江戸川乱歩 芋虫 -7-

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江戸川乱歩
順位 名前 スコア 称号 打鍵/秒 正誤率 時間(秒) 打鍵数 ミス 問題 日付
1 miko 6042 A++ 6.1 97.7% 666.9 4126 96 71 2024/11/08

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問題文

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(たのみにたのんでやっといしゃをひっぱってきたときにも、にくかいはさっきとおなじはげしさで)

頼みに頼んでやっと医者をひっぱってきた時にも、肉塊はさっきと同じ烈しさで

(おどりくるっていた。むらのいしゃは、うわさにはきいていたけれど、まだじつぶつをみたことが)

躍り狂っていた。村の医者は、噂には聞いていたけれど、まだ実物を見たことが

(なかったので、かたわもののぶきみさにきもをつぶしてしまって、ときこがもののはずみで)

なかったので、片輪者の無気味さに肝をつぶしてしまって、時子が物のはずみで

(こんなちんじをひきおこしたむねを、くどくどべんかいするのを、よくみみにはいらぬようすで)

こんな椿事を惹き起した旨を、くどくど弁解するのを、よく耳にはいらぬ様子で

(あった。かれはいたみどめのちゅうしゃときずのてあてをしてしまうと、おおいそぎで)

あった。彼は痛み止めの注射と傷の手当てをしてしまうと、大急ぎで

(かえっていった。)

帰って行った。

(ふしょうしゃがやっともがきやんだころ、しらじらと、よがあけた。)

負傷者がやっと藻掻きやんだ頃、しらじらと、夜が明けた。

(ときこはふしょうしゃのむねをさすってやりながら、ぼろぼろとなみだをこぼし、)

時子は負傷者の胸をさすってやりながら、ボロボロと涙をこぼし、

(「すみません」「すみません」といいつづけていた。にくかいはふしょうのために)

「すみません」「すみません」と言いつづけていた。肉塊は負傷のために

(はつねつしたらしく、かおがあかくはれあがって、むねははげしくこどうしていた。)

発熱したらしく、顔が赤くはれ上がって、胸は烈しく鼓動していた。

(ときこはしゅうじつびょうにんのそばをはなれなかった。しょくじさえしなかった。そして、びょうにんの)

時子は終日病人のそばを離れなかった。食事さえしなかった。そして、病人の

(あたまとむねにあてたぬれたおるを、ひっきりなしにしぼりかえたり、きちがいめいた)

頭と胸に当てた濡れタオルを、ひっきりなしに絞り換えたり、気ちがいめいた

(ながたらしいわびごとをつぶやいてみたり、びょうにんのむねにゆびさきで「ゆるして」と)

長たらしい詫び言をつぶやいてみたり、病人の胸に指先で「ユルシテ」と

(いくどもいくどもかいてみたり、かなしさとつみのいしきに、じかんのたつのを)

幾度も幾度も書いてみたり、悲しさと罪の意識に、時間のたつのを

(わすれてしまっていた。)

忘れてしまっていた。

(ゆうがたになって、びょうにんはいくらかねつもひき、いきづかいもらくになった。ときこは、)

夕方になって、病人はいくらか熱もひき、息づかいも楽になった。時子は、

(びょうにんのいしきがもうじょうたいにふくしたにちがいないとおもったので、あらためて、)

病人の意識がもう常態に復したに違いないと思ったので、あらためて、

(かれのむねのひふのうえに、いちじいちじはっきりと「ゆるして」とかいて、はんのうをみた。)

彼の胸の皮膚の上に、一字々々ハッキリと「ユルシテ」と書いて、反応を見た。

(だが、にくかいは、なんのへんじもしなかった。めをうしなったとはいえ、くびをふるとか、)

だが、肉塊は、なんの返事もしなかった。眼を失ったとはいえ、首を振るとか、

(えがおをつくるとか、なにかのほうほうでかのじょのもじにこたえられぬはずはなかったのに、)

