江戸川乱歩 幽霊-2-
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問題文
(それからすうかげつのあいだはなにごともなくすぎさった。ひらたしのしんけいかびんとふみんしょうは)
それから数カ月のあいだは何事もなく過ぎ去った。平田氏の神経過敏と不眠症は
(よういにかいふくしなかったけれど、しんぱいしたようなおんりょうのたたりらしいものもなく、)
容易に回復しなかったけれど、心配したような怨霊のたたりらしいものもなく、
(またつじどうのむすこのほうにもなんらふおんのけいせいはみえなかった。)
又辻堂の息子の方にもなんら不穏の形勢は見えなかった。
(さすがようじんぶかいひらたしも、だんだんむえきなとりこしぐろうをばかばかしく)
さすが用心深い平田氏も、だんだん無益なとりこし苦労をばかばかしく
(おもうようになってきた。)
思うようになってきた。
(ところが、あるばんのことであった。)
ところが、ある晩のことであった。
(ひらたしはめずらしく、たったひとりでしょさいにとじこもってなにかかきものをしていた。)
平田氏は珍らしく、たったひとりで書斎にとじこもって何か書き物をしていた。
(やしきまちのことで、まだよいのうちであったにもかかわらず、)
屋敷町のことで、まだ宵のうちであったにもかかわらず、
(あたりはいやにしーんとしずまりかえっていた。)
あたりはいやにシーンとしずまり返っていた。
(ときどきいぬのとおぼえがものさびしくきこえてくるばかりだった。)
ときどき犬の遠吠えが物淋しく聞こえてくるばかりだった。
(「これがまいりました」)
「これが参りました」
(とつぜんしょせいがはいってきて、いっぷうのゆうびんぶつをかれのつくえのはしにおくと、)
突然書生がはいってきて、一封の郵便物を彼の机の端に置くと、
(だまってでていった。)
だまって出て行った。
(それはひとめみてしゃしんだということがわかった。とおかばかりまえにあるかいしゃの)
それは一と目見て写真だということがわかった。十日ばかり前に或る会社の
(そうりつしゅくがかいがもよおされたとき、ほっきにんたちがかおをそろえてしゃしんをとったことがある。)
創立祝賀会が催された時、発起人たちが顔を揃えて写真をとったことがある。
(ひらたしもそのひとりだったので、それをおくってきたものにちがいない。)
平田氏もそのひとりだったので、それを送ってきたものに違いない。
(ひらたしはそんなものにたいしてきょうみもなかったけれど、ちょうどかきものにつかれて)
平田氏はそんなものに大して興味もなかったけれど、ちょうど書き物に疲れて
(いっぷくしたいときだったので、すぐつつみがみをやぶってしゃしんをとりだしてみた。)
一服したい時だったので、すぐ包み紙を破って写真を取り出してみた。
(かれはちょっとのあいだそれをながめていたが、ふとなにかきたないものにでも)
彼はちょっとのあいだそれを眺めていたが、ふと何か汚いものにでも
(さわったときのように、ぽいとつくえのうえにほうりだした。)
さわった時のように、ポイと机の上にほうり出した。
(そしてふあんらしいめつきで、へやのなかをきょろきょろとみまわすのであった。)
そして不安らしい眼つきで、部屋の中をキョロキョロと見廻すのであった。
(しばらくすると、かれのてがおじおじと、いまほうりだしたばかりのしゃしんのほうへ)
しばらくすると、彼の手がおじおじと、今ほうり出したばかりの写真の方へ
(のびていった。しかしひろげてちょっとみると、またぽいとほうりだすのだ。)
伸びて行った。しかし拡げてちょっと見ると、又ポイとほうり出すのだ。
(にどさんどこのふしぎなどうさをくりかえしたあとで、かれはやっときをおちつけて)
二度三度この不思議な動作をくりかえしたあとで、彼はやっと気を落ちつけて
(しゃしんをじゅくしすることができた。)
写真を熟視することができた。
