マナバ博士の個人日記
タイピングにする都合上、変なところで文が切れたりしていますが、ご了承ください。
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問題文
(わたしはここにはいぞくされていらい、くらすviiiにんしきさいがいにさらされたじんぶつに)
私はここに配属されて以来、クラスVIII認識災害に晒された人物に
(ひそむえいきょうをりかいするこころみに、すくなからぬじかんをつぎこんできた。)
潜む影響を理解する試みに、少なからぬ時間をつぎ込んできた。
(わたしはおおくのしょくいんへのいんたびゅーをしきし、)
私は多くの職員へのインタビューを指揮し、
(おおくのしんりがくのれぽーとをかいてきた。しかしいまだにあのせいぶつのなにが、)
多くの心理学のレポートを書いてきた。しかし未だにあの生物の何が、
(かんぜんにしょうきのにんげんをえあろっくのそと、そしてうつぼのいへと)
完全に正気の人間をエアロックの外、そしてウツボの胃へと
(むかわせたのかを、てきせつにえんえきすることはできない。)
向かわせたのかを、適切に演繹することはできない。
(こんしゅうのはじめ、べっけんのれぽーとのためにのーとをじゅんびしていたとき、)
今週の初め、別件のレポートのためにノートを準備していたとき、
(わたしはあやまってわたしとつま、)
私は誤って私と妻、
(そしてむすめのうつったしゃしんをないとてーぶるからおとしてしまった。)
そして娘の写った写真をナイトテーブルから落としてしまった。
(がらすはわれてゆかをうち、しゃしんがでておちた。)
ガラスは割れて床を打ち、写真が出て落ちた。
(そうじしているあいだ、しゃしんのうらになにかがかかれているのをみつけた。)
掃除している間、写真の裏に何かが書かれているのを見つけた。
(あなんど、しゃんてぃ、ぱどま。2002ねん6がつ)
“アナンド、シャンティ、パドマ。2002年6月”
(しかしじたいはわたしのものではなかった。それはべんかっとのものだった。)
しかし字体は私のものではなかった。それはベンカットのものだった。
(わたしはこんらんした。なぜべんかっとはわたしのしゃしんのうしろにかいたんだ?)
私は混乱した。なぜベンカットは私の写真の後ろに書いたんだ?
(わたしはそのときはあまりかんがえず、ざんがいをかたづけていちにちのしごとにもどった。)
私はその時はあまり考えず、残骸を片付けて一日の仕事に戻った。
(しかしこのぎもんがあたまにのこった。ちいさなことで、いくつかのりゆうでせつめいがつく。)
しかしこの疑問が頭に残った。小さなことで、いくつかの理由で説明がつく。
(しかしわたしはふあんかんをぬぐいされなかった。)
しかし私は不安感を拭い去れなかった。
(きのうのばん、おそろしいかんがえがわたしをうちのめした。)
昨日の晩、恐ろしい考えが私を打ちのめした。
(よくあさにもちこすことなどできず、)
翌朝に持ち越すことなどできず、
(わたしはすぐにざいだんのしょくいんあーかいぶにあくせすし、)
私はすぐに財団の職員アーカイブにアクセスし、
(うけいれがたいしんじつをにんしきした。)
受け入れがたい真実を認識した。
(しゃんてぃはべんかっとのさいしょのつまだ。ぱどまはかれのむすめ。)
シャンティはベンカットの最初の妻だ。パドマは彼の娘。
(きろくはあきらかだった。わたしのおもいだせるじんせい、)
記録は明らかだった。私の思い出せる人生、
(かのじょらとたいけんしたとわたしのかくしんするできごと、それらはわたしのものではなく、)
彼女らと体験したと私の確信する出来事、それらは私のものではなく、
(べんかっとのきおくとたいけんなのだ。わたしはけっこんしたことはなく、こどもはいない。)
ベンカットの記憶と体験なのだ。私は結婚したことはなく、子供はいない。
(いまですらかのじょのわらいごえ、かみのかおりが、わたしのこころにせんめいにやきついている。)
今ですら彼女の笑い声、髪の香りが、私の心に鮮明に焼き付いている。
(しかしいまやそれはわたしじしんではなく、)
しかし今やそれは私自身ではなく、
(べんかっとをとおしたたいけんだったとしってしまった。)
ベンカットを通した体験だったと知ってしまった。
