山本周五郎 赤ひげ診療譚 鶯ばか 五-1
順位 | 名前 | スコア | 称号 | 打鍵/秒 | 正誤率 | 時間(秒) | 打鍵数 | ミス | 問題 | 日付 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | りつ | 3913 | D++ | 4.1 | 93.9% | 1022.1 | 4274 | 274 | 62 | 2024/10/14 |
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問題文
(おけいはふとたちどまって、まえかけでかおをおさえながら、うらめしそうにのぼるにうったえた。)
おけいはふと立停って、前掛で顔を押えながら、怨めしそうに登に訴えた。
(「あたしとおふみさんは、きょうだいどうようにつきあってきたんですよ、せんせい、)
「あたしとおふみさんは、きょうだい同様につきあって来たんですよ、先生、
(こっちもそのひぐらしだから、ちからになるなんてくちはばったいことはいえやしない、)
こっちもその日ぐらしだから、力になるなんて口幅ったいことは云えやしない、
(けれどもこれまではどんなささいなことでもうちあけあい、そうだんしあって)
けれどもこれまではどんな些細なことでもうちあけあい、相談しあって
(きたんです、ほんとうにひとさらのしお、ひとさじのしょうゆもわけあってきたのに」おけいは)
来たんです、本当に一皿の塩、一と匙の醤油も分けあってきたのに」おけいは
(おえつをかみころすために、ちょっとだまった、「きょうだいよりなかよくやって)
嗚咽をかみころすために、ちょっと黙った、「きょうだいより仲良くやって
(きたのに、いきしにというだいじなことがどうしていえなかったんでしょう、)
来たのに、生き死にという大事なことがどうして云えなかったんでしょう、
(こどもまでつれてしぬほどのわけがあったのなら、ひとことぐらいこうだといって)
子供まで伴れて死ぬほどのわけがあったのなら、一言ぐらいこうだと云って
(くれてもいいじゃありませんか」 のぼるはだまっていた。かれはこういうひとたちをよく)
くれてもいいじゃありませんか」 登は黙っていた。彼はこういう人たちをよく
(みてきた。まずしいひとたちはおたがいどうしがたよりである。ばくふはもちろん、せけんの)
見て来た。貧しい人たちはお互い同士が頼りである。幕府はもちろん、世間の
(ふしゃもかれらのためにはなにもしてくれはしない。まずしいものにはまずしいもの、)
富者もかれらのためにはなにもしてくれはしない。貧しい者には貧しい者、
(おなじながや、となりきんじょだけしかたよるものはない。しかしそのはんめんには、やはりつよい)
同じ長屋、隣り近所だけしか頼るものはない。しかしその反面には、やはり強い
(ものとよわいもののさがあるし、せんぼうやしっとや、きょしょくやごうまんがあった。そのうえ、)
者と弱い者の差があるし、羨望や嫉妬や、虚飾や傲慢があった。そのうえ、
(いつもぎりぎりのせいかつをしているため、それらはすこしのよくせいもなく、むきだしに)
いつもぎりぎりの生活をしているため、それらは少しの抑制もなく、むきだしに
(あらわされるのがつねであった。いつもはひとさじのしおをきらくにかりるなかでも、)
あらわされるのが常であった。いつもは一と匙の塩を気楽に借りる仲でも、
(きわめてつまらないりゆう、ーーたとえば、こっちへむいてつばをしたとか、)
極めてつまらない理由、ーーたとえば、こっちへ向いて唾をしたとか、
(あさのあいさつがきにいらなかったとか、へんにつんとしていた、などというたぐいの)
朝の挨拶が気にいらなかったとか、へんにつんとしていた、などというたぐいの
(ことで、いっぺんにきゅうてきのようににくみだすのである。かれらがおたがいに、)
ことで、いっぺんに仇敵のように憎みだすのである。かれらがお互いに、
