山本周五郎 赤ひげ診療譚 徒労に賭ける 12
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問題文
(きょじょうはわかものをじっとみつめていて、それからごくおだやかにきいた、)
去定は若者をじっとみつめていて、それからごく穏やかに訊いた、
(「どうして、おれがきてはいけないのだ」)
「どうして、おれが来てはいけないのだ」
(「とちがさびれるんだそうですよ」とわかものはこたえた、)
「土地がさびれるんだそうですよ」と若者は答えた、
(「おまえさんははじめにまちかたをつれておいでなすった、)
「おまえさんは初めに町方を伴れておいでなすった、
(それはいちどっきりだったそうだが、)
それは一度っきりだったそうだが、
(なにしろようじょうしょはおかみのいきがかかってるし、おまえさんはそこのせんせいだ、)
なにしろ養生所はお上の息がかかってるし、おまえさんはそこの先生だ、
(しぜんおまえさんのようなひとがでいりをすると、)
しぜんおまえさんのような人が出入りをすると、
(きゃくがこわがってよりつかなくなる」)
客がこわがって寄りつかなくなる」
(きょじょうはさえぎっていった、)
去定は遮って云った、
(「そんなもってまわったことをいうな、)
「そんな持って廻ったことを云うな、
(おまえはだれかにたのまれてきたのだろう、たのんだのはだれだ」)
おまえは誰かに頼まれて来たのだろう、頼んだのは誰だ」
(「このしまぜんたいですよ」)
「このしまぜんたいですよ」
(「しょうじきにいえ」ときょじょうはたたみかけていった、)
「正直に云え」と去定はたたみかけて云った、
(「おれはにねんあまりここへかよっている、しょうばいのじゃまになるなら、)
「おれは二年あまりここへかよっている、しょうばいの邪魔になるなら、
(もうとっくにもんくがでているはずだ、だれにたのまれたかしょうじきにいえ、だれだ」)
もうとっくに文句が出ている筈だ、誰に頼まれたか正直に云え、誰だ」
(「いせいのいいじじいだな、ええ」わかものはつれのほうへふりむいた、)
「威勢のいいじじいだな、ええ」若者は伴れのほうへ振向いた、
(「せっかくためをおもっていってやるのに、)
「せっかくためを思って云ってやるのに、
(これじゃあおだやかにゃあすまねえらしいぜ」)
これじゃあ穏やかにゃあ済まねえらしいぜ」
(「あまくみてえるんだ」はだぬぎのおとこはてをあげてさけんだ、)
「あまくみてえるんだ」肌ぬぎの男は手をあげて叫んだ、
(「おい、みんなきてくれ」)
「おい、みんな来てくれ」
(のぼるはふりかえった。)
登は振返った。
(するとうしろのほうにさんにんわかいものがいて、こっちへはしってきた。)
するとうしろのほうに三人若い者がいて、こっちへ走って来た。
(ふたりはこのまえ、おとよのことでやりあったあいてであり、)
二人はこのまえ、おとよのことでやりあった相手であり、
(ほかのひとりはくるときにすれちがった、)
他の一人は来るときにすれちがった、
(たけぞうにいわせれば「ほんごういっちょうめでつきあたった」おとこだということをのぼるはみとめた。)
竹造に云わせれば「本郷一丁目で突き当った」男だということを登は認めた。
(「やすもと、ーー」ときょじょうがいった、)
「保本、ーー」と去定が云った、
(「たけぞうといっしょにさがっていろ、てだしはならんぞ」)
「竹造といっしょにさがっていろ、手出しはならんぞ」
(「それはいけません、せんせい」)
「それはいけません、先生」
(「いやかまうな」ときょじょうはのぼるをさえぎった、)
「いや構うな」と去定は登を遮った、
(「おれはだいじょうぶだからさがっていろ、ええ、さがっていろというんだ」)
「おれは大丈夫だからさがっていろ、ええ、さがっていろというんだ」
(のぼるとたけぞうはわきへさがった。のぼるはあしががくがくし、つばがのみこめなくなった。)
登と竹造は脇へさがった。登は足ががくがくし、唾がのみこめなくなった。
(たけぞうをみると、いかりのためだろう、かおがあかくふくれていたが、)
