梶井基次郎 ある崖上の感情 1 (3/3)

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(そのせいねんにはだいぶよいがはっしてきていた。)

その青年にはだいぶ酔いが発して来ていた。

(そのぷろじっとにおうじなかったあいてのこっぷへ)

そのプロジットに応じなかった相手のコップへ

(あらあらしくじぶんのこっぷをうちつけて、)

荒々しく自分のコップを打ちつけて、

(かれはあたらしいこっぷをいっきにのみほした。)

彼は新しいコップを一気に飲み乾した。

(かれらがそんなはなしをしていたとき、とびらをあけてふたりのせいようじんがはいってきた。)

彼らがそんな話をしていたとき、扉をあけて二人の西洋人がは入って来た。

(かれらははいってくるとどうじにうえいとれすのほうへいろっぽいめつきをおくりながら)

彼らはは入って来ると同時にウエイトレスの方へ色っぽい眼つきを送りながら

(せいねんたちのよこのてーぶるへすわった。)

青年達の横のテーブルへ坐った。

(かれらのめはいちどでもせいねんたちのほうをみるのでもなければ、)

彼らの眼は一度でも青年達の方を見るのでもなければ、

(おたがいにみかわすというのでもなく、)

お互いに見交わすというのでもなく、

(たえずえがおをつくっておんなのほうへむいていた。)

絶えず笑顔を作って女の方へ向いていた。

(「ぽーりんさんにしまのふさん、いらっしゃい」)

「ポーリンさんにシマノフさん、いらっしゃい」

(うえいとれすのかおはかれらをむかえるおおぎょうなひょうじょうでにわかにいきいきしだした。)

ウエイトレスの顔は彼らを迎える大仰な表情でにわかに生き生きし出した。

(そしてきゃっきゃっとわらいながらなにかしゃべりあっていたが、)

そしてきゃっきゃっと笑いながら何か喋り合っていたが、

(かのじょのつかうことばはあるじゆうさをもったせいようじんのにほんごで、)

彼女の使う言葉はある自由さを持った西洋人の日本語で、

(それをかのじょがしゃべるときせいねんたちをきゅうじしていたときとは)

それを彼女が喋るとき青年達を給仕していたときとは

(まるでちがったへんなみりょくがしょうじた。)

まるでちがった変な魅力が生じた。

(「ぼくはいちどこんなしょうせつをよんだことがある」 ききてであったほうのせいねんが、)

「僕は一度こんな小説を読んだことがある」  聴き手であった方の青年が、

(あたらしいきゃくのもってきたくうきから、はなしをまたもとへもどした。)

新しい客の持って来た空気から、話をまたもとへ戻した。

(「それは、あるにほんじんがよーろっぱへりょこうにでかけるんです。)

「それは、ある日本人が欧羅巴へ旅行に出かけるんです。

(いぎりす、ふらんす、どいつとずいぶんながいごったごたしたりょこうをつづけて)

英国、仏蘭西、独逸とずいぶんながいごったごたした旅行を続けて

など

(おしまいにうぃーんへやってくる。)

おしまいにウィーンへやって来る。

(そしてついたよるあるほてるへとまるんですが、)

そして着いた夜あるホテルへ泊まるんですが、

(よなかにふとめをさましてそれからすぐねつけないで、)

夜中にふと眼をさましてそれからすぐ寝つけないで、

(しんやのやみのなかにりょじょうをかんじながらまどのそとをながめるんです。)

深夜の闇のなかに旅情を感じながら窓の外を眺めるんです。

(そらはうつくしいほしぞらで、そのしたにうぃーんのいちがねむっている。)

空は美しい星空で、その下にウィーンの市が眠っている。

(そのおとこはしばらくそのやけいにながめふけっていたが、)

その男はしばらくその夜景に眺め耽っていたが、

(かれはふとやみのなかにたったひとつあけはなされたまどをみつける。)

彼はふと闇のなかにたった一つ開け放された窓を見つける。

(そのへやのなかにはしろいぬののようなかたまりがあかるいとうかにてらしだされていて、)

その部屋のなかには白い布のような塊りが明るい燈火に照らし出されていて、

(なにかしろいけむりみたようなものがそこからほそくまっすぐにたちのぼっている。)

なにか白い煙みたようなものがそこから細くまっすぐに立ち騰っている。

(そしてそれがだんだんはっきりしてくるんですが、)

そしてそれがだんだんはっきりして来るんですが、

(おもいがけなくそのおとこがそこにみだしたものはべっどのうえに)

思いがけなくその男がそこに見出したものはベッドの上に

(ほしいままならたいをなげだしているだんじょだったのです。)

ほしいままな裸体を投げ出している男女だったのです。

(しろいしーつのようにみえていたのがそれで、)

白いシーツのように見えていたのがそれで、

(しずかにたちのぼっているけむりはおとこがべっどでくゆらしているはまきのけむりなんです。)

静かに立ち騰っている煙は男がベッドで燻らしている葉巻の煙なんです。

(そのおとこはそのときどんなことをおもったかというと、)

その男はそのときどんなことを思ったかというと、

(これはいかにもことうぃーんだ、)

これはいかにも古都ウィーンだ、

(そしていまじぶんはながいたびのすえにやっとそのふるいみやこへやってきたのだ)

そしていま自分は長い旅の末にやっとその古い都へやって来たのだ

(そういうきもちがしみじみとわいたというのです」 「そして?」)

そういう気持がしみじみと湧いたというのです」 「そして?」

(「そしてしずかにまどをしめてまたじぶんのべっどへかえってねたというのですが)

「そして静かに窓をしめてまた自分のベッドへ帰って寝たというのですが

(これはずいぶんまえによんだしょうせつだけれど、)

これはずいぶんまえに読んだ小説だけれど、

(へんにわすれられないところがあってぼくのきおくにひっかかっている」)

変に忘れられないところがあって僕の記憶にひっかかっている」

(「いいなあせいようじんは。ぼくはうぃーんへいきたくなった。あっはっは。)

「いいなあ西洋人は。僕はウィーンへ行きたくなった。あっはっは。

(それよりいまからぼくといっしょにがけのほうまでいかないですか。ええ」)

それより今から僕と一緒に崖の方まで行かないですか。ええ」

(よったせいねんはあるねっしんさであいてをさそっていた。)

酔った青年はある熱心さで相手を誘っていた。

(しかしかたほうはただわらうだけでそのはなしにはのらなかった。)

しかし片方はただ笑うだけでその話には乗らなかった。

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