谷崎潤一郎 痴人の愛 14
私のお気に入りです
順位 | 名前 | スコア | 称号 | 打鍵/秒 | 正誤率 | 時間(秒) | 打鍵数 | ミス | 問題 | 日付 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 布ちゃん | 5774 | A+ | 6.0 | 95.6% | 944.3 | 5710 | 257 | 99 | 2024/11/13 |
2 | sada | 2758 | E+ | 2.9 | 94.6% | 1965.5 | 5746 | 325 | 99 | 2024/11/20 |
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問題文
(そしてかのじょは「やっぱりとしよりはあたまだわね」とか、「じぶんのほうがばかなんだから)
そして彼女は「やっぱり歳よりは頭だわね」とか、「自分の方が馬鹿なんだから
(くやしがったってしかたがないわよ」とか、いよいよずにのって、)
口惜しがったって仕方がないわよ」とか、いよいよ図に乗って、
(「ふん」)
「ふん」
(と、れいのはなのさきでなまいきそうにせせらわらいます。)
と、例の鼻の先で生意気そうにせせら笑います。
(が、おそろしいのはこれからくるけっかなのです。はじめのうちはわたしがなおみのきげんを)
が、恐ろしいのはこれから来る結果なのです。始めのうちは私がナオミの機嫌を
(とってやっている、すくなくともわたしじしんはそのつもりでいる。ところがだんだん)
取ってやっている、少くとも私自身はそのつもりでいる。ところがだんだん
(それがしゅうかんになるにしたがって、なおみはしんにつよいじしんをもつようになり、こんどは)
それが習慣になるに従って、ナオミは真に強い自信を持つようになり、今度は
(いくらわたしがほんきでふんばっても、じじつかのじょにかてないようになるのです。)
いくら私が本気で蹈ん張っても、事実彼女に勝てないようになるのです。
(ひととひととのかちまけはりちによってのみきまるのではなく、そこには「きあい」と)
人と人との勝ち負けは理智に依ってのみ極るのではなく、そこには「気合い」と
(いうものがあります。いいかえればどうぶつでんきです。ましてかけごとのばあいにはなおさら)
云うものがあります。云い換えれば動物電気です。まして賭け事の場合には尚更
(そうで、なおみとわたしとけっせんすると、はじめからきをのんでかかり、すばらしいいきおいで)
そうで、ナオミと私と決戦すると、始めから気を呑んでかかり、素晴らしい勢で
(うちこんでくるので、こちらはじりじりとあっしたおされるようになり、たちおくれが)
打ち込んで来るので、此方はジリジリと圧し倒されるようになり、立ち怯れが
(してしまうのです。)
してしまうのです。
(「ただでやったってつまらないから、いくらかかけてやりましょうよ」)
「ただでやったってつまらないから、幾らか賭けてやりましょうよ」
(と、もうしまいにはなおみはすっかりあじをしめて、かねをかけなければしょうぶを)
と、もうしまいにはナオミはすっかり味をしめて、金を賭けなければ勝負を
(しないようになりました。するとかければかけるほど、わたしのまけはかさんできます)
しないようになりました。すると賭ければ賭けるほど、私の負けは嵩んで来ます
(なおみはいちもんなしのくせに、じゅうせんとかにじゅうせんとか、じぶんでかってにたんいをきめて、)
ナオミは一文なしの癖に、十銭とか二十銭とか、自分で勝手に単位をきめて、
(おもうぞんぶんこづかいせんをせしめます。)
思う存分小遣い銭をせしめます。
(「ああ、さんじゅうえんあるとあのきものがかえるんだけれど。・・・・・・・・・また)
「ああ、三十円あるとあの着物が買えるんだけれど。・・・・・・・・・又
(とらんぷでとってやろうかな」)
トランプで取ってやろうかな」
(などといいながらちょうせんしてくる。たまにはかのじょがまけることがありましたけれど)
