カインの末裔 5/11
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問題文
(このごろふろうにんがでてまいばんしゅうかいじょにあつまってたきびなぞをするからようじんがわるい、と)
この頃浮浪人が出て毎晩集会所に集って焚火なぞをするから用心が悪い、と
(ひとびとがいうのでじんじゃのせわやくをしていたかさいは、おどかしつけるつもりでみまわり)
人々がいうので神社の世話役をしていた笠井は、おどかしつけるつもりで見廻り
(にきたのだった。かれはもとよりかしのぼうくらいのみじたくはしていたが、あいてが)
に来たのだった。彼れは固より樫の棒位の身じたくはしていたが、相手が
(「まだか」ではくちもきけないほどちぢんでしまった。)
「まだか」では口もきけないほど縮んでしまった。
(「わりゃおらがあいびきのじゃまべこくきだな、おらがすることにわれがてだしはいんねえ)
「汝ゃ俺らが媾曳の邪魔べこく気だな、俺らがする事に汝が手だしはいんねえ
(だ。くびねっこべひんぬかれんな」)
だ。首ねっこべひんぬかれんな」
(かれのことばはせきあげるいきのあいだにおしひしゃげられてがらがらふるえていた。)
彼れの言葉はせき上る息気の間に押しひしゃげられてがらがら震えていた。
(「そりゃじゃすいじゃがなおぬし」)
「そりゃ邪推じゃがなお主」
(とかさいはくちばやにそこにきあわせたしさいと、ちょうどいいきかいだからおりいってたのむことが)
と笠井は口早にそこに来合せた仔細と、丁度いい機会だから折入って頼む事が
(あるむねをいいだした。にんえもんはひげしてでたかさいにちょっときょうみをかんじてむなぐら)
ある旨をいいだした。仁右衛門は卑下して出た笠井にちょっと興味を感じて胸倉
(からてをはなして、しきいにこしをすえた。くらやみのなかでも、かさいがめをきょとんとさせて)
から手を離して、閾に腰をすえた。暗闇の中でも、笠井が眼をきょとんとさせて
(やけどのほうのはんめんをひらてでなでまわしているのがそうぞうされた。そしてやがてこしを)
火傷の方の半面を平手で撫でまわしているのが想像された。そしてやがて腰を
(おろして、いままでのあわてかたにもにずゆうゆうとたばこいれをだしてまっちをすった。)
下して、今までの慌てかたにも似ず悠々と煙草入を出してマッチを擦った。
(おりいってたのむといったのはこさくいちどうのじぬしにたいするくじょうについてであった。)
折入って頼むといったのは小作一同の地主に対する苦情に就いてであった。
(いちたんぶにえんにじゅっせんのはたけだいはこのちほうにないこうそうばであるのに、どんなきょうねんでも)
一反歩二円二十銭の畑代はこの地方にない高相場であるのに、どんな凶年でも
(わりびきをしないために、こさくはひとりとしてしゃっきんをしていないものはない。かねでは)
割引をしないために、小作は一人として借金をしていないものはない。金では
(とれないとみるとちょうばはたちけのうちにおうしゅうしてしまう。したがってしがいちのしょうにんからは)
取れないと見ると帳場は立毛の中に押収してしまう。従って市街地の商人からは
(めのとびでるようなうわまえをはねられてくいしろをかわねばならぬ。だからこんどじぬしが)
眼の飛び出るような上前をはねられて食代を買わねばならぬ。だから今度地主が
(きたらいちどうでぜひともこさくりょうのねさげをようきゅうするのだ。かさいはそのそうだいに)
来たら一同で是非とも小作料の値下を要求するのだ。笠井はその総代に
(なっているのだがひとりではこころぼそいからにんえもんもでてちからになってくれと)
なっているのだが一人では心細いから仁右衛門も出て力になってくれと
(いうのであった。)
いうのであった。
(「こけなことこくなてえば。にりょうにかんがなにたかいべ。われたちがほねっぷしはかせぐように)
「白痴なことこくなてえば。二両二貫が何高値いべ。汝たちが骨節は稼ぐように
(はつくってねえのか。おやかたにははんもんのかりもしたおぼえはねえからな、おらそのくじ)
は造ってねえのか。親方には半文の借りもした覚えはねえからな、俺らその公事
(にはのんねえだ。われまずおやかたにべなってみべし。ここのがよりもよくにかかる)