(じぶんをすててもたすけあおうとするじょうのあつさは、せいかつにふじゆうのないひとたちには)
自分を捨てても助け合おうとする情の篤さは、生活に不自由のない人たちには
(りかいできないであろう、とどうじに、かれらのきょしょくやごうまんや、じそんしんや)
理解できないであろう、と同時に、かれらの虚飾や傲慢や、自尊心や
(ぞうおなどの、そぼくなほどむきだしなあらわしかたも、りかいすることはできないに)
憎悪などの、素朴なほどむきだしなあらわしかたも、理解することはできないに
(そういない。 ひとさじのしおまでかりあい、きょうだいいじょうにつきあっていながら、)
相違ない。 一と匙の塩まで借りあい、きょうだい以上につきあっていながら、
(しななければならないというりゆうははなせない。 ひんきゅうしているための、)
死ななければならないという理由は話せない。 貧窮しているための、
(あいてにたいするひつようをこえたえんりょか、それともがんめいな、りくつにあわないじそんしんの)
相手に対する必要を越えた遠慮か、それとも頑迷な、理屈に合わない自尊心の
(ためか、いずれにせよ、ごろきちふうふにはたにんにはなせないりゆうがあったのだろう。)
ためか、いずれにせよ、五郎吉夫婦には他人に話せない理由があったのだろう。
(おけいがせめるのはあたっていないし、あたっていないということは)
おけいが責めるのは当たっていないし、当たっていないということは
(おけいじしんもさっしているにちがいない、とのぼるはこころのなかでおもった。 「ねえせんせい」と)
おけい自身も察しているに違いない、と登は心の中で思った。 「ねえ先生」と
(おけいはあるきだしながらいった、「おねがいですからちょうぼうだけはたすけてください、)
おけいは歩きだしながら云った、「お願いですから長坊だけは助けて下さい、
(しんじまったさんにんはしようがないけれど、せめてちょうぼうだけはたすけてやって)
死んじまった三人はしようがないけれど、せめて長坊だけは助けてやって
(ください」 「やってみよう」とのぼるはこたえた、「わたしにできるかぎりのことはするよ」)
下さい」 「やってみよう」と登は答えた、「私にできる限りのことはするよ」
(ごろきちのいえには、おけいのほかにふたり、きんじょのにょうぼうがねずばんをしていた。)
五郎吉の家には、おけいのほかに二人、近所の女房が寝ず番をしていた。
(ちょうじはめをおおきくみひらき、くちをあいて、みじかいきゅうそくなこきゅうをしていた。あおむきに)
長次は眼を大きくみひらき、口をあいて、短い急速な呼吸をしていた。仰向きに
(ねたまま、ときどきあたまをさゆうにふり、そしてちからなくうめいた。 「ちょうじーー」)
寝たまま、ときどき頭を左右に振り、そして力なく呻いた。 「長次ーー」
(まくらもとにすわったのぼるは、あんどんをちかよせるようにたのんで、ちょうじのかおをのぞいた、)
枕許に坐った登は、行燈を近よせるように頼んで、長次の顔を覗いた、
(「わたしだよ、どうした」 「おれ、どろぼうしたんだよ、せんせい」とちょうじはぞっと)
「私だよ、どうした」 「おれ、泥棒したんだよ、先生」と長次はぞっと
(するほどしゃがれたこえでいった、「そのことをせんせいにいいたかったんだ」)
するほどしゃがれた声で云った、「そのことを先生に云いたかったんだ」
(「そんなことはあとでいいよ」 「だめだ、いまいわなくちゃ、いまだよ、)
「そんなことはあとでいいよ」 「だめだ、いま云わなくちゃ、いまだよ、
(だからせんせいに、きてもらったんだ」まるでおとなのはなすようなちょうしであった、)
だから先生に、来てもらったんだ」まるでおとなの話すような調子であった、
(「おれ、しまやさんのうらのかきねをね、せんせい、きいてるかい」 「きいてるよ、)
「おれ、島屋さんの裏の垣根をね、先生、聞いてるかい」 「聞いてるよ、
(ちょうじ」 「しまやさんのうらのかきねをね、ひっぺがして、もってきちゃったんだ」)
