谷崎潤一郎 痴人の愛 64

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投稿者投稿者神楽@社長推しいいね1お気に入り登録
プレイ回数459難易度(5.0) 6168打 長文
谷崎潤一郎の中編小説です
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順位 名前 スコア 称号 打鍵/秒 正誤率 時間(秒) 打鍵数 ミス 問題 日付
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2 ばぼじま 5135 B+ 5.3 96.9% 1155.0 6122 191 99 2024/09/28

関連タイピング

問題文

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(「しごとのほうへみんなおかねをつぎこんじまっちゃいやだわよ、あたしに)

「仕事の方へみんなお金を注ぎ込んじまっちゃイヤだわよ、あたしに

(ぜいたくをさせるおかねを、べつにしておいてくれなけりゃ。いい?」)

贅沢をさせるお金を、別にして置いてくれなけりゃ。いい?」

(「ああ、いい」)

「ああ、いい」

(「じゃ、はんぶんべつにしておいてくれる?さんじゅうまんえんならじゅうごまんえん、)

「じゃ、半分別にして置いてくれる?三十万円なら十五万円、

(にじゅうまんえんならじゅうまんえん、」)

二十万円なら十万円、」

(「だいぶこまかくねんをおすんだね」)

「大分細かく念を押すんだね」

(「そりゃあそうよ、はじめにじょうけんをきわめておくのよ。どう?しょうちした?)

「そりゃあそうよ、初めに条件を極めて置くのよ。どう?承知した?

(そんなにまでしてあたしをおくさんにもつのはいや?」)

そんなにまでしてあたしを奥さんに持つのはイヤ?」

(「いやじゃないったら、」)

「イヤじゃないッたら、」

(「いやならいやとおっしゃいよ、いまのうちならどうでもなるわよ」)

「イヤならイヤと仰っしゃいよ、今のうちならどうでもなるわよ」

(「だいじょうぶだってば、しょうちしたってば、」)

「大丈夫だってば、承知したってば、」

(「それからまだよ、もうそうなったらこんないえにはいられないから、)

「それからまだよ、もうそうなったらこんな家にはいられないから、

(もっとりっぱな、はいからないえへひっこしてちょうだい」)

もっと立派な、ハイカラな家へ引っ越して頂戴」

(「むろんそうする」)

「無論そうする」

(「あたし、せいようじんのいるまちで、せいようかんにすまいたいの、きれいなしんしつやしょくどうのある)

「あたし、西洋人のいる街で、西洋館に住まいたいの、綺麗な寝室や食堂のある

(いえへはいってこっくだのぼーいをつかって、」)

家へ這入ってコックだのボーイを使って、」

(「そんないえがとうきょうにあるかね?」)

「そんな家が東京にあるかね?」

(「とうきょうにはないけれど、よこはまにはあるわよ。よこはまのやまてにそういうしゃくやが)

「東京にはないけれど、横浜にはあるわよ。横浜の山手にそう云う借家が

(いっけんあいているのよ、このあいだちゃんとみておいたの」)

一軒空いているのよ、この間ちゃんと見て置いたの」

(わたしははじめてかのじょにふかいたくらみがあったのをしりました。なおみはさいしょから)

私は始めて彼女に深いたくらみがあったのを知りました。ナオミは最初から

など

(そうするつもりで、けいかくをたてて、わたしをつっていたのでした。)

そうする積りで、計画を立てて、私を釣っていたのでした。

(さて、はなしはこれからさんよんねんのあとのことになります。)

二十八 さて、話はこれから三四年の後のことになります。

(わたしたちは、あれからよこはまへひきうつって、かねてなおみのみつけておいた)

私たちは、あれから横浜へ引き移って、かねてナオミの見つけて置いた

(やまてのようかんをかりましたけれども、だんだんぜいたくがみにしみるにしたがい、)

山手の洋館を借りましたけれども、だんだん贅沢が身に沁みるに従い、

(やがてそのいえもてぜまだというので、まもなくほんもくの、まえにすいすじんのかぞくが)

やがてその家も手狭だと云うので、間もなく本牧の、前に瑞西人の家族が

(すんでいたいえを、かぐぐるみでかって、そこへはいるようになりました。)

住んでいた家を、家具ぐるみで買って、そこへ這入るようになりました。

(あのおおじしんでやまてのほうはのこらずやけてしまいましたが、ほんもくはたすかったところが)

