カインの末裔 11/11
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問題文
(そのばんからてんきはげきへんしてふぶきになった。あくるあさにんえもんがめをさますと、)
その晩から天気は激変して吹雪になった。翌朝仁右衛門が眼をさますと、
(ふきこんだゆきがあしからこしにかけてうっすらつもっていた。するどいくちぶえのようなうなりを)
吹き込んだ雪が足から腰にかけて薄ら積っていた。鋭い口笛のようなうなりを
(たててふきまくかぜは、こやをめきりめきりとゆすぶりたてた。かぜがおなぐと)
立てて吹きまく風は、小屋をめきりめきりとゆすぶり立てた。風が小凪ぐと
(めいるようなしずかさがいろりまでせまってきた。)
滅入るような静かさが囲炉裡まで逼って来た。
(にんえもんはあさからさけをほっしたけれどもいってきもありようはなかった。ねおきから)
仁右衛門は朝から酒を欲したけれども一滴もありようはなかった。寝起きから
(みょうにおもいいっているようだったかれは、なにかのきっかけにいきおいよくたちあがって、)
妙に思い入っているようだった彼れは、何かのきっかけに勢よく立ち上って、
(おのをとりあげた。そしてうまのまえにたった。うまはなつかしげにはなさきをつきだした。)
斧を取上げた。そして馬の前に立った。馬はなつかしげに鼻先きをつき出した。
(にんえもんはむひょうじょうなかおをしてくちをもごもごさせながらうまのめとめとのあいだを)
仁右衛門は無表情な顔をして口をもごもごさせながら馬の眼と眼との間を
(おとなしくなでていたが、いきなりからだをうかすようにうしろにそらしておのを)
おとなしく撫でていたが、いきなり体を浮かすように後ろに反らして斧を
(ふりあげたとおもうと、ちからまかせにそのみけんにうちこんだ。うとましいおとがかれの)
振り上げたと思うと、力まかせにその眉間に打ちこんだ。うとましい音が彼れの
(はらにこたえて、うまはこえもたてずにまえひざをついてよこだおしにどうとたおれた。けいれんてきに)
腹に応えて、馬は声も立てずに前膝をついて横倒しにどうと倒れた。痙攣的に
(あとあしでけるようなまねをして、うるみをもっためはかれんにもなにかをみつめていた。)
後脚で蹴るようなまねをして、潤みを持った眼は可憐にも何かを見詰めていた。
(「やれこわいことするでねえ、いたましいまあ」)
「やれ怖い事するでねえ、傷ましいまあ」
(すすぎものをしていたつまは、ふりかえってこのさまをみると、おそろしいめつきをして)
すすぎ物をしていた妻は、振返ってこの様を見ると、恐ろしい眼付きをして
(おびえるようにたちあがりながらこういった。)
おびえるように立上りながらこういった。
(「だまれってば。ものいうとわれもたたきころされっぞ」)
「黙れってば。物いうと汝れもたたき殺されっぞ」
(にんえもんはさつじんしゃがいきのこったものをおどかすようなひくいしわがれたこえでたしなめた。)
仁右衛門は殺人者が生き残った者を脅かすような低い皺枯れた声でたしなめた。
(あらしがきゅうにやんだようにふたりのこころにはかーんとしたちんもくがおそってきた。にんえもんは)
嵐が急にやんだように二人の心にはかーんとした沈黙が襲って来た。仁右衛門は
(だらんとさげたみぎてにおのをぶらさげたまま、つまはぞうきんのようにきたないふきんをむねのところ)
だらんと下げた右手に斧をぶらさげたまま、妻は雑巾のように汚い布巾を胸の所
(におしあてたまま、はばかるようにかおをみあわせてつったっていた。)
に押しあてたまま、憚るように顔を見合せて突立っていた。
(「ここへこう」)
「ここへ来う」
(やがてにんえもんはうめくようにおのをちょっとうごかしてつまをよんだ。)
やがて仁右衛門は呻くように斧を一寸動かして妻を呼んだ。
(かれはつまにてつだわせてうまのかわをはぎはじめた。なまぐさいにおいがこやいっぱいになった。)
彼れは妻に手伝わせて馬の皮を剥ぎ始めた。生臭い匂が小屋一杯になった。
(あついしたをだらりとよこにだしたかおだけのかわをのこして、うまはやがてはだかみにされてわらの)
厚い舌をだらりと横に出した顔だけの皮を残して、馬はやがて裸身にされて藁の
(うえにかたくなってよこたわった。しろいけんとあかいにくとがぶきみなしまとなってそこに)
上に堅くなって横わった。白い腱と赤い肉とが無気味な縞となってそこに
(さらされた。にんえもんはかわをぼうのようにまいてわらなわでしばりあげた。)
曝らされた。仁右衛門は皮を棒のように巻いて藁繩でしばり上げた。
(それからにんえもんのいうままにつまはこやのなかをかたづけはじめた。せおえるだけは)
それから仁右衛門のいうままに妻は小屋の中を片付けはじめた。背負えるだけは
(ざっこくもにづくりしてだいしょうふたつのにができた。つまはおっとのこころもちがわかるとまた)
雑穀も荷造りして大小二つの荷が出来た。妻は良人の心持ちが分るとまた
(ながいくるしいひょうろうのせいかつをおもいやっておろおろとなかんばかりになったが、おっとの)
長い苦しい漂浪の生活を思いやっておろおろと泣かんばかりになったが、夫の
(あらだったきぶんをおそれてなみだをのみこみのみこみした。にんえもんはこやのまんなかに)
