「モノグラム」2 江戸川乱歩

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タグ小説 長文
江戸川乱歩の小説「モノグラム」です。
今はあまり使われていない漢字や、読み方、表現などがありますが、原文のままです。

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問題文

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(あるひのこと、わたしはそれらのべんちのひとつにこしをおろして、いつものとおり)

ある日のこと、私はそれらのベンチの一つに腰をおろして、いつもの通り

(ぼんやりものおもいにふけっていました。ちょうどはるなんです。さくらはもうすぎて)

ぼんやり物思いに耽っていました。丁度春なんです。桜はもう過ぎて

(いましたが、いけをこしてむこうのかつどうごやのほうは、たいへんなひとでで、どーっと)

いましたが、池を越して向うの活動小屋の方は、大変な人出で、ドーッと

(いうものおと、がくたい、それにまじっておもちゃのふうせんだまのふえのおとだとか、)

いう物音、楽隊、それに交っておもちゃの風船玉の笛の音だとか、

(あいすくりーむやのよびごえだとかが、かんだかくひびいてくるのです。)

アイスクリーム屋の呼び声だとかが、甲高く響いて来るのです。

(それにひきかえて、わたしたちのいるはやしのなかは、まるでべつせかいのようにしずかで、)

それに引きかえて、私達の居る林の中は、まるで別世界の様に静で、

(おそらくかつどうをみるおかねさえもちあわせていない、みすぼらしいふうていのひとびとが、)

恐らく活動を見るお金さえ持合せていない、みすぼらしい風体の人々が、

(うえたようなものういめをみあわせ、いつまでもいつまでも、じっとひとつところに)

飢えた様な物憂い目を見合せ、いつまでもいつまでも、じっと一つ所に

(こしをおろしている。こんなふうにしてざいあくというものがはっこうするのでは)

腰をおろしている。こんな風にして罪悪というものが醗酵するのでは

(ないかとおもわれるばかり、じつにいんきで、ものがなしいこうけいなのです。)

ないかと思われるばかり、実に陰気で、物悲しい光景なのです。

(そこは、はやしのなかの、まるくなったあきちで、わたしたちのこしかけているまえを、わたしたちと)

そこは、林の中の、丸くなった空地で、私達の腰かけている前を、私達と

(むかんけいな、こうふくそうなひとびとが、たえずとおりぬけています。それがきかざった)

無関係な、幸福そうな人々が、絶えず通り抜けています。それが着飾った

(おんななんかだと、それでも、べんちのらくごしゃどものかおが、いっせいにそのほうを)

女なんかだと、それでも、ベンチの落伍者共の顔が、一斉にその方を

(みたりなんかするのですね。そうしたひとどおりがちょっととだえて、あきちが)

見たりなんかするのですね。そうした人通りが一寸途絶えて、空地が

(からっぽになっていたときでした、ですからしぜんわたしもちゅういしたわけでしょうが、)

からっぽになっていた時でした、ですから自然私も注意した訳でしょうが、

(いっぽうのすみのあーくとうのてっちゅうのところへ、ひょっこりひとりのじんぶつがあらわれたのです。)

一方の隅のアーク燈の鉄柱の所へ、ヒョッコリ一人の人物が現れたのです。

(さんじゅうぜんごのわかものでしたが、ふうていはさしてみすぼらしいというではないのに、)

三十前後の若者でしたが、風体はさしてみすぼらしいというではないのに、

(どことなくさびしげな、すこしともかおつきだけは、けっしてこうらくのひとではなく、)

どことなく淋し気な、少しとも顔つき丈は、決して行楽の人ではなく、

(わたくしどもらくごしゃのおなかまらしくみえるのです。かれはべんちのあいたところでも)

私共落伍者のお仲間らしく見えるのです。彼はベンチの明いたところでも

(さがすように、しばらくそこにたちどまっていましたが、どこをみてもいっぱいなうえに、)

探す様に、暫くそこに立ち止まっていましたが、どこを見ても一杯な上に、

など

(かれのふうさいにくらべては、だんちがいにきたないらしくこわらしいれんちゅうばかりなので、)

彼の風采に比べては、段違いに汚いらしく怖らしい連中ばかりなので、

(おそらくへきえきしたのでしょう、あきらめてたちさりそうにしたとき、)

恐らく辟易したのでしょう、あきらめて立去り相にした時、

(ふとかれのしせんとわたしのしせんとがぶつかりました。)

ふと彼の視線と私の視線とがぶつかりました。

(するとかれは、やっとあんしんしたように、わたしのとなりのわずかばかりのべんちのくうかんを)

すると彼は、やっと安心した様に、私の隣の僅ばかりのベンチの空間を

(めがけてちかづいてくるのです。そうしたれんちゅうのなかでは、わたしのふうていは、)

目がけて近づいてくるのです。そうした連中の中では、私の風体は、

(ふるぼけためいせんなんかきていて、おかしないいかたですがいくらかたちまさって)

古ぼけた銘仙なんか着ていて、おかしな云い方ですがいくらか立勝って

(みえたでしょうし、けっしてほかのひとたちのようにけんあくではなかったのですから、)

見えたでしょうし、決して外の人達の様に険悪ではなかったのですから、

(それがかれをあんしんさせたとみえます。それとも、これはあとになって)

それが彼を安心させたと見えます。それとも、これはあとになって

(おもいあたったことですが、かれはさいしょからわたしのかおにきがついていたのかも)

思い当ったことですが、彼は最初から私の顔に気がついていたのかも

(しれません。いえ、そのわけはじきにおはなししますよ。)

しれません。イエ、その訳はじきにお話ししますよ。

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