あの大地震で山手の方は残らず焼けてしまいましたが、本目は助かった所が

(おおく、わたしのいえもかべにきれつができたぐらいで、ほとんどこれというそんがいもなしに)

多く、私の家も壁に亀裂が出来たぐらいで、殆どこれと云う損害もなしに

(すんだのは、まったくなにがしあわせになるかわかりません。ですからわたしたちは、)

済んだのは、全く何が仕合わせになるか分りません。ですから私たちは、

(いまでもずっとこのいえにすんでいるわけなのです。)

今でもずっとこの家に住んでいる訳なのです。

(わたしはそのご、けいかくどおりおおいまちのかいしゃのほうはじしょくをし、いなかのざいさんは)

私はその後、計画通り大井町の会社の方は辞職をし、田舎の財産は

(せいりしてしまって、がっこうじだいのにさんのどうそうと、でんききかいのせいさくはんばいを)

整理してしまって、学校時代の二三の同窓と、電気機械の製作販売を

(もくてきとするごうしがいしゃをはじめました。このかいしゃは、わたしがいちばんのしゅっししゃである)

目的とする合資会社を始めました。この会社は、私が一番の出資者である

(かわりに、じっさいのしごとはともだちがやってくれているので、まいにちじむしょへでるひつようは)

代りに、実際の仕事は友達がやってくれているので、毎日事務所へ出る必要は

(ないのですが、どういうわけか、わたしがいちにちいえにいるのをなおみがこのまない)

ないのですが、どう云う訳か、私が一日家にいるのをナオミが好まない

(ものですから、いやいやながらひにいっぺんはみまわることにしてあります。わたしは)

ものですから、イヤイヤながら日に一遍は見廻ることにしてあります。私は

(あさのじゅういちじごろに、よこはまからとうきょうにいき、きょうばしのじむしょへいちにじかんかおをだして、)

朝の十一時頃に、横浜から東京に行き、京橋の事務所へ一二時間顔を出して、

(たいがいゆうがたのしじごろにはかえってきます。)

大概夕方の四時頃には帰って来ます。

(むかしはひじょうなきんべんかで、あさははやおきのほうでしたけれども、このごろのわたしは、)

昔は非常な勤勉家で、朝は早起きの方でしたけれども、この頃の私は、

(くじはんかじゅうじでなければおきません。おきるとすぐに、ねまきのまま、そっと)

九時半か十時でなければ起きません。起きると直ぐに、寝間着のまま、そっと

(つまさきであるきながら、なおみのしんしつのまえへいって、しずかにとびらをのっくします。)

爪先で歩きながら、ナオミの寝室の前へ行って、静かに扉をノックします。

(しかしなおみはわたしいじょうにねぼうですから、まだそのじぶんはゆめうつつで、)

しかしナオミは私以上に寝坊ですから、まだその時分は夢現で、

(「ふん」)

「ふん」

(と、かすかにこたえるときもあり、しらずにねているときもあります。こたえがあれば)

と、微かに答える時もあり、知らずに寝ている時もあります。答があれば

(わたしはへやへはいっていってあいさつをし、こたえがなければとびらのまえからひきかえして、)

私は部屋へ這入って行って挨拶をし、答がなければ扉の前から引き返して、

(そのままじむしょへでかけるのです。)

そのまま事務所へ出かけるのです。

(こういうかぜに、わたしたちふうふはいつのまにか、べつべつのへやにねるように)

こう云う風に、私たち夫婦はいつの間にか、別々の部屋に寝るように

(なっているのですが、もとはというと、これはなおみのはつあんでした。ふじんの)

なっているのですが、もとはと云うと、これはナオミの発案でした。婦人の

(けいぼうはしんせいなものである、おっとといえどもみだりにおかすことはならない、と、)

閨房は神聖なものである、夫といえども妄りに犯すことはならない、と、

(かのじょはいって、ひろいほうのへやをじぶんがとり、そのとなりにあるせまいほうのを)

彼女は云って、広い方の部屋を自分が取り、その隣りにある狭い方のを

(わたしにあてがいました。そうしてとなりどうしとはいっても、ふたつのへやは)

私にあてがいました。そうして隣り同士とは云っても、二つの部屋は

(ちょくせつつながってはいないのでした。そのあいだにふうふせんようのよくしつとべんじょが)