竹造を見ると、怒りのためだろう、顔が赤くふくれていたが、
(ふあんそうなようすはみえなかった。)
不安そうなようすはみえなかった。
(「やいじじい」とはだかのおとこがいっていた、)
「やいじじい」と裸の男が云っていた、
(「としをかんげえてひっこんだらどうだ、いまのうちならみのがしてやるが、)
「年を考げえて引込んだらどうだ、いまのうちなら見逃がしてやるが、
(へたにいじをはるといっしょうかたわものになるぜ」)
へたに意地を張ると一生片輪者になるぜ」
(「きさまこういうじぐちをしっているか」ときょじょうはいった、)
「きさまこういう地口を知っているか」と去定は云った、
(「いしゃとけんかをしてにげるやつがいうんだ、)
「医者と喧嘩をして逃げるやつが云うんだ、
(あのいしゃのてにかかるといのちがあぶない、ーーきさまたちもよくかんがえるほうがいい、)
あの医者の手にかかると命が危ない、ーーきさまたちもよく考えるほうがいい、
(おれはいのちはとらないが、それでもてあしのにほんやさんぼん、)
おれは命は取らないが、それでも手足の二本や三本、
(へしおるぐらいのことはやりかねないぞ」)
へし折るぐらいのことはやりかねないぞ」
(はだかのおとこ、たぶんこのなかのあにきぶんだろうか、ふんとせせらわらいをしながら、)
裸の男、たぶんこの中のあにき分だろうか、ふんとせせら笑いをしながら、
(みくびったようすできょじょうのほうへちかよった。)
みくびったようすで去定のほうへ近よった。
(「じじい」とかれはといかけた、「てめえほんとうにやるきなのか」)
「じじい」と彼は問いかけた、「てめえ本当にやる気なのか」
(「よしたほうがいい」ときょじょうがいった、「ことわっておくがよしたほうがいいぞ」)
「よしたほうがいい」と去定が云った、「断わっておくがよしたほうがいいぞ」
(おとこはとつぜん、きょじょうにとびかかった。)
男は突然、去定にとびかかった。
(のぼるはあっけにとられ、くちをあいたままぼうぜんとたっていた。)
登はあっけにとられ、口をあいたまま茫然と立っていた。
(はだかのおとこがとびかかるのははっきりみたが、あとはろくにんのからだがもつれあい、)
裸の男がとびかかるのははっきり見たが、あとは六人の躯が縺(もつ)れあい、
(とびちがうので、だれがだれともみわけがつかなかった。)
とびちがうので、誰が誰とも見分けがつかなかった。
(そのあいまに、ほねのおれるぶきみなおとや、あいうつにく、こぶしのおとなどとともに、)
そのあいまに、骨の折れるぶきみな音や、相打つ肉、拳の音などと共に、
(おとこたちのどごうとひめいがきこえ、だが、こきゅうにしてじゅうごろくほどのわずかなときがたつと、)
男たちの怒号と悲鳴が聞え、だが、呼吸にして十五六ほどの僅かな時が経つと、
(おとこたちのよにんはじめんにのびてしまい、きょじょうがひとりをくみふせていた。)
男たちの四人は地面にのびてしまい、去定が一人を組伏せていた。
(のびているおとこたちはくつうのうめきをもらし、)
のびている男たちは苦痛の呻きをもらし、
(ひとりはなきながら、みぎのあしをつかんでみもだえをしていた。)
一人は泣きながら、右の足をつかんで身もだえをしていた。
(「さあいえ」)
「さあ云え」
(ときょじょうはくみふせたおとこーーそれはあにきぶんとみえるはだかのわかものだったが、)
と去定は組伏せた男ーーそれはあにき分とみえる裸の若者だったが、
(そのおとこのくびをかたてでせめながらいった、)
その男の首を片手で責めながら云った、
(「だれにたのまれてした、だれだ、いえ、いわぬとこのまましめおとすぞ」)
「誰に頼まれてした、誰だ、云え、云わぬとこのまま絞めおとすぞ」
(おとこはぜいぜいとのどをならし、くびをさゆうにふりながらいった、)
男はぜいぜいと喉を鳴らし、首を左右に振りながら云った、
(「ごあんさまです」)
「ごあんさまです」
(「だれだと、はっきりいえ」)
「誰だと、はっきり云え」
(「おかちまちの」とおとこはあえぎながらいった、)
「御徒町の」と男は喘ぎながら云った、
(「ーーいだのわかせんせいです」)
「ーー井田の若先生です」