泉鏡花 悪獣篇 14

順位 | 名前 | スコア | 称号 | 打鍵/秒 | 正誤率 | 時間(秒) | 打鍵数 | ミス | 問題 | 日付 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | もっちゃん先生 | 4694 | C++ | 4.9 | 94.6% | 775.6 | 3858 | 217 | 100 | 2025/02/08 |
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問題文
(「せんせい、」)
「先生、」
(「はあ、どうですな。」)
「はあ、どうですな。」
(「わたしが、あの、うみへはいってしのうといたしましたのより、あなたは、)
「私が、あの、海へ入って死のうといたしましたのより、貴下[あなた]は、
(もっとおおどろきなさいましたことがございましょう。」)
もっとお驚きなさいました事がございましょう。」
(「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」)
「……………………」
(なんといおうと、だまってつをのむ。)
何と言おうと、黙って唾[つ]を呑む。
(「わたしが、わたしが、こんなところにふねのなかに、ねて、ねて、」)
「私が、私が、こんな処に船の中に、寝て、寝て、」
(とないじゃくりして、)
と泣いじゃくりして、
(「ねかされておりましたのに、なおびっくりなさいましてしょうねぇ、)
「寝かされておりましたのに、なお驚愕[びっくり]なさいましてしょうねぇ、
(あなた。」)
貴下。」
(「・・・・・・ですが、それは、しかし・・・・・・」とばかり、れんぺいはいうべきすべを)
「……ですが、それは、しかし……」とばかり、廉平は言うべき術を
(しらなかった)
知らなかった
(「せんせい、」)
「先生、」
(これぎり、こえのでないひとになろうもしれず、とてにあせをにぎったのが、)
これぎり、声の出ない人になろうも知れず、と手に汗を握ったのが、
(われをよばれたので、ちからをえて、みみをかたむけ、かおをよせて、)
我を呼ばれたので、力を得て、耳を傾け、顔を寄せて、
(「は、」)
「は、」
(うらこははげしくかぶりをふった。)
浦子は烈[はげ]しく頭[かぶり]を掉[ふ]った。
(せんすべをしらずだまっても、まだかぶりを)
二十五 為[せ]ん術[すべ]を知らず黙っても、まだ頭[かぶり]を
(ふるのであるから、れんぺいはぼうぜんとして、)
ふるのであるから、廉平は茫然[ぼうぜん]として、
(ただこぶしをにぎって、)
ただ拳[こぶし]を握って、
(「どうなさる。こうしていらしっては、それこそ、ひとがよってくるか)
「どうなさる。こうしていらしっては、それこそ、人が寄って来るか
(わかりません。だいいち、さがしにでましたのでもよにんやはちにんではありません。」)
分りません。第一、捜しに出ましたのでも四人や八人ではありません。」
(いいもおわらず、あしずりして、)
言いも終らず、あしずりして、
(「どうしましょう、わたし、どうしましょうねえ。どうぞ、どうぞ、)
「どうしましょう、私、どうしましょうねえ。どうぞ、どうぞ、
(あなた、ひとおもいにしなしてくださいまし、はずかしくっても、)
貴下[あなた]、一思いに死なして下さいまし、恥かしくっても、
(しがいになれば・・・・・・」)
死骸[しがい]になれば……」
(なくのになかばこときえて、)
泣くのに半ば言消[ことき]えて、
(「よ、ごしょうですから、」)
「よ、後生ですから、」
(もくもれるこえなり。)
も曇れる声なり。
(こころよわくてかなうまじ、とれんぺいはややきっとしたものいいで、)
心弱くて叶うまじ、と廉平はやや屹[きっ]としたものいいで、
(「とんだことを!おくさん、れんぺいがここにおるです。)
「飛んだ事を!夫人[おくさん]、廉平がここに居[お]るです。
(けして、けして、そんなまちがいはさせんですよ。」)
決[け]して、決して、そんな間違[まちがい]はさせんですよ。」