直接つながってはいないのでした。その間に夫婦専用の浴室と便所が

(はさまっている、つまりそれだけ、たがいにへだたっているわけで、いっぽうのへやからいっぽうへ)

挟まっている、つまりそれだけ、互に隔たっている訳で、一方の室から一方へ

(いくには、そこをとおりぬけなければなりません。)

行くには、そこを通り抜けなければなりません。

(なおみはまいあさじゅういちじすぎまで、おきるでもなくねむるでもなく、ねどこのなかで)

ナオミは毎朝十一時過ぎまで、起きるでもなく睡るでもなく、寝床の中で

(うつらうつらとたばこをすったりしんぶんをよんだりしています。たばこは)

うつらうつらと煙草を吸ったり新聞を読んだりしています。煙草は

(でぃみとりののほそまき、しんぶんはみやこしんぶん、それからざっしのくらしっくやヴぉーぐを)

ディミトリノの細巻、新聞は都新聞、それから雑誌のクラシックやヴォーグを

(よみます。いやよむのではなく、なかのしゃしんを、おもにようふくのいしょうや)

読みます。いや読むのではなく、中の写真を、主に洋服の意匠や

(りゅうこうを、いちまいいちまいていねいにながめています。そのへやはひがしとみなみがひらいて、)

流行を、一枚々々丁寧に眺めています。その部屋は東と南が開いて、

(ヴぇらんだのしたにすぐほんもくのうみをひかえ、あさははやくからあかるくなります。)

ヴェランダの下に直ぐ本牧の海を控え、朝は早くから明るくなります。

(なおみのしんだいは、にほんまならばにじゅうじょうもしけるくらいな、ひろいへやのちゅうおうに)

ナオミの寝台は、日本間ならば二十畳も敷けるくらいな、広い室の中央に

(すえてあるのですが、それもふつうのやすいしんだいではありません。あるとうきょうの)

据えてあるのですが、それも普通の安い寝台ではありません。或る東京の

(たいしかんからうりものにでた、てんがいのついた、しろい、しゃのようなとばりのたれている)

大使館から売り物に出た、天蓋の附いた、白い、紗のような帳の垂れている

(しんだいで、これをかってから、なおみはいっそうねごこちがよいのか、まえよりもなお)

寝台で、これを買ってから、ナオミは一層寝心地がよいのか、前よりもなお

(とこばなれがわるくなりました。)

床離れが悪くなりました。

(かのじょはかおをあらうまえに、ねどこでこうちゃとみるくをのみます。そのあいだにあまがふろばの)

彼女は顔を洗う前に、寝床で紅茶とミルクを飲みます。その間にアマが風呂場の

(よういをします。かのじょはおきて、まっさきにふろへはいり、ゆあがりのからだをまたしばらく)

用意をします。彼女は起きて、真っ先に風呂へ這入り、湯上りの体を又暫く

(よこたえながら、まっさーじをさせます。それからかみをゆい、つめをみがき、)

横たえながら、マッサージをさせます。それから髪を結い、爪を研き、

(ななつどうぐといいますがなかなかななつどころではない、なんじゅっしゅとあるくすりやきぐで)

七つ道具と云いますが中々七つどころではない、何十種とある薬や器具で

(かおじゅうをいじくりまわし、きものをきるのにあれかこれかとまよったうえで、しょくどうへ)

顔中をいじくり廻し、着物を着るのにあれかこれかと迷った上で、食堂へ

(でるのがたいがいいちじはんになります。)

出るのが大概一時半になります。

(ひるめしをたべてしまってから、ばんまでほとんどようはありません。ばんにはおきゃくに)

午飯をたべてしまってから、晩まで殆ど用はありません。晩にはお客に

(よばれるか、あるいはよぶか、それでなければほてるへだんすにでかけるか、)

呼ばれるか、或は呼ぶか、それでなければホテルへダンスに出かけるか、

(なにかしないことはないのですから、そのじぶんになると、かのじょはもういちど)

何かしないことはないのですから、その時分になると、彼女はもう一度

(おけしょうをし、きものをとりかえます。やかいがあるときはことにたいへんで、ふろばへ)

お化粧をし、着物を取り換えます。夜会がある時は殊に大変で、風呂場へ

(いって、あまにてつだわせて、からだじゅうへおしろいをぬります。)