などと云いながら挑戦して来る。たまには彼女が負けることがありましたけれど
(そういうときにはまたべつのてをしっていて、ぜひそのかねがほしいとなると、どんな)
そう云う時には又別の手を知っていて、是非その金が欲しいとなると、どんな
(まねをしても、かたずにはおきませんでした。)
真似をしても、勝たずには置きませんでした。
(なおみはいつでもその「て」をもちいられるように、しょうぶのときはたいがいゆるやかな)
ナオミはいつでもその「手」を用いられるように、勝負の時は大概ゆるやかな
(がうんのようなものを、わざとぐずぐずにだらしなくまとっていました。そして)
ガウンのようなものを、わざとぐずぐずにだらしなく纏っていました。そして
(けいせいがわるくなるとみだりがわしくいずまいをくずして、えりをはだけたり、あしを)
形勢が悪くなると淫りがわしく居ずまいを崩して、襟をはだけたり、足を
(つきだしたり、それでもだめだとわたしのひざへもたれかかってほっぺたをなでたり、)
突き出したり、それでも駄目だと私の膝へ靠れかかって頬ッぺたを撫でたり、
(くちのはをつまんでぶるぶるとふったり、ありとあらゆるゆうわくをこころみました。わたしは)
口の端を摘まんでぶるぶると振ったり、ありとあらゆる誘惑を試みました。私は
(じつにこの「て」にかかってはよわりました。なかんずくさいごのしゅだんこれはちょっと)
実にこの「手」にかかっては弱りました。就中最後の手段これはちょっと
(かくわけにいきませんが、をとられると、あたまのなかがなんだかもやもやとくもって)
書く訳に行きませんが、をとられると、頭の中が何だかもやもやと曇って
(きて、きゅうにめのまえがくらくなって、しょうぶのことなぞなにがなにやら)
来て、急に眼の前が暗くなって、勝負のことなぞ何が何やら
(わからなくなってしまうのです。)
分らなくなってしまうのです。
(「ずるいよ、なおみちゃん、そんなことをしちゃ、・・・・・・・・・」)
「ずるいよ、ナオミちゃん、そんなことをしちゃ、・・・・・・・・・」
(「ずるかないわよ、これだってひとつのてだわよ」)
「ずるかないわよ、これだって一つの手だわよ」
(ずーんときがとおくなって、すべてのものがかすんでいくようなわたしのめには、そのこえと)
ずーんと気が遠くなって、総べての物が霞んで行くような私の眼には、その声と
(ともにまんめんにこびをふくんだなおみのかおだけがぼんやりみえます。にやにやした、)
共に満面に媚びを含んだナオミの顔だけがぼんやり見えます。にやにやした、
(きみょうなわらいをうかべつつあるそのかおだけが・・・・・・・・・)
奇妙な笑いを浮かべつつあるその顔だけが・・・・・・・・・
(「ずるいよ、ずるいよ、とらんぷにそんなてがあるもんじゃない、・・・・・」)
「ずるいよ、ずるいよ、トランプにそんな手があるもんじゃない、・・・・・」
(「ふん、ないことがあるもんか、おんなとおとことしょうぶことをすりゃ、いろんなおまじないを)
「ふん、ない事があるもんか、女と男と勝負事をすりゃ、いろんなおまじないを
(するもんだわ。あたしよそでみたことがあるわ。こどものじぶんに、うちでねえさんが)
するもんだわ。あたし余所で見たことがあるわ。子供の時分に、内で姉さんが
(おとこのひととおはなをするとき、そばでみていたらいろんなおまじないをやってたわ。)
男の人とお花をする時、傍で見ていたらいろんなおまじないをやってたわ。
(とらんぷだっておはなとおんなじことじゃないの。・・・・・・・・・」)
トランプだってお花とおんなじ事じゃないの。・・・・・・・・・」
(わたしはおもいます、あんとにーがくれおぱとらにせいふくされたのも、つまりはこういう)
私は思います、アントニーがクレオパトラに征服されたのも、つまりはこう云う
(ふうにして、しだいにていこうりょくをうばわれ、まるめこまれてしまったのだろうと。あいする)
風にして、次第に抵抗力を奪われ、円め込まれてしまったのだろうと。愛する