笑顔を作るとか、何かの方法で彼女の文字に答えられぬはずはなかったのに、

など

(にくかいはみうごきもせず、ひょうじょうもかえないのだ。いきづかいのようすではねむっているとも)

肉塊は身動きもせず、表情も変えないのだ。息づかいの様子では眠っているとも

(かんがえられなかった。ひふにかいたもじをりかいするちからさえうしなったのか、それとも、)

考えられなかった。皮膚に書いた文字を理解する力さえ失ったのか、それとも、

(ふんぬのあまり、ちんもくをつづけているのか、まるでわからない。それはいまや、)

憤怒のあまり、沈黙をつづけているのか、まるでわからない。それは今や、

(いっこのふわふわした、あたたかいぶっしつでしかなかったのだ。)

一個のフワフワした、暖かい物質でしかなかったのだ。

(ときこはそのなんともけいようのできぬせいしのにくかいをみつめているうちに、)

時子はそのなんとも形容のできぬ静止の肉塊を見つめているうちに、

(うまれてからかつてけいけんしたことのない、しんそこからのおそろしさに、わなわなと)

生まれてからかつて経験したことのない、真底からの恐ろしさに、ワナワナと

(ふるえださないではいられなかった。)

震え出さないではいられなかった。

(そこによこたわっているものはいっこのいきものにちがいなかった。かれははいぞうも)

そこに横たわっているものは一個の生きものに違いなかった。彼は肺臓も

(いぶくろももっているのだ。それだのに、かれはものをみることができない。おとを)

胃袋も持っているのだ。それだのに、彼は物を見ることができない。音を

(きくことができない。ひとこともくちがきけない。なにかをつかむべきてもなく、)

聞くことができない。一とことも口がきけない。何かを掴むべき手もなく、

(たちあがるべきあしもない。かれにとってはこのせかいはえいえんのせいしであり、)

立ち上がるべき足もない。彼にとってはこの世界は永遠の静止であり、

(ふだんのちんもくであり、はてしなきくらやみである。かつてなにびとがかかるきょうふの)

不断の沈黙であり、果てしなき暗やみである。かつてなにびとがかかる恐怖の

(せかいをそうぞうしえたであろう。そこにすむもののこころもちはなににくらべることが)

世界を想像し得たであろう。そこに住む者の心持は何に比べることが

(できるであろう。かれはさだめし「たすけてくれえ」とこえをかぎりによばわりたいで)

できるであろう。彼は定めし「助けてくれえ」と声を限りに呼ばわりたいで

(あろう。どんなうすあかりでもかまわぬ、もののすがたをみたいであろう。)

あろう。どんな薄明かりでもかまわぬ、物の姿を見たいであろう。

(どんなかすかなおとでもかまわぬ、もののひびきをききたいであろう。)

どんなかすかな音でもかまわぬ、物の響きを聞きたいであろう。

(なにものかにすがり、なにものかを、ひしとつかみたいであろう。だが、かれには)

何物かにすがり、何物かを、ひしと掴みたいであろう。だが、彼には

(そのどれもが、まったくふかのうなのである。)

そのどれもが、まったく不可能なのである。

(ときこは、いきなりわっとこえをたててなきだした。そして、とりかえしのつかぬ)

時子は、いきなりワッと声を立てて泣き出した。そして、取り返しのつかぬ

(ざいごうを、すくわれぬひしゅうに、こどものようにすすりあげながら、ただひとがみたくて、)

罪業を、救われぬ悲愁に、子供のようにすすり上げながら、ただ人が見たくて、

(よのつねのすがたをそなえたにんげんがみたくて、あわれなおっとをおきざりに、おもやのわしおけへ)

世の常の姿を備えた人間が見たくて、哀れな夫を置き去りに、母屋の鷲尾家へ

(かけつけたのであった。)

駈けつけたのであった。

(はげしいおえつのためにききとりにくい、ながながしいかのじょのざんげを、だまってきき)

