山本周五郎 赤ひげ診療譚 鶯ばか 一-2

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1 りつ 3652 D+ 3.8 94.7% 1132.7 4380 243 67 2024/10/09

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問題文

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(それからやくじゅうごねん、しちゅうはいうまでもなく、しゅびきがいまで、しなものをかついで)

それから約十五年、市中は云うまでもなく、朱引き外まで、品物を担いで

(こんきよくしょうばいしてあるいた。じゅうごねんというとしつき、ただもう)

根気よくしょうばいして歩いた。十五年というとしつき、ただもう

(「こんき」ひとつにしがみついてかせいだが、さんにんうまれたこのうえふたりが、ひとりはいつつ、)

「根気」一つにしがみついて稼いだが、三人生れた子の上二人が、一人は五つ、

(ひとりはよっつでしに、おみきのさんごがわるかったりというぐあいで、いまだに)

一人は四つで死に、おみきの産後が悪かったりというぐあいで、いまだに

(このながやからでることができなかった。 ーーところがついなのかばかりまえ、)

この長屋から出ることができなかった。 ーーところがつい七日ばかりまえ、

(むすめのおとめをつれてせんとうへいったところ、そこできゅうにおかしくなってしまった。)

娘のおとめを伴れて銭湯へいったところ、そこで急におかしくなってしまった。

(おとめをはだかにさせ、いっしょにながしばへはいってゆくと、おとめがあしをすべらせて)

おとめを裸にさせ、いっしょに流し場へはいってゆくと、おとめが足を滑らせて

(ころんだ。そのとたんにじゅうべえは、わきでからだをあらっていたおとこをなぐりつけた。)

転んだ。そのとたんに十兵衛は、脇で躰を洗っていた男を殴りつけた。

(おとこをなぐりつけておいて、むすめをだきおこしながら、じゅうべえはおちついたこえでおとめに)

男を殴りつけておいて、娘を抱き起しながら、十兵衛はおちついた声でおとめに

(いった。 ーーそれみろ、おまえころんだりするから、よそのおじさんがしんぱい)

云った。 ーーそれみろ、おまえ転んだりするから、よそのおじさんが心配

(するじゃないか、きをつけてあるきな。 そのようすがあんまりおかしいので、)

するじゃないか、気をつけて歩きな。 そのようすがあんまりおかしいので、

(なぐられたおとこはおこることもわすれ、あっけにとられてながめていたという。)

殴られた男は怒ることも忘れ、あっけにとられて眺めていたという。

(そしてせんとうからかえると、いっしゃくしほうばかりのいたきれをさがしだし、かってからめざるを)

そして銭湯から帰ると、一尺四方ばかりの板切れを捜しだし、勝手から目笊を

(もってきて、へやのすみのかもいのところへいたをわたし、そのうえへめざるをふせて、)

持って来て、部屋の隅の鴨居のところへ板を渡し、その上へ目笊を伏せて、

(すわりこんだ。なんのことだかおみきにはわからない、どうしたんですかと)

座りこんだ。なんのことだかおみきにはわからない、どうしたんですかと

(きくと、「しっ」とせいしし、こえをひそめてささやいた。 ーーしずかにしな、)

訊くと、「しっ」と制止し、声をひそめて囁いた。 ーー静かにしな、

(せんりょうのうぐいすだ。 ーーうぐいすですって。)

千両の鶯だ。 ーー鶯ですって。

(ーーとうとうてにいれた、ほら、ないてるだろう、あれがせんりょうのさえずりだ。)

ーーとうとう手に入れた、ほら、鳴いてるだろう、あれが千両の囀りだ。

(じゅうべえはかもいのすみをみあげ、いかにもうれしそうに、その「うぐいすのこえ」に)

十兵衛は鴨居の隅を見あげ、いかにも嬉しそうに、その「鶯の声」に

(ききほれながら、おみきにむかってささやいた。 ーーこれでやっと)

聞き惚れながら、おみきに向かって囁いた。 ーーこれでやっと

など

(びんぼうもおさらばだ。 それからきょうまで、じゅうべえはかせぎにも)

貧乏もおさらばだ。 それから今日まで、十兵衛は稼ぎにも

(でず、ねるときとしょくじをするいがいは、すわったままじっとめざるをながめつづけている。)