(おんなにじしんをもたせるのはいいが、そのけっかとしてこんどはこちらがじしんをうしなうように)
女に自身をもたせるのはいいが、その結果として今度は此方が自身を失うように
(なる。もうそうなってはよういにおんなのゆうえつかんにうちかつことはできなくなります。)
なる。もうそうなっては容易に女の優越感に打ち勝つことは出来なくなります。
(そしておもわぬわざわいがそこからしょうじるようになります。)
そして思わぬ禍がそこから生じるようになります。
(ちょうどなおみがじゅうはちのとしのあき、ざんしょのきびしいくがつしょじゅんのあるゆうがたのこと)
八 ちょうどナオミが十八の歳の秋、残暑のきびしい九月初旬の或る夕方のこと
(でした。わたしはそのひ、かいしゃのほうがひまだったので、いちじかんほどはやくきりあげて、)
でした。私はその日、会社の方が暇だったので、一時間程早く切り上げて、
(おおもりのいえへかえってくると、おもいがけなくもんをはいったにわのところに、ついぞ)
大森の家へ帰って来ると、思いがけなく門を這入った庭の所に、ついぞ
(みなれないひとりのしょうねんが、なおみとなにかはなしているのをみかけました。)
見慣れない一人の少年が、ナオミと何か話しているのを見かけました。
(しょうねんのとしはやはりなおみとおなじくらい、うえだとしてもせいぜいじゅうきゅうをこえては)
少年の歳は矢張ナオミと同じくらい、上だとしてもせいぜい十九を超えては
(いまいとおもえました。しろじがすりのひとえをきて、やんきーごのみの、はでなりぼんの)
いまいと思えました。白地絣の単衣を着て、ヤンキー好みの、派手なリボンの
(ついているむぎわらぼうしをかぶって、すてっきでじぶんのげたのさきをたたきながら)
附いている麦藁帽子を被って、ステッキで自分の下駄の先を叩きながら
(しゃべっている、あからがおの、まゆげのこい、めはなだちはわるくないがまんめんににきびの)
しゃべっている、赭ら顔の、眉毛の濃い、目鼻立ちは悪くないが満面ににきびの
(あるおとこ。なおみはそのおとこのあしもとにしゃがんでかだんのかげにかくれているので、どんな)
ある男。ナオミはその男の足下にしゃがんで花壇の蔭に隠れているので、どんな
(ようすをしているのだかはっきりみえませんでした。ひゃくにちそうや、おいらんそうや、)
様子をしているのだかはっきり見えませんでした。百日草や、おいらん草や、
(かんなのはなのさいているあいだから、そのよこがおとかみのけだけがわずかにちらちらする)
カンナの花の咲いている間から、その横顔と髪の毛だけが僅かにチラチラする
(だけでした。)
だけでした。
(おとこはわたしにきがつくと、ぼうしをとってえしゃくをして、)
男は私に気がつくと、帽子を取って会釈をして、
(「じゃあ、また」)
「じゃあ、又」
(と、なおみのほうをふりむいていいながら、すぐすたすたともんのほうへ)
と、ナオミの方を振り向いて云いながら、すぐすたすたと門の方へ
(あるいてきました。)
歩いて来ました。
(「じゃあ、さよなら」)
「じゃあ、さよなら」
(と、なおみもつづいてたちあがりましたが、「さよなら」とおとこは、うしろむきのまま)
と、ナオミもつづいて立ち上がりましたが、「さよなら」と男は、後向きのまま
(そういいすてて、わたしのまえをとおるときぼうしのふちへちょっとてをかけて、かおをかくす)
そう云い捨てて、私の前を通る時帽子の縁へちょっと手をかけて、顔を隠す
(ようにしながらでていきました。)
ようにしながら出て行きました。
(「だれだね、あのおとこは?」)
「誰だね、あの男は?」
(と、わたしはしっとというよりは、「いまのはふしぎなばめんだったね」というような、)
と、私は嫉妬と云うよりは、「今のは不思議な場面だったね」と云うような、
(かるいこうきしんできいたのでした。)
軽い好奇心で聞いたのでした。
(「あれ?あれはあたしのおともだちよ、はまださんていう、・・・・・・・・・」)
「あれ?あれはあたしのお友達よ、浜田さんて云う、・・・・・・・・・」
