ああ玉杯に花うけて 第十二部 4
誤字などあれば教えてください。
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問題文
(「まちたまえ、さらにてづかくんのせつをばくさねばならん、てづかくんはえいゆうは)
「待ちたまえ、さらに手塚君の説を駁さねばならん、手塚君は英雄は
(こじんしゅぎである、えいゆうはみんしゅうをしんりゃくしたといった、しんりゃくかせいふくかぼくは)
個人主義である、英雄は民衆を侵掠したといった、侵掠か征服かぼくは
(いずれたるかをしらずといえども、じゃくしゃがきょうしゃにたいしてしんりゃくよばわりをするのは)
いずれたるかを知らずといえども、弱者が強者に対して侵掠呼ばわりをするのは
(きょうのあくしそうであります、ふじんはおとこにたいしてらんぼうよばわりをなし、ひんじゃは)
今日の悪思想であります、婦人は男に対して乱暴よばわりをなし、貧者は
(ふしゃにたいしてあっぱくよばわりをなし、なまけものがきんべんしゃにたいしてごうまんよばわりを)
富者に対して圧迫よばわりをなし、なまけ者が勤勉者に対して傲慢呼ばわりを
(なす、ここにおいてぷろれたりあはぶるじょあをのろい、ろうどうしゃはしほんかを)
なす、ここにおいてプロレタリアはブルジョアをのろい、労働者は資本家を
(のろい、じんみんはせいふをのろい、ひとはおやをのろい、つまはおっとをのろう、)
のろい、人民は政府をのろい、人は親をのろい、妻は良人をのろう、
(そもそもそれははたしてただしきことであるか、おもうにみんしゅうといいでもくらしーと)
そもそもそれははたして正しきことであるか、思うに民衆といいデモクラシーと
(さけぶこときょうほどさかんなときはない、しかしこころをしずめみみをそばだてて)
叫ぶこと今日ほどさかんなときはない、しかし心をしずめ耳をそばだてて
(みんしゅうのこえをききなさい、かれらはこういっている。「しゅりょうがほしい」)
民衆の声を聞きなさい、かれらはこういっている。『首領がほしい』
(「わたしたちをしどうしてくれるひとがほしい」「れーにんがほしい」「むっそりーにが)
『私達を指導してくれる人がほしい』『レーニンがほしい』『ムッソリーニが
(ほしい」「なぽれおんがほしい」と、いかなるばあいにもだんたいはしゅりょうがひつようである)
ほしい』『ナポレオンがほしい』と、いかなる場合にも団体は首領が必要である
(しゅりょうはえいゆうである。ふらんすじんはかくめいをもってじゆうをえた、しかしかくめいには)
首領は英雄である。フランス人は革命をもって自由を得た、しかし革命には
(じゅうにんをくだらざるしゅりょうがあった、ろーまのこくみんはなにをのぞんだか、)
十人をくだらざる首領があった、ローマの国民はなにを望んだか、
(しーざーにあらずんばぶるたすであった。にほんのこくみんはなにをのぞんだか、)
シーザーにあらずんばブルタスであった。日本の国民はなにを望んだか、
(みなもとにあらずんばたいらであった、なぽれおんをしまながしにしたのはこくみんであったが)
源にあらずんば平であった、ナポレオンを島流しにしたのは国民であったが
(かれをていおうにしたのもこくみんであったことをわすれてはならない。しかるに)
かれを帝王にしたのも国民であったことをわすれてはならない。しかるに
(てづかくんはなんのためにえいゆうをひにんするか、えいゆういでよ、ただしきえいゆういでよ、)
手塚君はなんのために英雄を非認するか、英雄いでよ、正しき英雄いでよ、
(げんだいのふはいはえいゆうしゅぎがおとろえたからである、ぼくのいわゆるえいゆうは)
現代の腐敗は英雄主義がおとろえたからである、ぼくのいわゆる英雄は
(かつどうしゃしんのこんどういさみではない、くにさだちゅうじではない、ねずみこぞうじろきちではない、)
活動写真の近藤勇ではない、国定忠治ではない、鼠小僧次郎吉ではない、
(しかもまたたかうじ、きよもり、よりとものたぐいではない、てづかくんのえいゆうでもなければ)
しかもまた尊氏、清盛、頼朝の類ではない、手塚君の英雄でもなければ
(のぶちくんのえいゆうでもない、ぼくはせいぎのえいゆうをさんびする、いやしくも)
野淵君の英雄でもない、ぼくは正義の英雄を讃美する、いやしくも
(せいぎであればぶげいがつたなくとも、ちぼうがなくとも、がっこうをらくだいしても、)
正義であれば武芸がつたなくとも、知謀がなくとも、学校を落第しても、