には乗んねえだ。汝先ず親方にべなって見べし。ここのがよりも欲にかかる
(べえに。・・・・・・げいもねえこんにめんこくもねえつらつんだすなてば」)
べえに。……芸もねえ事に可愛くもねえ面つんだすなてば」
(にんえもんはまたかさいのてかてかしたかおにつばをはきかけたいしょうどうにさいなまれた)
仁右衛門はまた笠井のてかてかした顔に唾をはきかけたい衝動にさいなまれた
(が、がまんしてそれをいたのまにはきすてた。)
が、我慢してそれを板の間にはき捨てた。
(「そうまあいちがいにはいうもんでないぞい」)
「そうまあ一概にはいうもんでないぞい」
(「いちがいにいったがなんじょうわるいだ。いね。いねべし」)
「一概にいったが何条悪いだ。去ね。去ねべし」
(「そういえどひろおかさん・・・・・・」)
「そういえど広岡さん……」
(「わりゃげんこことくらいていがか」)
「汝ゃ拳固こと喰らいていがか」
(おんなをまちうけているにんえもんにとっては、このじゃまもののながいしているのが)
女を待ちうけている仁右衛門にとっては、この邪魔者の長居しているのが
(いまいましいので、ことばもしうちもだんだんあららかになった。)
いまいましいので、言葉も仕打ちも段々荒らかになった。
(しゅうちゃくのつよいかさいもたたなければならなくなった。そのばをとりつくろうせじを)
執着の強い笠井も立なければならなくなった。その場を取りつくろう世辞を
(いっておこったふうもみせずにさかをおりていった。みちのふたまたになったところでひだりにいこう)
いって怒った風も見せずに坂を下りて行った。道の二股になった所で左に行こう
(とすると、やみをすかしていたにんえもんはほえるように「みぎさいくだ」とげんめい)
とすると、闇をすかしていた仁右衛門は吼えるように「右さ行くだ」と厳命
(した。かさいはそれにもそむかなかった。ひだりのみちをとおっておんながかよってくるのだ。)
した。笠井はそれにも背かなかった。左の道を通って女が通って来るのだ。
(にんえもんはまたひとりになってやみのなかにうずくまった。かれはいきどおりにぶるぶるふるえ)
仁右衛門はまた独りになって闇の中にうずくまった。彼れは憤りにぶるぶる震え
(ていた。あいにくおんなのこようがおそかった。いかったかれにはがまんができきらな)
ていた。生憎女の来ようがおそかった。怒った彼れには我慢が出来きらな
(かった。おんなのこやにあばれこむいきおいでたちあがるとかれははくちゅうだいどうをいくようなあしどり)
かった。女の小屋に荒れこむ勢で立上ると彼れは白昼大道を行くような足どり
(で、やぶみちをぐんぐんあるいていった。ふとあるぼさのところでかれはやじゅうのびんかんさを)
で、藪道をぐんぐん歩いて行った。ふとある疎藪の所で彼れは野獣の敏感さを
(もってもののけはいをかぎしった。かれははたとたちどまってそのおくをすかしてみた。)
以て物のけはいを嗅ぎ知った。彼れははたと立停ってその奥をすかして見た。
(しんとしたよるのしずけさのなかでからかうようなみだらなおんなのひそみわらいがきこえた。じゃま)
しんとした夜の静かさの中で悪謔うような淫らな女の潜み笑いが聞こえた。邪魔
(のはいったのをけどっておんなはそこにかくれていたのだ。かぎなれたおんなのにおいがはなを)
の入ったのを気取って女はそこに隠れていたのだ。嗅ぎ慣れた女の臭いが鼻を
(おそったとにんえもんはおもった。)
襲ったと仁右衛門は思った。
(「よつあしめが」)
「よつ足めが」
(さけびとともにかれはぼさのなかにとびこんだ。とげとげするしょっかんが、ねるときのほか)
叫びと共に彼れは疎藪の中に飛びこんだ。とげとげする触感が、寝る時のほか
(ぬいだことのないわらじのそこににそくさんそくかんじられたとおもうと、よんそくめはやわいむっちり)
脱いだ事のない草鞋の底に二足三足感じられたと思うと、四足目は軟いむっちり
(したにくたいをふみつけた。かれはおもわずそのあしのちからをぬこうとしたが、どうじに)
した肉体を踏みつけた。彼れは思わずその足の力をぬこうとしたが、同時に
(きょうぼうなしょうどうにかられて、まんしんのおもみをそれにたくした。)
狂暴な衝動に駈られて、満身の重みをそれに托した。