(このげんじつをにんしきするきょうふは、またべつのしゅるいのきみょうなきょうふにとってかわられた。)
この現実を認識する恐怖は、また別の種類の奇妙な恐怖に取って代わられた。
(わたしはうつぼがなにをしたのかりかいした。あれにふずいするなにか、)
私はウツボが何をしたのか理解した。あれに付随する何か、
(あのせいせいぶつにひそむなにかは、にんちをきらう。)
あの生成物に潜む何かは、認知を嫌う。
(それはわれわれがしんにそれであるなにかがのこるまで、にんげんのせいしんをはかいし、)
それは我々が真にそれである何かが残るまで、人間の精神を破壊し、
(われわれがたましいとしんじているわれわれのいちぶをまきちらすのだ。)
我々が魂と信じている我々の一部を撒き散らすのだ。
(われわれがしんにそれであるなにかすなわち、)
我々が真にそれである何か すなわち、
(いつのひかふかっせいとなるでんきしんごうである。)
いつの日か不活性となる電気信号である。
(わたしじしんでさえわたしをおもいだせないのなら、)
私自身でさえ私を思い出せないのなら、
(ほかのだれがわたしをおぼえているというのだろう?わたしはわたしじしんのじんせいをわすれてしまった)
他の誰が私を覚えているというのだろう?私は私自身の人生を忘れてしまった
(そしてわたしはきみょうにもこのけいじにたいしむかんじょうである。)
そして私は奇妙にもこの啓示に対し無感情である。
(わたしはわたしいぜんのいくせんものひとびととおなじように、)
私は私以前の幾千もの人々と同じように、
(そしてわたしのあとのいくせんがそうするように、やみへときえさるだろう。)
そして私の後の幾千がそうするように、闇へと消え去るだろう。
(わたしがわすれさられることをだれもきにかけない。)
私が忘れ去られることを誰も気にかけない。
(わたしはわたしじしんのためにぜつぼうするのではなく、われわれすべて)
私は私自身のために絶望するのではなく、我々全て
(わたしとあなたのためにぜつぼうする。われわれはすべてぼうきゃくにむきあわされるだろう。)
私とあなたのために絶望する。我々は全て忘却に向き合わされるだろう。
(わたしはむかちで、あなたもむかちだ。)
私は無価値で、あなたも無価値だ。
(ときのうみのなかでひきのばされたえいえん。われわれがそれにあらがっても、)
時の海の中で引き伸ばされた永遠。我々がそれに抗っても、
(われわれのてきはふかひのうんめいである。)
我々の敵は不可避の運命である。
(わたしはあのうつぼがあなんたしぇーしゃであるとはおもわない。)
私はあのウツボがアナンタシェーシャであるとは思わない。
(そうだとしてもなんだというのだろう。じぶんがひきさかれるかんかくのなかで、)
そうだとしても何だというのだろう。自分が引き裂かれる感覚の中で、
(わたしにとっていまめいかくなのは、うつぼがしんわのせいぶつだとか、)
私にとって今明確なのは、ウツボが神話の生物だとか、
(しんせいなへびだということではない。)
神聖な蛇だということではない。
(もしかしたらそれはわたしたちからにげたげんしのせいぶつにすぎず、)
もしかしたらそれは私達から逃げた原始の生物に過ぎず、
(あくいなどないのかもしれない。)
悪意など無いのかもしれない。
(あるいはそのなかにいかりをやどしたこんげんのしんせいなのかもしれない。)
あるいはその中に怒りを宿した根源の神性なのかもしれない。
(うつぼはわたしのしょうめつや、じんるいのはめつをつげるものではない。)
ウツボは私の消滅や、人類の破滅を告げるものではない。
(うつぼはばんぶつのしゅうえんではなく、)
ウツボは万物の終焉ではなく、
(しゅうえんがどのようにみえるかをわれわれにしめしているにすぎない。)
終焉がどのように見えるかを我々に示しているに過ぎない。
(そしてわれわれがなにをしんじようとも、どのようなりそうをいだこうとも、)
そして我々が何を信じようとも、どのような理想を抱こうとも、
(どのようなしんこうにいのろうとも、わたしは、)
どのような信仰に祈ろうとも、私は、
(われわれすべてにとってこのことがしんじつたるにじゅうぶんだとしるのである。)
我々全てにとってこのことが真実たるに十分だと知るのである。
(われわれはさいごには、わすれさられるのだ。)
我々は最後には、忘れ去られるのだ。