(それはけっしてげんえいではなかった。めをこすってみたり、しゃしんのおもてを)
それは決して幻影ではなかった。眼をこすってみたり、写真の表を
(なでてみたりしても、そこにあるおそろしいかげはきえさりはしなかった。)
なでてみたりしても、そこにある恐ろしい影は消え去りはしなかった。
(ぞーっとかれのせなかをつめたいものがはいあがった。かれはいきなりそのしゃしんを)
ゾーッと彼の背中を冷たいものが這い上がった。彼はいきなりその写真を
(ずたずたにひきさいてすとーぶのなかになげこむと、ふらふらとたちあがって、)
ずたずたに引きさいてストーブの中に投げ込むと、フラフラと立ち上がって、
(しょさいからにげだした。)
書斎から逃げ出した。
(とうとうおそれていたものがやってきたのだ。つじどうのしゅうねんぶかいおんりょうが、)
とうとう恐れていたものがやってきたのだ。辻堂の執念深い怨霊が、
(そのすがたをあらわしはじめたのだ。)
その姿を現わしはじめたのだ。
(そこには、しちにんのほっきにんのめいりょうなるすがたのおくに、もうろうとして、ほとんどしゃしんの)
そこには、七人の発起人の明瞭なる姿の奥に、朦朧として、ほとんど写真の
(ひょうめんいっぱいにひろがって、つじどうのぶきみなかおがおおきくうつっていたではないか。)
表面一杯にひろがって、辻堂の無気味な顔が大きく写っていたではないか。
(そして、そのもやのようなかおのなかにまっくらなふたつのめがひらたしのほうを)
そして、そのもやのような顔の中にまっ暗な二つの眼が平田氏の方を
(うらめしげににらんでいたではないか。)
恨めしげに睨んでいたではないか。
(ひらたしはあまりのおそろしさに、ちょうどものにおびえたこどものように、)
平田氏はあまりの恐ろしさに、ちょうど物におびえた子供のように、
(あたまからふとんをひっかぶって、そのばんはよっぴてぶるぶるとふるえていたが、)
頭から蒲団をひっ被って、その晩はよっぴてブルブルとふるえていたが、
(よくあさになると、たいようのちからはえらいものだ!かれはすこしばかりげんきづいたのである。)
翌朝になると、太陽の力は偉いものだ!彼は少しばかり元気づいたのである。
(「そんなばかなことがあろうはずはない。)
「そんなばかなことがあろうはずはない。
(ゆうべはおれのめがどうかしていたのだ」)
ゆうべはおれの眼がどうかしていたのだ」
(しいてそうかんがえるようにして、かれはあさひのかんかんてりこんでいるしょさいへ)
しいてそう考えるようにして、彼は朝日のカンカン照りこんでいる書斎へ
(はいっていった。みるとざんねんなことには、しゃしんはやけてしまって)
はいっていった。見ると残念なことには、写真は焼けてしまって
(あとかたもなくなっていたけれど、それがゆめではなかったしょうこには、)
跡形もなくなっていたけれど、それが夢ではなかった証拠には、
(しゃしんのつつみがみがつくえのうえにちゃんとのこっていた。)
写真の包み紙が机の上にちゃんと残っていた。
(よくかんがえてみると、どちらにしても、おそろしいことだった。)
よく考えてみると、どちらにしても、恐ろしいことだった。
(もしあのしゃしんにほんとうにつじどうのかおがうつっていたのだったら、それはもう、)
もしあの写真にほんとうに辻堂の顔が写っていたのだったら、それはもう、
(れいのきょうはくじょうもあることだし、こんなぶきみなはなしはない。)
例の脅迫状もあることだし、こんな無気味な話はない。
(よのなかにはりがいのりというものがないともかぎらないのだ。それともまた、)
世の中には理外の理というものがないとも限らないのだ。それとも又、
(じつはなんでもないしゃしんが、ひらたしのめにだけあんなふうにみえたのだとしても、)
実は何でもない写真が、平田氏の眼にだけあんなふうに見えたのだとしても、
(それでは、いよいよつじどうののろいにかかって、きがへんになりはじめたのでは)
それでは、いよいよ辻堂の呪いにかかって、気が変になりはじめたのでは