(「どうしましょうねえ、」)
「どうしましょうねえ、」
(はっとふかくためいきつくのを、)
はッと深く溜息[ためいき]つくのを、
(「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」)
「……………………」
(ただのどをつめてじっとみつつ、おもわずひきいれられて)
ただ咽喉[のど]を詰めて熟[じっ]と見つつ、思わず引き入れられて
(たんそくした。)
歎息した。
(れんぺいはふといいきして、)
廉平は太い息して、
(「まあ、あなた、おくさん、いったいどうなさった。」)
「まあ、貴女[あなた]、夫人[おくさん]、一体どうなさった。」
(「わけを、わけをいえばあなた、だまってしなしてくださいますよ。)
「訳を、訳をいえば貴下[あなた]、黙って死なして下さいますよ。
(もう、もう、こんなけがらわしいものは、みるのもいやに)
もう、もう、こんな汚[けがら]わしいものは、見るのも厭に
(おなりなさいますよ。」)
おなりなさいますよ。」
(「いや、いやになるか、なりませんか、だまってみごろしにしましょうか。)
「いや、厭になるか、なりませんか、黙って見殺しにしましょうか。
(なにしろ、わけをおっしゃってください。おくさん、れんぺいです。)
何しろ、訳をおっしゃって下さい。夫人[おくさん]、廉平です。
(ひとにいってわるいことなら、わたしはちかってもうしませんです。」)
人にいって悪い事なら、私は盟[ちか]って申しませんです。」
(このひとのへいぜいはちかうのにてきしていた。)
この人の平生は盟うのに適していた。
(「は、もうします、せんせい、あなただけならもうします。」)
「は、申します、先生、貴下[あなた]だけなら申します。」
(「いうてくださるか、それはありがたい、むむ、さあ、うけたまわりましょう。」)
「言うて下さるか、それは難有[ありがた]い、むむ、さあ、承りましょう。」
(「どうぞ、その、そのさきにせんせい、どこかへ、ひとのいない、)
「どうぞ、その、その前[さき]に先生、どこかへ、人の居ない、
(たにぞこか、やまのなかか、しまへでも、いわあなへでも、)
谷底か、山の中か、島へでも、巌穴[いわあな]へでも、
(おつれなすってくださいまし。もう、あなたにばかりもせいいっぱい、)
お連れなすって下さいまし。もう、貴下[あなた]にばかりも精一杯、
(だれにもみせられますからだではないんです。」)
誰にも見せられます身体[からだ]ではないんです。」
(そでをわずかにぬれたるかお、ゆめみるようにうっとりと、)
袖を僅[わず]かに濡れたる顔、夢見るように恍惚[うっとり]と、
(あさぼらけなるすいふよう、いろをさましたなみだのあめも、)
朝ぼらけなる酔芙蓉[すいふよう]、色をさました涙の雨も、
(つゆにやどってあわれである。)
露に宿ってあわれである。
(「ひとのこないところといって、おまちなさい、ふねででもどちらへか、」)
「人の来ない処といって、お待ちなさい、船ででもどちらへか、」
(とこころあたりがないでもなかった。おきのほうへみえそめて、)
と心当りがないでもなかった。沖の方へ見え初[そ]めて、
(こどものふねがもやからでてきた。)
小児[こども]の船が靄から出て来た。
(ふじんはときにあらためて、よにでたようなまなざししたが、)
夫人は時にあらためて、世に出たような目[まな]ざししたが、
(とまぶねをひとめみると、まぶちへ、さっとあおざめて、)
苫船を一目見ると、目[ま]ぶちへ、颯[さっ]と蒼[あお]ざめて、
(ぞっとしたらしくかたをすくめた、くろかみおもげに、おきのかた。)
悚然[ぞっ]としたらしく肩をすくめた、黒髪おもげに、沖の方[かた]。
(「もし、」)
「もし、」
(「は、」)
「は、」
(「まいられますなら、あすこへでも。」)
「参られますなら、あすこへでも。」
(いかにもひとはこもらぬらしい、ものすさまじきむこうのがけ、)
いかにも人は籠[こも]らぬらしい、物凄まじき対岸[むこう]の崖、
(ほのおをやどしてめいめいたり。)
炎を宿して冥々[めいめい]たり。