(「いつともだちになったんだい?」)
「いつ友達になったんだい?」
(「もうせんからよ、あのひともいさらごへせいがくをならいにいっているの。かおは)
「もう先からよ、あの人も伊皿子へ声楽を習いに行っているの。顔は
(あんなににきびだらけできたないけれど、うたをうたわせるとほんとにすてきよ。)
あんなににきびだらけで汚いけれど、歌を唄わせるとほんとに素敵よ。
(いいばりとんよ。このあいだのおんがくかいにもわたしといっしょにくぁるてっとをやったの」)
いいバリトンよ。この間の音楽会にも私と一緒にクァルテットをやったの」
(いわないでもいいかおのわるぐちをいったので、わたしはふいとうたがいをおこしてかのじょのめの)
云わないでもいい顔の悪口を云ったので、私はふいと疑いを起して彼女の眼の
(なかをみましたけれど、なおみのそぶりはおちついたもので、すこしもへいそと)
中を見ましたけれど、ナオミの素振りは落ち着いたもので、少しも平素と
(ことなったところはなかったのです。)
異なった所はなかったのです。
(「ちょいちょいあそびにやってくるのかい」)
「ちょいちょい遊びにやって来るのかい」
(「いいえ、きょうがはじめてよ、きんじょへきたからよったんだって。こんど)
「いいえ、今日が初めてよ、近所へ来たから寄ったんだって。今度
(そしある・だんすのくらぶをこしらえるから、ぜひあたしにもはいってくれって)
ソシアル・ダンスの倶楽部を拵えるから、是非あたしにも這入ってくれッて
(いいにきたのよ」)
云いに来たのよ」
(わたしはたしょうふゆかいだったのはじじつですが、しかしだんだんきいてみると、その)
私は多少不愉快だったのは事実ですが、しかしだんだん聞いて見ると、その
(しょうねんがまったくそれだけのはなしをしにきたのであることは、うそでないように)
少年が全くそれだけの話をしに来たのであることは、嘘でないように
(かんがえられました。だいいちかれとなおみとが、わたしのかえってきそうなじこくに、にわさきで)
考えられました。第一彼とナオミとが、私の帰って来そうな時刻に、庭先で
(しゃべっていたということ、それはわたしのうたがいをはらすのにじゅうぶんでした。)
しゃべっていたと云うこと、それは私の疑いを晴らすのに十分でした。
(「それでおまえは、だんすをやるっていったのかい」)
「それでお前は、ダンスをやるって云ったのかい」
(「かんがえておくっていっといたんだけれど、・・・・・・・・・」)
「考えて置くって云っといたんだけれど、・・・・・・・・・」
(と、かのじょはきゅうにあまったれたねこなでこえをだしながら、)
と、彼女は急に甘ったれた猫撫で声を出しながら、
(「ねえ、やっちゃいけない?よう!やらしてよう!じょうじさんもくらぶへはいって)
「ねえ、やっちゃいけない?よう!やらしてよう!譲治さんも倶楽部へ這入って
(いっしょにならえばいいじゃないの」)
一緒に習えばいいじゃないの」
(「ぼくもくらぶへはいれるのかい?」)
「僕も倶楽部へ這入れるのかい?」
(「ええ、だれだってはいれるわ。いさらごのすぎさきせんせいのしっているろしあじんが)
「ええ、誰だって這入れるわ。伊皿子の杉崎先生の知っている露西亜人が
(おしえるのよ。なんでもにしべりあからにげてきたんで、おかねがなくってこまってるもん)
教えるのよ。何でも西比利亜から逃げて来たんで、お金がなくって困ってるもん
(だから、それをたすけてやりたいというんでくらぶをこしらえたんですって。だから)
だから、それを助けてやりたいと云うんで倶楽部を拵えたんですって。だから
(ひとりでもおでしのおおいほうがいいのよ。ねえ、やらせてよう!」)
一人でもお弟子の多い方がいいのよ。ねえ、やらせてよう!」
(「おまえはいいが、ぼくがおぼえられるかなあ」)
「お前はいいが、僕が覚えられるかなア」
(「だいじょうぶよ、じきにおぼえられるわよ」)
「大丈夫よ、直きに覚えられるわよ」
(「だけど、ぼくにはおんがくのそようがないからなあ」)
「だけど、僕には音楽の素養がないからなア」