山本周五郎 赤ひげ診療譚 徒労に賭ける 11
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問題文
(「いつかのやつって」)
「いつかのやつって」
(「このまえほんごうのとおりで、わざとせんせいにぶっつかってもんくをつけたやつです」)
「このまえ本郷の通りで、わざと先生にぶっつかって文句をつけたやつです」
(「そうかな、わたしはきがつかなかったが」)
「そうかな、私は気がつかなかったが」
(「あっしはあのつらでおぼえてましたよ」とたけぞうはいった、)
「あっしはあの面で覚えてましたよ」と竹造は云った、
(「やろうこそこそにげていったじゃあありませんか」)
「野郎こそこそ逃げていったじゃあありませんか」
(「そうらしいな」とのぼるがいった。)
「そうらしいな」と登が云った。
(きょじょうはそのひ、じゅうななけんあるしょうかをぜんぶみてまわった。)
去定はその日、十七軒ある娼家をぜんぶ診てまわった。
(なかにはこばむいえもあったが、きょじょうはあいてのいうことなどききもせず、)
中には拒む家もあったが、去定は相手の云うことなど聞きもせず、
(ごういんにあがっておんなたちをよびだし、)
強引にあがって女たちを呼びだし、
(ちょっとでもうたがわしいものはえんりょなくしんさつをし、)
ちょっとでも疑わしい者は遠慮なく診察をし、
(びょうきにおかされていればとうやくしたうえ、)
病気に冒されていれば投薬したうえ、
(しょうじょうにおうじてそのやといぬしたちにちゅういをあたえた。)
症状に応じてその雇い主たちに注意を与えた。
(「このおんなはとおかやすませろ」とか、)
「この女は十日休ませろ」とか、
(「このつぎおれがみにくるまできゃくをとらせるな」とか、)
「この次おれが診に来るまで客を取らせるな」とか、
(ごくひどいものは「せいかへかえらせろ」とめいじたりした。)
ごくひどい者は「生家へ帰らせろ」と命じたりした。
(たいていはうわべだけにしろ、はいはいとすなおにきいた。)
たいていはうわべだけにしろ、はいはいとすなおに聞いた。
(しんさつもちりょうもただでしてくれるのだから、むしろかんしゃするのがとうぜんであろう。)
診察も治療も只でしてくれるのだから、むしろ感謝するのが当然であろう。
(けれどもなかにははんこうするものもあった。)
けれども中には反抗する者もあった。
(「うちではこのおんなひとりがかせぐんですよ」とやりかえすおんなしゅじんがいた、)
「うちではこの女一人が稼ぐんですよ」とやり返す女主人がいた、
(「こっちのおんなはおちゃばかりひいて、みっかにひとりのきゃくもとれやしない、)
「こっちの女はお茶ばかりひいて、三日に一人の客も取れやしない、
(かんじんのかせぎてにじゅうごにちもやすまれたら、それこそくちがひあがっちゃいますからね、)
肝心の稼ぎ手に十五日も休まれたら、それこそ口が干あがっちゃいますからね、
(それともじゅうごにちかんのくいぶちをくださろうっていうんですか」)
それとも十五日間の食い扶持を下さろうっていうんですか」
(「じゅうごにちやすませろ」ときょじょうはいった、)
「十五日休ませろ」と去定は云った、
(「さもなければ、くちがひあがるぐらいではすまないことになるぞ」)
「さもなければ、口が干あがるぐらいでは済まないことになるぞ」
(そのおんなしゅじんはかおをひきつらせ、にらみころそうとでもいうようなめつきで、)
その女主人は顔をひきつらせ、睨み殺そうとでもいうような眼つきで、
(きょじょうをねめつけた。)
去定をねめつけた。
(おとよというしょうじょのいたいえでは、「もうあのこはいない」といった。)
おとよという少女のいた家では、「もうあの子はいない」と云った。
(ようじょうしょへつれてゆかれるかもしれないということばかりしんぱいしていたが、)
養生所へ伴れてゆかれるかもしれないということばかり心配していたが、
(みっかまえのあさはやく、だれもきがつかないうちににげだしてしまった。)
三日まえの朝早く、誰も気がつかないうちに逃げだしてしまった。
(ゆくさきのあてもないのだからさがしようもない、ということであった。)
ゆく先のあてもないのだから捜しようもない、ということであった。
(しんぎはわからない、じじつはよそへうったのではないか、とのぼるはおもった。)
真偽はわからない、事実はよそへ売ったのではないか、と登は思った。
(このまえのときおとよは、おんなしゅじんのことを「かあさん」とよびかけて、)
このまえのときおとよは、女主人のことを「かあさん」と呼びかけて、
(あわてて「おばさん」とよびなおした。)
慌てて「おばさん」と呼び直した。
(しんるいのこをあずかっているというのもうそだったらしいから、)
親類の子を預かっているというのも嘘だったらしいから、
(いまはなしていることもしんじつではないだろう、そうおもってきょじょうをみたが、)
いま話していることも真実ではないだろう、そう思って去定を見たが、
(きょじょうはべつにせんさくもせず、だまってきいていて、やがてたちあがった。)
去定はべつに詮索もせず、黙って聞いていて、やがて立ちあがった。
(じゅうななけんめをすましてでたとき、)
十七軒めを済まして出たとき、
(きょじょうがくちのなかで「いしゃにかかってくれればいいが」とつぶやくのがきこえた。)
去定が口の中で「医者にかかってくれればいいが」と呟くのが聞えた。
(そとはたそがれかかっていて、はやくもよっているらしいきゃくが、)
外は黄昏かかっていて、早くも酔っているらしい客が、
(あちらこちらにひとりふたりと、しょうかののきさきでおんなたちとはなしたり、)
あちらこちらに一人二人と、娼家の軒先で女たちと話したり、
(ふざけたこえでわらったりしていた。)
ふざけた声で笑ったりしていた。
(そしてきょじょうたちがもんへかかろうとすると、そのまえをふさぐように、)
そして去定たちが門へかかろうとすると、その前を塞ぐように、
(ふたりのおとこがあらわれてみちのうえにたった。)
二人の男があらわれて道の上に立った。
(どちらもわかく、ひとりはもろはだぬぎ、)
どちらも若く、一人は双肌(もろはだ)ぬぎ、
(ひとりはふんどしにしろいさらしのはらまきだけで、)
一人は褌(ふんどし)に白い晒木綿(さらし)の腹巻だけで、
(そのはだかのおとこのほうがきょじょうによびかけた。)
その裸の男のほうが去定に呼びかけた。
(みょうにへりくだった、あいそのいいくちぶりで、めだけにすごみをきかせながら、)
妙にへりくだった、あいそのいい口ぶりで、眼だけに凄みをきかせながら、
(こんごはこのとちへちかづかないほうがいい、といういみのことをいった。)
今後はこの土地へ近づかないほうがいい、という意味のことを云った。