泉鏡花 悪獣篇 13

背景
投稿者投稿者神楽@社長推しいいね0お気に入り登録
プレイ回数1難易度(4.1) 4476打 長文
泉鏡花の中編小説です

関連タイピング

問題文

ふりがな非表示 ふりがな表示

(はまにとまぶねはこれにはかぎらぬから、たしかに、うえでみていたのをと、)

浜に苫船はこれには限らぬから、確[たしか]に、上で見ていたのをと、

(いただきをあおいでいちど。まずそのふたりがまえにたった、ひだりのほうのふなべりから、)

頂を仰いで一度。まずその二人が前に立った、左の方の舷から、

(ざくりととまをうえへあげた。・・・・・・)

ざくりと苫を上へあげた。・・・・・・

(ざらざらとわらがゆれて、ひろきひたいをさしいれて、べとりとあごひげいちめんな)

ざらざらと藁が揺れて、広き額を差入れて、べとりと頤髯[あごひげ]一面な

(そのにゅうわなくちをむすんで、あしをややつまだったとおもうと、りょうのかたで、)

その柔和な口を結んで、足をやや爪立ったと思うと、両の肩で、

(おどろきのはらをもんで、けたたましくとびのいて、したなるつなに)

驚愕[おどろき]の腹を揉んで、けたたましく飛び退いて、下なる綱に

(つまずいてたおれぬばかり、きょとんとして、ふといまゆのひそんだしたに、)

躓いて倒れぬばかり、きょとんとして、太い眉の顰[ひそ]んだ下に、

(まなこをつぶらにしてあたりをながめた。)

眼[まなこ]を円[つぶら]にして四辺[あたり]を眺めた。

(これなるおかとそうたいして、むこうなる、うみのおもにむらむらと)

これなる丘と相対して、対[むこ]うなる、海の面[おも]にむらむらと

(はびこった、ねずみいろのこきくもは、かしこいちざのやまをつつんで、)

蔓[はびこ]った、鼠色の濃き雲は、彼処[かしこ]一座の山を包んで、

(まだはれやらぬあさもやにて、すさまじくそらにひひって、)

まだ霽[は]れやらぬ朝靄にて、もの凄[すさま]じく空に冲[ひひ]って、

(ほのおのつらなってもゆるがごときは、やがてきゅうじゅうどを)

焔[ほのお]の連[つらな]って燃[もゆ]るがごときは、やがて九十度を

(こえんずる、なつのひをかいきにつつんで、がけにくさなきあかつちへ、)

越えんずる、夏の日を海気につつんで、崖に草なき赤地[あかつち]へ、

(ほのかにはんえいするのである。)

仄[ほのか]に反映するのである。

(かくてひとつめのはまはわんにゅうする、うみにもはまにもこのとき、)

かくて一つ目の浜は彎入[わんにゅう]する、海にも浜にもこの時、

(ひとはただれんぺいと、おやふねをこぎめぐる)

人はただ廉平と、親船を漕ぎ繞[めぐ]る

(ちょうようふたりのはだかごあるのみ。)

長幼二人の裸児[はだかご]あるのみ。

(えもいわれぬかおして、しばらくぼうのごとくたっていた、れんぺいは)

二十三 得も言われぬ顔して、しばらく棒のごとく立っていた、廉平は

(なにおもいけん、あしをこなたにかえして、ずっとみをおおきくいわのうえへ。)

何思いけん、足を此方[こなた]に返して、ずッと身を大きく巌の上へ。

(それをおりて、なぎさつだい、ふねをもてあそぶこどものまえへ。)

それを下りて、渚つだい、船を弄ぶ小児[こども]の前へ。

など

(ちかづいてみれば、かれらがこぎまわるおやぶねは、そのじくをなみうちぎわ。)

近づいて見れば、渠等[かれら]が漕ぎ廻る親船は、その舳[じく]を波打際。

(あさなぎのうみ、おだやかに、まさごをひろうばかりなれば、)

朝凪の海、穏[おだや]かに、真砂[まさご]を拾うばかりなれば、

(もやいもむすばずただよわせたのに、のんきにごろりと)

纜[もやい]も結ばず漾[ただよ]わせたのに、呑気にごろりと

(だいのじなり、かじをまくらのかんたんし、ふといまゆの)

大の字形[なり]、楫[かじ]を枕の邯鄲子[かんたんし]、太い眉の

(ひいでたのと、はなすじのとおったのが、まのけざまのねがおである。)

秀でたのと、鼻筋の通ったのが、真向[まの]けざまの寝顔である。

(かたわらのふねも、おさないのも、おもうに)

傍[かたわら]の船も、穉[おさな]いのも、惟[おも]うに

(このおやのこなのであろう。)

この親の子なのであろう。

(れんぺいは、ものもいわずにかけあるいたこえをまずととのえようと、)

廉平は、ものも言わずに駈け歩行[ある]いた声をまず調えようと、

(うちしわぶいたが、えへん! とおおきく、ちょうしはずれに)