行って、アマに手伝わせて、体じゅうへお白粉を塗ります。

(なおみのともだちはよくかわりました。はまだやくまがいはあれからふっつりでいりを)

ナオミの友達はよく変りました。浜田や熊谷はあれからふッつり出入りを

(しなくなってしまって、ひところはれいのまっかねるがおきにいりのようでしたが、)

しなくなってしまって、一と頃は例のマッカネルがお気に入りのようでしたが、

(まもなくかれにかわったものは、でゅがんというおとこでした。でゅがんのつぎには、)

間もなく彼に代った者は、デュガンと云う男でした。デュガンの次には、

(ゆすたすというともだちができました。このゆすたすというおとこは、まっかねるいじょうに)

ユスタスと云う友達が出来ました。このユスタスと云う男は、マッカネル以上に

(ふゆかいなやつで、なおみのごきげんをとることがじつにじょうずで、いちどわたしは、)

不愉快な奴で、ナオミの御機嫌を取ることが実に上手で、一度私は、

(はらだちまぎれに、ぶとうかいのときこいつをぶんなぐったことがあります。するとたいへんな)

腹立ち紛れに、舞蹈会の時此奴を打ん殴ったことがあります。すると大変な

(さわぎになって、なおみはゆすたすのかせいをして「きちがい!」といってわたしをののしる。)

騒ぎになって、ナオミはユスタスの加勢をして「気違い!」と云って私を罵る。

(わたしはいよいよたけりくるって、ゆすたすをおいまわす。みんながわたしをだきとめて)

私はいよいよ猛り狂って、ユスタスを追い廻す。みんなが私を抱き止めて

(「じょーじ!じょーじ!」とおおごえでさけぶ。わたしのなまえはじょうじですが、)

「ジョージ!ジョージ!」と大声で叫ぶ。私の名前は譲治ですが、

(せいようじんはgeorgeのつもりで「じょーじ」「じょーじ」とよぶのです。)

西洋人は George の積りで「ジョージ」「ジョージ」と呼ぶのです。

(そんなことから、けっきょくゆすたすはわたしのいえへこないようになりましたが、)

そんなことから、結局ユスタスは私の家へ来ないようになりましたが、

(どうじにわたしも、またなおみからあたらしいじょうけんをもちだされ、それにふくじゅうすることに)

同時に私も、又ナオミから新しい条件を持ち出され、それに服従することに

(なってしまいました。)

なってしまいました。

(ゆすたすのあとにも、だいにだいさんのゆすたすができたことはもちろんですが、いまでは)

ユスタスの後にも、第二第三のユスタスが出来たことは勿論ですが、今では

(わたしは、われながらふしぎにおもうくらいおとなしいものです。にんげんというものは)

私は、我ながら不思議に思うくらい大人しいものです。人間と云うものは

(いっぺんおそろしいめにあうと、それがきょうはくかんねんになって、いつまでもあたまに)

一遍恐ろしい目に合うと、それが強迫観念になって、いつまでも頭に

(のこっているとみえ、わたしはいまだに、かつてなおみににげられたときの、あのおそろしい)

残っていると見え、私は未だに、嘗てナオミに逃げられた時の、あの恐ろしい

(けいけんをわすれることができないのです。「あたしのおそろしいことがわかったか」と、)

経験を忘れることが出来ないのです。「あたしの恐ろしいことが分ったか」と、

(そういったかのじょのことばが、いまでもみみにこびりついているのです。かのじょのうわきと)

そう云った彼女の言葉が、今でも耳にこびり着いているのです。彼女の浮気と

(わがままとはむかしからわかっていたことで、そのけってんをとってしまえばかのじょの)

我が儘とは昔から分っていたことで、その欠点を取ってしまえば彼女の

(ねうちもなくなってしまう。うわきなやつだ、わがままなやつだとおもえばおもうほど、)

値打ちもなくなってしまう。浮気な奴だ、我が儘な奴だと思えば思うほど、

(いっそうかわいさがましてきて、かのじょのわなにおちいってしまう。ですからわたしは、おこれば)

一層可愛さが増して来て、彼女の罠に陥ってしまう。ですから私は、怒れば

(なおさらじぶんのまけになることをさとっているのです。)

尚更自分の負けになることを悟っているのです。

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