泉鏡花 悪獣篇 16

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投稿者投稿者神楽@社長推しいいね0お気に入り登録
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泉鏡花の中編小説です

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問題文

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(「あなたも、きのう、そのじぞうをあつらえにおいでのとちゅうから、)

「貴女[あなた]も、昨日、その地蔵をあつらえにおいでの途中から、

(あやしいものにつかれたとおっしゃった。・・・・・・)

怪しいものに憑かれたとおっしゃった。……

(すべて、それがまほうなので、あなたをみして、ゆめうつつの)

すべて、それが魔法なので、貴女を魅して、夢現[ゆめうつつ]の

(きょうにじょうじて、そのもうしゅうをはらしました。)

境[きょう]に乗じて、その妄執[もうしゅう]を晴しました。

(けれどもあまりにいたわしい。ひとえにけものにとおおもいなすって、)

けれども余りに痛[いたわ]しい。ひとえに獣にとお思いなすって、

(たまのごときそのからだを、くだいてきってもすてたいような)

玉のごときそのお身体を、砕いて切っても棄てたいような

(ごようすが、あまりおかわいそうでみておられん。)

御容子[ごようす]が、余りお可哀相[かわいそう]で見ておられん。

(おくさん、しんのけものよりまだこのれんぺいとおぼしめすほうが、)

夫人[おくさん]、真の獣よりまだこの廉平と思[おぼ]し召す方が、

(いくらかおこころがすむですか。」)

いくらかお心が済むですか。」

(ふじんはせいせいいきをきった。)

夫人はせいせい息を切った。

(「どうですか、あまりおしつけがましいもうしぶんでは)

二十八 「どうですか、余り推[おし]つけがましい申分[もうしぶん]では

(ありますが、こころはおなじちくしょうでも、いくらかにんげんのかおににた、くちをきく、)

ありますが、心はおなじ畜生でも、いくらか人間の顔に似た、口を利く、

(てあしのある、れんぺいのほうがいいですか。」)

手足のある、廉平の方が可[い]いですか。」

(くちへだすとよりはこえをのんで、)

口へ出すとよりは声をのんで、

(「あなた、」)

「貴下[あなた]、」

(「・・・・・・・・・・・・」)

「…………」

(「あなた、」)

「貴下、」

(「・・・・・・・・・・・・」)

「…………」

(「あなた、ほんとうでございますか。」)

「貴下、ほんとうでございますか。」

(「もちろん、ざんげしたのじゃて。」)

「勿論、懺悔したのじゃて。」

など

(と、まゆをひらいてきっぱりという。)

と、眉を開いてきっぱりという。

(ひざでじりりとすりよって、)

膝でじりりとすり寄って、

(「ええ、うれしい。あなた、よくおっしゃってくださいました。」)

「ええ、嬉しい。貴下、よくおっしゃって下さいました。」

(としっかとひざにてをかけて、わっとまたなきしずむ。れんぺいはわれながら、)

としっかと膝に手をかけて、わッとまた泣きしずむ。廉平は我ながら、

(あやしいまでむねがせまった。)

訝[あや]しいまで胸がせまった。

(「わたしといわれて、およろこびになりますほど、それほどのおもいを)

「私と言われて、お喜びになりますほど、それほどの思[おもい]を

(なさったですか。」)

なさったですか。」

(「いいえ、もう、なにともたとえようはござんせん。しんでもしがいが)

「いいえ、もう、何ともたとえようはござんせん。死んでも死骸[しがい]が

(のこります、そのけもののつめのあとしたのあとのあります、けだらけなはだが)

残ります、その獣の爪のあと舌のあとのあります、毛だらけな膚[はだ]が

(のこるのですもの。やきましてもきつねたぬきのわるいにおいが)

残るのですもの。焼きましても狐狸[きつねたぬき]の悪い臭[におい]が

(しましょうかと、こころのこりがしましたのに、あなた、よく、)

しましょうかと、心残りがしましたのに、貴下[あなた]、よく、

(おもいきってそうおっしゃってくださいました。こころよくしなれます、)

思い切ってそうおっしゃって下さいました。快く死なれます、

(しなれるんでございますよ。」)

死なれるんでございますよ。」

(「はてさて、」)

「はてさて、」

(「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」)

「………………」

(「じゃ、やっぱり、しぬのをおもいとどまっちゃくださらん。」)