(「いたい」)
「痛い」
(それがききたかったのだ。かれのにくたいはいちどにあぶらをそそぎかけられて、そそり)
それが聞きたかったのだ。彼れの肉体は一度に油をそそぎかけられて、そそり
(たつちのきおいにめがくるめいた。かれはいきなりおんなにとびかかって、)
立つ血のきおいに眼がくるめいた。彼れはいきなり女に飛びかかって、
(ところきらわずなぐったりあしげにしたりした。おんなはいたいといいつづけながらもかれに)
所きらわず殴ったり足蹴にしたりした。女は痛いといいつづけながらも彼れに
(からまりついた。そしてかみついた。かれはとうとうおんなをだきすくめてどうろに)
からまりついた。そして噛みついた。彼れはとうとう女を抱きすくめて道路に
(でた。おんなはかれのかおにするどくのびたつめをたててのがれようとした。ふたりはいがみあう)
出た。女は彼れの顔に鋭く延びた爪をたてて逃れようとした。二人はいがみ合う
(いぬのようにくみあってたおれた。たおれながらあらそった。かれはとうとうおんなをとりにがし)
犬のように組み合って倒れた。倒れながら争った。彼れはとうとう女を取逃がし
(た。はねおきておいにかかるといちもくさんににげたとおもったおんなは、はんたいにだきついて)
た。はね起きて追いにかかると一目散に逃げたと思った女は、反対に抱きついて
(きた。ふたりはたがいにじょうにたえかねてまたなぐったりひっかいたりした。かれはおんなの)
来た。二人は互に情に堪えかねてまた殴ったり引掻いたりした。彼れは女の
(たぶさをつかんでみちのうえをずるずるひっぱっていった。しゅうかいじょにきたときはふたりとも)
たぶさを掴んで道の上をずるずる引張って行った。集会所に来た時は二人とも
(きずだらけになっていた。うちょうてんになったおんなはいっかいのひのにくとなってぶるぶるふるえ)
傷だらけになっていた。有頂天になった女は一塊の火の肉となってぶるぶる震え
(ながらゆかのうえにぶったおれていた。かれはやみのなかにつったちながらやくようなこうふん)
ながら床の上にぶっ倒れていた。彼れは闇の中に突っ立ちながら焼くような昂奮
(のためによろめいた。)
のためによろめいた。
(よん)
(四)
(はるのてんきのじゅんとうであったのにはんして、そのとしはろくがつのはじめからかんきといんうとが)
春の天気の順当であったのに反して、その年は六月の初めから寒気と淫雨とが
(ほっかいどうをおそってきた。かんばつにききんなしといいならわしたのはすいでんのおおいないちのこと)
北海道を襲って来た。旱魃に饑饉なしといい慣わしたのは水田の多い内地の事
(で、はたけばかりのkむらなぞはあめのおおいほうはまだしやすいとしたものだが、そのとしの)
で、畑ばかりのK村なぞは雨の多い方はまだ仕やすいとしたものだが、その年の
(ながあめにはためいきをもらさないのうみんはなかった。)
長雨には溜息を漏さない農民はなかった。
(もりもはたけもみわたすかぎりまっさおになって、ほったてごやばかりがいろをかえずにしぜんを)
森も畑も見渡すかぎり真青になって、掘立小屋ばかりが色を変えずに自然を
(よごしていた。しぐれのようなさむいあめがとざしきったにびいろのくもからとめどなくふり)
よごしていた。時雨のような寒い雨が閉ざし切った鈍色の雲から止途なく降り
(そそいだ。ひくみのあぜみちにしきならべたすりっぱざいはぶかぶかとみずのためにうき)
そそいだ。低味の畦道に敷ならべたスリッパ材はぶかぶかと水のために浮き
(あがって、そのあいだからまこもがながくのびてでた。おたまじゃくしがはたけのなかをおよぎまわったりした。)
上って、その間から真菰が長く延びて出た。蝌斗が畑の中を泳ぎ廻ったりした。
(ほととぎすがもりのなかでさびしくないた。あずきをいたのうえにとおくでころがすようなあめのおとが)
郭公が森の中で淋しく啼いた。小豆を板の上に遠くでころがすような雨の音が
(あさからばんまできこえて、それがおやむとしっけをふくんだかぜがきでもくさでもしぼましそう)
朝から晩まで聞えて、それが小休むと湿気を含んだ風が木でも草でも萎ましそう
(にさむくふいた。)
に寒く吹いた。