(やきゅうがまずくとも、かねもちでもびんぼうでも、すべてえいゆうである、)
野球がまずくとも、金持ちでも貧乏でも、すべて英雄である、
(このゆえにぼくはこういいたい、「すべてのひとはえいゆうになりえるしかくがある」と」)
この故にぼくはこういいたい、『すべての人は英雄になり得る資格がある』と」
(なんともいいようのないげんしゅくなきがかいじょうをあっしてしばらくみずをうったように)
なんともいいようのない厳粛な気が会場を圧してしばらく水をうったように
(ちんもくしたかとおもうときゅうにはくしゅかっさいがどとうのごとくみなぎった。)
沈黙したかと思うと急に拍手喝采が怒濤のごとくみなぎった。
(てづかはどこへいったかすがたがみえない。せんぞうはこきゅうもつけなかった。)
手塚はどこへ行ったか姿が見えない。千三は呼吸もつけなかった。
(かれはこういちのろんしにはいってんのすきもないとおもった。 「ちくしょうっ、)
かれは光一の論旨には一点のすきもないと思った。 「畜生ッ、
(うまくやりやがった」 こうおもうとせっかくのふくしゅうしんもいっぱんは)
うまくやりやがった」 こう思うとせっかくの復讐心も一半は
(くじかれてしまった。 「つまらない、こなければよかった」)
くじかれてしまった。 「つまらない、こなければよかった」
(かれはいまいましさにたえかねてかいじょうをでた。そとはうるしのごとくくらい。)
かれはいまいましさにたえかねて会場をでた。外は漆のごとくくらい。
(ふりかえってみるとがっこうのまどまどからこうこうとひのひかりがほとばしっていた。)
ふりかえってみると学校の窓々からこうこうと灯の光がほとばしっていた。
(せんぞうはいっしゅのぶじょくをかんじながらあるくともなくあるきつづけた。とかれは)
千三は一種の侮辱を感じながら歩くともなく歩きつづけた。とかれは
(ろぼうのいしにつまずいてげたのはなおをふっつりときらした。 「たいへんだ」)
路傍の石につまずいてげたのはなおをふっつりと切らした。 「大変だ」
(かれはとほうにくれた。 「なわきれがおちてなかろうか」)
かれは途方にくれた。 「なわきれが落ちてなかろうか」
(こうおもってくらいじめんをさぐりさぐりなみきのあいだをあるいた。いままで)
こう思って暗い地面を探り探り並み木の間を歩いた。いままで
(きがつかなかったがこのときあしのおやゆびがいたみだした。てをやってみると)
気がつかなかったがこのとき足の拇指が痛みだした。手をやってみると
(なまづめがはがれてある、かれはだいちにすわりこんだ。そうしてへこおびをひきさいて)
生爪がはがれてある、かれは大地に座りこんだ。そうしてへこ帯をひきさいて
(あしをほうたいすることにきめた。 とどこからとなくひとのこえがきこえる。)
足を繃帯することに決めた。 とどこからとなく人の声が聞こえる。
(「きたか」「まだまだ」「きをつけろよ」「にがしちゃいかんよ」)
「きたか」「まだまだ」「気をつけろよ」「にがしちゃいかんよ」
(ひとりのこえはてづからしい。あとはし、ごにん、しのびしのびにさんぼうにまいふくする。)
ひとりの声は手塚らしい。あとは四、五人、しのびしのびに三方に埋伏する。
(「なにをしてるんだろう」 せんぞうはこうおもった。こういうことは)
「なにをしてるんだろう」 千三はこう思った。こういうことは
(めずらしくない。せいねんのけんかだ。まいにちひとつぐらいはあるのだ。)
めずらしくない。青年の喧嘩だ。毎日一つぐらいはあるのだ。
(「だがねえ、ふみこはこのごろちっともこないじゃないか」 ひとりのこえが)
「だがねえ、文子はこのごろちっともこないじゃないか」 ひとりの声が
(きこえる。 「てがみをみられたらしいよ」とほかのこえ。)
きこえる。 「手紙を見られたらしいよ」と他の声。
(「みられてもかまやしない、あれはねちびのなにしてあるんだから・・・・・・)
「見られてもかまやしない、あれはねチビの名にしてあるんだから……
(はっはっはっちびのやつそれでひどくなぐられたっけ」)
はッはッはッチビのやつそれでひどくなぐられたっけ」
(せんぞうのそうしんがぶるぶるとふるえた。かれははじめてそれがてづかのかんさくだと)
千三の総身がぶるぶるとふるえた。かれははじめてそれが手塚の奸策だと
(しったのである。かれはたちあがってかれらのあとをおいかけようとおもった。)
知ったのである。かれは立ちあがってかれらのあとを追いかけようと思った。
(があしのいたみはほねをえぐられるようにはげしい。「まてちくしょう!)