「じゃ、やっぱり、死ぬのを思い止まっちゃ下さらん。」

(かおをみあわせ、うちうなずき、)

顔を見合わせ、打頷[うちうなず]き、

(「むむ、なるほど、」)

「むむ、成程、」

(とうでをほどいて、れんぺいはしょうようとしていなおった。)

と腕を解いて、廉平は従容[しょうよう]として居直った。

(「なるほど、そうじゃ。あなたほどのおかたが、かかるちじょくを)

「成程、そうじゃ。貴女[あなた]ほどのお方が、かかる恥辱を

(おうけなさって、ゆめにして、ながらえておいでなさるはずないのじゃった。)

お受けなさって、夢にして、ながらえておいでなさる筈ないのじゃった。

(ざんげをいたせば、わるいゆめとあきらめて、おもいなおしていただけることもあろうかと)

懺悔をいたせば、悪い夢とあきらめて、思い直して頂けることもあろうかと

(おもったですが、いかにもとりかえしのつかんおからだにしたのじゃった、)

思ったですが、いかにも取返しのつかんお身体にしたのじゃった、

(はじいります。)

恥入ります。

(おくさん、あなたばかりはころしはせんのじゃ。」)

夫人[おくさん]、貴女ばかりは殺しはせんのじゃ。」

(「いいえ、とんだことをおっしゃいます。とのがたにはなんでもないので)

「いいえ、飛んだことをおっしゃいます。殿方には何でもないので

(ございますもの、そしてざんげにはつみがきえますともうします、)

ございますもの、そして懺悔には罪が消えますと申します、

(おうらみにはおもいません。」)

お怨[うら]みには思いません。」

(「ゆるしてくださるか。」)

「許して下さるか。」

(「おんなのくちからゆきすぎではございますが、」)

「女の口から行[ゆ]き過ぎではございますが、」

(「ゆるしてくださる。」)

「許して下さる。」

(「はい、」)

「はい、」

(「それではどうぞ、おもいなおして、」)

「それではどうぞ、思い直して、」

(「わたしはもう、」)

「私はもう、」

(とつとまえづまをひきよせる。いわのしたをかいくぐって、)

と衝[つ]と前褄[まえづま]を引寄せる。岩の下を掻[か]いくぐって、

(したのねのうつろをうって、たえず、とんとんとつづみのおとがひびいたのが、)

下の根のうつろを打って、絶えず、丁々[トントン]と鼓の音が響いたのが、

(しおやみちくる、どっとはげしく、ざぶりくだけたなみがしら、)

潮や満ち来る、どッと烈[はげ]しく、ざぶり砕けた波がしら、

(しらたきをさかしまに、さっとばかりゆきをくずして、)

白滝を倒[さかしま]に、颯[さっ]とばかり雪を崩して、

(うらこのかたから、つむりから。)

浦子の肩から、頭[つむり]から。

(「あ、」とふいにいきをひいた。ぬれしおれたくろかみに、たまのつらなる)

「あ、」と不意に呼吸[いき]を引いた。濡れしおれた黒髪に、玉のつらなる

(しずくをかくれば、なむさんなみにさらわるる、と)

雫[しずく]をかくれば、南無三[なむさん]浪に攫[さら]わるる、と

(せなをだくのにみをもたせて、かんねんしたかんばせの、)

背[せな]を抱くのに身を恁[もた]せて、観念した顔[かんばせ]の、

(けだかきまでにっことして、)

気高きまでに莞爾[にっこ]として、

(「ああ、こうやってひとおもいに。」)

「ああ、こうやって一思いに。」

(「おくさん、おくれはせんですよ。」と、かおにつららを)

「夫人[おくさん]、おくれはせんですよ。」と、顔につららを

(そそいでいった。うちかえしがまたざっと。)

注いで言った。打返しがまたざっと。

(「しぶきがかかる、しぶきがかかる、あぶないぞ。」)

「潵[しぶき]がかかる、潵がかかる、危いぞ。」

(と、そらからたかくとばわるこえ。)

と、空から高く呼[とば]わる声。

(もやがわかれて、うなづらにこつとしてそびえたった、)

靄が分れて、海面[うなづら]に兀[こつ]として聳[そび]え立った、

(いわつづきのみあぐるうえ。くさむすいただきにひとありて、めのしたにこえをかけた、)