打咳[うちしわぶ]いたが、えへん! と大きく、調子はずれに

(ひびいたので、しゃつのそでぐちのゆるんだてで、)

響いたので、襯衣[しゃつ]の袖口の弛[ゆる]んだ手で、

(そのくちもとをおおいながら、)

その口許を蔽[おお]いながら、

(「おい、おい。」)

「おい、おい。」

(ねたひとにはないしょらしく、ていちょうにしてこどもをよんだ。)

寝た人には内証らしく、低調にして小児[こども]を呼んだ。

(「おい、そのにいさん、そっちのこ。むむ、そうだ、おまえたちだ。)

「おい、その兄さん、そっちの児[こ]。むむ、そうだ、お前達だ。

(じょうずにこぐな、うまいものだ、かんしんなもんじゃな。」)

上手に漕ぐな、甘[うま]いものだ、感心なもんじゃな。」

(こえをかけられると、はねあがって、ふねをゆすること)

声を掛けられると、跳上[はねあ]がって、船を揺[ゆす]ること

(このはのごとし。)

木の葉のごとし。

(「あぶない、これこれ、はなしがある、まあ、ちょっとしずまれ。)

「あぶない、これこれ、話がある、まあ、ちょっと静まれ。

(おお、りこうりこう、よくいうことをきくな。)

おお、怜悧[りこう]々々、よく言うことを肯[き]くな。

(なにじゃ、そとじゃないがな、どうだあまりかんしんしたについて、)

何じゃ、外じゃないがな、どうだ余り感心したについて、

(もうちっとじょうずなところがみせてもらいたいな。)

もうちッと上手な処が見せてもらいたいな。

(どうじゃ、ずっとこげるか。そら、あの、そらいわのもっとさきへ、)

どうじゃ、ずッと漕げるか。そら、あの、そら巌のもっとさきへ、

(うみのまんなかまでこいでゆけるか、どうじゃろうな。」)

海の真中[まんなか]まで漕いで行[ゆ]けるか、どうじゃろうな。」

(やどかりでつるこふぐほどには、こんなおじさんに)

寄居虫[やどかり]で釣る小鰒[こふぐ]ほどには、こんな伯父さんに

(なじみのない、ひとなれぬさとのこは、めをひからすのみ、)

馴染[なじみ]のない、人馴れぬ里の児は、目を光らすのみ、

(へんじはしないが、としうえなのが、ろのてをとめつつ、)

返事はしないが、年紀上[としうえ]なのが、艪[ろ]の手を止めつつ、

(けろりで、がてんのめつきをする。)

けろりで、合点の目色[めつき]をする。

(「こげる? むむ、こげる! えらいな、こいでみせな/¥。)

「漕げる? むむ、漕げる! 豪[えら]いな、漕いで見せな/\。

(おじさんが、またほうびをやるわ。)

伯父さんが、また褒美をやるわ。

(いや、おやじ、なによ、おまえのとっさんか、とっさんには)

いや、親仁[おやじ]、何よ、お前の父[とっ]さんか、父爺[とっさん]には

(だまってよ、とっさんにきくと、あぶないとかいたずらをするなとか、)

黙ってよ、父爺に肯[き]くと、危いとか悪戯をするなとか、

(なんとかいってしかられら。そら、な、いいか、だまってだまって。」)

何とか言って叱られら。そら、な、可[い]いか、黙って黙って。」

(というと、またがってんがってん。よい、とおしたこがいなながら)

というと、また合点[がってん]々々。よい、と圧[お]した小腕ながら

(ろをおすせいこうなくろんぼのきかいのよう、しっといっせいとぶににたり。)

艪を圧す精巧な昆倫奴[くろんぼ]の器械のよう、シッと一声飛ぶに似たり。

(はやいこと、ただしゆれること、なかにのったおさないほうは、)

疾[はや]い事、但[ただ]し揺れる事、中に乗った幼い方は、

(あははあはは、とわらってはねる。)

アハハアハハ、と笑って跳ねる。

(「えらいぞ、えらいぞ。」)

「豪[えら]いぞ、豪いぞ。」

(というのもはばかり、たださしまねいてほめそやした。こぶねは)

というのも憚[はばか]り、たださしまねいて褒めそやした。小船は

(みるみるれんぺいのたかくあげたてのゆびをはなれて、いわがくれにやがて)

見る見る廉平の高くあげた手の指を離れて、岩がくれにやがて

(ただくもをこぼれたてんとなんぬ。)

ただ雲をこぼれた点となンぬ。

(おやぶねはたわいがなかった。)

親船は他愛がなかった。

(れんぺいはいそぎあしにとってかえして、またおかのねのいわをこして、とまぶねに)

廉平は急ぎ足に取って返して、また丘の根の巌を越して、苫船に

(たちよって、こなたのふなばたをよこにつたうて、にさんど、)

立寄って、此方[こなた]の船舷[ふなばた]を横に伝うて、二三度、

(おなじところをいったり、きたり。)

同じ処を行ったり、来たり。

(なかごろで、しゃがんでびくのかげにかくれたとおもうと、)

