山本周五郎 赤ひげ診療譚 徒労に賭ける 9

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プレイ回数740難易度(4.5) 2722打 長文
映画でも有名な、山本周五郎の傑作連作短編です。
赤ひげ診療譚の第五話です。

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問題文

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(じぶんのへやにかえって、きろくのつつみをとだなへしまってから、)

自分の部屋に帰って、記録の包みを戸納(とだな)へしまってから、

(のぼるはもりはんだゆうのへやをたずねた。)

登は森半太夫の部屋を訪ねた。

(はんだゆうはつくえのそばにあんどんをひきよせて、にっきをかいているところだった。)

半太夫は机のそばに行燈をひきよせて、日記を書いているところだった。

(にゅうしょかんじゃにかんするまいにちのきじをかくのが、)

入所患者に関する毎日の記事を書くのが、

(はんだゆうにまかされたじむのひとつだったのである。)

半太夫に任された事務の一つだったのである。

(「いまおわるところだ」とはんだゆうがいった、)

「いま終るところだ」と半太夫が云った、

(「そこにえんざがある、ちょっとまっていてくれ」)

「そこに円座がある、ちょっと待っていてくれ」

(のぼるはわきにあるえんざをとってすわった。)

登は脇にある円座を取って坐った。

(はんだゆうをたずねたのは、きょじょうのことをしりたかったからである。)

半太夫を訪ねたのは、去定のことを知りたかったからである。

(ぬすみをした、ということはともかく、しをうらぎったとか、ともをうった、)

盗みをした、ということはともかく、師を裏切ったとか、友を売った、

(などということばにはいみがありそうだし、)

などという言葉には意味がありそうだし、

(だいみょうしょこうやふごうから、れいをつくしてむかえられるほどのうでをもっていて、)

大名諸侯や富豪から、礼をつくして迎えられるほどの腕を持っていて、

(いまだにつまもめとらず、ようじょうしょでひとりふじゆうなくらしをしていることにも、)

いまだに妻も娶とらず、養生所で独り不自由なくらしをしていることにも、

(なにかしさいがありそうにおもえた。)

なにか仔細がありそうに思えた。

(はんだゆうはこさんでもあり、きょじょうとはもっともちかしいので、)

半太夫は古参でもあり、去定とはもっとも近しいので、

(そのけいれきなどもしっているだろうとかんがえたのだが、)

その経歴なども知っているだろうと考えたのだが、

(きいてみるとほとんどなにもしらなかった。)

訊いてみると殆んどなにもしらなかった。

(「せんせいはけっしてじぶんのことははなさないかただから」とはんだゆうはいった、)

「先生は決して自分のことは話さない方だから」と半太夫は云った、

(「わたしのきいたところでは、ばばこくりのもんかで、)

「私の聞いたところでは、馬場穀里(こくり)の門下で、

(かじばしのうだがわようあんはせんせいのこうはいだということだ」)

鍛冶橋の宇田川榕庵(ようあん)は先生の後輩だということだ」

など

(「ばばというと、ようがくの、ーー」とのぼるはいがいそうにはんもんした、)

「馬場というと、洋学の、ーー」と登は意外そうに反問した、

(「そしてうだがわようあんとどうもんのせんぱいにあたるって」)

「そして宇田川榕庵と同門の先輩に当るって」

(「せんせいからじかにきいたのではないから、どこまでしんじつかはわからないが、)

「先生からじかに聞いたのではないから、どこまで真実かはわからないが、

(ばばしがもっともしんあいしていたのはにいでせんせいだったそうだ」とはんだゆうはいった、)

馬場氏がもっとも信愛していたのは新出先生だったそうだ」と半太夫は云った、

(「それでばばしはせんせいをじぶんのこうけいしゃにするつもりでいたところが、)

「それで馬場氏は先生を自分の後継者にするつもりでいたところが、

(せんせいはそれをきらってもんかをはなれ、)