巌[いわ]つづきの見上ぐる上。草蒸す頂に人ありて、目の下に声を懸けた、

(きこりとおぼしきひとりのおやじ。おもてながく)

樵夫[きこり]と覚しき一個[ひとり]の親仁[おやじ]。面[おもて]長く

(かみのしろきが、くさいろのはりめぎぬに、くちばいろの)

髪の白きが、草色の針目衣[はりめぎぬ]に、朽葉色[くちばいろ]の

(たっつけはいて、わらじをつまぞりや、)

裁着[たっつけ]穿いて、草鞋[わらじ]を爪反[つまぞ]りや、

(いわばなにちょこなんとひらあぐらかいてぞいたりける。)

巌端[いわばな]にちょこなんと平胡坐[ひらあぐら]かいてぞいたりける。

(そのいわのおもにひたとあてて、りょうてでごしごしいっちょうの、)

その岩の面[おも]にひたとあてて、両手でごしごし一挺[ちょう]の、

(きらめくはものをゆうゆうとといでいたり。)

きらめく刃物を悠々と磨[と]いでいたり。

(とぎつつ、のぞくようにみおろして、)

磨ぎつつ、覗くように瞰下[みおろ]して、

(「うえへきさっしゃい、うえへきさっしゃい、なみにひかれるとあぶないわ。」)

「上へ来さっしゃい、上へ来さっしゃい、浪に引かれると危いわ。」

(という。なみはすいしょうのはしらのごとく、さかしまにほとばしって、)

という。浪は水晶の柱のごとく、倒[さかしま]にほとばしって、

(いまつったったれんぺいのずじょうをとんで、そらざまによずることじゅうじょう、)

今つッ立った廉平の頭上を飛んで、空ざまに攀[よ]ずること十丈、

(おやじのてもとのとぎしるをひとあらい、しろきぼたんのちるごとく、)

親仁の手許の磨ぎ汁を一洗滌[ひとあらい]、白き牡丹の散るごとく、

(いわかどにひるがえって、うなづらへざっとひく。)

巌角[いわかど]に翻って、海面[うなづら]へざっと引く。

(「おじご、なにを、なにをしてござるのか。」と、れんぺいはわざとおちついて、)

「おじご、何を、何をしてござるのか。」と、廉平はわざと落着いて、

(したからまずこえをおくった。)

下からまず声を送った。

(「いしのみをとぐよ。ふたつめのはまのいしやにたのまれての、こんど)

「石鑿[いしのみ]を研ぐよ。二つ目の浜の石屋に頼まれての、今度

(けんりつさっしゃるという、じぞうさまのいしをけずるわ。」)

建立さっしゃるという、地蔵様の石を削るわ。」

(「や、おじごがな。」)

「や、親仁御[おじご]がな。」

(「おお、こなたしゅはそのちゅうもんのぬしじゃろ。そうかの。はて、)

「おお、此方衆[こなたしゅ]はその註文のぬしじゃろ。そうかの。はて、

(どうりこそ、ばばどもがつきまとうぞ。」)

道理こそ、婆々[ばば]どもが附き纏うぞ。」

(ばばというよ、しょうしをしらぬふじんのみみに、するどくそののみをもって)

婆々と云うよ、生死[しょうし]を知らぬ夫人の耳に、鋭くその鑿をもって

(えぐるがごとくひびいたので、)

抉[えぐ]るがごとく響いたので、

(「もし、」とりょうひざをついてのびあがった。)

「もし、」と両膝をついて伸び上った。

(「ばばとおいいなさいますのは。」)

「婆[ばば]とお云いなさいますのは。」

(「それ、ぎんめと、きんめと、あかいめのやつらよ。ぬしたちがくどくでの、)

「それ、銀目と、金目と、赤い目の奴等よ。主達[ぬしたち]が功徳での、

(じぞうさまがたったがさいごじゃ。まものめ、いどこがなくなるじゃで、)

地蔵様が建ったが最後じゃ。魔物め、居処[いどこ]がなくなるじゃで、

(さまざまにたたりおって、いのちまでとろうとするわ。おなごしゅ、)

さまざまに祟りおって、命まで取ろうとするわ。女子衆[おなごしゅ]、

(しんぱいさっしゃんな、からだはきよいぞ。」)

心配さっしゃんな、身体は清いぞ。」

(とて、のみをこつこつ。)

とて、鑿をこつこつ。

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