が足の痛みは骨をえぐられるようにはげしい。「待て畜生!
(ああいまいましいな」 せんぞうはあしをきびしくしばった。そうしてのこりのきれで)
ああいまいましいな」 千三は足をきびしくしばった。そうして残りの布で
(はなおをすげた。とこのときご、ろくげんさきにさけびごえがおこった。)
はなおをすげた。とこのとき五、六間先に叫び声が起こった。
(「なにをするんだ」「たたんでしまえ、やれやれ」「どこだ」 「ここだ」)
「なにをするんだ」「たたんでしまえ、やれやれ」「どこだ」 「ここだ」
(「こんちくしょう!」なぐりあうおと、さかさまるるおと、ばたばたとはしるおと。)
「こん畜生!」なぐり合う音、倒るる音、ばたばたと走る音。
(「おいおいみんなこい」とよぶこえ。 「なまいきな、きさまはてづかだな」)
「おいおいみんなこい」とよぶ声。 「生意気な、きさまは手塚だな」
(こういうこえはこういちであった。せんぞうははっとおどりあがった。かれは)
こういう声は光一であった。千三ははっとおどりあがった。かれは
(かたほうのげたをてにもったままはしりだした。とみるとさんにんをあいてにこういちは)
片方のげたを手に持ったまま走りだした。と見ると三人を相手に光一は
(ふんとうさいちゅうである。いったんにげたふたりはひきかえしてともにこういちにつかみかかった。)
奮闘最中である。一旦逃げたふたりは引きかえして共に光一につかみかかった。
(こういちはひとりのあたまをけった。けられながらにそのおとこはこういちのあしを)
光一は一人の頭をけった。けられながらにその男は光一の脚を
(いっしょうけんめいにつかんだ。うしろからこういちののどをしめているのはろばらしい。)
一生懸命につかんだ。背後から光一の喉をしめているのはろばらしい。
(てづかはまえへでたりうしろへでたりしてこういちのかおをらんだした。)
手塚は前へ出たり後ろへ出たりして光一の顔を乱打した。
(ごにんとひとりかなうべくもない。 「やなぎ、しっかりしろ」)
五人と一人かなうべくもない。 「柳、しっかりしろ」
(せんぞうはこうこえをかけててにもったげたでてづかのよこつらをしたたかにうった。)
千三はこう声をかけて手に持ったげたで手塚の横面をしたたかに打った。
(「ちび!」てづかはさけんではなにてをあてた。せんぞうはろばのかおをうとうとしたが)
「チビ!」手塚は叫んで鼻に手をあてた。千三はろばの顔を打とうとしたが
(ちいさいのでとどかなかった。かれはおどりあがった。があしのいたみがますます)
小さいのでとどかなかった。かれはおどり上がった。が足の痛みがますます
(はげしい。かれはてづかにくびねをおさえられた。てづかはちからまかせにちびをなぐった)
はげしい。かれは手塚に首根をおさえられた。手塚は力まかせにチビをなぐった
(なぐられながらちびはてづかのてをしっかりとつかんではなさない。)
なぐられながらチビは手塚の手をしっかりとつかんではなさない。
(「だいじょうぶかやなぎ」とちびがくるしそうにいった。「だいじょうぶだ。)
「だいじょうぶか柳」とチビが苦しそうにいった。「だいじょうぶだ。
(あおき、すまないな」とこういちはいった。そうしてもののみごとにろばをだいちに)
青木、すまないな」と光一はいった。そうしてもののみごとにろばを大地に
(たたきつけた、そのひょうしにかれはかたひざをおった。さんにんはそのうえにおりかさなった)
たたきつけた、その拍子にかれは片ひざを折った。三人はその上におり重なった
(「なにを・・・・・・くそっ」 こういうこういちのこえはおぼつかなくきこえた。)
「なにを……くそッ」 こういう光一の声はおぼつかなく聞こえた。
(「やられたな」 こうちびはおもった。とたんにてづかのてがぐたりとゆるんだ。)
「やられたな」 こうチビは思った。とたんに手塚の手がぐたりとゆるんだ。
(とおもうやいなやてづかはさながらいぬのかばねのごとくたたきつけられた。)
と思うやいなや手塚はさながら犬の屍のごとくたたきつけられた。