(ないかと、いっそうおそろしくかんぜられるのだ。)
ないかと、一そう恐ろしく感ぜられるのだ。
(に、さんにちのあいだというもの、ひらたしはほかのことはなにもおもわないで、)
二、三日のあいだというもの、平田氏はほかのことは何も思わないで、
(ただあのしゃしんのことばかりかんがえていた。)
ただあの写真のことばかり考えていた。
(もしや、どうかしておなじしゃしんやでつじどうがしゃしんをとったことがあって、)
もしや、どうかして同じ写真屋で辻堂が写真をとったことがあって、
(そのたねいたとこんどのしゃしんのたねいたとがにじゅうにやきつけられたとでもいうことでは)
その種板と今度の写真の種板とが二重に焼き付けられたとでもいうことでは
(ないかしら、そんなばかばかしいことまでかんがえて、わざわざしゃしんやへつかいを)
ないかしら、そんなばかばかしいことまで考えて、わざわざ写真屋へ使いを
(やってしらべさせたが、むろんそのようなておちのあろうはずもなく、それに、)
やって調べさせたが、むろんそのような手落ちのあろうはずもなく、それに、
(しゃしんやのだいちょうにはつじどうというなまえはひとりもないこともわかった。)
写真屋の台帳には辻堂という名前はひとりもないこともわかった。
(それからいっしゅうかんばかりののちのことである。かんけいしているかいしゃのしはいにんから)
それから一週間ばかりののちのことである。関係している会社の支配人から
(でんわだというので、ひらたしがなにごころなくたくじょうでんわのじゅわきをみみにあてると、)
電話だというので、平田氏が何心なく卓上電話の受話器を耳にあてると、
(そこからへんなわらいごえがきこえてきた。)
そこから変な笑い声が聞こえてきた。
(「うふふふふふ」)
「ウフフフフフ」
(とおいところのようであり、そうかとおもうと、すぐみみのそばでひじょうにおおきなこえで)
遠いところのようであり、そうかと思うと、すぐ耳のそばで非常に大きな声で
(わらっているようにもおもわれた。こちらからいくらこえをかけても、)
笑っているようにも思われた。こちらからいくら声をかけても、
(せんぽうはわらっているだけだった。)
先方は笑っているだけだった。
(「もしもし、きみは・・くんではないのかね」)
「モシモシ、君は××君ではないのかね」
(ひらたしがかんしゃくをおこしてこうどなりつけると、そのこえはだんだん)
平田氏がかんしゃくを起こしてこうどなりつけると、その声はだんだん
(ちいさくなって、う、う、う、う、う、と、すうっととおくのほうへきえていった。)
小さくなって、ウ、ウ、ウ、ウ、ウ、と、すうっと遠くの方へ消えて行った。
(そして、「なんばん、なんばん、なんばん」という)
そして、「ナンバン、ナンバン、ナンバン」という
(こうかんしゅのかんだかいこえがそれにかわった。)
交換手のかんだかい声がそれに代わった。
(ひらたしはいきなりがちゃんとじゅわきをかけると、しばらくのあいだ)
平田氏はいきなりガチャンと受話器をかけると、しばらくのあいだ
(ひとつところをみつめてみうごきもしないでいた。そうしているうちに、)
一つ所を見つめて身動きもしないでいた。そうしているうちに、
(なんともけいようできないおそろしさが、こころのそこからじりじりとこみあげてきた)
なんとも形容できない恐ろしさが、心の底からじりじりと込み上げてきた
(・・・・・・あれはききおぼえのあるつじどうじしんのわらいごえではなかったか・・・・・・)
……あれは聞き覚えのある辻堂自身の笑い声ではなかったか……
(ひらたしはそのたくじょうでんわきがなにかおそろしいものでもあるように、)
平田氏はその卓上電話器が何か恐ろしいものでもあるように、
(でもそれからめをはなすことはできないで、あとじさりにそろそろと)
でもそれから眼を離すことはできないで、あとじさりにそろそろと
(そのへやをにげだすのであった。)
その部屋を逃げ出すのであった。