出ず、寝るときと食事をする以外は、坐ったままじっと目笊を眺め続けている。

(ときにはよなかにおきあがって、しんぱいそうにみみをかたむけ、すぐあんしんしたように)

ときには夜なかに起きあがって、心配そうに耳を傾け、すぐ安心したように

(ひとりうなずいて、そのままあさまですわっている、などということもあった。おみきが)

独り頷いて、そのまま朝まで坐っている、などということもあった。おみきが

(かせぎにいってくれるようにたのむと、かれはけげんそうなかおをし、もうそんなひつようは)

稼ぎにいってくれるように頼むと、彼はけげんそうな顔をし、もうそんな必要は

(ない、このうぐいすがうれればおれたちはいっしょうあんらくにくらせるんだ、とくりかえすばかり)

ない、この鶯が売れればおれたちは一生安楽に暮らせるんだ、と繰り返すばかり

(であった。 いじょうのことはうへえからきいたのであるが、じゅうべえのじゅうきょへゆき、)

であった。 以上のことは卯兵衛から聞いたのであるが、十兵衛の住居へゆき、

(きょじょうがしんさつしてみると、どこにもしっかんとおもえるところがみつからなかった。)

去定が診察してみると、どこにも疾患と思えるところが見つからなかった。

(きょじょうにうながされてのぼるもみた。のぼるはたけぞうにちょうちんようのろうそくをださせ、それにひをつけて)

去定に促されて登も診た。登は竹造に提灯用の蝋燭を出させ、それに火をつけて

(じゅうべえのひとみをしらべた。 「おまえさんがたはわたしをきちがいだとおもって)

十兵衛の眸子をしらべた。 「おまえさん方は私を気違いだと思って

(いるんですね」とじゅうべえはあわれむようなくちぶりでいった、「おきのどくだがそれは)

いるんですね」と十兵衛は憐れむような口ぶりで云った、「お気の毒だがそれは

(けんとうちがいだ、わたしはうまれてこのかたいちどもおいしゃのせわになったことのない)

見当ちがいだ、私は生れてこのかたいちどもお医者の世話になったことのない

(にんげんですからね、こんなことをなすってもまるっきりむだですよ」)

人間ですからね、こんなことをなすってもまるっきりむだですよ」

(そのときこがいで「やあいどろぼう」というこどもたちのこえがした。さんにんかよにんで)

そのとき戸外で「やあい泥棒」という子供たちの声がした。三人か四人で

(はやしたてているらしい、「ちょうじのぬすっと」とか、「ちょうのやろうやっつけちまえ」)

囃したてているらしい、「長次のぬすっと」とか、「長の野郎やっつけちまえ」

(などとさけび、がたがたとどぶいたをふみならすおとがきこえた。)

などと叫び、がたがたとどぶ板を踏み鳴らす音が聞えた。

(「またやってやがる」あがりがまちにいたうへえはしたうちをしていった、)

「またやってやがる」上がり框にいた卯兵衛は舌打ちをして云った、

(「どうしてああちょうばかりいじめるんだか、しょうのねえがきどもだ」)

「どうしてああ長ばかりいじめるんだか、しょうのねえがきどもだ」

(そしてろじへとでていった。 しんさつをおわったのぼるは、きょじょうにむかって)

そして路地へと出ていった。 診察を終った登は、去定に向かって

(そっとあたまをふった。きょじょうはかもいのほうをみあげた。すっかりくれてしまった)

そっと頭を振った。去定は鴨居のほうを見あげた。すっかり昏れてしまった

(らしいし、あんどんがすすけているため、いえのなかはいんきにくらかった。まずしいかぐに)

らしいし、行燈が煤けているため、家の中は陰気に暗かった。貧しい家具に

(ぶつだん、ほかにはおおきなかくばったつつみ(しょうひんであろう)がみっつつんであるだけの、)

仏壇、ほかには大きな角張った包み(商品であろう)が三つ積んであるだけの、

(がらんとしたへやのいちぐうのかもいに、わたしてあるいたと、そのいたのうえにふせてある)

