太宰治フォスフォレッスセンス4

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太宰治『フォスフォレッスセンス』4 終
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1 ばぼじま 5205 B+ 5.3 96.9% 479.3 2577 82 41 2024/11/07

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問題文

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(そうしてあさ、めがさめて、わかれたのがげんじつのせかいのできごとで、)

そうして朝、眼が覚めて、わかれたのが現実の世界の出来事で、

(あったのがゆめのせかいのできごと、そうしてまたわかれたのがやはりゆめのせかいのできごと)

逢ったのが夢の世界の出来事、そうしてまた別れたのがやはり夢の世界の出来事

(もうどっちでもおなじことのようなきもちで、とこのなかでぼんやりしていたら、)

もうどっちでも同じことのような気持ちで、床の中でぼんやりしていたら、

(かねて、きょうがやくそくのしめきりびということになっていたあるざっしのげんこうをとりに)

かねて、きょうが約束の締切日ということになっていた或る雑誌の原稿を取りに

(わかいへんしゅうしゃがやってきた。わたしにはまだいちまいもかけていない。)

若い編輯者がやって来た。私にはまだ一枚も書けていない。

(ゆるしてください、らいげつごうか、そのつぎあたりにかかせてください、とねがったけれども、)

許して下さい、来月号か、その次あたりに書かせて下さい、と願ったけれども、

(それはききいれられなかった。ぜひきょうじゅうにごまいでもじゅうまいでも)

それは聞き容れられなかった。ぜひ今日中に五枚でも十枚でも

(かいてくれなければこまる、という。わたしも、いやそれはこまる、という。)

書いてくれなければ困る、と言う。私も、いやそれは困る、と言う。

(「いかがでしょう。これから、いっしょにおさけをのんで、)

「いかがでしょう。これから、一緒にお酒を飲んで、

(あなたのおっしゃることをわたしがかきます。」)

あなたのおっしゃることを私が書きます。」

(さけのゆうわくにはわたしはきょくどにもろかった。)

酒の誘惑には私は極度にもろかった。

(ふたりででて、かねてわたしのなじみのおでんやにいき、ていしゅににかいのしずかなへやを)

二人で出て、かねて私の馴染のおでんやに行き、亭主に二階の静かな部屋を

(かしてもらうようにたのんだが、あいにくそのひはろくがつのついたちで、)

貸してもらうように頼んだが、あいにくその日は六月の一日で、

(そのひからりょうりやがぜんぶ、じしゅくきゅうぎょうとかをすることになっているのだそうで、)

その日から料理屋が全部、自粛休業とかをする事になっているのだそうで、

(どうもおざしきをかすのはまずい、というていしゅのへんじで、それならば、)

どうもお座敷を貸すのはまずい、という亭主の返辞で、それならば、

(きみのところにまえからてもちのおさけでうれのこったものがないか、それをゆずって)

君のところに前から手持のお酒で売れ残ったものがないか、それをゆずって

(もらいたい、とわたしはいい、ていしゅからにほんしゅをいっしょううってもらって、わたしたちふたりは)

貰いたい、と私は言い、亭主から日本酒を一升売ってもらって、私たち二人は

(なんのあてどもなく、いっしょうびんをさげてしょかのこうがいをあるきまわった。)

何のあてどもなく、一升瓶をさげて初夏の郊外を歩き廻った。

(ふと、おもいついて、あのひとのおたくのほうへあるいていった。わたしはそれまで、)

ふと、思いついて、あのひとのお宅のほうへ歩いて行った。私はそれまで、

(そのおたくのまえをあるいてみたことはしばしばあったが、まだそのおたくへ)

そのお宅の前を歩いてみた事はしばしばあったが、まだそのお宅へ

など

(はいってみたことはなかったのだ。ほかのところであってばかりいたのである。)

はいってみたことは無かったのだ。ほかのところで逢ってばかりいたのである。

(そのおたくは、かなりひろく、かぞくもすくないし、あいているおへやのひとつくらいは)

そのお宅は、かなり広く、家族も少ないし、あいているお部屋の一つ位は

(あるにきまっている。「ぼくのいえは、あんなぐあいにこどもがおおぜいで、うるさくて、)

あるにきまっている。「僕の家は、あんな具合に子供が大勢で、うるさくて、

(とてもなにもできやしないし、それにらいきゃくがあったらこまるし、)

とても何も出来やしないし、それに来客があったら困るし、

(ちょっとしりあいのいえがありますから、そこへいってしごとをやってみましょう。」)

ちょっと知合いの家がありますから、そこへ行って仕事をやってみましょう。」

(こんなようじでもこうじつにしなければ、もう、あのひととあうことが)

こんな用事でも口実にしなければ、もう、あのひとと逢うことが

(できないかもしれぬ。わたしはゆうきをだして、そのおたくのよびりんをおした。)

出来ないかも知れぬ。私は勇気を出して、そのお宅の呼鈴を押した。

(じょちゅうがでてきた。あのひとは、いらっしゃらないという。)

女中が出て来た。あのひとは、いらっしゃらないという。

(「おしばいですか?」「ええ。」わたしはうそをついた。いや、やっぱり、うそではない。)

「お芝居ですか?」「ええ。」私は嘘をついた。いや、やっぱり、嘘ではない。

(わたしにとって、げんじつのことをいったのだ。「それならすぐおかえりになります。)

私にとって、現実の事を言ったのだ。「それならすぐお帰りになります。

(せんこく、こちらのおじさんにあいまして、しばいにひっぱりだしたけど、)

先刻、こちらの叔父さんに逢いまして、芝居に引っ張り出したけど、

(とちゅうでにげてしまったとおっしゃって、わらっておられましたから。」)

途中で逃げてしまったとおっしゃって、笑っておられましたから。」

(じょちゅうは、わたしをちかしいもののようにおもったらしく、わらって、どうぞといった。)

女中は、私をちかしい者のように思ったらしく、笑って、どうぞと言った。

(わたしたちは、そのひとのいまにとおされた。しょうめんのかべに、わかいおとこのしゃしんが)

私たちは、そのひとの居間にとおされた。正面の壁に、若い男の写真が

(かざられていた。はかばのないひとって、かなしいわね。わたしはとっさにりょうかいした。)

飾られていた。墓場の無い人って、哀しいわね。私はとっさに了解した。

(「ごしゅじんですね?」「ええ、まだなんぽうからおかえりになりませんの。)

「ご主人ですね?」「ええ、まだ南方からお帰りになりませんの。

(もうしちねん、ごしょうそくがないんですって。」そのひとに、そんなごしゅじんがあるとは、)

もう七年、ご消息が無いんですって。」そのひとに、そんなご主人があるとは、

(じつは、わたしもそのときはじめてしったのである。)

実は、私もそのときはじめて知ったのである。

(「きれいなはなだなあ。」とわかいへんしゅうしゃはそのしゃしんのしたのつくえにかざられてある)

「綺麗な花だなあ。」と若い編輯者はその写真の下の机に飾られてある

(ひとたばのはなをみて、そういった。「なんてはなでしょう。」とかれにたずねられて、)

一束の花を見て、そう言った。「なんて花でしょう。」と彼にたずねられて、

(わたしはすらすらとこたえた。「phosphorescence」)

私はすらすらと答えた。「Phosphorescence」

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