(「あんな、あんなその、じごくのひがもえておりますような、あのなかへ、」)
「あんな、あんなその、地獄の火が燃えておりますような、あの中へ、」
(「けっこうなんでございます、」とまたうちしおれて)
「結構なんでございます、」とまた打悄[うちしお]れて
(おもてをそむける。)
面[おもて]を背ける。
(よくよくのことなるべし。)
よくよくの事なるべし。
(「まいりましょうか。もやがはれれば、こことむかいあった)
「参りましょうか。靄が霽[は]れれば、ここと向い合った
(おなじようながけしたでありますけれども、とちゅうがうみできれとるですから、)
同一[おなじ]ような崖下でありますけれども、途中が海で切れとるですから、
(はまづたいにひとのくるところではありません。)
浜づたいに人の来る処ではありません。
(ごらんなさい、あのこどものふねを。だいじょうぶこぐですから、)
御覧なさい、あの小児[こども]の船を。大丈夫漕ぐですから、
(あれにのせてもらいましょう、どうです。」)
あれに乗せてもらいましょう、どうです。」
(ふじんは、がっくりしてうなずいた、ものをいうもせつなそうに)
夫人は、がッくりして頷いた、ものを言うも切なそうに
(いたくひろうしてみえたのである。)
太[いた]く披露して見えたのである。
(「おくさん、それでは。」)
「夫人[おくさん]、それでは。」
(「はい、」)
「はい、」
(といってれいごころに、さびしいえがおして、ほっといき。)
と言って礼心に、寂しい笑顔して、吻[ほっ]と息。
(「そんな、そんなあなた、つまらん、)
二十六 「そんな、そんな貴女[あなた]、詰[つま]らん、
(けしからんことがあるべきわけのものではないのです。)
怪[け]しからん事があるべき次第[わけ]のものではないのです。
(けがれたからだの、ひとにかおはあわされんのとおいいなさるのは)
汚[けが]れた身体の、人に顔は合わされんのとお言いなさるのは
(そのことですか。ははははは、いや、しかしとんだめにおあいでした。)
その事ですか。ははははは、いや、しかし飛んだ目にお逢いでした。
(ちっともごしんぱいはないですよ。まあ、そのあしをおふきなさい。)
ちっとも御心配はないですよ。まあ、その足をお拭きなさい。
(とつぜんこんなところへつけたですから、ふねをはなれるとき、ひどくおぬれなすったようだ。」)
突然こんな処へ着けたですから、船を離れる時、酷くお濡れなすったようだ。」
(れんぺいはとににてあおすきじのあるなめらかないちざの)
廉平は砥[と]に似て蒼[あお]き条[すじ]のある滑[なめら]かな一座の
(いわのうえに、うみにめんしてみすぼらしくしゃがんだ、)
岩の上に、海に面して見すぼらしく踞[しゃが]んだ、
(みにただしゃつをまとえるのみ。)
身にただ襯衣[しゃつ]を纏えるのみ。
(ふねのなかでもひとめをいとって、こんがすりのそのひとえで、)
船の中でも人目を厭[いと]って、紺がすりのその単衣[ひとえ]で、
(かたからふかくつつんでいる。うらこのけだしはうみのいろ、いわばなに)
肩から深く包んでいる。浦子の蹴出[けだ]しは海の色、巌端[いわばな]に
(あおずみて、しらはぎもみずにすくよう、)
蒼澄[あおず]みて、白脛[しらはぎ]も水に透くよう、
(たおれたふぜいにやすらえる。)
倒れた風情に休らえる。
(ふたりはもやのうすもよう。)
二人は靄の薄模様。
(「かまわんですから、わたしのきものでおふきなさい。)
「構わんですから、私の衣服[きもの]でお拭きなさい。
(なに、さむくはないです、さむいどころではないですが、あなた、すそが)
何、寒くはないです、寒いどころではないですが、貴女、裾[すそ]が
(ぬれましたで、きみがわるいでありましょう。」)
濡れましたで、気味が悪いでありましょう。」
(「いえ、もうしおにぬれてきみがわるいなぞと、もうされますからだでは)
「いえ、もう潮に濡れて気味が悪いなぞと、申されます身体では
(ありません。」と、なげたようにいわのうえ。)
ありません。」と、投げたように岩の上。
(「まだ、おっしゃる!」)
「まだ、おっしゃる!」