がらんとした部屋の一隅の鴨居に、渡してある板と、その板の上に伏せてある

(めざるとが、ぼんやりとみえていた。 「あそこに」ときょじょうはじゅうべえにきいた。)

目笊とが、ぼんやりと見えていた。 「あそこに」と去定は十兵衛に訊いた。

(「あのめざるのなかにはなにがいるんだ」 「しっ」とじゅうべえはせいしし、それから)

「あの目笊の中にはなにがいるんだ」 「しっ」と十兵衛は制止し、それから

(こえをひそめていった、「そんなばかなこえをだしちゃあこまりますよ、)

声をひそめて云った、「そんなばかな声を出しちゃあ困りますよ、

(なにがいるかって、おまえさんにはみえないんですか」)

なにがいるかって、おまえさんには見えないんですか」

(「おれにはなにもみえない」 「めがわるいんだな、そうはみえないが」)

「おれにはなにも見えない」 「眼が悪いんだな、そうはみえないが」

(といって、じゅうべえはかたてのゆびをたて、あたまをかしげながらきょじょうにささやいた、)

と云って、十兵衛は片手の指を立て、頭をかしげながら去定に囁いた、

(「そらあれです、めがわるくってもみみはきこえるでしょう、そら、あれを)

「そらあれです、眼が悪くっても耳は聞えるでしょう、そら、あれを

(きいてください、きこえるでしょう」 きょじょうはだまっていた。)

聞いて下さい、聞えるでしょう」 去定は黙っていた。

(「せんりょうのさえずりですよ」とじゅうべえはきょじょうにささやいた、「もうすぐかいてがつく)

「千両の囀りですよ」と十兵衛は去定に囁いた、「もうすぐ買い手がつく

(はずです」 きょじょうはまもなくたちあがり、またきてみよう、とおみきにささやいてから)

筈です」 去定はまもなく立ちあがり、また来て診よう、とおみきに囁いてから

(どまへおりた。そこへうへえがもどってき、いっしょにろじをでたが、そとはもう)

土間へおりた。そこへ卯兵衛が戻って来、いっしょに路地を出たが、外はもう

(よるのけしきで、たけぞうはちょうちんにひをいれた。 「いまちょうじのどろぼうとさわいでいた)

夜の景色で、竹造は提灯に火を入れた。 「いま長次の泥棒と騒いでいた

(ようだが」ととおりへでたところで、きょじょうがきいた、「いつかみたごろきちの)

ようだが」と通りへ出たところで、去定が訊いた、「いつか見た五郎吉の

(ところのこどもか」 「さようです」とうへえがこたえた、)

ところの子供か」 「さようです」と卯兵衛が答えた、

(「どうもこのながやにわるいおんながきやあがって、いろいろよけいなくちを)

「どうもこの長屋に悪い女が来やあがって、いろいろよけいな口を

(きくもんですから、かなぼうひきのかかあやがきどもがそのしりうまにのりましてね、)

きくもんですから、金棒曳きの嬶やがき共がその尻馬に乗りましてね、

(よわいものいじめばかりしてしようがありませんや」 「ごろきちのかみさんは)

弱い者いじめばかりしてしようがありませんや」 「五郎吉のかみさんは

(あれからたっしゃか」 「なにしろあのくらいですから、ねているわけにも)

あれから達者か」 「なにしろあのくらいですから、寝ているわけにも

(いかねえんだろうが、まあどうやらやっているようです」とうへえはいった、)

いかねえんだろうが、まあどうやらやっているようです」と卯兵衛は云った、

(「ときに、じゅうべえのようすはいかがでしょう」)

「ときに、十兵衛のようすはいかがでしょう」

(「なんともいえないな」といってきょじょうは、ふきつけるすなぼこりからかおをそむけた、)

「なんとも云えないな」と云って去定は、ふきつける砂埃から顔をそむけた、

(「ときどきこのやすもとをよこすが、もうすこしようすをみてからでないと)

「ときどきこの保本をよこすが、もう少しようすをみてからでないと

(わからない、とにかくあれいじょうひどくなるようなしんぱいはないだろう」)

わからない、とにかくあれ以上ひどくなるような心配はないだろう」

(そしてきょじょうたちはきとについた。)

そして去定たちは帰途についた。

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