荒立った気分を怖れて涙を飲みこみ飲みこみした。仁右衛門は小屋の真中に
(つったってすみからすみまでもくそくでもするようにみまわした。ふたりはだまったままで)
突立って隅から隅まで目測でもするように見廻した。二人は黙ったままで
(つまごをはいた。つまがふろしきをかぶってにをせおうとにんえもんはうしろからたすけ)
つまごをはいた。妻が風呂敷を被って荷を背負うと仁右衛門は後ろから助け
(おこしてやった。つまはとうとうみをふるわしてなきだした。いがいにもにんえもんは)
起してやった。妻はとうとう身を震わして泣き出した。意外にも仁右衛門は
(しかりつけなかった。そしてじぶんはおおきなにをかるがるとせおいあげてそのうえにうまのかわ)
叱りつけなかった。そして自分は大きな荷を軽々と背負い上げてその上に馬の皮
(をのせた。ふたりはいいあわせたようにもういちどこやをみまわした。)
を乗せた。二人は言い合せたようにもう一度小屋を見廻した。
(こやのとをあけるとかおむけもできないほどゆきがふきこんだ。にをせおっておもく)
小屋の戸を開けると顔向けも出来ないほど雪が吹き込んだ。荷を背負って重く
(なったふたりのからだはまだかたくならないしろいどろのなかにこしのあたりまでうまった。)
なった二人の体はまだ堅くならない白い泥の中に腰のあたりまで埋まった。
(にんえもんはいったんそとにでてからまてといってひきかえしてきた。にもつをせおったまま)
仁右衛門は一旦戸外に出てから待てといって引返して来た。荷物を背負ったまま
(で、かれはわらなわのかたっぽうのはしをいろりにくべ、もうひとつのはしをかべぎわにもって)
で、彼れは藁繩の片っ方の端を囲炉裡にくべ、もう一つの端を壁際にもって
(いってそのうえにこまかくきざんだばりょうのわらをふりかけた。)
行ってその上に細く刻んだ馬糧の藁をふりかけた。
(てんもちもひとつになった。さっとかぜがふきおろしたとおもうと、せきせつはじぶんのほうから)
天も地も一つになった。颯と風が吹きおろしたと思うと、積雪は自分の方から
(まいあがるようにまいあがった。それがよこなぐりになびいてやよりもはやくそらをとんだ。)
舞い上るように舞上った。それが横なぐりに靡いて矢よりも早く空を飛んだ。
(さとうのこややそのまわりのこだちはみえたりかくれたりした。かぜにむかったふたりのはんしん)
佐藤の小屋やそのまわりの木立は見えたり隠れたりした。風に向った二人の半身
(はたちまちしろくそまって、こまかいはりでたえまなくさすようなしげきはふたりのかおをまっかに)
は忽ち白く染まって、細かい針で絶間なく刺すような刺戟は二人の顔を真赤に
(してかんかくをうしなわしめた。ふたりはまつげにこおりつくゆきをうちふるいうちふるい)
して感覚を失わしめた。二人は睫毛に氷りつく雪を打振い打振い
(ゆきのなかをこいだ。)
雪の中をこいだ。
(こくどうにでるとゆきみちがついていた。ふみかためられないふかみにおちないように)
国道に出ると雪道がついていた。踏み堅められない深みに落ちないように
(にんえもんはさきにたってせぶみをしながらあるいた。おおきなにをせおったふたりの)
仁右衛門は先きに立って瀬踏みをしながら歩いた。大きな荷を背負った二人の
(すがたはまろびがちにすこしずつうごいていった。きょうどうぼちのしたをとおるとき、つまはてを)
姿はまろびがちに少しずつ動いて行った。共同墓地の下を通る時、妻は手を
(あわせてそっちをおがみながらあるいたーーわざとらしいほどたかいこえをあげてなき)
合せてそっちを拝みながら歩いたーーわざとらしいほど高い声を挙げて泣き
(ながら。ふたりがこのむらにはいったときはいっとうのうまももっていた。ひとりのあかんぼうも)
ながら。二人がこの村に這入った時は一頭の馬も持っていた。一人の赤坊も
(いた。ふたりはそれらのものすらしぜんからうばいさられてしまったのだ。)
いた。二人はそれらのものすら自然から奪い去られてしまったのだ。
(そのあたりからじんかはたえた。ふきつけるゆきのためにへしおられるかれえだがややとも)
その辺から人家は絶えた。吹きつける雪のためにへし折られる枯枝がややとも
(するとなげやりのようにおそってきた。ふきまくかぜにもまれてきというきはまじょのかみの)
すると投槍のように襲って来た。吹きまく風にもまれて木という木は魔女の髪の
(ようにみだれくるった。)
ように乱れ狂った。
(ふたりのだんじょはおもにのしたにくるしみながらすこしずつくっちゃんのほうにうごいていった。)
二人の男女は重荷の下に苦しみながら少しずつ倶知安の方に動いて行った。
(とどまつたいがむこうにみえた。すべてのきがはだかになったなかに、このきだけはゆううつなあんりょく)
椴松帯が向うに見えた。凡ての樹が裸かになった中に、この樹だけは幽鬱な暗緑
(のはいろをあらためなかった。まっすぐなみきがみわたすかぎりてんをついて、どとうのような)
の葉色をあらためなかった。真直な幹が見渡す限り天を衝いて、怒濤のような
(かぜのおとをこめていた。ふたりのだんじょはありのようにちいさくそのはやしにちかづいて、)
風の音を籠めていた。二人の男女は蟻のように小さくその林に近づいて、
(やがてそのなかにのみこまれてしまった。)
やがてその中に呑み込まれてしまった。