長次」 「島屋さんの裏の垣根をね、ひっぺがして、持って来ちゃったんだ」
(とちょうじはいった、「おれがわるかったんだ、おれ、そのほかにもどろぼうしたことが)
と長次は云った、「おれが悪かったんだ、おれ、そのほかにも泥棒したことが
(あるもの、だから、とうちゃんとかあちゃんがおこって、もうだめだって、)
あるもの、だから、とうちゃんとかあちゃんが怒って、もうだめだって、
(おれのような、どろぼうをするこがでちゃって、きんじょでどろぼうだっていわれちゃえば、)
おれのような、泥棒をする子が出ちゃって、近所で泥棒だって云われちゃえば、
(もうおしまいだって、それでみんなで、しぬことになったんだ、みずをのまして」)
もうおしまいだって、それでみんなで、死ぬことになったんだ、水を飲まして」
(のぼるはにょうぼうたちをみた。おけいがゆのみをとろうとし、のぼるは「きれいなさらしを」)
登は女房たちを見た。おけいが湯呑を取ろうとし、登は「きれいな晒木綿を」
(といった。どくぶつをはくときにのどをただれさせているし、もうごくりとのむちからは)
と云った。毒物を吐くときに喉を爛れさせているし、もうごくりと飲む力は
(ないとおもったのだ。おけいがてぬぐいをきれいにあらい、そのはしにみずをしみこませて)
ないと思ったのだ。おけいが手拭をきれいに洗い、その端に水を浸みこませて
(もってきた。 のぼるはそのせんたんをちいさくまるめて、ちょうじのくちへいれてやった。)
持って来た。 登はその尖端を小さくまるめて、長次の口へ入れてやった。
(「すってごらん」とのぼるはいった、「したでそっとすうんだ、しずかに、そう、)
「吸ってごらん」と登は云った、「舌でそっと吸うんだ、静かに、そう、
(しずかに」 だが、ちょうじははげしくむせ、わずかばかりすったみずといっしょに、あくしゅうの)
静かに」 だが、長次は激しく噎せ、僅かばかり吸った水といっしょに、悪臭の
(あるものをおうとし、だつりょくしたからだをねじまげてもがいた。 「おれがわるい)
あるものを嘔吐し、脱力した躰をねじ曲げてもがいた。 「おれが悪い
(んだからね、せんせい」すこしおちついてから、ちょうじはまたいった、「とうちゃんや、)
んだからね、先生」少しおちついてから、長次はまた云った、「とうちゃんや、
(かあちゃんのこと、かんべんだよ、ね、かんべんだよせんせい、わかったね」 「わかった」)
かあちゃんのこと、勘弁だよ、ね、勘弁だよ先生、わかったね」 「わかった」
(のぼるはちょうじのてをにぎった、「よくわかったからすこしねむるんだ、はなしをするとくるしく)
登は長次の手を握った、「よくわかったから少し眠るんだ、話をすると苦しく
(なるばかりだぞ」 「みずがのみたい」とちょうじはいった、「でもだめだ、)
なるばかりだぞ」 「水が飲みたい」と長次は云った、「でもだめだ、
(あとでだ、ね」 「すぐだ、すぐのめるようになるよ」)
あとでだ、ね」 「すぐだ、すぐ飲めるようになるよ」
(ちょうじはめをつむった。しかしまぶたはあわさらず、しろめがみえていた。びよくのわきに、)
長次は眼をつむった。しかし瞼は合わさらず、白眼が見えていた。鼻翼の脇に、
(むらさきいろのはんてんがあらわれ、こきゅうはさらにはやく、こきざみになった。 「せんせい」と)
紫色の斑点があらわれ、呼吸はさらに早く、小刻みになった。 「先生」と
(おけいがぎょっとしたようにささやいた、「このいきはしぬときのいきじゃ)
おけいがぎょっとしたように囁いた、「この息は死ぬときの息じゃ
(ありませんか、あたしこのいきをしってますよせんせい、そうでしょ、しぬときの)
ありませんか、あたしこの息を知ってますよ先生、そうでしょ、死ぬときの
(いきでしょ、どうにかしてくださいせんせい、どうにかならないんですか」)
息でしょ、どうにかして下さい先生、どうにかならないんですか」
(「そのまましなしてやってくださいな」とむこうからおふみがいった。)
「そのまま死なしてやって下さいな」と向うからおふみが云った。