先生はそれを嫌って門下をはなれ、

(ながさきへいってらんぽうのいがくをまなばれたということだ」)

長崎へいって蘭方の医学をまなばれたということだ」

(のぼるはどきんとした。)

登はどきんとした。

(いつかすいぞうのがんしゅでしんだかんじゃがあったとき、)

いつか膵臓の癌腫で死んだ患者があったとき、

(きょじょうがらんごですらすらとびょうじょうをいった。)

去定が蘭語ですらすらと病状を云った。

(のぼるはそれを、じぶんのひっきでおぼえたのだろう、とおもったのであるが、)

登はそれを、自分の筆記で覚えたのだろう、と思ったのであるが、

(ながさきへゆうがくしたことがあるというと、)

長崎へ遊学したことがあるというと、

(じぶんなどよりあたらしいちしきをもっているかもしれない。)

自分などより新らしい知識を持っているかもしれない。

(ごがくのしゅうさいだったとすれば、こっちにいてもらんごのいしょがてにはいるし、)

語学の秀才だったとすれば、こっちにいても蘭語の医書が手にはいるし、

(じっちにびょうにんのちりょうをしてきたのだから、)

実地に病人の治療をして来たのだから、

(じぶんのひっきなどからおぼえるようなことはないはずである。)

自分の筆記などから覚えるようなことはない筈である。

(ーーではひっきやずろくをうつしたのはなぜだろう。)

ーーでは筆記や図録を写したのはなぜだろう。

(おそらく、とのぼるはおもった。)

おそらく、と登は思った。

(おそらくそれは、どんなものからもまなぶ、というけんそんなきもちなのだろう。)

おそらくそれは、どんなものからもまなぶ、という謙遜な気持なのだろう。

(のぼるはこころのなかではげしく、じぶんのけいはくさをののしった。)

登は心の中で激しく、自分の軽薄さを罵った。

(「どうしてそんなことをきくんだ」とはんだゆうがいった、)

「どうしてそんなことを訊くんだ」と半太夫が云った、

(「せんせいになにかあったのか」)

「先生になにかあったのか」

(のぼるはきょうあったことをはなした。)

登は今日あったことを話した。

(「わからないな」とはんだゆうはいった、)

「わからないな」と半太夫は云った、

(「しをうらぎったというのは、ばばしのもんかをさったことかもしれない、)

「師を裏切ったというのは、馬場氏の門下を去ったことかもしれない、

(たぶん、ごがくのこうけいしゃにというしののぞみにそむいたことをさすのだろうが、)

たぶん、語学の後継者にという師の望みにそむいたことをさすのだろうが、

(ぬすみとかともをうったなどということは、げんじつてきないみではないのじゃあないか」)

盗みとか友を売ったなどということは、現実的な意味ではないのじゃあないか」

(「そうもおもったのだが」とのぼるはうなずいていった、)

「そうも思ったのだが」と登は頷いて云った、

(「ひどくしんけんに、こくはくするというようなくちぶりだったのでね、)

「ひどくしんけんに、告白するというような口ぶりだったのでね、

(しかし、たぶんことばどおりではないだろうな」)

しかし、たぶん言葉どおりではないだろうな」

(「じぶんにはとくにきびしいひとだからね」)

「自分には特にきびしい人だからね」

(のぼるはまもなくたちあがった。)

登はまもなく立ちあがった。

(つぎにみくみちょうへいったのは、まえのひからなのかめにあたる、)

次にみくみ町へいったのは、まえの日から七日めに当る、

(あまもよいのごごのことであった。)

雨もよいの午後のことであった。

(つゆでもかえったように、しめっぽくむしむしするひで、)

梅雨でもかえったように、湿っぽくむしむしする日で、

(ろっかしょかいしんするうち、さんどめにいやなことがあった。)

六カ所回診するうち、三度めにいやなことがあった。

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