「心理試験」9 江戸川乱歩

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タグ小説 長文
江戸川乱歩の小説「心理試験」です。
今はあまり使われていない漢字や、読み方、表現などがありますが、原文のままです。

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問題文

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(さてどくしゃしょくん、たんていしょうせつというもののせいしつにつうぎょうせらるるしょくんは、おはなしは)

さて読者諸君、探偵小説というものの性質に通暁せらるる諸君は、お話は

(けっしてこれきりでおわらぬことをひゃくもごしょうちであろう。いかにもそのとおりである。)

決してこれ切りで終らぬことを百も御承知であろう。如何にもその通りである。

(じつをいえばここまでは、このものがたりのぜんていにすぎないので、さくしゃがぜひ、)

実を云えばここまでは、この物語の前提に過ぎないので、作者が是非、

(しょくんによんでもらいたいとおもうのは、これからあとなのである。つまり、かくも)

諸君に読んで貰い度いと思うのは、これから後なのである。つまり、かくも

(たくらんだふきやのはんざいがいかにしてはっかくしたかというそのいきさつについてである。)

企んだ蕗谷の犯罪が如何にして発覚したかというそのいきさつについてである。

(このじけんをたんとうしたよしんはんじは、ゆうめいなかさもりしであった。かれはふつうのいみで)

この事件を担当した予審判事は、有名な笠森氏であった。彼は普通の意味で

(めいけいじだったばかりでなく、あるたしょうふうがわりなしゅみをもっているので)

名刑事だったばかりでなく、ある多少風変りな趣味を持っているので

(いっそうゆうめいだった。それは、かれがいっしゅのしろうとしんりがくしゃだったことで、)

一層有名だった。それは、彼が一種の素人心理学者だったことで、

(かれはふつうのやりかたではどうにもはんだんのくだしようがないじけんにたいしては、さいごに、)

彼は普通のやり方ではどうにも判断の下し様がない事件に対しては、最後に、

(そのほうふなしんりがくじょうのちしきをりようして、しばしばそうこうした。かれはけいれきこそあさく、)

その豊富な心理学上の知識を利用して、屡々奏効した。彼は経歴こそ浅く、

(としこそわかかったけれど、ちほうさいばんしょのいちよしんはんじとしては、もったいないほどの)

年こそ若かったけれど、地方裁判所の一予審判事としては、勿体ない程の

(しゅんさいだった。こんどのろうばごろしじけんも、かさもりはんじのてにかかれば、)

俊才だった。今度の老婆殺し事件も、笠森判事の手にかかれば、

(もうわけなくかいけつすることと、だれしもかんがえていた。とうのかさもりじしんもおなじように)

もう訳なく解決することと、誰しも考えていた。当の笠森自身も同じ様に

(かんがえた。いつものように、このじけんも、よしんていですっかりしらべあげて、)

考えた。いつもの様に、この事件も、予審廷ですっかり調べ上げて、

(こうはんのばあいにはいささかのめんどうものこっていぬようにしょりしてやろうとおもっていた。)

公判の場合にはいささかの面倒も残っていぬ様に処理してやろうと思っていた。

(ところが、とりしらべをすすめるにしたがって、じけんのこんなんなことがだんだんわかってきた。)

ところが、取調を進めるに随って、事件の困難なことが段々分って来た。

(けいさつしょなどはたんじゅんにさいとういさむのゆうざいをしゅちょうした。かさもりはんじとても、)

警察署等は単純に斉藤勇の有罪を主張した。笠森判事とても、

(そのしゅちょうにいちりあることをみとめないではなかった。というのはせいぜんろうばのいえに)

その主張に一理あることを認めないではなかった。というのは生前ろうばの家に

(ではいりしたけいせきのあるものは、かのじょのさいむしゃであろうが、しゃくやにんであろうが、)

出入りした形跡のある者は、彼女の債務者であろうが、借家人であろうが、

(たんなるしりあいであろうが、のこらずしょうかんしてめんみつにとりしらべたにもかかわらず、)