中ごろで、踞[しゃが]んで畚[びく]の陰に隠れたと思うと、

(またつったって、はしのほうからとまをなでたり、うえからそっと)

また突立[つった]って、端の方から苫を撫でたり、上からそっと

(たたきなどしたが、さらにあちこちをみまわして、ぐるりと)

叩きなどしたが、更にあちこちを眴[みまわ]して、ぐるりと

(へさきのほうへまわったとおもうと、むこうのふなばたのかげになった。)

舳[へさき]の方へ廻ったと思うと、向うの舷[ふなばた]の陰になった。

(とまがばらばらとあおったが、「ああ」といきのしたにさけぶこえ。わらをわけた)

苫がばらばらと煽ったが、「ああ」と息の下に叫ぶ声。藁を分けた

(えんなるかたそで、あさぎのつまがふねからこぼれて、)

艶[えん]なる片袖、浅葱の褄[つま]が船からこぼれて、

(そのゆかたのそめ、そのしごき、そのくろかみも、そのてあしも、)

その浴衣の染[そめ]、その扱帯[しごき]、その黒髪も、その手足も、

(ちぎれちぎれになったかと、すなにたおれたおんなのすがた。)

ちぎれちぎれになったかと、砂に倒れた婦人[おんな]の姿。

(「きをしずめて、おくさん、しっかりしなければ)

二十四 「気を静めて、夫人[おくさん]、しっかりしなければ

(いけません。おちついて、いいですか。こころをたしかに)

不可[いけ]ません。落着いて、可[い]いですか。心を確[たしか]に

(おもちなさいよ。)

お持ちなさいよ。

(わかりましたか、わたしです。)

判りましたか、私です。

(なにもはずかしいことはありません、ちっともきまりのわるいことは)

何も恥かしい事はありません、ちっとも極[きま]りの悪いことは

(ありませんです。しっかりなさい。)

ありませんです。しっかりなさい。

(ごらんなさい、だれもいないです、ただわたしひとりです。とりやまたったひとり、)

御覧なさい、誰も居ないです、ただ私一人です。鳥山たった一人、

(ほかにはだれもおらんですから。」)

他には誰も居[お]らんですから。」

(うみのほうをそびらにしてやすからぬさまにつきそった、れんぺいのあしもとに、)

海の方を背[そびら]にして安からぬ状[さま]に附添った、廉平の足許に、

(みえもなくこしをおとし、もすそをなげてくずおれつつ、)

見得もなく腰を落し、裳[もすそ]を投げて崩折[くずお]れつつ、

(りょうそでにおもてをおおうて、ひたとうちなくのはふじんであった。)

両袖に面[おもて]を蔽[おお]うて、ひたと打泣くのは夫人であった。

(「ほんとうにおくさん、きをおちつけてくださらんでは)

「ほんとうに夫人[おくさん]、気を落着けて下さらんでは

(いけません。いきなりうみへとびこもうとなすったりなんぞして、)

不可[いけ]ません。突然[いきなり]海へ飛込もうとなすったりなんぞして、

(じょうだんではない。ええ、おくさん、)

串戯[じょうだん]ではない。ええ、夫人[おくさん]、

(こころがたしかになったですか。」)

心が確[たしか]になったですか。」

(こえにばかりちからをこめて、どうしようにもさきはおんな、)

声にばかり力を籠[こ]めて、どうしようにも先は婦人[おんな]、

(ひとえにめをみすえていうのみであった。)

ひとえに目を見据えて言うのみであった。

(かぜそよそよといきするよう、すすりなきのたもとがゆれた。)

風そよそよと呼吸[いき]するよう、すすりなきの袂[たもと]が揺れた。

(うらこはなみだのこえのした、)

浦子は涙の声の下、

(「せんせい、」とかすかにいう。)

「先生、」と幽[かすか]にいう。

(「はあ、はあ、」)

「はあ、はあ、」

(と、わずかにたよりをえたらしく、われをわすれてすりよった。)

と、纔[わず]かに便[たより]を得たらしく、我を忘れて擦り寄った。

(「わ、わたしは、もうしんでしまいたいのでございます。」)

「私[わ]、私は、もう死んでしまいたいのでございます。」

(わっとまたしのびねに、みもだえしてつっぷすのである。)

わッとまた忍び音[ね]に、身悶えして突伏すのである。

(「なぜですか、おくさん、まだ、どうかしておいでなさる、)

「なぜですか、夫人[おくさん]、まだ、どうかしておいでなさる、

(ちゃんとなさらなくってはいかんですよ。」)

ちゃんとなさらなくッては不可[いか]んですよ。」

(「でも、あなた、わたしは、もう・・・・・・」)

「でも、貴下[あなた]、私は、もう・・・・・・」

(「はあ、どうなすった、どんなおこころもちなんですか。」)

「はあ、どうなすった、どんなお心持なんですか。」

問題文を全て表示 一部のみ表示 誤字・脱字等の報告

神楽@社長推しのタイピング

オススメの新着タイピング

タイピング練習講座 ローマ字入力表 アプリケーションの使い方 よくある質問

人気ランキング

注目キーワード