烈しい嗚咽のために聞き取りにくい、長々しい彼女の懺悔を、だまって聞き

(おわったわしおろうしょうしょうは、あまりのことにしばらくことばがでなかったが、)

終わった鷲尾老少将は、あまりのことにしばらく言葉が出なかったが、

(「ともかく、すながちゅういをおみまいしよう」)

「ともかく、須永中尉をお見舞いしよう」

(やがてかれはぶぜんとしていった。)

やがて彼は憮然として言った。

(もうよるにはいっていたので、ろうじんのためにちょうちんがよういされた。ふたりは、)

もう夜にはいっていたので、老人のために提灯が用意された。二人は、

(くらやみのくさはらを、おのおのものおもいにしずみながら、だまりかえってはなれざしきへ)

暗やみの草原を、おのおの物思いに沈みながら、だまり返って離れ座敷へ

(たどった。)

たどった。

(「だれもいないよ。どうしたのじゃ」)

「誰もいないよ。どうしたのじゃ」

(さきになってそこのにかいにあがっていったろうじんが、びっくりしていった。)

先になってそこの二階に上がっていった老人が、びっくりして言った。

(「いいえ、そのとこのなかでございますの」)

「いいえ、その床の中でございますの」

(ときこは、ろうじんをおいこして、さっきまでおっとのよこたわっていたふとんのところへ)

時子は、老人を追い越して、さっきまで夫の横たわっていた蒲団のところへ

(いってみた。だが、じつにへんてこなことがおこったのだ。)

行ってみた。だが、じつに変てこなことが起こったのだ。

(そこはもぬけのからになっていた。)

そこはもぬけの殻になっていた。

(「まあ・・・・・・」)

「まあ・・・・・・」

(といったきり、かのじょはぼうぜんとたちつくしていた。)

と言ったきり、彼女は茫然と立ちつくしていた。

(「あのふじゆうなからだで、まさかこのいえをでることはできまい。)

「あの不自由なからだで、まさかこの家を出ることはできまい。

(いえのなかをさがしてみなくては」)

家の中を探してみなくては」

(やっとしてから、ろうしょうしょうがうながすようにいった。ふたりはかいじょうかいかをくまなく)

やっとしてから、老少将が促すように言った。二人は階上階下を隈なく

(さがしまわった。だが、ふぐしゃのかげはどこにもみえなかったばかりか、)

探しまわった。だが、不具者の影はどこにも見えなかったばかりか、

(かえってそのかわりに、あるおそろしいものがはっけんされたのだ。)

かえってそのかわりに、ある恐ろしいものが発見されたのだ。

(「まあ、これ、なんでございましょう?」)

「まあ、これ、なんでございましょう?」

(ときこは、さっきまでふぐしゃのねていたまくらもとのはしらをみつめていた。)

時子は、さっきまで不具者の寝ていた枕もとの柱を見つめていた。

(そこにはえんぴつで、よほどかんがえないではよめぬような、こどものいたずらがき)

そこには鉛筆で、よほど考えないでは読めぬような、子供のいたずら書き

(みたいなものが、おぼつかなげにしるされていたのだ。)

みたいなものが、おぼつかなげにしるされていたのだ。

(「ゆるす」)

「ユルス」

(ときこはそれを「ゆるす」とよみえたとき、はっとすべてのじじょうがわかって)

時子はそれを「許す」と読み得た時、ハッとすべての事情がわかって

(しまったようにおもった。ふぐしゃは、うごかぬからだをひきずって、つくえのうえの)

しまったように思った。不具者は、動かぬからだを引きずって、机の上の

(えんぴつをくちでさがして、かれにしてはそれがどれほどのくしんであったか、わずか)

鉛筆を口で探して、彼にしてはそれがどれほどの苦心であったか、わずか

(かたかなさんもじのかきおきをのこすことができたのである。)

片仮名三文字の書置きを残すことができたのである。

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