと、さんじゅうかっこうのにょうぼうが)
近所で訊いてみようと四辺(あたり)を見まわすと、三十格好の女房が
(まっかなてをしながらいどばたでおおたばのふゆなを)
真っ赤な手をしながら井戸端で大束(おおたば)の冬菜(ふゆな)を
(あらっていて、そのそばにななつやっつのおとこのこがたっていた。)
洗っていて、そのそばに七つ八つの男の児が立っていた。
(「もし、おかみさんえ」と、はんしちはちかよってなれなれしくこえをかけた。)
「もし、おかみさんえ」と、半七は近寄って馴れなれしく声をかけた。
(「あすこのとみぞうさんはおるすですかえ」)
「あすこの富蔵さんはお留守ですかえ」
(「とみさんはいませんよ」と、にょうぼうはそっけなくこたえた。)
「富さんはいませんよ」と、女房は素気(そっけ)なく答えた。
(「きょうはやげんぼりのほうへでもいったかもしれません」)
「きょうは薬研堀(やげんぼり)の方へでも行ったかも知れません」
(とみぞうはひとりもので、やしとはいうもののじぶんがこうぎょうを)
富蔵は独身者(ひとりもの)で、香具師とはいうものの自分が興行を
(しているのではない。どこかのみせものごやにやとわれてきどばんを)
しているのではない。どこかの観世物(みせもの)小屋に雇われて木戸番を
(つとめているらしいことは、かめきちのほうこくでわかっていた。)
勤めているらしいことは、亀吉の報告でわかっていた。
(はんしちはこごえでまたきいた。)
半七は小声でまた訊いた。
(「あのとみさんのうちにねこがかってありましたか」)
「あの富さんの家(うち)に猫が飼ってありましたか」
(「ねこですか。あのねこじゃあ・・・・・・」)
「猫ですか。あの猫じゃあ……」
(いいかけてにょうぼうはくちをつぐんでしまった。)
云いかけて女房は口を噤(つぐ)んでしまった。
(「そのねこがどうかしましたかえ」)
「その猫がどうかしましたかえ」
(にょうぼうはじぶんのうしろをちょっとみかえってやはりだまっていた。)
女房は自分のうしろをちょっと見かえってやはり黙っていた。
(すなおにはいいそうもないとおもって、はんしちはふところにてをいれた。)
素直には云いそうもないと思って、半七はふところに手を入れた。
(「ここにいるのはおかみさんのこどもかえ、おとなしそうなこだ。)
「ここにいるのはおかみさんの子供かえ、おとなしそうな児だ。
(おじさんがおせいぼにたこをかってやろうじゃねえか。)
小父さんが御歳暮に紙鳶(たこ)を買ってやろうじゃねえか。
(ここへきねえ」)
ここへ来ねえ」
(かみいれからいっしゅぎんをひとつつまみだしてやると、うらだなのおとこのこは)
紙入れから一朱銀を一つつまみ出してやると、裏店(うらだな)の男の児は
(おどろいたようにかれのかおをみあげていた。にょうぼうはまえだれでぬれてを)
おどろいたように彼の顔をみあげていた。女房は前垂れで濡れ手を
(ふきながられいをいった。)
ふきながら礼を云った。
(「どうもすみませんねえ。こんなものをいただいちゃあ・・・・・・。)
「どうも済みませんねえ。こんなものをいただいちゃあ……。
(おまえ、よくおじぎをおしなさいよ」)
おまえ、よくお辞儀をおしなさいよ」
(「なに、おれいにゃあおよばねえ、そこでおかみさん、しつこくきくようだが、)
「なに、お礼にゃあ及ばねえ、そこでおかみさん、しつこく訊くようだが、
(そのねこがどうしたのかえ。そのねこがにげたんじゃあねえか」)
その猫がどうしたのかえ。その猫が逃げたんじゃあねえか」
(「にげたのならまだいいんですけど・・・・・・」と、にょうぼうはこごえでいった。)
「逃げたのならまだいいんですけど……」と、女房は小声で云った。
(「ころされたんですよ」 「だれにころされた」)
「殺されたんですよ」 「誰に殺された」
(「それがおかしいんですよ。とみさんのいないるすにばけねことまちがって)
「それがおかしいんですよ。富さんのいない留守に化け猫と間違って
(ころされてしまったんですが、そりゃあむりもありません。)
殺されてしまったんですが、そりゃあ無理もありません。
(あのねこはおどるんですもの」 「それはしょうばいものだね」)
あの猫はおどるんですもの」 「それは商売物だね」
(「まあ、そうです。これからだんだんしこもうというところを、)
「まあ、そうです。これからだんだん仕込もうというところを、
(ばけねこだとおもってころされてしまったんですよ。とみさんもたいへんにおこりましてね」)
化け猫だと思って殺されてしまったんですよ。富さんも大変に怒りましてね」
(いっしゅぎんのききめで、にょうぼうはそのひのできごとをぺらぺらとしゃべりだした。)
一朱銀の効き目で、女房はその日の出来事をぺらぺらとしゃべり出した。