単なる知合であろうが、残らず召喚して綿密に取調べたにも拘らず、

など

(ひとりとしてうたがわしいものはないのだ。ふきやせいいちろうももちろんそのうちのひとりだった。)

一人として疑わしい物はないのだ。蕗谷誠一郎も勿論その内の一人だった。

(ほかにけんぎしゃがあらわれぬいじょう、さしずめもっともうたがうべきさいとういさむをはんにんとはんだんする)

外に嫌疑者が現れぬ以上、さしずめ最も疑うべき斉藤勇を犯人と判断する

(ほかはない。のみならず、さいとうにとってもっともふりだったのは、かれがせいらい)

外はない。のみならず、斉藤にとって最も不利だったのは、彼が生来

(きのよわいたちで、いちもにもなくほうていのくうきにおそれをなしてしまって、じんもんにたいしても)

気の弱い質で、一も二もなく法廷の空気に恐れをなして了って、訊問に対しても

(はきはきとうべんのできなかったことだ。のぼせあがったかれは、しばしばいぜんのちんじゅつを)

ハキハキ答弁の出来なかったことだ。のぼせ上った彼は、屡々以前の陳述を

(とりけしたり、とうぜんしっているはずのことをわすれてしまったり、いわずとものふりな)

取消したり、当然知っている筈の事を忘れて了ったり、云わずともの不利な

(もうしたてをしたり、あせればあせるほど、ますますけんぎをふかくするばかりだった。)

申立をしたり、あせればあせる程、益々嫌疑を深くする計りだった。

(それというのも、かれにはろうばのかねをぬすんだというよわみがあったからで、)

それというのも、彼には老婆の金を盗んだという弱みがあったからで、

(それさえなければ、そうとうあたまのいいさいとうのことだからいかにきがよわいといって、)

それさえなければ、相当頭のいい斉藤のことだから如何に気が弱いといって、

(あのようなへまなまねはしなかっただろうに、かれのたちばはじっさいどうじょうすべき)

あの様なへまな真似はしなかっただろうに、彼の立場は実際同情すべき

(ものだった。しかし、それではさいとうをさつじんはんとみとめるかというと、かさもりしには)

ものだった。併し、それでは斉藤を殺人犯と認めるかというと、笠森氏には

(どうもそのじしんがなかった。そこにはただうたがいがあるばかりなのだ。)

どうもその自信がなかった。そこにはただ疑いがあるばかりなのだ。

(ほんにんはもちろんじはくせず、ほかにこれというかくしょうもなかった。)

本人は勿論自白せず、外にこれという確証もなかった。

(こうして、じけんからいっかげつがけいかした。よしんはまだしゅうけつしない。)

こうして、事件から一ヶ月が経過した。予審はまだ終結しない。

(はんじはすこしあせりだしていた。ちょうどそのとき、ろうばごろしのかんかつのけいさつしょちょうから、)

判事は少しあせり出していた。丁度その時、老婆殺しの管轄の警察署長から、

(かれのところへひとつのみみよりなほうこくがもたらされた。それはじけんのとうじつ)

彼の所へ一つの耳よりな報告が齎された。それは事件の当日

(ごせんにひゃくなんじゅうなんえんざいちゅうのいっこのさいふが、ろうばのいえからほどとおからぬーーまちに)

五千二百何十何円在中の一個の財布が、老婆の家から程遠からぬーー町に

(おいてしゅうとくされたが、そのとどけぬしが、けんぎしゃのさいとうのしんゆうである)

於て拾得されたが、その届主が、嫌疑者の斉藤の親友である

(ふきやせいいちろうというがくせいだったことを、かかりのもののそろうからきょうまで)

蕗谷清一郎という学生だったことを、係りの者の疎漏から今日まで

(きづかずにいた。が、そのたいきんのいしつしゃがいっかげつたってもあらわれぬところをみると、)

気附かずにいた。が、その大金の遺失者が一ヶ月たっても現れぬ所を見ると、

(そこになにかいあじがありはしないか。ねんのためにごほうこくするということだった。)

そこに何か意味がありはしないか。念の為に御報告するということだった。

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