指 江戸川乱歩

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江戸川乱歩の小説「指」です。
今はあまり使われていない、漢字や読み方、表現などがありますが、原文のままです。
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(かんじゃはしゅじゅつのますいからさめてわたしのかおをみた。みぎてにあつぼったくほうたいが)

患者は手術の麻酔から醒めて私の顔を見た。右手に厚ぼったく繃帯が

(まいてあったが、てくびをせつだんされていることは、すこしもしらない。)

巻いてあったが、手首を切断されていることは、少しも知らない。

(かれはなのあるぴあにすとだから、みぎてくびがなくなったことはちめいしょうであった。)

彼は名のあるピアニストだから、右手首がなくなったことは致命傷であった。

(はんにんはかれのめいせいをねたむどうぎょうしゃかもしれない。)

犯人は彼の名声をねたむ同業者かも知れない。

(かれはやみよのどうろで、ゆきずりのひとに、するどいはものでみぎてくびかんせつのじょうぶから)

彼は闇夜の道路で、行きずりの人に、鋭い刃物で右手首関節の上部から

(きりおとされて、きをうしなったのだ。)

斬り落とされて、気を失ったのだ。

(さいわいわたしのびょういんのちかくでのできごとだったので、かれはしっしんしたまま、)

幸い私の病院の近くでの出来事だったので、彼は失神したまま、

(このびょういんにはこびこまれ、わたしはできるだけのてあてをした。)

この病院に運びこまれ、私はできるだけの手当てをした。

(「あ、きみがせわをしたくれたのか。ありがとう・・・よっぱらってね、くらいとおりで)

「あ、君が世話をしたくれたのか。ありがとう・・・酔っ払ってね、暗い通りで

(だれかわからないやつにやられた・・・・・みぎてだね。ゆびはだいじょうぶだろうか」)

誰かわからないやつにやられた・・・・・右手だね。指は大丈夫だろうか」

(「だいじょうぶだよ。うでをちょっとやられたか、なに、じきになおるよ」)

「大丈夫だよ。腕をちょっとやられたか、なに、じきに治るよ」

(わたしはしんゆうをらくたんさせるにしのびず、もうすこしよくなるまで、)

私は親友を落胆させるに忍びず、もう少しよくなるまで、

(かれのぴあにすととしてのしょうがいがおわったことを、ふせておこうとした。)

彼のピアニストとしての生涯が終わったことを、伏せておこうとした。

(「ゆびもかい。ゆびももとのとおりうごくかい」「だいじょうぶだよ」)

「指もかい。指も元の通り動くかい」「大丈夫だよ」

(わたしはにげだすように、べっどをはなれてびょうしつをでた。)

私は逃げ出すように、ベッドをはなれて病室を出た。

(つきそいのかんごふにも、いましばらく、てくびがなくなったことはしらせないように、)

付添いの看護婦にも、今しばらく、手首がなくなったことは知らせないように、

(かたくいいつけておいた。それからにじかんほどして、わたしはかれのびょうしつをみまった。)

固くいいつけておいた。それから二時間ほどして、私は彼の病室を見舞った。

(かんじゃはややげんきをとりもどしていた。しかし、まだじぶんのみぎてをあらためるちからは)

患者はやや元気をとり戻していた。しかし、まだ自分の右手をあらためる力は

(ない。てくびのなくなったことはしらないでいる。「いたむかい」)

ない。手首のなくなったことは知らないでいる。「痛むかい」

(わたしはかれのうえにかおをだしてたずねてみた。「うん、よほどらくになった」)

私は彼の上に顔を出して訊ねてみた。「うん、よほど楽になった」

など

(かれはそういって、わたしのかおをじっとみた。そして、もうふのうえにだしていた)

彼はそういって、私の顔をじっと見た。そして、毛布の上に出していた

(ひだりてのゆびを、ぴあのをひくかっこうでうごかしはじめた。)

左手の指を、ピアノを弾く格好で動かしはじめた。

(「いいだろうか、みぎてのゆびをすこしうごかしても・・・・・あたらしいさっきょくをしたのでね)

「いいだろうか、右手の指を少し動かしても・・・・・新しい作曲をしたのでね

(そいつをまいにちいちどやってみないときがすまないんだ」)

そいつを毎日一度やってみないと気がすまないんだ」

(わたしははっとしたが、とっさにおもいついて、かんぶをうごかさないためと)

私はハッとしたが、咄嗟に思いついて、患部を動かさないためと

(みせかけながら、かれのじょうはくのしゃくこつしんけいのかしょを、ゆびでおさえた。)

見せかけながら、彼の上膊の釈骨神経の個所を、指で圧さえた。

(そこをあっぱくすると、ゆびがなくても、あるようなかんかくを、のうちゅうすうにつたえることが)

そこを圧迫すると、指がなくても、あるような感覚を、脳中枢に伝えることが

(できるからだ。かれはもうふのうえのひだりてのゆびを、きもちよさそうに、)

できるからだ。彼は毛布の上の左手の指を、気持よさそうに、

(しきりにうごかしていたが、「ああ、みぎのゆびはだいじょうぶだね。よくうごくよ」)

しきりに動かしていたが、「ああ、右の指は大丈夫だね。よく動くよ」

(と、つぶやきながら、むちゅうになって、かくうのきょくをひきつづけた。)

と、呟きながら、夢中になって、架空の曲を弾きつづけた。

(わたしはみるにたえなかった。かんごふに、かんじゃのみぎうでのしゃくこつしんけいを)

私は見るにたえなかった。看護婦に、患者の右腕の釈骨神経を

(おさえているように、めがおでさしずしておいて、あしおとをぬすんでびょうしつをでた。)

圧さえているように、目顔でさしずしておいて、足音を盗んで病室を出た。

(そしてしゅじゅつしつのまえをとおりかかると、ひとりのかんごふが、そのへやのかべに)

そして手術室の前を通りかかると、一人の看護婦が、その部屋の壁に

(とりつけたたなをみつめて、つったっているのがみえた。)

とりつけた棚を見つめて、突っ立っているのが見えた。

(かのじょのようすはふつうではなかった。かおはあおざめ、めはいようにおおきくひらいて、)

彼女の様子は普通ではなかった。顔は青ざめ、眼は異様に大きくひらいて、

(たなにのせてあるなにかをぎょうししていた。)

棚にのせてある何かを凝視していた。

(わたしはおもわずしゅじゅつしつにはいって、そのたなをみた。そこにはかれのてくびを)

私は思わず手術室にはいって、その棚を見た。そこには彼の手首を

(あるこーるづけにしたおおきながらすびんがおいてあった。)

アルコール漬けにした大きなガラス瓶が置いてあった。

(びんのあるこーるのなかで、かれのてくびが、いや、かれのごほんのゆびが、)

瓶のアルコールの中で、彼の手首が、いや、彼の五本の指が、

(しろいかにのあしのようにうごいていた。)

白い蟹の脚のように動いていた。

(ぴあののきいをたたくちょうしで、しかし、じっさいのうごきよりもずっとちいさく、)

ピアノのキイを叩く調子で、しかし、実際の動きよりもずっと小さく、

(ようじのように、たよりなげに、しきりとうごいていた。)

幼児のように、たよりなげに、しきりと動いていた。

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