(あるひのうじょうぬしがはこだてからきてしゅうかいじょでよりあうというしらせがくみちょうからまわって)
ある日農場主が函館から来て集会所で寄合うという知らせが組長から廻って
(きた。にんえもんはそんなことにはとんちゃくなくあさからばりきをひいてしがいちにでた。うんそう)
来た。仁右衛門はそんな事には頓着なく朝から馬力をひいて市街地に出た。運送
(てんのまえにはもうにだいのばりきがあって、あしをつまだてるようにしょんぼりとたつ)
店の前にはもう二台の馬力があって、脚をつまだてるようにしょんぼりと立つ
(ひきうまのたてがみは、いくほんかのむちをさげたようにあめによれて、そのさきからすいてきがたえず)
輓馬の鬣は、幾本かの鞭を下げたように雨によれて、その先きから水滴が絶えず
(おちていた。うまのせからはすいじょうきがたちのぼった。とをあけてなかにはいるとばしゃおい)
落ちていた。馬の背からは水蒸気が立昇った。戸を開けて中に這入ると馬車追い
(をないしょくにするわかいのうふがさんにんどまにたきびをしてあたっていた。ばしゃおいをするくらい)
を内職にする若い農夫が三人土間に焚火をしてあたっていた。馬車追いをする位
(ののうふはのうふのなかでもぼうけんてきなきのあらいてあいだった。かれらはかおにあたるたきびの)
の農夫は農夫の中でも冒険的な気の荒い手合だった。彼らは顔にあたる焚火の
(ほてりをてやあしをあげてふせぎながら、ながあめにつけこんでむらにはいってきたばくとの)
ほてりを手や足を挙げて防ぎながら、長雨につけこんで村に這入って来た博徒の
(ぐんのうわさをしていた。まきあげようとしてはいりこみながらさんざんてをやいて)
群の噂をしていた。捲き上げようとして這入り込みながら散々手を焼いて
(えきていからおいたてられているようなこともいった。)
駅亭から追い立てられているような事もいった。
(「おまえもいちばんのってもうかれや」)
「お前も一番乗って儲かれや」
(とそのなかのひとりはにんえもんをけしかけた。みせのなかはどんよりとくらくしめっていた。)
とその中の一人は仁右衛門をけしかけた。店の中はどんよりと暗く湿っていた。
(にんえもんはくらいかおをしてつばをはきすてながら、たきびのざにわりこんでだまって)
仁右衛門は暗い顔をして唾をはき捨てながら、焚火の座に割り込んで黙って
(いた。ぴしゃぴしゃとけうといわらじのおとをたてて、おうらいをとおるものがたまさかにある)
いた。ぴしゃぴしゃと気疎い草鞋の音を立てて、往来を通る者がたまさかにある
(ばかりで、このきせつのにぎわいだったようすはどこにもみられなかった。ちょうばのわかい)
ばかりで、この季節の賑い立った様子は何処にも見られなかった。帳場の若い
(ものはふでをもったてをほおづえにしていねむっていた。こうしてかれらはにのくるのを)
ものは筆を持った手を頬杖にして居眠っていた。こうして彼らは荷の来るのを
(ぼんやりしてにじかんあまりもまちくらした。きくにたえないようなわかものどもの)
ぼんやりして二時間あまりも待ち暮した。聞くに堪えないような若者どもの
(ばかばなしもしぜんといんきなきぶんにおさえつけられて、ややともすると、ちんもくとあくびが)
馬鹿話も自然と陰気な気分に押えつけられて、動ともすると、沈黙と欠伸が
(ひろがった。)
拡がった。
(「いちはたりはたらずに」)
「一はたりはたらずに」
(とつぜんにんえもんがそういっていちざをみまわした。かれはそのめずらしいむじゃきなびしょうを)
突然仁右衛門がそういって一座を見廻した。彼れはその珍らしい無邪気な微笑を
(ほほえんでいた。いちどうはかれのにこやかなかおをみると、すいよせられるように)
ほほえんでいた。一同は彼れのにこやかな顔を見ると、吸い寄せられるように
(なって、いうことをきかないではいられなかった。むしろがもちだされた。よにんはくるまざ)
なって、いう事をきかないではいられなかった。蓆が持ち出された。四人は車座
(になった。ひとりはきがるくわかいもののつくえのうえからゆのみぢゃわんをもってきた。もうひとりの)
になった。一人は気軽く若い者の机の上から湯呑茶碗を持って来た。もう一人の
(おとこのはらがけのなかからはさいがふたつとりだされた。)
男の腹がけの中からは骰子が二つ取出された。